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こんばんは(*´ω`*)
今日は、乙飛六期、山岸昌司さんのお誕生日!!! 1920年生まれですから、ご存命なら何と99歳なんですよ( ̄▽ ̄;) すっげー!! さらに来年は生誕100年… ちなみに西澤廣義さんと同学年です♪ 予科練は山岸さんのが一級先輩☆ 予科練時代、県人会なんかでは顔を合わせていたのかもなぁ〜 今や、姪御さん同士は知り合い(о´∀`о) そんなこともあるんだなぁと、縁というものにいつまでたっても魅了されるとみーです(*≧∀≦*) 山岸さん〜o(^o^)o 今年はまた長野に会いに行きたいです! まずは土浦で! 筑波は行けそうもないから…(。´Д⊂) これからもずーっと大好きです! 姪御さんのことも☆ お空からずっと見守っていてください。 お誕生日おめでとう! 昌司さんっ(*≧∀≦*) |
☆日本海軍航空隊☆
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こんにちは(*´ω`*)
こちらではひどい雪の被害もなく、ただ低温のためサラサラの粉雪が舞い、顔面に飛んできて冷たいので逃げ回るという事態が起きている程度です。 今朝、起きてから何故か涙もろく、意味もなく泣きたくなったり、どうでもいいようなネットニュースを見ては涙がこぼれるという、意味不明な1日の始まりでした。 ??? と、ここ最近で何かあったっけかな?とひたすら考えました。 あ、2月8日!! 思い出しました。 721空神雷部隊、海兵71期、西原雅四郎大尉のお誕生日でした!!! 雅四郎さん〜(。´Д⊂) ごめんなさい〜忘れてた!(笑) それを思い出してから、泣きたくなる衝動がおさまりました…((((;゜Д゜))) これだったの? 俺の誕生日!ってことだったの? 雅四郎さん?(笑) 何とも説明できないのですが…(;´∀`) とりあえず、治まったのでこれで良しとします。 ということで、西原大尉! 後れ馳せながら、お誕生日おめでとうございます〜(ノ´∀`*) 大正12年の早生まれの大尉ですから、ご存命であられたら…97歳! 今年の6月は、大尉の甥御さんともお会いしますからねー! いつかは愛媛に会いに行きます(*´ω`*) その時はお好きだったものをいっぱいお持ちしましょう♪ |
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こんばんは(*^^*)
日米開戦の日ですね。 今日は昭和20年1月5日に、第十八金剛隊として特攻戦死された、海兵72期、丸山隆(ゆたか)中尉の日記を書きたいと思います。 なにわ会HPより (昭和19年の) 「12月8日 聖戦2周年の記念すべき日を迎ふ。 3ヶ年の中に幾多の難関を突破して今日に及んだ。 今やレイテをめぐる戦雲は、日一日と低く濃くなり行くを覚えるのであるが、この難局打開の責任を双肩に担って、自分等は台湾に進出して来ている。 吾等に課せられた任務は重大であると共に、極めて光輝に満ちた誇りともいうべきものある事を思うとき、生ける験(しるし)あるの喜びを禁じ得ないのである。 国難突破の道は青い吾人の熱と意気、清純な血潮をおいて他に見出し得ない。 今迄、神風隊にしろ、他人の戦死とか、自爆とかに対して、何等考えて見る事もなかったが、今、自らがその立場に立って考えてみると、人に知られるでもなく、以上の様な崇高な若人の感激のままに、死んで行った東亜の捨石が沢山あるのだ。 戦闘速報にも見た様に、今日新たにセブの方面に新上陸があった。 敵も今度だけは死物狂い頑張っている様である。 吾等の一奮発がこの驕敵を撃破して、国家を、而して大東亜を、泰山の安きに置き得ると思うと、男子の喜び之に過ぎるものはない。」 丸山中尉は、米護衛空母マニラベイへ見事突入されました。 彼は自分の名刺入れを所持したまま突入しました。 その中には、自身の父母の写真、兄(陸軍航空隊、戦死)の写真、同じ筑波空にいて数日前に金剛隊員として特攻戦死した、十三期予備学生の増田中尉の名刺などが入っていました。 戦死後、マニラベイには彼の遺品となる名刺入れが落ちていました。 それを戦後に、同艦の乗り組みであった米軍の将校のご子息、お孫さんが、日本で縁のあった日本人夫婦に依頼し、調査が始まりました。 何年もたって、やっとこれが丸山中尉のものであったことがわかり、御遺族様へ伝えられました。 丸山中尉は海兵卒業の年、お母様を亡くしました。 翌年にはお兄さんも西部ニューギニアのビアク島にて亡くしています。 同期生が言うように、朴訥、温厚、純情というイメージが全くもって頷けるような、優しげな面立ちです。 しかし突入の際は、冷静沈着に低空で侵入し、直前で急上昇。 上空で切り返し急降下。 機銃を掃射しながら、マニラベイの上部構造物の基部と、前部エレベーターの中間に体当たりしました。 機体は飛行甲板を突き抜けて、二つに折れ、爆弾は格納庫甲板で炸裂… 壮絶な特攻戦死であり、見事な操縦技術であった、と敵に言わしめました。 彼の日記には何度か、我々はチヤホヤされるべき人間ではない、というような記述が見受けられます。 そうされるとすれば、それは先輩たちの偉業によるものであると。 淡々と過ぎていくように書かれる最後の日々。 ただそれも、最後の日記の前々日まででした。 最後の日記は、12月14日。 辞世の句だけです。 その前日の13日、長い日記を残しました。 心を静かに、家族を思っています。 お父様は奥様を亡くされ、長男を亡くされ、今や御次男も失うところ… 彼は父を思いました。 兄が死に、自分にかかる思いは非常なものであったと。 しかし、きっと喜んでくれるだろう、わかってくれるだろうと、望みをかけ、許しを得ようともしているようです。 最後まで、国を守る武人であろうとしています。 ただし…。 今まで残してきた沢山の日記。 これにだけは自分自身が、心が、人生が綴ってあることを正直に書いています。 恥ずかしいこともあるけれど、読んだ人に、自分を感じてほしいと、いうことなんだろうなと思いました。 昭和20年1月5日、彼の努力が報われました。 あれからもうすぐ74年が経ちます。 昭和16年12月8日に始まった大東亜戦争の三年半のこと。 どうかどうか、日本人一人一人が、もっともっと考えてほしい。 真実を追求してほしい。 現代の価値観で考えないでほしい。 今の時代の尺度で、技術で、考えないでほしい。 そして日本人の心だけは、今もあのときも変わらないという純粋な部分を感じ取ってほしい。 ずるかった部分も感じてほしい。 そのときそのとき、同じ日本人たちが、失った悲しみを抱えて、それでも守りたいもののために立ち上がって歩き続けたことを、同じはらからである日本人だけは心に寄り添っていってほしい。 自存自衛と、アジアの解放のためであった大東亜戦争で亡くなられた日本人と、世界の国々の方の御冥福を心からお祈り致します。 |
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こんばんは(*´ω`*)
何が半分かと言いますと… 甲飛予科練、一期〜十期までの、クラス会誌のことです。 一期、二期、五期、八期、十期…が揃いましたが、三期は卒アルだけ読んでいます。(磯貝常雄さんの御遺族は、卒アルもクラス会誌も持ってるはずですが…) 存在するのかも見当がつかないのは、四期、六期、七期です(^o^;) 九期はあるのはわかっているんですが、なかなか出てきません。(一度買い逃しまして…) どうしても読みたいのは甲飛四期!!! 戦闘機の佐々木原さんの日記が日の目を浴びてくれることも希望ですが…。 翔鶴に開戦時から乗っていた方ですので、同期生についての記述があってほしいと願うばかり… いつか、甲飛予科練一期〜十期まで揃う日がくるのだろうか… ちなみに、十二期、十三期の一部はあります。 十一期もあんまりみたことがないです。 長い目で探していこう♡(°´˘`°)/ ♡ |
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こんばんは(*´ω`*)
連投失礼します。 鷲見少尉の誕生日だと書いたし、やっぱり記事あげようと思いました。 先月25日は、我らが山形県人の大先輩、甲飛三期、児玉清三 兵曹の誕生日でした(*≧∀≦*) 1921年(大正10)生まれです。 同期の岸田くんよりひとつ年上なんですよね〜 磯貝常雄さんは大正9年で、児玉さんよりもまた上です。 そう考えると、甲飛三期の主流?は大正10年生まれか? 甲飛四期の安部晃さんは大正12年の早生まれなので、11年度の学年。 中学4年で入隊してるので、甲飛四期は大正11年が主流となるのか? いや…でも甲飛は半年単位で入隊だしな〜 まぁそれはおいおい(笑) 児玉くん(*´ω`*) 誕生日おめでとう! 遅くてごめんなさい。 記事あげるのを躊躇ってごめんなさい(笑) 自分の慰霊のブログなんだから、誰に遠慮することもなかったです。 きっと日本で誕生日当日におめでとうと伝えたのは私だけでしょう(笑) ですが、御命日に偲ぶだけでなく、誕生日ももっと祝ってくれる方が増えたら良いなと願っております。 また来年も誕生日のお祝いしますぞ♪ 児玉くん(*≧∀≦*) |




