親父と野球

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創生期のプロ野球選手だった親父(望月潤一)の野球人生を振り返る。
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                  イーグルス時代の親父(望月潤一)のフォト

この間、久しぶりに私の両親の残した昔の貴重な写真を整理していたら、プロ野球時代と注釈のついた恐らくプロの写真屋さんが撮ったであろう若かりし日の親父のフォーマルなフォトが出てきました。

3X2cm程度の小さなものだったが、スキャンして引き延ばして見てみると、輪郭もはっきりと昔の写真屋さんの絶妙な修正、補正も入った写真でした。

昔のプロ野球選手はブロマイドを出していてもしかしたら、その一つかもしれません。

いずれにしても、親父の残されたフォトの中で、一番凛々しく写っているにもの違いありません。

親父は、祖父もそうだったように、江戸っ子気質で結構オシャレ。

グランド以外で外出するときは、きっちりと身だしなみを整えるのが常だったようです。

本人がプロ野球時代と注釈を付けていましたので、私服を着た時の職業野球人ということで掲載しておきます。

親父が好きだったルー・ゲーリッグ

プロ野球選手だった私の親父が、第一に憧れ、尊敬していたメジャーリーガーは。あのルー・ゲーリッグ。

ベーブ・ルースとクリーンアップを打ち、長らく誰も破る人がいないと思われていた2130試合連続出場の記録を持っていた。(リプケン、衣笠が更新)

通算成績で以下のタイトルを獲得している。

アリーグ MVP 2回、首位打者 1回、本塁打王 3回 打点王 5回
*特に1931年度の打点184は今も最高記録を維持。
*また、ベーブルースと競合しての上記のタイトル獲得であった。

野球に対する姿勢とその連続試合出場の記録もあり、人々から敬愛と共にアイアンホース[鉄の馬]とよばれ、メジャーリーグで初めて着けていた背番号4がチーム(ヤンキース)の永久欠番になった。

彼が何故多くのファンに敬愛されたかは、彼の打撃成績もさることながら、まだ、まだ活躍が期待できた35歳のとき、不治の病(筋肉の難病)にかかり、突然の引退を余儀なくされ、その後、余命2年と宣告された後の生き方が、人々の心を打った事もある。

引退試合の挨拶では「今日の私は地上で一番幸せな男です。――――――」と支えてくれた関係者、ファンのすべてに感謝の言葉を述べた事は有名だ。

また、体か動かなくなるまでの2年余りを、デスクワークならできるとの事で、地域の仮釈放委員として少しでも世の役に立ちたいと働き続けた。

そして、37歳の若さにして多くのファンに惜しまれながら、息を引き取ったのだ。

その37年の栄光と波乱の人生は正に劇的であり、翌年『打撃王』というタイトルであのゲイリー・クーパーがルーの役を演じ映画化された。

また、彼は、1931年、1934年の2回日米野球に全米代表チームメンバーとして、2度来日しており、日本チームをレベルの差を見せつけながら9戦全勝と圧倒し、日本が接戦した唯一の試合となった沢村投手との対戦で彼だけソロ・ホーマーを打ち1−0で辛勝した試合は沢村伝説の始まりとなった。

こうして見ると親父が少年時代とルー・ゲーリッグは、全盛時代が重なりあう事に気付いた。

恐らく、この時代の野球少年達(親父も含め)は、学生野球を主体に応援していたと思うが、このタイミングで来日したメジャーリーガーのレベルの違ったスーパープレーに度肝を抜かれ、脳裏に強烈に刻みついたに違いない。

その代表選手が強打のスラッガー、ルー・ゲーリッグなのだ。

親父に感化されていた私も生まれて最初にまともに読んだ伝記小説は、彼の「打撃王」だったように記憶している。

親父の甲子園初出場

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親父の甲子園初出場

野球と真剣に取り組んでいる日本の子供たちの最大の目標であり、夢は何といってもあの甲子園で一度でもいいから、プレーしたいと言う事だろう。

無論、甲子園に出場して優勝すると言う事は究極の到達点ではあるが、甲子園の常連校で実力がズ抜けている強豪校は、優勝を目標にやっているところもあるだろうが、甲子園に出場の切符を手にすることは、何より格別な憧れであり夢だ。

親父が野球をやっていた1930年代の野球少年たちも、甲子園出場は、最大の夢であることには変わりなく、プロ野球が未だなかったことから、大学野球と高校野球(中等野球)の人気は、高かった。

母校は甲子園出場の常連校ではあったが、1戦必勝のトーナメント戦であり、地区予選でもライバル校も複数あるので、甲子園切符を手にする事は、やはり夢であり憧れでもある。

その大舞台に今で言う高1の夏から、1塁手レギュラーとして出場を果たした親父だが、憧れの甲子園では、今までにない独特の緊張状態を経験したようで、新聞のコラムに載るような失敗をしている。

以下、親父の回想文を抜粋。

(初出場の私たち同級生は、入場式から上がり気味で、歩調を揃えるのに大変な苦労をした。…割愛…さすがに甲子園と言う舞台は違った。・・・・初安打を打ちながら、殆ど無意識状態に陥ってしまった。田中さんの2塁打で3塁コーチャーの止まれの大きなジェスチャ−も目に入らず、捕手が外野の返球を受けて待ち構えているホームベースへ滑り込んで憤死。したたかに後頭部を打ち、フラフラしながら、相手方ベンチに歩きかけて審判に注意されて初めて気づいた。・・・・)

とまあ、甲子園の独特の雰囲気に舞い上がってしまって自分でも何をしているのか覚えていない状態になってしまい、結局この暴走が響き1点差負けとなってしまった。

その暴走の珍事を当時の新聞が挿絵にしているので掲載しておきます。

ハリスとの38年ぶりの再会
 
先の記事で親父とバッキー・ハリスとの思いで話の事に触れたが、そのハリスに西宮球場で38年後の1976年〈昭和51年〉に再会を果たすことになった。
その再会が新聞記事になっていたのを思い出し、その記事を引っ張りだして来た。
以下、各紙の記事の一部を抜粋。
 
10月27日の読売新聞の記事の一部。
見出し 《38年ぶり白球の友再会》
『白球で結ばれたバッテリーの友情は、永い歳月と国境を越えても生き続 けていた。
 来日中のプロ野球旧イーグルスの米人捕手、バッキー・ハリスさんと昭和12年ごろバッテリーを組んでいた左腕投手、望月潤一さんが、日本シリーズ第3戦が行われた西宮球場のスタンドで、38年ぶりに再会、一目会うなり言葉もなく、肩を抱き合った。---割愛---ネット裏の特別指定席にいたハリスさんを見つけ、駆け寄った。その瞬間、二人は、言葉も忘れたまま肩を抱き合い、目をうるませる。しばらくしてどちらからともなく、「ミスターハリス」「ディア フレンド」。望月さんは「まるでおふくろにめぐりあったようで、何と表現したらいいのか分らないほど嬉しい」と語り、ハリスさんは、「来日以来、待ち望んでいた友人に会えた」と顔はくしゃくしゃ。拳でお互いの体を叩きあいながら、健在と友情を確かめ合った。---割愛---学校を卒業したばかりの望月さんは、一回り年長のハリスさんと兄弟のように親しくなり、グラウンドの外でも親しくつき合った。---割愛---このあと、丁度グラウンドに来ていた野球評論家の水原茂氏らと共に、大阪市内で食事。心行くまで話し合った。』
 
 デイリースポーツの記事の一部。
 見出し《元夫婦、38年ぶりの再会》
 『−−−割愛―――。左投手と強肩捕手。望月氏は「ハリスさんとバッテリーを組むと走者を気にしなくて良かったから楽だった。必ず盗塁を阻止してくれたからね。」その強肩ぶりをほめられたハリス氏は「そんなにほめられると恥ずかしいよ。」と言って笑いを浮かべた。試合前のアトラクションでハリス捕手は、2塁上に置かれた的に百発百中であてた話、阪急の石田投手から、頭脳的プレーでホームスチールを成功させた話等、日本シリーズそっちのけで昔話に花を咲かせていた。』
 
他三紙が、同じような内容で27日の朝刊に掲載。
 
その後、2年間手紙やクリスマスカードで交流を深め、ハリスさんからアメリカに来て欲しいとのお誘いを受けていた矢先の1978年5月、突然病死の訃報がスポーツ紙に載った。72歳だった。父が非常に残念がっていたのをはっきり覚えている。
 
新聞では、白球の友とか元夫婦とか書かれているが、父からすれば一回りも年が違い、当時のプロ野球の顔にもなっているハリスさんは、師匠、敬愛する大先輩といった存在だったのだろう。
 
また、父はハリスさんの強肩についてのエピソードを語っているが、投手としてまだまだ経験の浅い新米投手の窮地を、その強肩が、助けた事が度々あったからこその父の正直なコメントだったと思う。
 
   ハリスさんのサイン入りフォト     1976年西宮球場で38年ぶり再会
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甲子園に親父の母校を応援に・・・

選抜高校野球をTVで観戦していましたが、好ゲームも多く、堪らず急に思いついて甲子園に行ってきました。

どうせなら応援しているチームのゲームを観たいと思い、2試合目の早実ー富山商の試合に早実の応援席である3塁側アルプスで観戦。

早実は私の親父の母校で遠い昔ですが、親父も早実の初期の黄金期のメンバーとして甲子園に4度出場しており、私が子供の頃は早実が、甲子園に出る度に甲子園に一緒に応援に連れて行ってもらったものだ。

この2試合目が始まる少し前から、早実OBグループの端の席が空いていたのでそこに一人座っていたら、自然とOBの応援の輪に入って校歌や応援歌を一緒になって歌っていた。

子供の頃何度も応援に行ったので校歌や応援歌のメロディーが焼き付いていて一緒に歌えば歌詞もサビの部分は覚えている。

そんな雰囲気の中で早実OBになったつもりで、親父の母校を応援。

ゲームの方は、天理を接戦で下して、調子の波を掴んだのか早実が1回から先取点を上げ、序盤で4点を取り、 9−2の大差でベスト8進出を決めた。

富山商も強敵だが早実の勢いが勝った試合展開だった。

お陰で早実が、チャンスになり点を取る度に本当のOBと一緒に立ちあがって肩組みしながら応援歌を歌うのだが、点数が表す様に結構忙しく、本当に楽しく応援させてもらった。

それから、新しい甲子園球場は銀傘の奥の放送席や観客席が大きく変わっていて、シートやトイレ等の建物の内観が小奇麗になっていた。

今度は阪神の応援に来よう。

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