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・親父の夏の甲子園、痛恨の1球。

かなり前の記事でも書いたが、私の親父は夏の甲子園に3回出場出来たという球児としては、この上ない幸運に恵まれた人だった。

70年余り前の話であるが、それでも当時はすでに高校野球(当時は中等野球)の人気は沸騰しており、また、プロ野球が出来てなかった分、その人気は絶大なものがあったようだ。

(親父の出場年と戦績)
20回大会 1塁 1回戦9回サヨナラ負け 3対4○○中
21回大会 1塁 準決勝10回サヨナラ負け3対4○○商
22回大会  投 1回戦9回サヨナラ負け 1対2○○商

親父は硬式野球部に入部できる3年生(高校1年生)の時から、恵まれた体格もあってか、ファーストのレギュラー選手となり、2年生ではクリーンアップ、最終学年では故障したエースに代わって予選から投手として投げ抜き、甲子園のマウンドに立った。

文武両道の野球名門校であり、父がいた頃のチームは第?期黄金時代で甲子園の常連校だった。特に1年先輩と親父の学年は有力メンバーが多く、親父と同級3名が2年半レギュラーで親父とともに夏の甲子園に3回連続出場を果たしている。

但し甲子園では勝ち運に恵まれず、上記のように接戦でいずれも最後はサヨナラ負けを喫しているが。

特に、親父が投手だった最終学年で偶然にも前年と同じチームと当たり、最後には同じような負け方をしており、この最後の試合は、悔しい思い出となっているに違いない。

最近、休みにアルバム整理をしていたとき、親父の母校の野球部史を見つけ、昔この母校の野球部から親父に回想文の執筆依頼が来ていたのを思い出した。

早速内容をチェックしたら見つかり、最後の甲子園のことも書いてあった。

以下内容の1部を掲載してみます。

『・・・初戦の相手は前年苦杯を喫している○○商、雪辱しなければ、・・・、初回の第一球のカーブがストライクになり落ち着き、8回終了まで内野安打1本で淡々と投げた。9回裏4番に右前ヒットを打たれ、続く5番にバントをさせずカーブの連投、そして6番と連続三振を取った。2死を取りホッとして、次の打者の一球目、カーブを投げようとモーションを開始した瞬間、ランナーが走ったのが眼に入った。その時、カーブの握りのまま、はずすつもりで投げた。それが、ド真中へ、・・・下位打線で前に守っていたレフトの頭上を越え、これが痛恨の一球となってしまった。呆然としながら、これで最初で最後の甲子園のマウンドが終わったな、終ったんだなと思った。何故か 不思議と涙は出てこなかった。』

意外と淡々と冷静に回想しているようだが、内心はどうだったか?
 
私が子供のころ、夏の甲子園の時期になると、その痛恨の一球の事を折に触れ、何度も同じ話をしてくれたが、やはり、忘れられない悔しい思い出なのだろう。

ともあれ、親父の恵まれた球児時代は、この痛恨の1球とともに終わったのだ。


余談だが、親父が甲子園に出た20回大会では、京都商の沢村が最終学年で甲子園に出場(1回戦敗退)。

あの初代ミスタータイガースの藤村富美男が呉港中で投打に活躍、全国制覇を成し遂げている。

その翌年の21回大会はその藤村が最終学年の呉港中が優勝候補だったが、親父の母校は、準々でこの呉港中を5対0で打ち破った。

親父が甲子園で活躍していたこの時代はまさに創世期のプロ野球選手の甲子園球児時代でもあった。

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