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旧府神社の楠木、

大樹巡礼 第九十三番目
 
大阪府和泉市尾井町 にあります。
 
     旧府神社 

和泉市尾井町に鎮座。
信太小学校西近く、小川の東岸住宅地の中にある。
神功皇后の小竹宮の跡とも言われる。和泉国府の所在地であり国府はその後
現在の府中町に遷したとも伝える。
大正4年6月23日葛之葉町の信太森葛之葉稲荷神社に合祠されたが、
翌年に元の社殿に奉祀した。
現在同社の飛び地境内社とされているようだ。
 
   白狐化石   (最後の写真)
 
石版には次のように刻まれていました。。

葛の葉伝説に由来する「白狐の化石」
「葛の葉物語で狩人に追われた一匹の白狐が逃げる途中
この石の後ろにかくれたともいい、
或いはこの石に化したといわれている」

 
旧府神社の楠木全景
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楠木
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拝殿
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参道
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案内石
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   白狐化石 
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龍神堂 (堺市)

大阪府堺市栄橋長2−4 にあります。
 
       龍  神  堂  
 
天明6年(1786)、人々は港の土砂除去を出羽庄内善宝寺の龍神尊に頼り、37日間の祈祷の後、経文を
 
石に刻んで海中に埋めました。天保のころになってその部分が深くなり港は繁栄を取り戻したと伝えら
 
れています。龍神堂はこの時建立されました。
 
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河口彗海像、堺市

大阪府堺市鉄砲町 にあります。
 
何回本線七道駅前(海側)ロータリーにこの像が立っています。
 
その案内版には次のように記載されていました。
 
日本チベツト学の祖    川口慧海(かわぐちえかい)                       (1866年〜1945)
 
慶応2(1866)・堺に生まれた河口慧海は、明治33(1900)、幾多の困難を乗り越えつつ、ただ一人チベットに入国しました。
各国の言語や社会情勢を学び、また高地の気象・自然・医療をも勉強した 彼は・世界の屋根ヒマラヤを越え、当時厳重な鎖国状態にあったチベットヘ入ったのです。
慧海の目的は、仏教の源泉を尋ねることにあったのですが、日本人として初めてのヒマラヤ踏破者となり、世界的に貴重な経典・仏像・民族資料・新発見17種を含む多数の高山植物標本をもたらすことになりました。これらの資料群は、彼が草分けとなった日本チベット学のみならず、他の学問の進歩チベットにも多大の貢献を成したのです。苦難の旅を綴った彼のr西蔵旅行記』は、チベット研究の第一級資料として今なお広く読まれ、国際的評価の高い文献となっています・
     
       河口慧海像寄贈  堺ライオンズクラブ
 
The Pioneer of Tibetan Scholarship in Japan
 
                    ---Ekai Kawaguchi (1866〜1945)
 
Ekai Kawaguchi, born in 1866 at Sakai, Osaka, 
entered Tibet alone in 1900 after overcoming many 
hardships he encountered during his journey.
Having studied the languages and social conditions 
of  many countries  and additionnally, high elevation 
weather, nature, and medicine, he, by traversing the 
roof of the world, the Himalayas, reached Tibet 
which at that time was under strict national isolation.
The purpose of Kawaguchi's journey to Tibet was to visit the source
of  Buddhism. He became the first Japnese to traverse he Himalayas.
As a result of his journey he brought back sacred books, images of
Buddha, folklore materials which are of world-wide importance, plus
many specimens of high mountain plants, including 17 newly
discovered species.  These materials and data have been an
enormous contribution not oply for Tibetan studies in Japan which
he pioneered,but also for the development of other studies in Japan.
The book "Tibet Travels" written by Kawaguchi which detailed his
arduous travels, is still widely read as primary information about
Tibet and is internationally acclaimed as first-rate literature.
 
 
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大阪府堺市北旅籠町西1−3−22 にあります。
 
ここの案内板には次のように表示されていました。
 
  旧鉄砲鍛冶屋敷(非公開)
 
この辺りは、第2次世界大戦の戦災を免れたため、
江戸後期を偲ばせる古い街並みが残されている・井上
邸は堺にただ一つ現存するする当時の鉄砲鍛冶屋敷で現
在は4棟の切妻造平入りの建物からなり・建物の総間
ロは12間半にわたっている。南端の棟は2階建、その
北の棟は後半2階建、またその北の棟も背面のみを2
階にし、北端の棟は平屋で、殆ど大部分は本瓦葺きと
なっている。北より第二の棟が主屋で入ロより通り庭
によって裏口に通じる。主屋の土間より北側は現在部
屋となっているが、もとは鍛冶場で、その後半は床棚、
書院をそなえた12畳半の大座敷とされている。最初は
表ロ3間半で店の間を全部土間とし、奥の方の左半分
を土間、右手を6畳と4畳半の2室をもうけた簡単な
ものであった。その後、北に座敷を継ぎ足し、さらに
南の家を次々と入手して鍛冶場を広げ、大座敷をもう
けたものと考えられる。
江戸初期から末期にわたる鉄絶鍛冶の生活の実態を
伺う上で貴重な建物である。        
                                      
                                    堺市
 
       OLD HOUSE OF GUNSMITH`S
                (Not open to the public)
 
The area around this house was not bombed in World War Ⅱ. and preserves the 
atmosphere of a town in the late Edo Era. The house of the lnoue's is the only surviving 
gun plant from that time.
It consists of 4 buildings with gabled roofs. The buildings in 
the south and half of the north are two-storied and have tiled roofs. The second building from the north is the main 
building and leads to the back entrance. The space north of 
the earthen floor of the main 
building is now used as rooms, but once was a blacksmith's
shop connected to a large 125-mat room with an alcove and a study. Originally this house 
was a simple building with 
earth-floored shops and two 
small rooms. A large room was annexed later and a south  
building was purchased for the blacksmith's shop、 It is a
valuable asset, showing the actual life of a gunsmith in the Edo Era.
 
                             SAKAI  CITY
 
旧鉄砲鍛冶屋敷
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信太貝吹山古墳

大阪府和泉市尾井町 にあります。
 
和泉市指定史跡  信太貝吹山古墳
 
 
     平成15年3月28日指定
 
信太貝吹山古墳は、信太山丘陵北西麓の海岸線に向かつて舌状に派生する低位段丘に立地しています。
古墳は全長約60m、後円部径50m、同高さ7.7mの前方後円墳ですが、前方部が短いことから、帆立貝式古墳とよばれています.
埋葬施設は明らかではありませんが、過去の調査等で、墳丘に埴輪列と吹き葺石(ふきいし)が施されていたことが確認されるとともに、円筒埴輪、形象埴輪、滑石製糟(ふね)等が出土しています。
和泉市北部の信太地域では、上代町にある和泉黄金塚古墳に次いで、5世紀中頃に造られた古墳です.
古墳は、墳丘や周濠の保存、状態も良好であり、和泉北部の古墳時代社会を知る上で責重な位置を占めていること、また江戸時代に和
泉・大鳥郡内の一橋家領54ヶ村の農民が蜂起した「千原騒動」の際、一揆に参加した農民たちが、法螺貝を合図にここに集まったことから「貝吹山」とよばれるようになつたとも伝えられており、近世史の上からも重要な位置を占めていることから、 和泉市 の歴史を語る
上で欠かすことのできない貴重な文化財として墳丘部 が和泉市 史跡に指定されています.
平成17年3月
和泉市教育委員会
 
 
 信太貝吹山古墳 
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