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・香港の日本人ソフトボールリーグ
私の2度目の駐在地である香港と言うところは野球など縁のないような土地柄に思えるが住んでみるとソフトボールは香港人の間でも盛んだった。
また、香港に住んでいる日本人達は週末のゴルフは香港にコースが少ないことと。
やるとなればボーダーを超えて中国に行くのが通常であったことから、本当にゴルフ好きの人だけが、楽しんでいたようだ。
それ以外のひと達で野球好きの人は、週末は早朝ソフトボールをする人が多かった。
私も勿論参加していた。
11−12チームのリーグが4つか5つあったと思う。
私の所属していたチームのリーグは、殆ど毎週日曜の6時半頃から2試合を年間で押えている2つの球場に別れて行い、1シーズンはリーグ内総当りで行われ、シーズン優勝、リーグ優勝を競っていた。
ソフトボールと言っても、プレーのレベルはかなり高く、レギュラーになるには、少なくともそれなりの経験者か、一人前の運動神経を持ち合わせていないとついていけないようだった。
各チームの主力は殆ど高校野球経験者で甲子園組もリーグで数人はいた。
但し、投球は下手投げからソフト特有の剛球を投げられる投手は少なかった。
その結果として極端な打高投低のゲーム展開となり、シーズンのリーグ首位打者になるためには,750以上の打率を残す必要があった。
ホームランを打つ人は、勝負に行けば殆ど放り込まれてしまうような強打者も数人はいた。
日曜早朝しかなかったが、春と秋、年2回の総当りリーグ戦と年間優勝決定戦があり、香港の3−6月は雨天中止も多いので雨の日以外は、年中日曜早朝はソフトボールの公式戦をやっている感じで、最初はきついと思っていた。
しかし、1−2年やっていると結構ハイレベルで、皆学生時代を思い出してか真剣にやっているので面白くなってきて、最後には毎週日曜が楽しみになった。
早朝なので、旦那が勝手に早起きして、朝8−9時に帰ってくるので家族にも迷惑かけることはなかった。
(クリスマスパーティー)
また、毎年12月にはリーグ全員とその家族が集まり、300人規模のクリスマスパーティーがあり、そこでリーグの年間優勝、首位打者等の各部門の表彰が行われた。
さらに、チーム毎にその日のために準備した余興を披露し、その優勝チームも表彰されたので、万年下位チームなどは、この余興に力を入れここでの優勝を狙ったものだ。
その上に、各チームが寄贈品として持ち寄った50品余りの贈り物の抽選会があり、その贈物が結構豪華だったので、このパーティーを何より選手の家族が楽しみにしていた。
私の家族もこのパーティーを非常に楽しみにしていて駐在最後のパーティーの時、私はあいにく出張で出られなかったが、家族はそれに関係なく意欲満々で参加し、とうとう私の次男坊が、抽選会の最後に一等賞を引き当てた。
この次男坊はこの抽選会を取分け楽しみにしていて、入り口で自分の番号を貰った瞬間から、手を合わせて「1等が当たりますように」とパーティーの間中、その番号を見つめ、祈っていたので、周りの人にからかわれたり、逆に真剣すぎるのを心配されたりしていたらしい。
その彼が最後のクライマックスで1等賞に自分の番号を呼ばれた瞬間、本人が
「やったー!よし!」
と言って壇上に走っていってしまった。
回りはまさかとの思いで呆然としていたが、壇上で、
「お母さんも一緒に出てきて下さい」
とのことで家内が慌てて壇上に行ったそうだ。
その日の息子の異様な興奮状態は言うまでもない。
また、次の日、学校から帰ってきた次男坊が、学校の先生に
「一番違いで1等を君に持っていかれた」
と悔しがっていたと本当に誇らしげに語っていた笑顔は忘れられない。(香港の日本人学校の先生も1チーム作って参加していた。)
ちょっとパーティーの話が長くなったが、リーグ戦の方でも特筆すべき話がある。
(リーグ戦 ミラクル メッツ?)
私の所属していたソフトボールチームは、最下位こそならなかったが、毎シーズン12チーム中6位から10位の間を行ったり来たりするような、言わば万年下位チーム。
何でも私が参加する10年程前に短期間男子では珍しいソフトボール剛球投手が所属していた時、1度シーズン優勝したことがあるらしい。
チームのレギュラーメンバーは、駐在任期等の関係もあり、年に2−3名入れ替えがあるので4年も経つと殆どチームが違うメンバーになってしまう。
他のチームも同じような入れ替え状況だったようだが、選手の勧誘ルートの関係がチームの地力の差に出てくるようだ。
私が所属して5年間はお尻から数えて3−5番目の定位置をうろうろしていて、6年目のその年も、当初は、そのレベルでやっていたが、春シーズンの途中から、当時の監督が2人程勧誘してきてやらしてみると、二人ともクリーンアップを打てる逸材であることが分かった。それで、メンバーを再編して試合に臨んだ。
デビュー戦のそれぞれの活躍は素晴らしかった。一人は4打席連続ホームラン。
もう一人は2ホーマー、2長打の活躍だったように記憶している。
春シーズンは後半この二人の活躍で勝ち数が伸び、順位は5−6位まで上げて終了。
秋シーズンへの期待が高まった。
強打のスラッガー2名の加入で俄かに上位を狙えるようなチームになり、
「1回で良いから優勝してみたいね」
と冗談が出るほどチームに勢いが出てきて迎えた秋リーグ。
このリーグは、半ば常勝チームと言える実力ナンバー1チームとダークホース2チームが常に優勝を争っていて、中々上位に食い込むことは難しい状況にあった。
しかし、選手各人が、個人的事情により、たまに、参加できないこともあり、各チーム主力選手が同時に抜けた場合などで取りこぼしもあった。
そんなこともあり、上位チームも2―3敗はしていることもある。
二人のスラッガーの補強で実力的には、中の上程度のチーム力にはなっていたと思う。
また、二人の加入によって既存のメンバー(私も含めて)活気付き、今まで3−4勝しか出来なかったチームが、この秋リーグは中位クラスのチームとの対戦も確実に勝つようになった。
それでも上位3チームにはかなわず、3敗したが3−4位の順位で終盤を向かえ、ダークホース2チームが取りこぼしをしたため、ラッキーにも最後試合に勝てば、2位になれるチャンスが転がり込んだ。
2位になると年間優勝のプレーオフに進出できることになっており、「プレーオフ進出」を合言葉に最終戦は接戦だが、最後に逆転して勝ち残りプレーオフ進出を決めた。
優勝したような騒ぎに成りかけたが、まだ来週のプレーオフがあるぞと騒ぎたい気分を押えてプレーオフに臨むことにした。
その年のプレーオフは、常勝チームが春、秋共に優勝し、普通は完全優勝のはずだが、プレーオフ規定のため、春秋2位の2チームとこの常勝チームの3チームでプレーオフが行われた。
正直奇跡的に2位が転がり込んできた我がチームだが、対戦相手の2チームとは、少なくとも私がプレーしてきた5年間1度も勝った記憶はなかった。
特に常勝チームは甲子園組が2人ほどいて、他の選手も経験者でもハイレベルな選手の集団で良ければ全勝、悪くてもシーズン1敗程度の明らかに別格のチームだった。
そんなわけで口では「こうなりゃ優勝だ」とは言ってみるものの、本気で思っている人は一人もおらず、とにかく、プレーオフに出られたこと事態が皆嬉しくて、全力で楽しく当たって砕けようと言うダメ元精神で全体が一致していた。
プレーオフは、まず、2位のチーム同士が対戦し、勝ったほうが常勝チームと対戦する形で、まず、春2位チームと対戦。
ところが、ゲームが始まって見るとこんな一発勝負というのは不思議なもので、時の勢いと、チーム全体の心理状態がゲーム展開に面白いように現れた。
相手はこんな弱いチームに取りこぼしはしたくないと思い、我がチームはダメで元々、ひと泡吹かせてやろうと思っている2チ―ムの対極の心理がぶつかりあったとき、実力の差は一気に縮まってくるもののようだ。
序盤、接戦に持ちこむと相手が焦って緊張し始めているのが分かると、我々もこれはいい勝負が出来そうだと言う優位な気持になってきた。
そして各人明らかに実力以上のプレーが随所に見られ始め、気が付けば接戦を制したのは我がチームだった。
我々のチームの心理状態は、完全に勢いの波に乗り切ってしまったような、実力+勢い200%の不思議な状態のまま、疲れも忘れてダブルヘッダーの優勝戦に突入した。
もうそのときは、相手がどんなチームであろうといけそうな不思議な予感はしてきていた。
その優勝戦は我々が1試合目の勢いがさらに増して溌剌とプレーしているのに対して、あのダントツの実力のチームが、緊張して最初からエラー続出と言う普段なら考えられない様な展開となった。
何でも前の試合を見てしまって勢いに飲まれ、我々の力を実力以上に過大評価してくれた結果のようだ。
それでも最初はエラー絡みで5点ほどリードしていたが、終盤逆転され、我々もまた逆転するも再逆転される展開。
そしていよいよ最終回裏の我々の攻撃で1アウト満塁、相手が2点リード、長打がでれば、同点かさよならの場面と言うクライマックスとなった。
打席は補強したスラッガーではなく、チームキャプテンの1番打者。私はコーチャーズボックスから思わず、
「初球から思い切ってセンター返しだ。思い切っていけ。」
と叫ぶと、普段から謙虚で真面目なその男は、
「ハイ」
と言って、本当に初球から強振。高めの球をジャストミートした打球はセンター方向に上がってそのままホームラン!!
何と勢いの締めくくりは、逆転、満塁、さよならホームランでの年間優勝!!
正にミラクル! ウソのようなホントの話だ。
それからその日、我々がどんな騒ぎ方をしてどんな酒宴となったかは、覚えていないことにしておくが、尋常ではなかったことは言うまでもない。
プロ野球チームが優勝して子供のようにはしゃいでいるが、例えレベルが違えども、気持はまったく同じだと思う。
勝利の味というのは、本当に純粋で嬉しいものだ。
また、それは、限られた幸運な人しか味わえない。
その経験がしかもドラマチックな展開になり、喜びは確実に倍加した。
私の香港時代の一番の思い出となっている。
その後チームはメンバーがかなり入れ替わり、また、下位の定位置に戻ってしまった。
また翌年から、プレーオフの制度が変わった。
我々のような弱小チームが一時の勢いだけで年間優勝をさらって行かないようにと。
(上記は今年1月18日、22日に掲載した記事を再編集したものです。)
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