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日本最初のオースターゲームは、そのルーツを辿っていくと、昭和11年の巨人、タイガース等最初のプロ球団誕生から4年目に球団数が9チームとなり、チーム総当たり、春秋2シーズン制方式で始まった昭和14年(1939年)に遡ります。 |
親父と野球
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(上から順に「戦後スタルヒンと伴に」「ハリスとの涙の再会」「1939年シーズン中に行われた東西対抗戦のメンバー」) |
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(高校野球の頃の親父) |
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昨日、物置を整理していたところ、かなり古びた簿記用ノートにびっしり野球関係の新聞のスクラップが貼られてある1冊の本を発見。 |
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親父が早実時代、イーグルス時代と長きに渡り、切磋琢磨しあい、チームメイトとして苦楽を共にしてきた太田健一選手の身内の読者の方から、貴重な有難いコメントを頂いておりますので、ふたりの球児時代に少しふれてみたいと思います。
ふたりは、早実の同級でともに1年の夏から、レギュラーとして甲子園の土を踏んでいます。
この年代は1年からレギュラーとなっていた有望選手が多く、甲子園の出場メンバーを見ると、柴田、太田、末村、望月の4名が、4度甲子園出場を果たしています。
早実の野球部史に昭和10年度のチームのフォトがありますので、ちょっとデジカメで撮って載せてみます。
見づらくてすみませんが、後ろの右から3番目が親父です。
おそらく、このメンバーの中に太田さんが写っていると思うのですが。
いずれにしても、プロ野球に入ったほどの恵まれた才能を持っていながら、道半ばで戦争に駆り出されて太田さんは戦死、運良く生き残った親父にしても選手寿命を棒に振った過酷な世代の野球選手でした。
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