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46回目(最後の登板)
1939年(昭和14年)11月15日(水)46回目の出場(先発登板)が、結果的に、親父(望月潤一)の職業野球での最後の登板となった。
14年イーグルスVSライオン12回戦 11月15日 (水) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 1 0 0 0 0 0 1 0 3 イーグルス 望月潤一
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 ライオン 菊矢吉男
勝利投手 望月潤一 7勝27敗
敗戦投手 菊矢吉男 16勝21敗
二塁打 (ラ)水谷、室井
本塁打 (イ)岩垣 2号
親父のこの世界での最後の登板は、イーグルスの今季最終試合でもあるライオンズとの12回戦だった。
相手投手はライオンズの右腕エース菊池吉男。
まず、イーグルスの初回の攻撃で、このところ、打撃が好調の岩垣が、先頭打者ホームランを放ち、まず先行。
イーグルスは2回にも、安打と四球で1死満塁のチャンスをつかんで、先頭打者岩垣が押し出しの4球を選び、1点を追加。2−0となる。
ライオンズは4回裏安打と連続4球で、無死満塁の絶好のチャンスになったが、望月は犠飛による1点で抑え、踏ん張った。2−1.
8回には、ライオンズの守備の乱れが重なり、ラッキーな1点が転がり込み、3−1となる。
望月は、この追加点を励みに、また、弱小チームにも温かい声援を送り続けてくれた後楽園球場のファンに応えるべく、9回最後の打者まで渾身の力で得意球のドロップを駆使して、丁寧に抑え込み、チームと自分自身の最終試合を1失点の完投勝利で飾った。
望月のその後について、職業野球実況で次のように解説頂いている。
『 望月潤一は7安打5四球3三振1ボーク1失点、自責点1の完投で7勝目をあげる。望月はシーズン終了後応召し、この試合がプロでの最後の登板となった。戦地ではフィリピンに帰ったアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)と交流があり、帰還した戦後はスタルヒンとも交流を持つ。淡路島に住み瀬戸内少年野球団を指導し、兵庫県立洲本高校の指導者となって昭和28年の洲本高校センバツ初出場初優勝の礎を築くこととなる。この大会には望月の母校である早稲田実業も出場し1回戦で土佐高校に敗れている。その土佐を2回戦で破ったのが初出場の銚子商業であり銚子商業を準々決勝で破った小倉高校を洲本が準決勝で破り、決勝では浪華商業を4対0で降して初出場初優勝を飾った。 』
また、最終2試合連続完投勝利に対し、実況中継の評価により、第25節の週間MVPを以下頂くことになった。
『14年 第25節 週間MVP
今節はジャイアンツが2勝0敗1分、名古屋が1勝0敗1分、イーグルスが3勝1敗、タイガースが3勝1敗、セネタースが2勝1敗1分、阪急が1勝3敗、南海が0勝1敗2分、金鯱が0勝1敗1分、ライオンが0勝4敗であった。
週間MVP
投手部門
セネタース 野口二郎 6
今節4試合に登板して2勝0敗2完封。21回3分の1を投げて失点はゼロであった。
タイガース 若林忠志 6
今節3試合に登板して2勝0敗1セーブ。20回を投げて失点はゼロであった。
イーグルス 望月潤一 1
今節2試合に登板して2勝0敗。打線に恵まれず今季は7勝に終わったが二桁勝利の実力がある。』
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