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イーグルス時代の親父(望月潤一)のフォト |
親父と野球
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親父が好きだったルー・ゲーリッグ |
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親父の甲子園初出場 |
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ハリスとの38年ぶりの再会
先の記事で親父とバッキー・ハリスとの思いで話の事に触れたが、そのハリスに西宮球場で38年後の1976年〈昭和51年〉に再会を果たすことになった。
その再会が新聞記事になっていたのを思い出し、その記事を引っ張りだして来た。
以下、各紙の記事の一部を抜粋。
10月27日の読売新聞の記事の一部。
見出し 《38年ぶり白球の友再会》
『白球で結ばれたバッテリーの友情は、永い歳月と国境を越えても生き続 けていた。
来日中のプロ野球旧イーグルスの米人捕手、バッキー・ハリスさんと昭和12年ごろバッテリーを組んでいた左腕投手、望月潤一さんが、日本シリーズ第3戦が行われた西宮球場のスタンドで、38年ぶりに再会、一目会うなり言葉もなく、肩を抱き合った。---割愛---ネット裏の特別指定席にいたハリスさんを見つけ、駆け寄った。その瞬間、二人は、言葉も忘れたまま肩を抱き合い、目をうるませる。しばらくしてどちらからともなく、「ミスターハリス」「ディア フレンド」。望月さんは「まるでおふくろにめぐりあったようで、何と表現したらいいのか分らないほど嬉しい」と語り、ハリスさんは、「来日以来、待ち望んでいた友人に会えた」と顔はくしゃくしゃ。拳でお互いの体を叩きあいながら、健在と友情を確かめ合った。---割愛---学校を卒業したばかりの望月さんは、一回り年長のハリスさんと兄弟のように親しくなり、グラウンドの外でも親しくつき合った。---割愛---このあと、丁度グラウンドに来ていた野球評論家の水原茂氏らと共に、大阪市内で食事。心行くまで話し合った。』
デイリースポーツの記事の一部。
見出し《元夫婦、38年ぶりの再会》
『−−−割愛―――。左投手と強肩捕手。望月氏は「ハリスさんとバッテリーを組むと走者を気にしなくて良かったから楽だった。必ず盗塁を阻止してくれたからね。」その強肩ぶりをほめられたハリス氏は「そんなにほめられると恥ずかしいよ。」と言って笑いを浮かべた。試合前のアトラクションでハリス捕手は、2塁上に置かれた的に百発百中であてた話、阪急の石田投手から、頭脳的プレーでホームスチールを成功させた話等、日本シリーズそっちのけで昔話に花を咲かせていた。』
他三紙が、同じような内容で27日の朝刊に掲載。
その後、2年間手紙やクリスマスカードで交流を深め、ハリスさんからアメリカに来て欲しいとのお誘いを受けていた矢先の1978年5月、突然病死の訃報がスポーツ紙に載った。72歳だった。父が非常に残念がっていたのをはっきり覚えている。
新聞では、白球の友とか元夫婦とか書かれているが、父からすれば一回りも年が違い、当時のプロ野球の顔にもなっているハリスさんは、師匠、敬愛する大先輩といった存在だったのだろう。
また、父はハリスさんの強肩についてのエピソードを語っているが、投手としてまだまだ経験の浅い新米投手の窮地を、その強肩が、助けた事が度々あったからこその父の正直なコメントだったと思う。
ハリスさんのサイン入りフォト 1976年西宮球場で38年ぶり再会
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