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映画〈おとうと〉を観て
吉永小百合作品〈おとうと〉を観てきた。
そのおとうと役が鶴瓶。
何となくどこかであったように思っていたが、確か〈母べえ〉の吉永さんの身内で大阪人の役が鶴瓶だったことを思いだした。
そうなら、あの時のイメージが今回の作品の原点ではないかと勝手に考えたりしながら、観始めた。
最初は吉永小百合と鶴瓶が姉、弟ということに違和感があり、なんとなくしっくりこないまま、いきなり、披露宴をめちゃくちゃにしていく場面は、やりすぎ感を拭えないまま、次を観ていた。
やがて、後半のみどりの家が、出てくるときあたりから、どこがポイントというのはないのですが、不覚にも涙腺が緩むことしばしば。
それは、この「世間にはこのおとうとのような厄介者が親戚の中に一人くらいはいるものだ」と長兄が自分自身を慰めるように言ったが、考えてみるとそれが現実の家族にも当てはまっていること。
姉(吉永)の、早死にしてしまった夫が、この身内の厄介者のおとうとの気持ちを理解し、自分の子供のなづけ親という大役をこの人に頼んだ。
おとうとはそれを大層喜び、生涯の自慢話にして定職のない不安定で厳しいその日暮らしの生活の励みにしてきた。
その身内の厄介者、心配の種も、やがて重篤な病に侵され、民間のホスピスで最後を看取られることになるのだが、このホスピスの患者との接し方が非常に患者本位のもので勉強になる。
私も母親があるホスピスに入院し最期を迎えたが、病院の対応は素晴らしく、患者もその家族も感謝の気持ちが強く、自分も死期が近づいたらこんなところで最期を迎えたいと思っている。
話は逸れてしまったが、長年不肖のおとうとのために苦労させられてきた姉は死期が迫っているおとうとの看病をしながら、子供の頃からの関わりを振り返った時、自分も含めた他の兄弟、身内が逆に甘えることなく、しっかりと生きてこられた事にきづく。
また、不肖のおとうとの後始末をしながらも、その事が返って自分の人生の賑わい、彩りになっていた。
そのおとうとも子供のころから厄介者として扱われ、強い劣等感を抱きながら、意地でもひとりで死んでいこうと覚悟を決めていた。
しかし、最後はやはり姉は姉でおとうとを看取るのは自分の役目だと懸命に付き添い、おとうとは喜んで幸せそうに最期を迎える。
終盤が近づくにつれ、吉永さんと鶴瓶のアップが多くなり、両名とも迫真の演技で、何故か観客の涙腺が緩んできてしまう。
大女優のオーラと鶴瓶の演技力を十分山田監督がひき出しながら、監督ならではの独特の世界となっており、確実に泣ける映画だと思う。
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帰る家を失った人の最期を冷静に温かさを持って描かれ
看取りについても考えさせられる・・・日本映画らしい作品だったと思います。
2010/2/2(火) 午後 8:27