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ポルトガルの姓でモラエスという名前がある。
日本では、徳島に住んでいたサウダーデ=憂愁・孤独・哀愁・失恋の思い と
いう言葉で有名な作家のウェンスラウ・モラエスのほうが、サンバ、ボサノボ
の作詞家、歌手のヴィニシウス・ジ・モラエスより有名かもしれない。
世界的にはもちろんVinicius de Moraes のほうが、ヒット曲を
たくさん書いており、断然有名である。
作家のほうは明治時代の葡萄牙人で、日露戦争のリポートを葡萄牙本国に早い
時期に送っている。
作詞家は現代の伯剌西爾人である。
確かイパネマの娘の作詞者である。
「憂愁はもうたくさん」というChega de Saudadeという曲も
彼の作詞である。Too much of heartbroken feeling とでも訳せるだろうか。
日本語のタイトルは「思いあふれて」, 英語ではNo more Blues。
世界で始めて発表されたボサノボ曲として有名だ。
作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン。イパネマもおなじコンビである。
この二人に共通しているのは、サウダージ(恋情)と女好きということかもし
れない。
作詞家はイパネマの娘のような若い娘と一緒に写真をとったり、歌を歌ったり
するのが好きなようだ。
葡萄牙の人はリスボンあたりで失恋して、香港で二人の子供を生んで、
神戸と徳島で二人の女と暮らしたようだ。
それを好色であるという人もいるようだが、実際は、深い事情もあったようだ。
日本で暮らした二人の女は二人とも早くに亡くなっている。
そのことを書いた文章が、「オヨネとコハル」である。
この短編では、コハルという24歳のパートナーが結核で亡くなったときのことを書いている。彼は放心しつつも、回復の見込みのないこの致死的な伝染病の暗い病状を克明に書きしるしている。
コハルもおヨネも亡くなったあと、現在の眉山にあがるケーブルカーの駅のすぐ横の
潮音寺に葬られていることが、かれの別の短編で分かる。
その墓地を二週間前に徳島を訪問しているときに、偶然目にした。
ケーブルカー駅、現在は阿波踊り会館を兼ねているのだが、その建物を建てたときに
墓地は削りとられたような不自然なブロック塀が目に付いた。
削り取られたかもしれない部分が、オヨネとコハルの墓があったところかどうかは
まだ分からないが、徳島ではモラエスは崇敬の対象であるようなので、当然墓地の
ほかの場所に移されたものを思われる。
この眉山の山頂にはモラエスの遺品を収納したモラエス記念館まであるのである。
モラエスの家からこの墓地までは、徒歩で20分程度だろうと車の助手席に
座りながら、想像した。
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