植物と生物防除のお話 和田哲夫

最近は植物の話が多くなっています。

小説

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]

貝塚ができる頃

今朝友人から聞いた話。穏健派でやや左、自然環境の保存を愛する彼は、現存する理想的な国家について
次のように話し始めた。国家という言葉が適当ではないかもしれないが、とりあえずある国の話である。
そのKという国は、エネルギーをおもに地熱発電と太陽電池で賄っているという。
太陽電池はフィルム状になっており、工場、ビル、住宅の壁面および屋根は通常
すべて太陽電池フィルムである。構造物にぴったりと貼ることができ、ほとんど重量がないため建物への負荷がきわめて少ない。風にも熱にも強い素材であり、都市の住宅の必要電力量はこれで賄えている。
石油は医薬品や必要最低限のプラスティックなどの生産にしか使うこと許されておらず、
燃やすなどということは、資源の浪費、炭酸ガスの産生ということからこれも禁止されている。
すべて電気かといえば、一部天然ガスは使われているが、燃えても水にしかならない
水素ガスが主成分となっている。
合成された農薬は規制されており、基本的に病害虫防除は天敵昆虫と微生物によって
植物保護は行われている。
医薬品は合成品が多いが、二重盲検法により、プラセボ(偽薬、砂糖や小麦粉など成分の入っていないもの)にくらべ、治癒率が80%以上のものしか許可されていない。
また抗がん剤は、正常細胞にすこしでも影響のあるものは、認可されておらず、そのため
副作用に悩まされることもない。結果的に認可されている抗がん剤はほとんどない。
遺伝子治療によるガン対策がなされており、発ガン自体が減少している。
なによりも、注目すべきは、ヒトの遺伝子の末端にあるテロメアという部分を含む老化関係の遺伝子の解明がなされており、DNAのコピーの際の誤りを直す酵素とともに、遺伝子の老化防止が実現しており、任意に年齢を決めることができるということである。
それは老人が20代の若者になることも可能にし、あるいは35歳のまま同じ年代層に居続けることを可能にしている。
すなわち事故などによる死亡原因以外での死というものがなくなっているのである。
これにより、新生児数の減少が見られ、避妊技術の進化により、さらに出産数の減少が
起きている。
とはいえ社会における老人の比率は5%以下となっており、20代、30代が人口の
80%以上を占めるという若年層社会が現出している。
国家間の紛争は、激減している。その理由として、自動通訳装置による即時翻訳が
実現していること、および各国間の移動がいわゆるテレポーテイション、三次元電送が可能になったため、即時移動が日常的に行われているためである。
この際、電送が完了した後、一週間以内にどちらかの個体を消滅させることが義務付けられているという。同一人物が何人にも増加することを防ぐためである。
この技術により、出入国が自由であるため、国家間での人種の均質性が実現している。
とはいえ、熱帯や寒帯の人気が高いということはなく、温帯への人口集中が問題化しているようだ。
ただし過去に見られた人種的な差別、抑圧などは消滅している。なぜなら上述のごとく
遺伝子レベルでの改変が可能になったため、黒人から白人への変更する人が増えたためである。
もちろん整形手術なくして、顔の改変も可能なため、白人の金髪の美男美女が全世界の
人口の70%を占めているともいわれている。
ただしあまりに金髪の白人が多いため、それ以外の人種の人気も高まっているという。
また途中から人種を変更することも可能であり、外見による識別は不可能である。
このため、各個人は遺伝子改変の記録を全世界で管理する遺伝子管理センターに
自動的に通知されるため、遺伝子検査による個人の特定は可能である。
クローンによる自己の創出は一人に対して一人までは許されている。
男から女、女から男への性転換も上述の遺伝子改変により可能になっている。
その結果、女性の比率が上がっているとのことである。
性的に生殖行動が必ずしも必要でなくなっているため、交接はもっぱら幸福の追求という意味で行われているにすぎない。
そのようななかでも受精し、妊娠することを希望する女性、男性もいるが、受精後
一か月以内に体内より受精卵がとりだされ、試験管ベビーとして出産時レベルの体重に
なるまで養生チェンバーで安全に管理される。
労働については、労働自体が楽しみという観念が流布しており、後述するが、週5日、一日3−4時間の労働はむしろ娯楽と考えられている。
休暇は一年ごとに一年貰えるので、就業中は土日のみの休暇である。
通勤については、テレポーテイションを利用することはエネルギー浪費の上からも
実行している人はいない。
電車、自動車は存在せず、速度の違う段階的なエスカレータのような動く歩道、幅は10m程度であるが、歩道自体が動いており、どこからでも乗ることができる。
歩道の中央部に近づくとスピードが上がり、時速50キロ程度のスピードで移動が可能である。道路の両端は極めて低速で歩いて歩道から降りることが可能である。
高速部分には座席があり、風防もあるので、事前にセッティングすれば寝ているうちに
おろしてくれる。
このような歩道がすべての重要道路に施工されているので、公共交通機関が必要なくなっているのである。
動く変速歩道といわれており、屋根もあるので、きわめて便利である。
長距離移動は上述のテレポーテイションにより、行うが、一般的に1000km以上でないとエネルギー効率から実用性がないようだ。
時に電送に失敗することがあり、その場合は、電送された物、生物は自動的に廃棄される。
長距離はエネルギー効率の悪い航空機はもはや使用されていない。
可変する気球部分をもつ飛行船が主流である。 続く

前にも書いたかもしれませんが、

原宿の竹下口で降りて、竹下通りの中に

入っていこうとすると、コスプレの娘やら、金髪の

コスプレ外人などが散見されるなか、90%若い女性の

川の中を東郷神社にいく150m程度だけは、一緒に

あるく羽目に陥ります。

これが外国ならば、スリにも気をつけなくてはいけませんが、

竹下通りでスリが頻発しているとは聞いたことはありません。

一昨日は黒人の若い男も2−3人、呼び込みの仕事でしょうか

女性の流れのなかに突っ立っていました。

六本木のようになるとは思いませんが。

あまりの人の多さに早めに左に折れると

誰もいない小路。

東郷神社のノミの市の西のはずれに着きました。

ここは外人も多く、にぎわっているのですが、

年内で骨董市はなくなるそうです。

どうも東郷神社が結婚式の雰囲気と

骨董市とが合致しないというようなことで

断ったようです。

東郷神社には、戦前の海軍の士官クラブであった

水行社のなんというのでしょうか、OB用の

建物があります。

ここで太平洋戦争での敗戦の理由の議論が何年にも

わたりなされたということを最近のNHKの番組で知りました。

昔の海軍士官といえばエリートで、洒落た水行社のクラブで

洋食でも食べていたというイメージがありますが、

戦前の水行社はどこにあったのでしょう?

日比谷公園のあたりかな?

今頃になって織田作之助を読む。

夫婦善哉は昔から知ってはいたけれど、赤線青線の話を書いたという

「それでも私は行く」という小説のことを、また別の本から

知ってネットで探す。

ひょっとしてネットで無料で読める「青空文庫」というのを最近

後輩から教えてもらったので、見てみると「夫婦善哉」は

読めるではないか。

その一、二分前にちくま日本文学全集の文庫本タイプのものを

アマゾンで購入してしまったのだが、青空文庫で善哉を読み始めると

これがとまらない。

大阪の話をこんなに面白く分かりやすく書いた話があるとは。

まるで上方落語である。

立ち切れ線香という泣かせる落語を最近聞いたばかりだが、

おなじ味わいである。

ちくまのほうでは、「蛍」というのを読む。

短編だが、語り口は似ている。

おもわず思った。

野坂昭如は、織田作之助の語り口を真似ていたのだと。

野坂と組んでいた、あの挿絵画家、イラストレーターもまだ健在であること

雑誌で最近よんだのも偶然だろうか。

般若寺を歩いたことがある。
そのときはコスモスの花が盛りだった。
洋花であるコスモスは奈良の古寺にはあまり似合ないのでは、とも思ったが、
露にぬれたその風情は、牡丹などとは違い、控えめで、雑草に花がついたかのようでもあった。

この寺のあたりで、興福寺の僧兵たちと平清盛の子の一人である平重衡の軍が
戦ったと後に平家物語から学んだ。

フランスから来た女性を案内したのはもう10年も前のことだ。
どうして奈良にいったのか、もう記憶が定かではない。
ただ断片的なことがらを思い出す。

待ち合わせたの奈良ホテルだった。
旧館の味のある木造の建物ではなく、その裏あたりにできた新館であった。
でも彼女と一緒にすごせるのであれば、どんなホテルでもよかったのだ。
夜は駅裏の三井アーバンホテルで鉄板でのステーキを食べる。
前の晩、奈良の町を歩いたらお店がほとんどなかったからだと思う。
柿の葉寿司をわびしく食べた思い出がある。
ということは奈良に二泊したのだろうか。
それとも柿の葉寿司はこのときのことではなかったかもしれない。

翌日は車を借りて、柳生の手前の円成寺に運慶の大日如来像を見に行った。
忍辱山が寺の山号である。辱を忍ぶ寺とは、にんにくせんと読ませるようだ。
当時はまださほど有名ではなく、小さなお堂で彼女と二人だけでこのハンサムな男でもなく女でもない仏に触るほどちかくで拝礼できたと記憶している。

そのあと別れた妻が好きだといっていた浄瑠璃寺にいくと坊主が九品佛のまえで十人程度の観光客に多分極楽浄土の説明をしている。阿弥陀佛九体の手から紐か紙の紐を臨終の迫った病人あるいは老衰し死を待つ人の指に絡ませれば阿弥陀様が極楽に連れていってくれるという仕組みである。
藤原の道長などもそのようにして逝ったようだ。
どうやら寒い時期だったのだろうか僕らは板の間に座るのが嫌ですぐに退散する。

近くに岩船寺があったので寄ってみる。
大きな木造の仏像が多いのに驚かされる。しかしそのほとんどが有名ではない。
そしてさほど大きくもないお堂に数十体の仏さまが林立してるといってもいいほどだ。
たぶん廃仏毀釈によって廃絶させられた奈良の寺のものをここに集めたのではないかと思われる。保存状態が良くない仏さまが多いことからもそのような棄仏の痕跡がうかがえる。

それでも廃仏毀釈は関西ではまだ多くの寺が残っていることから、徹底したものではなかったけれども、鹿児島、宮崎、大分のあたりでは、仏教の寺の一寺も残らず毀損されてしまったという文献を読んだことがある。

明治政府の地方役人の中央政府へのへつらいからであると書かれていた。
法隆寺や薬師寺、唐招提寺などの仏たちが廃仏されなかったのは、仏像そのものが崇高であったためか、寺の勢力が強かったためか、奈良の中心部より比較的遠距離にあったからだろうか?
興福寺の五重塔が薪になりそうになった話は有名だが、法隆寺の五重塔には
そんな話はないようだ。
たぶんに寺の勢力によって、廃仏毀釈の度合いも違ったのだろう。

売文サウダージ

自分が触れたもの、触ったものが黄金になってしまうという
ミダス王の話は有名である。
自分がサインしたり、書いたものが、高い値段で売買されてしまうようになったとき
人はどうおもうのだろうか?
もちろん右から左に買ってくれるのではなくて、ただでサインしたものがあとで
価値をもつわけで、通常はサインをする人はその恩恵には預かれない。

絵描きなども名声を得たあとは、誰もが彼の作品を欲しがるわけだから、悠然と
2号とかの小さな絵を描いて、かなりの謝礼をもらうことは可能なのだろう。

森鴎外がたしか、揮毫を求めるひとが多く非常に不快であるという意味の小文を書いていた。日本中が相手だから、いろいろな人間がいるようである。
短冊をいれて、なにがしの謝礼を入れる人もあるだろうし、依頼状だけの人もあるだろう。
なにか別に中元だかお歳暮のようなものを贈っておいて、それをほのめかして
揮毫をお願いするということもあるようだった。

こうなるとなにか書くことも苦痛に変じていくことは想像に難くない。
うるさいファン、あるいは自分の揮毫、サインなどで金もうけをする人間の
片棒かつぎどころか、むだな時間を使う羽目におちいることになる。

有名税という言葉もあるが、匿名性をもたない人間の苦労というのは、われわれ市井の人間にはわからない悩みであるのだろうとふと推測してみた。
ミダス王の苦しみと似ているといったらおおげさだろうか。
十分の文章が売れないことに対する蚯蚓のたはごとではあります。

サウダージ=哀愁、メランコリー

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]


.
tommyinokashira
tommyinokashira
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索
友だち(1)
  • Tom☆
友だち一覧


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事