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1939年シーズン、親父の出場試合2・3
*2回目の登板。
14年 タイガース対イーグルス 1回戦 1939年3月 29日 (日)
123456789 タイガース 002000200 4 御園生崇男投手 イーグルス 010001010 3 望月潤一、亀田忠投手
勝利投手 御園生崇男 3勝1敗
敗戦投手 望月潤一 0勝2敗
2回裏にイーグルスは、タイムリーヒットが出て、先制するが、直後の3回に本塁打で2点、7回には、連続四球とタイムリーを打たれて2点と、四球癖も出て今一歩不安定で亀田のリリーフを仰ぎ、2敗目を喫した。
また、さすが職業野球、阪神打線は、前に安打完封された要因となった望月の決め球ドロップを、狙い打ちしてきた。
こうなると、配球の妙が大事だが、こうしてみると大黒柱だったハリスの抜けた攻守の穴は大き過ぎる。
阪神の投手はエース御園生で、安定したピッチングで完投。
逆にイーグルス打線が、3点奪取出来たことは、上出来だった。
*3回目の登板
14年 イーグルス対ジャイアンツ 3回戦 1939年5月 5日 (金) 後楽園
12345678910 イーグルス 0010001000 2 望月潤一 ジャイアンツ 0010000101x 3 中尾輝三 スタルヒン
勝利投手 スタルヒン 8勝3敗
敗戦投手 望月潤一 0勝3敗
先回の登板から1ヶ月以上も間が空いたので、ピッチングの不調が、原因と思っていたが、病気療養のためだったとの情報で、この話は一言も親父から聞いていなかったので、ちょっと驚きです。
その病気も、1ヶ月で完全に癒えたようで、強豪 ジャイアンツを相手に好投し完投した。
悔しい試合で、結局負け投手にはなったが。
この試合、病気から回復した望月と怪我から回復した中尾という左腕同士の久しぶりの登板で始まった。
望月は、1回、白石への四球、水原に2塁打を打たれ、いきなり無死2,3塁とピンチになったが、千葉、中島、リベラの3人をピーゴロと連続三振に切り抜けた。
この様子を筆者が読売新聞の記事を抜粋し、掲載してくれている。
「望月の好投は、・・・。中島、リベラと続けさまに懸河のドロップを以って三振にしりぞけた。」
その後、両軍3回の表裏にともに1点をとり、1‐1のまま終盤に入り、7回表にイーグルスが1点を取り、なおも攻撃が続いているところで、ジャイアンツは、エース、スタルヒンをリリーフに送り、後続をピシャリと抑えた。
2−1で逃げ切りを図りたいイーグルスだったが8回に2つの内野ゴロエラーが重なり、1点を取られ同点に追いつかれた。
そして延長10回にはいり、一人で投げ続け、疲れの見えてきた望月が満塁で千葉にサヨナラヒットを打たれて試合終了。
ところで、この試合より、ジャイアンツでフィリピンからスカウトしたリベラが、5番センターで初出場している。
リベラについては、この(親父と野球)に2008年1月5日に投稿した《戦地で交友のあった外国人選手―リベラ》に親父との関わりについて掲載している。
リベラの初出場試合に親父が先発するとは、やはり、リベラとは親しくなる縁が自然の成り行きであるようだ。
ともあれ、この試合は、オヤジにとっては強豪ジャイアンツに2‐1の接戦で勝てるチャンスのあった非常に残念な試合だった。
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