親父と野球

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(昭和14年東軍選抜メンバー・父とスタルヒン・父とハリス)  


自分の仕事について少し書いて見ようと始めたら、次々と書きたいことが出てきてしまって、まだまだ、ありそうなので、チョッと休憩して、また、私のヒーロー(英雄—若き日の親父)の話を入れます。私の親父は結局、プロ野球で活躍したのは、イーグルスでの戦前の3年間で後は兵役に招集され、南方(西南アジア)の最前線に行ったまま、終戦後の引き上げまで約6年(23-29歳)のスポーツ選手にとっても、また、人生にとっても、もっとも貴重な時代を戦争と言う最も過酷でやるせないものに捧げてしまったがそれでも最前線から生きて帰ってきたのは、余程体力と気力、強運があったのだろう。
その親父が語ってくれた昔話(勿論、野球)の中に、外人の名前が頻繁に出てきて、話題を膨らませたものだ。                              

その中の外国人名は、決まってハリスとスタルヒンだった。ハリスはプロ野球外国人選手第一号で、父が投手として入団して2年間イーグルスの正捕手として新米投手の父の面倒をよく見てくれた恩人で、英語が得意だった父は取分け親しくさせてもらったようだ。  

もうひとりは、何故かあの300勝の大投手スタルヒン。スタルヒンとはあまり、現役時代の親交は聞かないが、むしろ現役晩年の頃の話が多かった。それは、彼が現役晩年の頃、父が移り住んだ田舎町でプロ野球オープン戦があり、その時にスタルヒンと再会し意気投合。スタルヒンが引退したらその田舎町で住みたいと言い出し、これがかなり本気だったようで父が具体的に何処がいいかを探し始めてていたようだ。しかし、その後、しばらくしてスタルヒンは交通事故(確か電車と衝突)で残念にも亡くなってしまった。再会し意気投合したといってもあの大投手と対等に話が出来るような接点があったのかと疑問に思っていたが、今回父の経歴を調べてみて分かってきた。それは、父が、当時(1939年)の東西対抗(今のオールスター)に東軍代表でスタルヒンと共に選出されていたのだ。(新聞画像の切り抜き発見-添付)、その年の東軍メンバーは、スタルヒン、水原、川上、吉原ら蒼蒼たるメンバーの中に混じって写る(後列左から2人目)親父。これを見て晩年の親交も納得した。

ハリスについては、米国との関係が悪化した1939年に帰国したため、関係は途切れていたが1976年にプロ野球OB会が日本シリーズに日本プロ野球の第一号外国人選手であるハリスを米国から招待、その際、現役時代に格別親交のあった父も招待を受け、(涙の再会)を演出。

我が家で保存しているスナップショット(親父とスタルヒン1954年)(ハリスとの再会1976年)を添付してみます。


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