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幻の東西対抗戦

昭和14年(1939年)の頃のプロ野球(職業野球)は、創生期ということもあり、いかに集客するか試行錯誤の中で、いろいろと斬新なイベントが行なわれたようだ。
 
この年のシーズン中休みのタイミングで当時の野球の対抗戦で、絶対的な人気があった早慶戦が行なわれた63日、4日の2日間に職業野球はそれに対抗する形で、同日、主力選手が東西に分かれて戦う東西対抗戦、と新人だけのフレッシュ東西対抗戦の12試合を3日、4日の同日にぶつけた。(職業野球、実況中継の調査による。)
 
まさに、現在のオールスター、フレッシュオールスターの原形が、この年に行なわれており、観客動員も後楽園28千、3万と超満員だったとのことですでに職業野球の人気は早慶戦に匹敵するものがあったようだ。
 
その主力選抜チームの東軍の1戦目の先発はスタルヒン(9-2で勝ち)、2戦目は望月(2-3で負け)が先発したとの当時の読売新聞記事。
 
プロ野球史の中で、オールスター戦の前身ともいうべきゲームで、選抜選手が東西に分かれての試合だったが、なぜかこのイベントは、この試合そのものが、後世に伝えられていないようで、《幻の東西対抗戦》と言われている。
 
私事だが、親父が、「俺だって、東西対抗戦に出たことがある。」とのコメントを頼りに探して見たが、親父の名前が見当たらずじまいだった。
 
しかし、親父の野球関係の遺品を5年ほど前に整理している時、当時のそうそうたるメンバーと一緒に親父が写ってる新聞の切抜きが見つかった。(2007.12.08の親父と野球ー親父と外国人選手との交友ーの記事と一緒に掲載したものを以下再掲載)
 
昭和14年の東西対抗戦の東軍メンバーと注釈に書いてあったが、それ以上のことはわからなかった。
 
それが、この時の幻の東西対抗戦だったのだ。
 
後楽園球場で3万(超満員)の観衆の中で、試合の頭から堂々と投げていたという事実に、いささか息子の私は興奮気味である。
 
これで父がスタルヒンとどのように親しくなったかもごく自然にわかるような気がする。
 
この時期の親父は、ドロップにますます磨きがかかり、絶好調で投げるほどにピッチングが良くなり、その勢いで東西対抗にも選ばれ、第二戦の先発を任されるほどになっていたのだろう。
 
親父の職業野球(プロ野球)で一番輝いていた時期かもしれない。
 
(1939年の東西対抗戦の東軍メンバー) イメージ 3
 

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