透明な色鉛筆

平成18年8月11日に開設しました。

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平成20年10月5日(日)末息子が永年の喜びを受けて結婚式を行った。 わたしは、末期癌の症状を引きずりながら、皆様方からご援助いただきながら子供らの晴れ姿にうれしさ・うれしさ。我と我が妻との一世一代の晴れ舞台。
 しかし、その後は徐々に体調は・・・・。今はゆっくり痛みと向き合い始めた。

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Re:おはよ〜(  ̄▽ ̄) ケータイ投稿記事

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また、今日はみんなで楽しく集まります。そして10月5日に2男坊の結婚式がある。皆でたのしみがはじまります。

巨大うんち ケータイ投稿記事

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ぷりもの巨大うんちではありません。僕用の抱き枕です。

めまい ケータイ投稿記事

15時15分ごろ、天井がぐるぐる 回ってしまいました。前回8月11日のときと比べ軽く、MRIでの診察ではあらたな病症はなかった。既往症に脳梗塞があるので脳外科の先生に診察していただいてから帰って来ました。

62回目の誕生日 ケータイ投稿記事

メールありがとう。間もなく脳梗塞の病院は退院ですが、ガン治療再開して良い効果を少しずつでも感じられるようしたいです。2008.8.21 記載

息子が新居に転居

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これは約8年前の文章である。



息子は、関東を出て大阪勤務を希望してかの地で社会人となった。

そしてよき娘とめぐり合い4年前結婚し新家庭をつくった。

2006年12月に練りに練った間取り図通りの新居にアパートから移り住んだ。

きっと目いっぱい無理をした決断だったに違いない。若さゆえの無理。

家族4人がのびのび動ける広さが確保されている。移ったばかりで家具が少ないのかもしれない。2人の孫たちは家の中で飛び跳ねていた。



まさに独力で居場所を見つけ、人とのつながりを育み少々はその力を認めてもらいつつ30歳の節目を迎えた息子に、今一度エールを送ろう。

 フレー フレー わが息子よ。

2007.2.4 記載

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 わたしは、東京タワーの下の街で生まれた。“always3丁目の夕日”の景色と同じ港区三田3丁目がわたしのふるさとで、いまでも戸籍の所在地である。当時は下町の商店街で「三田通り」といって両側にお店屋さんがずらっと並んでいてその一軒一軒が小学校の級友の家であった。道の真ん中は都電が走っていた。東京タワーは小学校4・5年生のころニョキニョキと空に伸びてあんなに高い塔になっちゃたのだ。

 小学校の帰りには商店街を歩いてくるのだが、途中でトイレをしたくなったらすぐにお店に入っていって「おばさーん、お便所貸してー」と家の奥へ大声で声掛けてお便所を貸してもらうなどということが頻繁ではないが当たり前のことだった。

 でも、いまは違う。東京タワーは相変わらずあるが、我が家は引っ越して今はない。都電がない。お店屋さんの家がない。友達も友達のおばさんもいない。商店街がない。おもかげはかけらもない。いまは背の高いビルが道の両側にびっしりと立ち並ぶオフィイス街で歩いている人も見知らぬ人々だ。

道筋を、昔を探して歩いたら、4の日が縁日だったお地蔵さんだけが昔の場所にあった。が、金属製の小屋の中だった。



 小学校も中学校も高校も昔どおりの場所にあるが、建物も昔の姿ではない。それでも、前まで行ってみる。誰か、クラスの誰かに会うかもしれない、担任の小泉公子先生が出てくるかも知れない。



 あのふるさとの街は、そっくりなくなっちゃったけど、あの場所は相変わらずごちゃごちゃして車と人が行き交っている。



 いつか、三田通り商店街とその周辺のことを思い出書きしようと思う。

2006。10.13 記載

母の物語

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母、今年91歳。

これは、わたしの母の物語である。



 わたしの母は、太平洋戦争前後の時代に4人の子を産んだ。物不足と空襲と疎開の時代である。



 わが家は父の代まで代々続く商家。嫁いできた母は当然のように跡取り息子を産むように期待されたがはじめの2人は女の子であった。子供たちは可愛がられたが、母には期待はずれ感が家族の中に漂っていることを敏感に感じられた。

 3番目の子を身ごもったとわかった時、母は買い物帰りに町内にあるお地蔵さんの前を通り、「今度は、男の子をお授けください。」と祈った。

 めでたく三人目は男の子。跡継ぎ誕生は家族にはもちろん、親類、使用人から取引先にまで祝福された。お祝いの品が母子の寝ている部屋が窮屈になるほど届けられた。子の名は「さちお」。



 長男は大事に育てられたが、戦争で食糧事情が悪化した影響で母の乳の出が悪くなり、不足を野菜の煮汁で補うようになった。冷たい風が吹き始める頃、乳飲み子は熱をだして 力弱げに泣き続けた。かかりつけの医者に診せると

「肺炎を起こしている。小児肺炎。放っておくと命にかかわる。」との診たて。

手を尽くして治療をするも、戦時中で薬がそろわず、思うように熱を下げられない。素肌の胸にわが子を抱きしめると燃えるように熱い。

「あと1日のうちに熱が下がらないと危ない。たとえ、直っても頭に障害が残る。」

往診に来た医者が渋い顔で言った。

町内の物知りの年寄りが「[馬肉の湿布が熱によく効く」と母に教えてくれたが、馬肉を売っているところなどその時はなかった。



 わが子が危ない。命が危ない。あと1日で危ない・・・・・・・・・・・。

母はそれから先は無我夢中だったと、思い出話で話している。



 お地蔵さんの足元にうずくまり一心に祈った。

「わが息子を助け給え。どうぞ、助けてください。お地蔵さんから授かった息子を救ってください。」

長い時間の祈りを終えて気がつくと部屋着のまま裸足のままだった。



 「さちおは強い運をもって生まれてきたんだねえ、きっと。その日の夕方、馬肉の配給の知らせが届いたんだよ。うれしくて、ありがたくて涙がもう止まらなかったねえ。ええ、もう1番に行って わけを話して いいところを薄く切ってもらって来て、1晩中寝ずに小さな胸に馬肉の湿布を繰り返し貼り続けたよ。眠気なんざこれっぽちもなかったねえ。」



 そして、熱が徐々に下がりはじめ、峠を越えた。



 そのさちおというのがわが兄。それから2年後4人目の子としてわたしが生まれた。

2006.11.26 記載

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