|
昨日、物置を整理していたところ、かなり古びた簿記用ノートにびっしり野球関係の新聞のスクラップが貼られてある1冊の本を発見。
内容を見ると多分地元紙の昭和11年の学生野球の記事全般をスクラップしたものだった。
持ち主は、大正11年1月1日生 S高1年 M.Kと記されている。
昭和11年と言うと親父が甲子園で投手として出場した最終学年の年であり、ひょっとしたらと思いつつ、ページを捲って行くと期待通り、その時の試合の解説を発見。
<記事の内容>
記事の見出し
「最終回に三塁打 育英商快勝す」
小見出し
「早稲田実業不運の逸機」
スコア
早実 000000100 1
育英商 010000000 2
(本文、原文のまま抜粋)
- - - 東西の梟雄早実と育英はいづれも確然たる勝算は持ち得ない強敵同士にして両チームの勝たねばならない、勝とうとする気分は一たいに漲ってはいるが、勝たんとする気持ちが却って禍して固くなりすぎ思う存分に動いていなかった。
平素、正確なるコントロールと球速を誇る育英商の佐藤は球速全然なくコントロール乱れ早くも苦境に立ったが、野手の好守で辛うじて危機を脱した。
一方、早実は投手望月の鈍重なインドロップに育英打線を、凡打に打ち取り、好投ぶりを示したが、バックの守備がこれに伴わず、1−2塁間に挟んだ走者を捕手の悪投に生かし、2塁悪投三塁ハンブルなど凡失が続いて無安打のうちに1点を呈上してしまった。
この育英1点のリードは、育英選手を硬直状態から解放し佐藤は球威、制球力を回復し両軍まったく立ち直り、育英佐藤、早実望月の息詰まるような投手戦となった。
望月はインドロを武器とし、佐藤はサイドスロー、オーバースローの速球のみを持っていずれも得点の機会を与えず6回暫く両軍波乱を巻き起こす機を含み、第7回には、早実2個の四球と是永の安打に1点を報い、さらに外野手の暴投があって2塁走者小宮は当然本塁を陥れるチャンスは十分であったが病身のため、僅かに3塁に留まったに過ぎず悔やまれる早実の不運の逸機である。
第九回育英酒沢外角より入るカーブをよく見て、出て西谷の左中間三塁打で決勝の1点をあげ早実は、前年の報復たらず敗れた。
両軍の技量は全く伯仲しただ運不運で試合が決せられたものの如く望月、佐藤の投球は申し分なく好投であるが育英打者が三振12を打ち取られたるは、左投手に対しや研究不十分のそしりは免れまい。
・・・・この白熱試合は大いに満足すべきものであろう。
小見出し
「両投手渡り合う」「育英の三振数十二」
(了)
以上のように、育英佐藤、早実望月の両投手の投手戦であったようで、勝敗の分かれ目は、7回の早実の攻撃で、二つの四球で1-2塁の時タイムリー安打で早実が1点を取り、また、外野手の暴投でもう1点が取れるところを、1塁走者が、体調の関係か消極的になり、本塁へ突っ込まず1点止まりになったことをあげている。
最後は、以前投稿した親父の「痛恨の一球」でも書いたように、9回裏ランナー1塁で、望月はランナーが走ったのを見て、外すつもりで投げた球がど真ん中に入り、左中間を抜かれサヨナラ負けとなった。
育英 佐藤 被安打4 四球4 三振 4 失点1 自責1
早実 望月 被安打3 四球3 三振12 失点2 自責1
晩年になるまで親父が悔しがり、懐かしんでいた試合だが、得意玉のドロップが冴え、育英打線から12三振を奪っていたことをこの記事で初めて知った。
地元紙であり、内容は育英寄りの記事ですが、小見出しで12三振の事に触れているのはちょっと気持ちがいい。
私が想像するにこのスクラップブックは親父の第2の故郷である兵庫県の野球好きの少年が当時の野球記事を幅広く収集保管していたものを、親父と知り合って当時の思い出話をした際、この新聞の記事の話になり、ブックごと親父に譲ってくれたものではないか。
勝手な推測であるが、いずれにしても有難いことだ。
|
トム&龍馬さん
貴重な情報ありがとうございます。m(__)m
(太田のスクラップにも、この試合の切り抜きは
なかったそうです。)
早実がやや優勢な(望月さんの12三振が光って
ます!)試合転回に見えますが、最後の一球
非常に残念です〜。(TT)
でも、試合の様子がリアルに伝わってくる、
い記事ですね。
2012/9/23(日) 午前 0:35 [ つばさ ]
つばささん
コメント深謝します。
何しろ、昭和11年の新聞紙であり、傷みが激しく漢字は見えないのを
アバウトで推測し入れてますので、間違っている箇所があるかもしれません。
内容によると勝てるチャンスもあったようですが、やはり、最後の1球は親父のミスですね。
でもこんな資料があるなん有難いことです。
そちらでも、調べて頂き有難うございます。
2012/9/23(日) 午前 6:50 [ トム&龍馬 ]