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1923年(大正12年)9月1日、関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明14万2千8百名、全壊建物12万8千棟、全焼建物44万7千棟という未曾有の大災害がもたらされました。
被害総額は当時の国家予算の1年4カ月分に達するといわれています。 東京・横浜をはじめ都市部では地震後に発生した火災のために被害が著しく大きくなりました。 この地震はフィリピン海プレートの沈み込みによって北西方向に押しつけられていた関東地方南部の岩盤が急激に跳ね返ることにより起きたプレート境界の巨大地震で、そのため地震直後房総半島南部から三浦半島、相模湾北岸にかけては地盤が隆起し、丹沢山地を中心に沈降しました。 震源に近い相模湾沿岸と南房総地域にとっては正に直下型大地震に襲われたのに等しく、地震の揺れによる被害(震害)が甚大でした。 山崩れ・崖崩れも数多く発生し、また地震発生後数分から数十分のうちに大津波が相模湾岸と伊豆諸島に押し寄せました。 そうです。 ちまたでは、そろそろ関東付近に大地震がおこっても不思議でない!。 との話が出ます。 先日の土曜日、震度4弱の地震があったときに、『そなえあれば憂いなし』ふと思った??。 そなえって?? このブログをやっているなかで、既に大震災に見舞われた方々。 こんなものがあったら、いいよ。 これは必需品等ありましたら、教えてください <(_ _)>
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神奈川もかなり揺れたようですね! トミー&お子ちゃま大丈夫だった? やっぱりお子ちゃまが小さいから、我慢させられない「飲み物」や「食べ物」オムツとかは必要だよね! 大人はある程度我慢も出来るけど。。。 被災したことないけど書いたみた⊂((〃’⊥‘〃))⊃
2005/7/26(火) 午後 2:26
かちゃさん:全然平気で歩いてたよ。そか!。子供の者を優先したほうがいいね。
2005/7/26(火) 午後 2:47
おおっ・・そうそう。そうだったようだね・・元旦那のおうち横浜なによん。電話してないけど。。大丈夫そうだな?!備えか・・・すぐに逃げ出せるように、靴履いて寝てください。よろしく!!
2005/7/29(金) 午後 7:32 [ - ]
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災で横浜中華街は大打撃を受けて瓦礫と化した。
欧米人の多くが帰国してしまったが、1930年代には震災から完全に復興し、中国人を中心とした街として賑わいを見せた。
1932年(昭和7年)料理店が20軒あまりに達したとしている。
1937年(昭和12年)7月7日に勃発した日中戦争で多くの華僑が帰国し、閉店した店も多い。
第二次世界大戦後の復興期に横浜港は賑わい、イギリスの植民地である香港との往来も復活した。
終戦直後は豊富な物資を背景とした、闇市街としての役割を果たしたが、徐々に物資が行き渡るようになり、数年で闇市としての役割は終了した。
それと引き換えに、山下公園周辺に駐留するアメリカ軍兵士や外国人船員が増加し、街も賑わいを見せた。
しかしながら朝鮮戦争が休戦したことに伴い在日米軍基地も縮小され、人通りの少ない静かな町へと変貌した。
街灯もない街に日本人は良いイメージを持たず、日本人が寄り付かない街となっていた。
2018/11/17(土) 午前 10:46 [ 公共の安全と秩序で移民を考える ]