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・大失敗とその顛末----営業のエッセンス 余話1
営業の心意気(エッセンス)の項目の中で、少し触れたが、まだ経験不足のUSA駐在時代の大失敗と顛末について書いてみたいと思う。
USA駐在時代の後半のLAオフィスで西部地域を担当していた頃の出来事です。
LAオフィスは地図で言うとUSAの西半分をカバーする営業オフィスだったが、エリアが大きい割には、我々の業種の大手カスタマーが少なく、販売額も伸び悩んでいた。
そこに少し自信をつけて、意欲満々の私が移動してきた。
その移動間もない頃、LAオフィスにとっては、久しぶりに大きな新規引き合いが舞い込んできた。話は受注直前まで、スムーズに進んでいき最後の詰めの段階まできた。販売会社からの引き合いで生産は委託工場で行うとの事でそこがちょっと気になるところだったが。最終的に、ユタ州のソルトレイクシティーにある委託工場が決まり、商品も我々が一社で納入することに内定。しかし、取引は直接この委託工場と行ってくれとの事。
その委託工場は町工場に毛の生えたような規模の会社で直接取引を行うには、何かと問題になりそうな予感のする会社だった。程なく発注のタイミングとなり、私の方は、クレジット部を関与させてその会社の信用調査、過去の取引状況などを調査した。
その結果、取引限度額がかなり制限されることがわかった。それでも久々の大きいビジネスチャンスであり、限度額を上げる手立てはないかを要望し、パーソナルギャランティーなるものを取れば限度額を拡げられるとのことで、クレジット部で直接交渉し手続きを取ってもらい、1社購買でビジネスが獲得できるようにその限度額を拡げた。
それでも何か気になったので、もし、倒産した場合はどうなるかをクレジット部に確認したら、このパーソナルギャランティーでカバーできるとのことだったので最終的にビジネスをスタート。30日後、チェック払いの条件で納入を開始した。
しかし、開始から丁度、一ヶ月経過した頃、販売会社と製造会社の間でトラブルが起こり、販売会社が契約を解消するとの緊急情報を得て、事実関係を調査又支払いを急ぎ確認したが、期限の30日後、3-4日たっても入金されていないとのこと。
状況確認のため、社長に直接問い合わせたが何回かけても不在とのことで、コンタクト不能状態になった。 販売会社が契約を正式に解消したとの新情報より、このままでは製造会社は早晩倒産する危険性が高い状況であることが理解できた。
クレジット部に最悪の状況を想定し、パーソナルギャランティーを、押える準備をするように要望したが、ビジネススタートをOKした時とは裏腹に歯切れの悪いコメントに終始し、火急の場合このパーソナルギャランティーは、効力がないこともわかってきた。この1ヶ月の間にン千万円分の商品を納入しており、このままでは、その額そっくり回収不能になる危険性が俄かに高まってきた。
未払い状態が、まだ1週間足らずで、問題を表沙汰にすべきかどうか。また、この状況対して、営業としてどうしたアクションを起こすべきか、その夜、悩みに悩んだ末、午前3:00に起きてすぐLAエアポートに向かい、朝一番のソルトレイクシティー行きのフライトを取った。その後、電話で上司に
「何が出来るか分かりませんが、とにかく行って社長を捕まえて交渉してみます。」
と連絡し現地に向かった。
空港に到着し、レンタカーを飛ばして丁度始業前に受付ロビーに到着。受付に社長の所在を聞いたが、まだ出社していないとのことで、その日は出社してきそうな感じだったので、受付ロビーで待機することにした。すると程なく幸運にもその社長が出社してきた。
私の顔を見て一瞬引き返そうとしたが、逃げないように詰め寄り、とにかく、話をしようと強引に社長室まで同行した。 その社長も販売会社に振り回され、生産準備と資材購入に自分の個人財産から大金を投じたが、商品の販売目処も立たず、この会社はまもなく倒産する。私が一番の被害者で、破産状態なのであなたに支払う金は1セントもないとの説明を繰り返した。
私はここまで来たからには、何もなしでは帰れないと心に決めていたので、事情は分かったがそれと我が社への支払いは別の問題、支払ってくれるまでは帰らないと宣言し、社長室に立て篭った。勿論。社長を監視しながら。
それから2時間ほど時折、押し問答を繰り返しながら経過した頃、最後にその社長があきれ果てたような顔をして、
「とにかく、あなたの気迫と行動には感心した。この会社は今から清算手続きを行うが, その前に私が今払える精一杯の金額を払う。」
と言ってチェックを切ってくれた。
その額は売掛金の丁度1/3だった。私は状況的にこれ以上の押しかけ交渉は無理と判断し、その場は引き上げる事にした。そして帰りの道中、クレジット部にコンタクトを取り、納入した商品を押さえるべく、訴えを起こす手続きをその日のうちに取った。
その後、まもなくその会社は倒産。
しかし、早めに訴えを起こした我々は、調停の結果、納入した商品の製造前の現物は、引き取ってよいことになり、自社と相手方双方の弁護士を引き連れて私がそれらを引き上げてきた。
納入数の70%がまだ加工前で残っていたので70%分は、現物で返ってきたことになる。また、貰ったチェックも現金化できたことも確認されたので、実質は差し引きゼロの状況まで回収できたことになる。
ただ、会社としてはシステム的に回収不能残高として売掛金の2/3のン千万円がリストに上がり、それが社内で問題視され、始末書提出や経過説明等、強い風当たりがあった。
しかし、暫く経って他の日系メーカーをはじめ当社を除く全てのサプライアーが、こことのビジネスで全額回収不能になった実情等が判ってくるに及んで、実質、差し引きゼロにまで未然に回収した私の必死のアクションがUSA社内で良いように評価され始め、最後には、
「営業はあいつを見習え。」
とまで言い始める人まで出てきた。
しかし、当の私はそれどころではなく、苦しんだこの2カ月で白髪も急に増え営業の怖さも十二分に味わったこともあり、もう2度とこのような経験をしないようにするためには、どうしたらよいかをこの大失敗の中に精一杯学ぼうとしていた。
私のこの失敗を振り返ってみると以下の要因が上げられる。
営業経験の不足。(ビジネスのリスク分析ができていない。認識が薄い。)
販売額を伸ばすことを重視し、カスタマーの質の調査が不足。
信用調査結果を軽視し、売り優先の判断をした。
危険察知の信号(いやな予感)があるのにそれを無視した。
他部署の判断に関与し過ぎ。
結局は、自分の功名心も手伝い販売実績をあげることばかり考え、肝心の債権回収のリスクを軽視してしまったことが原因だと分析、今後の活動の貴重な教訓とした。
逆に有効だった営業のエッセンスとしては、
先手、先手のスピーディーなアクション。
動きながら考えろ。
悩みに悩んでの必死のアクションだったが、それにスピード感が伴っていたのでそれが結局自分の身を助けたことになった。
実際の話として、あのまま、全額回収不能の結果となり、何もしていなかったとしたら、何らかの責任は問われていただろうし、何より自分自身が営業としての自信を喪失していたと思う。
*上記は07年12月16日に5回に分けて投稿した記事を若干の修正を加え、1つにまとめたものです。
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