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1939年シーズン、親父の出場試合1
1939年は、親父がローテの一角を占め、フルシーズンを投げ通した年である。
この年は1シーズン96試合で行われ、大エース亀田の41試合に次ぐ35試合に先発出場し、22試合を完投した。(計46試合に登板)
しかしながら、この年の攻撃陣は、攻守でチームの大黒柱であったハリスが抜け、他にも数人の中心
選手が抜けたにも関わらず、ポイントゲッターを補強できないままとなってしまった。
オフに打撃の猛練習をやったようだが、抜けた穴は埋めることができぬまま、チームはシーズンに突入。
シーズンが始まる前から、厳しい戦いを強いられる事が予想された。
そんなチーム事情の中、望月は開幕2試合目の阪急との1回戦に先発。
以下スコア。
14年秋 阪急 対 イーグルス 1939年 3月20日 (月) 後楽園
123456789 阪急 201000010 4 投手 石田光彦 イーグルス 000001001 2 投手 望月潤一
勝利投手 石田光彦 1勝0敗
敗戦投手 望月潤一 0勝1敗 望月は立ち上がりの悪い癖が出て、初回安打とエラー絡みで2点を先制され、その後は、調子が今ひとつながら、3回と8回に1点ずつの4点で完投し、粘って何とかゲームを作った。
しかし、得点力が落ちているイーグルス打線では、3点以上取られたら、まず勝ち目は少なくなる。
結局、得点は代打亀田のソロ本塁打を含めて2点止まり。
ちなみに7位となった前年秋シーズンの打撃成績を見るといかに主力が抜けてしまったかがわかる。
ポイントゲッターということで、打点部門で見てみると、ダントツ1 位23打点を叩き出したハリス、2位11 打点の中根が抜けた穴は大きく、この大きな戦力ダウンを補強ができなかったことは、致命的だ。
残された打撃陣を見てみると強打者、好打者は亀田と中河の投手陣で打つ方でも引っ張っていかざるを得ない。
望月の打力も捨てがたい。
しかし、ローテ投手が攻守で踏ん張らないと勝てないようでは、長いシーズンは戦えない。
イーグルスは打線の補強が急務だ。
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2011年07月19日
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