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(部下の長所を伸ばし、活用せよ。)

私が一番時間と力を費やして努力したのはこのエッセンスだ。当時国が違う3つの販売拠点を任されていたが、その拠点の販売責任者として送り込まれてくる駐在員は、殆ど海外営業の実務経験がなく実質一から育てねばならない新人乃至は見習い期間の人材ばかりで、中にはカスタマーとも一度も話をしたことがなく、飛行機に乗った事もない兵もいて、当時の日本の販売事業部長から、マイナスからの出発だが宜しく頼むと詫びを入れられた位だ。

しかし、各オフィスとも設立したからにはすぐにでも実績をあげていかねばならない。そうなると人材の見方は、まずこの人は何が出来るか、何が出来そうかを見極めることで、とりあえず、その部分だけでもいち早く任せて後は自分がカバーしながら、段階的に任せていく方法を取った。                               
結果として部下は得意分野(長所)を武器にカスタマーとコンタクト出来るため、馴染むのも自信をつけるのも早く、そうしてる内に不得意分野も隠れてしまうことが分かってきた。不得意分野(短所)と言うのは、自分の自信のなさがその根っこにあることが多く、自信がついてくれば短所は取るに足らないものになるようだ。



(マネージメントは交渉の前面に出るな)  

これは私が実践の現場で肌で感じたマネージメントとして重要なエッセンスで当時ともすれば前面に出がちな自分に言い聞かせていたものだ。カスタマーとの重要な交渉時、マネージメント自らが前面に出て交渉するのは、一見、リーダーシップのある有能なマネージメントに見えるが特にアッパーマネージメントになる程、これは避けるべきだ。

なぜなら、これをやるとカスタマーが次からの交渉案件のときは、皆担当者を無視、或いは軽視してマネージメントの方に目が行き、マネージメント職が本業であるのに実務の負担が増えてしまい、担当者も確実にモチベーションが落ちてしまう。これをどのカスタマーにもやってしまうと、収集がつかなくなり、急速に組織力が低下してくる。

マネージメントは本来交渉までの打ち合わせでリーダーシップを発揮し、交渉の基本線を取り決め、本番の交渉では落ち着き払って戦況を見守っていく態度が望まれる。

実践で掴んだ営業の心意気(番外編)

私が今まで心意気(エッセンス)として上げた8項目は営業の仕事全般に使えるかもしれないとの思いから選んだものです。しかし、まだいくらか私自身の心意気として言い聞かせてきたエッセンスがあり、前回幾らか項目のみ上げてみたが、自分の整理の意味もあり、浮かんでくる限り書き残してみようと思います。




 主に営業マネージメントに

(方針を明確にし、その考え方の徹底指導を)

これは、組織が大きかったり、離れていたりで直接指導が端々まで行き届かない懸念のある販売組織をマネージし、効果を上げるためには欠かせないエッセンスと思う。特に私の場合、国が違う傘下の2つのオフィスをマネージするのに非常に役立った。動きの速い市場に一々上司の指示を仰いでいたのでは即応できないことが多々ある。が、結果的に自分(私)の意向を反映した対応をしてもらわねばならない。                    
どうするか。それは、日頃から方針を明確にし、何故その方針なのかの考え方を徹底して指導し理解してもらうことでだ。つまり、現場で決断が必要なとき、私であればどういう決断をするかを理解させておく。このやり方で私はリーダーシップを強め、しかも部下や現地セールスのモチベーションを上げることができた。そしてその結果、活気のある組織作りに成功した。

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(昭和14年東軍選抜メンバー・父とスタルヒン・父とハリス)  


自分の仕事について少し書いて見ようと始めたら、次々と書きたいことが出てきてしまって、まだまだ、ありそうなので、チョッと休憩して、また、私のヒーロー(英雄—若き日の親父)の話を入れます。私の親父は結局、プロ野球で活躍したのは、イーグルスでの戦前の3年間で後は兵役に招集され、南方(西南アジア)の最前線に行ったまま、終戦後の引き上げまで約6年(23-29歳)のスポーツ選手にとっても、また、人生にとっても、もっとも貴重な時代を戦争と言う最も過酷でやるせないものに捧げてしまったがそれでも最前線から生きて帰ってきたのは、余程体力と気力、強運があったのだろう。
その親父が語ってくれた昔話(勿論、野球)の中に、外人の名前が頻繁に出てきて、話題を膨らませたものだ。                              

その中の外国人名は、決まってハリスとスタルヒンだった。ハリスはプロ野球外国人選手第一号で、父が投手として入団して2年間イーグルスの正捕手として新米投手の父の面倒をよく見てくれた恩人で、英語が得意だった父は取分け親しくさせてもらったようだ。  

もうひとりは、何故かあの300勝の大投手スタルヒン。スタルヒンとはあまり、現役時代の親交は聞かないが、むしろ現役晩年の頃の話が多かった。それは、彼が現役晩年の頃、父が移り住んだ田舎町でプロ野球オープン戦があり、その時にスタルヒンと再会し意気投合。スタルヒンが引退したらその田舎町で住みたいと言い出し、これがかなり本気だったようで父が具体的に何処がいいかを探し始めてていたようだ。しかし、その後、しばらくしてスタルヒンは交通事故(確か電車と衝突)で残念にも亡くなってしまった。再会し意気投合したといってもあの大投手と対等に話が出来るような接点があったのかと疑問に思っていたが、今回父の経歴を調べてみて分かってきた。それは、父が、当時(1939年)の東西対抗(今のオールスター)に東軍代表でスタルヒンと共に選出されていたのだ。(新聞画像の切り抜き発見-添付)、その年の東軍メンバーは、スタルヒン、水原、川上、吉原ら蒼蒼たるメンバーの中に混じって写る(後列左から2人目)親父。これを見て晩年の親交も納得した。

ハリスについては、米国との関係が悪化した1939年に帰国したため、関係は途切れていたが1976年にプロ野球OB会が日本シリーズに日本プロ野球の第一号外国人選手であるハリスを米国から招待、その際、現役時代に格別親交のあった父も招待を受け、(涙の再会)を演出。

我が家で保存しているスナップショット(親父とスタルヒン1954年)(ハリスとの再会1976年)を添付してみます。

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