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(父 学生時代)
先回は、イチローの凄さを綴ってみたけれど小職の野球好きは生まれる前から始まっているのかもしれません。と言うのも私の父は元プロ野球選手。しかし、プロ野球ファンなら誰でも知っている人物ではない。かといって完全に無名でもない。現にプロ野球の歴代のシーズン最多ランキングに名を連ねている。1シーズンではあるが、全試合数の半数近い46試合を殆ど先発投手として黙々と投げ、重ねた敗戦投手の権利が27、これにより今でも野球史に名を残している。
父は14年前に他界しており、実質プロ野球の選手だったのは、戦前の創生期の頃の3年間。しかし、子供の頃から聞かされていた父の断片的なプロ野球時代の勇姿は子供心に強烈に残っていて小職の中の英雄は月光仮面でも、隠密剣士でもなく間違いなく子供の頃に描かれた若き父のイメージだった。そのイメージのままの父が亡くなった。
その後、ITの普及によりプロ野球のデータ整備も進み、ウヤムヤだった戦前のプロ野球の戦績も整備された頃、本屋で立ち読みをしながらふと見たプロ野球データブック?の歴代敗戦投手の項に父の名を見つけたときは、嬉しさと恥ずかしさの混濁した何ともいえない気持だった。その後は自分の中の英雄のイメージができるだけ壊れないようにこの種のデータの類は努めて見ないようにしていた。
しかし、最近父が活躍した東京の野球名門校がS投手の活躍で久々に全国制覇を成し遂げたこともあり、その高校のプロ選手第一号の父の名も折々でるようになった。だが、何処を見ても名前以上の説明はなかった。だんだんと寂しい気持にもなり、思い切って父のプロでの戦績の全容を調べてみる事を思い立った。
その気になれば、IT社会はいとも簡単特に父のように断片的に世間に名を残している無名に近い有名人の情報は集めやすい。あっと言う間に戦績の全容が集まった。
プロ在籍 イーグルス1937−39年 松竹ロビンス,47年
通算成績 11勝32敗 防御率3.02 投球回数397回
奪三振166 完投28回(完封4回)
年度成績 1938年秋 3勝4敗 防御率1.99
*(9試合、67.1回)
1939年 8勝27敗 防御率3.01 16位
(46試合)
上記が戦績の主要データだ。確かに通算32、シーズン27の敗戦投手の権利が戦績全容中、大きな比重を占める。しかし、好投手かどうかの一番確かな数値の防御率はどうか。通算の3.02は、歴代の投手ランキングに当てはめると超一流とまでは行かないが、一線級の投手に匹敵する率である。
特に38年秋(40試合)の防御率 1.99は実質防御率ランク4位の成績である。但し何故かこの年の規定防御率の基準が投球回数ではなく、試合数(40試合の内10試合登板)となっており、9試合に出て5試合を完投し67.1回を投げた父が何故かランキングには載っていない。ランク内で1点台投手はたった3人、実質4位の父の1.99は堂々の実績だが不運にもがランクインしなかった。
そして程なくあの暗黒の時代がやってきた。父は当時で180cm 80kgの長身大柄で前途洋々の21歳だったが、第2次世界大戦はその時代に兵役適齢期となった大正生まれの若者の前途を無残に奪い去った。中でも父は、頭角を現したばかりの気力、体力ともにまだまだ成長が約束されたプロ野球選手であり、仮に戦争がなかったならと考えるとかなりの確率で最低10年程度は第一線で活躍できただろうと考えると非常に残念でならない。
ともあれ今回 父のプロ野球の戦績を調べてみて私の中に新たな英雄像が作り出されてきた。それは子供の頃抱いたカッコの良い勇姿ではなく、27敗も喫しながら46試合を自分のため、チームのため、見に来てくれているお客さんのために諦めず粘り強くゲームを壊さず投げ続ける真摯な職業野球人の姿。その歯を食いしばり、額に汗して黙々と投げ続ける姿が、27敗と防御率3.01の後ろに見えてきた。そして今はその姿が私にとっての新たな英雄像になった。
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望月潤一投手のデビュー戦の様子を、公式スコアブックに基づき再現してみましたので参考にしてみてください。
望月投手は昭和12年4月15日、洲崎球場においてジャイアンツvsイーグルス2回戦に先発し、職業野球入り初登板されています。相手ピッチャーは戦後交流があったとされているスタルヒン投手です。
私のブログ 職業野球!実況中継(ヤフーでは検索できないようです。グーグルで検索してみてください。)
2010年4月20日付けブログ「12年春 ジャイアンツvsイーグルス 2回戦 」に試合経過をアップしております。
http://shokuyakyu.blogspot.com/2010/04/vs_20.html
2010/5/8(土) 午前 1:12 [ ノワールエルージュ ]
shokuyakyuさん
訪問有難うございます。また、亡父に関しての貴重な情報深謝します。父のプロ野球初登板の試合の詳細がわかるとは夢にも思いませんでした。しかも、相手の投手がスタルヒンだったとは。そう言えば
父は、「新人の頃は、コントロールがなかったのでファーボールも
多かったが、返ってそれで打たれなかった。」と話していたことを
思い出しました。貴ブログの今後の実況中継の進捗が楽しみです。
2010/5/8(土) 午後 0:38 [ トム&龍馬 ]