生業の足跡

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入社以来、営業畑一筋の経験と意気込みで成し遂げた一仕事。
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生業の足跡7

今から思えば、サラリーマンとしてこの仕事を成し遂げたと語れるような大きな成果を上げられた事は非常に運が良かったと思っている。                                
 
しかし、その運を成果に結びつけるのは、それまでの修行時代に蓄積された経験、上司、諸先輩の教え、自分自身のささやかな能力が、ベースにあることも確かだ。私の病魔からの復活の一助となった考え方(ダメで元々わずかの可能性がさえあれば十分。強気で攻めていけ!)というのも、優秀な諸先輩の行動、自分自身の経験から学んだ営業としての大事な(心構え=ノウハウ)の1つで、これら私の経験から学んだノウハウを全てぶつけ、仲間、後輩、部下らチーム全体に説いて営業力を底上げできたことが運を引き寄せ、成果に繋がていったと思う。                             

そして何よりそれを任せてくれた上司の大器量に感謝する。

折角だから、これからしばらく大きな成果に結びつけまた、一助となった私の経験から学んだ営業としての成果に導く(心構え)について出来るだけ客観的に項目立てて挙げていって見たいと思う。

生業の足跡6

それから日本でもう一仕事を帰任から5年余りで一応納得いくまで成し遂げた頃から、病魔に襲われ、2年半の難病との戦いと医者選び治療法を探し当てるまでの試行錯誤の期間、奇跡の復活とリハビリによる回復期間、そして今と10年余の時が速度を変化させながら、経過した。

そして今改めて香港時代の6年半と赴任前の1年半の8年間を振り返ったとき、自分が提案主導したとは信じられないくらいの大仕事を成し遂げたと実感し始めている。それまでの下積み経験、めぐり合わせ、年齢的な勢い、時代の流れ、恵まれた商品力の殆ど全ての成功要因が重なり初めて出来る大仕事ではなかったか。

生業の足跡5

赴任1年目の伸び率109%は販売体制の構築の年であり、人材の育成期間も必要だったため、実績にそれほど反映されていないが、2年目以降は明らかに販売体制の構築効果が顕著に成果として表れ、飛躍的な伸びを毎年達成している。

市場の伸びがこれに平行してるのであれば、それだけ伸びて普通だが、市場自体は各種の統計、市場分析により105%-110%/年であることが裏づけされている。従い、販売力のバロメーターであるシェアの面でも毎年着実にシェアを2−3%引き上げ、赴任期間の6年間でこの地域のシェアを32%→45%に押し上げることができた。

そして、6年目に入り正直、達成感があり過ぎて気力がなえてくる予感と同時に交代要望を出し、6年半の駐在を終え帰国の途についた。

生業の足跡4

 
我々の事業体は私が香港に赴任する10年以上前から海外唯一の生産拠点として本社グループの香港統括会社に間借りする形で生産工場があり、その香港工場拠点が事業体独自の販売部門の設立、つまり、私達の赴任と同時に独立し事業体の東南アジア拠点製販本社となった。                

その中で販売拠点は私の提案通り、台湾支店、シンガポール販売支社、私の駐在する香港の製販統括会社の販売部門の3拠点体制で決定。赴任と同時に東南アジア全域の拡販活動、各拠点の販売体制構築、新規市場開拓と飛び回った。この時に役立ったのはUSA時代の新会社設立時の実務経験とUSAの全土をカバーする販売体制のビジネスモデルだ。それと日本からの出張ベースでの活動の合間に販売網構築を睨み、本社グループの中の東南アジア拠点を訪問しその実態調査と同業者の拠点進出状況を勉強していたことが非常に参考になった。

1年目は3販売拠点を同時に立ち上げる形となったため、各拠点の販売責任者(日本人駐在員)の教育、現地セールスとそのスタッフの雇用、現行カスタマーのフォロー、新規開発、全拠点の販売管理体制の構築等、寝る間もなく動き回り、ほぼ構想通り東南アジア全域をカバーしうる販売体制を構築した。 

しかし、体制、販売網はあくまで結果を上げるための形であり、中身の実績、成果が伴わねば無意味である。この体制と共に赴任から約6年、私が主導した東南アジアの販売実績は以下のようなものだった。


(年間販売実績 前年比 1990年代)
  
1年目 US$ 41,968K ( 50億円)109%
2年目 US$ 62,179K ( 75億円)148%
3年目 US$ 86,575K (104億円)139%
4年目 US$ 139,011K (167億円)161%
5年目 US$ 193,171K (232億円)139%
6年目 US$ 225,000K (270億円)117%

生業の足跡3

日本から出張ベースでカスタマーをフォローし、又新規開発も行うと言う所謂(行商販売活動)でしばらくの間、現行カスタマーを守りながら販売網作りの素案を考えていった。そしてまず最初に構想が固まってきたのは販売オフィスをシンガポールにおくと言うことだ。

当時のシンガポールは西南アジア地域のビジネス拠点として非常に重要な役割を果たし始めていた。周辺諸国の安価な労働力を巻き込んで、1セットにして、グローバルカスタマーの周辺諸国(マレーシア、インドネシア等)への誘致を図り、生産は周辺諸国、ビジネス拠点はシンガポールと言うビジネスモデルを構想して急激に拡大をしていた。その頃、中国は天安門事件等があり、政治的に不安定でリスクが大き過ぎることから、それに変わってこの地域が脚光を浴び始めた時である。               
 
この地域がこれから急拡大することは間違いなくそれに沿った販売網が必要と確信し、まず、シンガポール販売オフィス開設の提案を上層部に投げかけた。又、国は分かれているが、東南アジア諸国は類似点も多く、そのビジネスの殆どは華僑が関与しており、販売組織としては東南アジアを一極としてまとめて見ていくことが、効率的だと考え香港を東南アジアの本社とした販売組織、販売網の早期構築をもシンガポールの案件と共に提案、その後、台湾オフィスの独立、中国ビジネス対応のための香港オフィスの強化等1年の間に重要案件を複数提案。最終的に受け入れられていった。                 
 
当時、私は主任になりたての若輩であり、通常はこのような場合は一社員の提案などは、無視されても仕方のないが、そこは我々の事業体の伝統的な長所だったボトムアップ態勢と私のUSA立ち上げ時の経歴を評価していただき、各オフィスの設置とそれに伴う人事などを決定頂いた。

そして自分が東南アジアの営業責任者として香港に赴任し、この地域全般の拡販の先頭に立つ事になった。

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