|
12月29日に放映された標記のイチローとの密着取材番組のビデオを正月になってゆっくり観た。
内容は2012年(去年)のイチローのセンセーショナルな移籍劇を、去年のシーズン当初からの成り行きと移籍の決断に至るまでのイチローの苦悩と葛藤、その後の変化と気持ちを、克明に取材した非常に価値あるドキュメントだった。
まず、不振から脱却できないまま終わった2011年の巻き返しを図るべく、万全の準備を整えてキャンプに合流したイチローの姿から始まった。
毎年の事らしいが、右中間のフェンス越えにある看板に当てるホームランを意識して狙って実際に何発も当てる練習をするイチローの姿に練習中の選手も、画面を見ている私たちもその技術に見とれてしまう。
キャンプも終わり、開幕は順調にスタートしたが、2週間後の4月中旬くらいから、結果が出せなくなり、そのまま、5月に突入。
このあたりから地元シアトルの関係者から、イチロー不要論が再焼し始めた。
チーム自体も負けが先行し、考えられないような負け方をすることが多くなり、イチローもチームの不甲斐なさに次第にチームから距離を置くようになり、孤立感が次第に深まってきた。
バッテイングの調子自体は5月から、好調時の感覚と紙一重の状態になっているが、それが何故か結果に出ない状態から抜け出せない。
5月6月と悩み考え抜いた末に決断をしたことは、思い切って今の環境をガラッと変えて見ること、それにより、自分自身に刺激を与えてみる事だった。
苦悩の末、決断してからのアクションは早かった。
球団に7月の最後の移籍チャンスのタイミングに間に合うように申し入れを出し、移籍先にヤンキースを選択した。
ヤンキースからの条件は、非常に厳しい内容(外野のポジションは固定されない。他選手との併用もあり。今季だけの単年)だったが、環境を思い切って変えるべく,敢えてヤンキースを選んだようだ。
そして、7月末の電撃トレード発表、当日のマリナーズ戦にヤンキースとして出場、マリナーズファンからのスタンディングオベーション、イチローの感謝のお辞儀、ヤンキースでの初ヒットと劇的画面が続く。
その後のイチローは、環境変化の刺激が功を奏し、新人のように周りに積極的に溶け込みヤンキースのカラーにも合った様で、リフレシュして溌剌とプレーを続けた。
しかし、8月中は契約通り、併用されベンチを待機する場面もあったが、9月に入り、優勝争いもヒートアップしてきた時に、レギュラーの主力選手が多数故障し、チームがイチローに頼って来たタイミングでイチローの打撃が爆発。
ブルージェイズ戦ダブルヘッダーの8打数7安打を皮切りにイチローの攻走守がチームの地区優勝に貢献。
また、プレーオフにも孤軍奮闘し、一気にヤンキースファンの心を掴んだ。
イチローは自分を賭けた刺激によって絶好調時の自分を遂に蘇らせることができたのだ。
アクロバットホームイン等は、その蘇ったイチローの最たるものだ。
数値的にもヤンキースに移籍後は、全盛期と同等の結果を残していることもその証明である。
イチローは大きな賭けに勝ったのだ。
しかも、その賭けは決して分のいいものではなかったがその苦難に対して積極果敢にチャレンジしたことにより、運が開けてきたのだ。
イチローはそれにより、ヤンキースとの破格の2年契約を結ぶことに成功した。
最後に今後のことについて尋ねた時イチローは、こう答えている。
「普通、体力的な成熟が先にきて、精神的な成熟を後で迎えることが多い。しかし僕は、両方一緒に迎えられるように努力していきたい。」
「選手としての死は近づいてきていることは確かだろう。しかしその時を迎えても、できるだけ笑って死にたいと思っている。」
このコメントを私なりに分析すると、(日頃の鍛錬により、まだまだ全盛期の身体能力は維持ができている。気力は今回の刺激により、不信の原因が、モチベーションの問題が起因していることが分かってきたので高いモチベーションを保つことによって、心身のピーク状態をできるだけ長く保つようにしていきたい。そしていつその時を迎えたとしても、前向きに最大限の努力をしながら終わりを迎えたい。)
さて、イチローの最終章のプロローグはすでに2012年に始まったようだ。
今年からの物語の完結編の展開を楽しみ観て行きたい。
|