親父と野球

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親父が好きだったルー・ゲーリッグ

プロ野球選手だった私の親父が、第一に憧れ、尊敬していたメジャーリーガーは。あのルー・ゲーリッグ。

ベーブ・ルースとクリーンアップを打ち、長らく誰も破る人がいないと思われていた2130試合連続出場の記録を持っていた。(リプケン、衣笠が更新)

通算成績で以下のタイトルを獲得している。

アリーグ MVP 2回、首位打者 1回、本塁打王 3回 打点王 5回
*特に1931年度の打点184は今も最高記録を維持。
*また、ベーブルースと競合しての上記のタイトル獲得であった。

野球に対する姿勢とその連続試合出場の記録もあり、人々から敬愛と共にアイアンホース[鉄の馬]とよばれ、メジャーリーグで初めて着けていた背番号4がチーム(ヤンキース)の永久欠番になった。

彼が何故多くのファンに敬愛されたかは、彼の打撃成績もさることながら、まだ、まだ活躍が期待できた35歳のとき、不治の病(筋肉の難病)にかかり、突然の引退を余儀なくされ、その後、余命2年と宣告された後の生き方が、人々の心を打った事もある。

引退試合の挨拶では「今日の私は地上で一番幸せな男です。――――――」と支えてくれた関係者、ファンのすべてに感謝の言葉を述べた事は有名だ。

また、体か動かなくなるまでの2年余りを、デスクワークならできるとの事で、地域の仮釈放委員として少しでも世の役に立ちたいと働き続けた。

そして、37歳の若さにして多くのファンに惜しまれながら、息を引き取ったのだ。

その37年の栄光と波乱の人生は正に劇的であり、翌年『打撃王』というタイトルであのゲイリー・クーパーがルーの役を演じ映画化された。

また、彼は、1931年、1934年の2回日米野球に全米代表チームメンバーとして、2度来日しており、日本チームをレベルの差を見せつけながら9戦全勝と圧倒し、日本が接戦した唯一の試合となった沢村投手との対戦で彼だけソロ・ホーマーを打ち1−0で辛勝した試合は沢村伝説の始まりとなった。

こうして見ると親父が少年時代とルー・ゲーリッグは、全盛時代が重なりあう事に気付いた。

恐らく、この時代の野球少年達(親父も含め)は、学生野球を主体に応援していたと思うが、このタイミングで来日したメジャーリーガーのレベルの違ったスーパープレーに度肝を抜かれ、脳裏に強烈に刻みついたに違いない。

その代表選手が強打のスラッガー、ルー・ゲーリッグなのだ。

親父に感化されていた私も生まれて最初にまともに読んだ伝記小説は、彼の「打撃王」だったように記憶している。


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