植物と生物防除のお話 和田哲夫

最近は植物の話が多くなっています。

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オランダは北ヨーロッパの冬は太陽をほとんど見られないという気候のため
太陽を有難がる傾向がある。
夏もエアコンはほとんど必要ないのである。
そこで温室栽培が盛んになったといえる。温室はあまり暑い地域では実用性は低い。
内部が暑くなりすぎて、植物が死んでしまうからである。
だからスペイン南部などでは、ビニールのかわりにネットを用いている。
台湾以南はほとんど温室栽培はないといっていい。

オランダの国土が平たいことは有名だが、ほとんどは放牧地である。
そこにガラス温室を作り始め、現在は一つの温室が10ヘクタールというのも珍しくはない。
太陽が貴重な国なのである。
天敵昆虫産業が盛んになったのは、この温室群のおかげである。
オランダの角と呼ばれているロッテルダムの西方20kmくらいのところにガラス温室がガラスの海とよばれるほど密集しているところがある。
ナールドワイクNaaldwijkという地域である。大きな野菜のオークション取引所もある。
オランダの温室は日本の温室にくらべ気密性も高く、最低温度も16度くらいあるので、天敵昆虫も生息しやすい。
日本のように温室外部の害虫密度はさほど高くないので、かなり寒い11月くらいから始まる栽培初期からの天敵による害虫抑制は日本の9月くらいから始める生物防除にくらべて極めて有利である。ハウスの周囲にさほど害虫がいないからだ。
つまりオランダの天敵利用システムをそのまま日本にもってきても成功する可能性はひくかったのである。
日本では温室内の気温は冬では5度以下になったりするのである。
また年間を通じて害虫密度が高く、開放的な温室であるため、外部からの害虫の飛び込みも非常に多いのである。
そこでオランダのシステムではなく、イタリアかスペインの気候のほうが日本に類似しており、それらを見習うべく南欧を訪ねることにした。
最初に訪問したのは、スペインのコスタデルソル、つまりマラガの東、バレンシアの西あたりに位置するアギラスという町を中心に大型の簡便のハウスが海沿いに隙間なくたてられているところであった。
夏は砂漠的気候で降雨はなく、そのためシエラネヴァダ山脈の麓あたりに水の確保用に小型のため池を作っていた。アメリカのシエラネヴァダはここからとった名前である。
ちなみに意味は雪(ネヴァダ)をかぶった山脈Sierraということを今回初めて知った。

ハウスの柱は木製で、ハウスの軒高もやっと2mという低いけれど、面積は1ヘクタール以上あり、スチールの網でビニールを抑えているようなハウスであった。
その後、カナリア諸島の一番大きい島にある都市ラスパルマス Las Palmas近郊のハウスも訪問したが、その後のランチに出た地酒を地元の農家の人に飲まされてかなり酔ってしまった。
スペイン本土にくらべ、温室の質は若干良いという程度である。
このカナリア諸島ではマルハナバチの種がカナリエンシスという土着の種があり、ヨーロッパ本土のテレストリス種とは異なるので、欧州種は禁止していた。
そのため、コパートはカナリア諸島だけのために、その固有種を増殖していることを
知ったのだった。
日本がマルハナバチを無条件で輸入してしまい、後で問題化したのとは大違いである。
日本では名古屋の植物防疫所がベルギーからの西洋マルハナバチの輸入を認可したのが初めである。1991年のことである。
害虫でなければ輸入許可が下りる国なので、法律違反ではない。
それでいまでも西洋種が使われているが、日本も国産種であるクロマルハナバチが使われている。野尻湖のほうで採集したものをわざわざオランダまで空輸して、増殖したものである。
当初は、西洋種に比べ増殖が困難で、不可能だからやめたいというオランダ人からの申し出に対してなんとか成功してもらわないと、将来的に西洋種が禁止になったときに
どうするのだと半ば脅迫でもないが、お願いベースでついに成功させたものだ。
現在は人件費の安いスロバキアのブラスティラバ東方のノヴェザムキーという村で
マルハナバチの増殖工場をつくり西洋種と一緒に日本種を増殖している。
日本種のほうが生殖能力が弱いということだったが、問題はむしろ、日本が本当に
日本の固有種を使いたいのかどうかであろう。
日本での販売量が減少すれば、当然生産は中断されるはずである。

スペインの温室栽培を一言でいえば、大きな面積を裕福な農場主が所有し、農業生産を行っているというやや前近代的な農場経営スタイルといえる。
そのため、農場主と交渉すれば、天敵利用でも、マルハナバチでも比較的簡単にその利用を実現することができるということである。
もちろん、それらの方法が、農場主にとって経済的に有利であることを示すことが必要ではあるが。

次に向かったのは、フランス南部のトマトハウスとイタリアのハーブハウス、シチリアの
トマトハウスなどだった。
フランス南部、つまりプロヴァンスからコートダジュールは温暖な気候を利用して、
花の栽培が盛んであった。ただ現在は観光、別荘などの事業に押されて、花のハウスは
老朽化しているか、減少しているようである。

中国の繁栄と共産主義

2013年夏 中国と共産主義 

最近御殿場の世界のブランドを比較的安く売っているというアウトレットにいった。
その店の多さにも若干驚いたものの、もっと驚いたのは、中国人の若い女たちが
イタリアのバッグのブランドであるプラダの8万円もするものを、真剣に見定めている
光景だった。
もちろん秋葉原や銀座のデパートなどでも観光客の買いっぷりがいいことは知っていた。京都のプロの骨董の市で中国人バイヤーが百万円以上の中国骨董を落札しているのも目撃している。しかしかれらはそんな骨董を中国国内のネットオークションに出して利益を出しているというビジネスをしているだけで自分で保有するというものではない。

アメリカ、欧州、日本が中国に生産を委託しはじめて30年以上経過しているのだから、
中国にお金が落ちるのは当たり前なのである。
中国の富裕化に気づいたのは10年ほどまえに杭州の西湖の遊覧ボートで一緒になった北京からきたという若いカップルがキャノンの新型一眼レフを持っているのに驚いたのがはじめかもしれない。

中国に初めていったのは、1980年前後である。
すでに文化大革命も終わって落ち着いていると予想したのだが、北京市内はゴーストタウンのようだった。
あちこちに建設途中でとまってしまった廃墟のようなビル、舗装されていない市内の
交差点のあちらこちら、路上では垢にまみれた人民服の男たちが大声で怒鳴りあっている。
車はクラクションを鳴らしっぱなし。中国人はかなり喧嘩ごしで怒鳴りあう民族だという印象は強い。
みんな自転車にのっており、車はときたましかみかけなかった。天安門広場あたりでだ。
それも紅旗という黒いプレジデントのような政府の車のようだった。
野菜も種類はすくなく、量もすくない。わずかにおいしいと思えたのは、西域のハミウリ。
戦前は高級な骨董店の多かった瑠璃廠(ルーリーチャン)街にいくと、道路は舗装されておらず、やっている店は2−3軒。
置いてあるのはほこりにまみれた硯と筆くらいである。
仕事でいったのだが、肝心の面談予定の相手からの会議の返事がいつまでもこないので
北京市内で待機しているのだが、郊外の明の十三陵や八達嶺(パーターリン)の長城などにいく休日もあったので、一概に悪くもないが、そこの食堂などは外人用とはいえ、
殺風景な感じで料理も投げつけるような出し方である。
当時は外人と中国人は同じ食堂にはあまりはいらず、その理由として、中国人用の店は
ひどく汚い、床に料理をすてたり、つばをはいたり、足の踏み場もないような印象である。
支払も外人は兌換券というもので、中国人の紙幣は垢にまみれしわだらけのひどく汚いものであった。
日本の侵略戦争によるものかともおもったが、戦後35年もたっており、同じ時期焼野原だった東京はすでに近代的な都市になっていたのである。

共産党の独裁政権による弊害と推定したのだが、現在も政権自体は同じなのでそればかりが理由ともいえない。
ただ政権中枢が権力闘争に明け暮れたため、国として外国から信頼されず投資が進まなかったことが理由であろう。

1980年代アメリカのデパートでもショッピングセンターでも商品をみると
かなりの率でMade in China というタグが付いていた。
現在の日本のようでもある。

現在の中国が共産主義なのか、そうではないのかと聞かれれば、共産主義でないことは明らかである。むしろ後世、ソヴィエトとならび共産主義が機能しなかった好例となるだろう。
学生時代、大学の新聞社にいたことがある。
法学部の一年上の学生がいて、私がソヴィエトと中国の共産党はどうちがうんですかというと「君はそんなこともわからないのか?あんなに違うじゃないか。」と民青のメンバーらしいその男は言った。
私がバートランド・ラッセルの話をしていたらラスウェルと思ったといい、ラスウェルを知らないと言ったらまた「ラスウェルもしらないのか?」と馬鹿にされたことをいまだに覚えている。
そういう言い方をする男だった。
ラスウェルを今調べると政治的無関心についての政治学者だったようで、私のnon-political apathy を非難していたのかもしれない。 Harold Roswell というシカゴ大学の教授だったようだ。

それでいまだにソ連と中国の共産党の違いが判らない。
日本共産党とどちらかが仲がよかったり、悪かったりしたので、そんな影響であろう。
派閥が共産党どうしでもあるのは、まるで室町時代の一向宗とかわらないようである。

その新聞会では私の書いたコラムについてのやはり民青系の学生なのだろうか、「こんなノンポリに書かせていいのか?」などとも言われた。彼はその後朝日新聞に入社して中南米担当になったが、私も商社マンとしておなじ時期、中米ニカラグアでバーターによるビジネス開発をしていたのである。彼は「燃える中南米」という岩波新書を書いたが、
私は専門の「天敵戦争の誘い」などという植物防疫の方を誠文堂新社で書いただけなのが癪ではある。
岩波書店にやはり同じ新聞会の彼よりは若い先輩がいて、彼が新書の担当をしていた縁である。この男も民青でそれとは関係ないものの
風呂にもあまりはいらない男で大人になっても体が臭く、それをいうわけにもいかず閉口したものである。
私が岩波に行って天敵昆虫の話を新書で出したいといったら、「虫の話はうれないからやらない」と一蹴されてしまった。
それで誠文堂になったのである。
NHK出版でも「天敵昆虫ウォッチング」という本を趣味の園芸に2年連載したあと
出版したが、若干時代が早すぎたようである。
仕事も忙しいことと、私の知識の浅薄さから、共著の相手のN博士にずいぶんと助けてもらったことではお礼のいいようもないほどである。

話がずれてきてしまったが、いいたいことは、中国は極貧から富裕国に変貌したが、
それは共産主義を捨てたからであろう。
格差がひどくなり、また明末や清末のような動乱になるのではと杞憂しても詮のないことであるが。。

五月雨の中の大和路

大阪駅から大和路快速にのると、八尾をすぎたあたりで、大雨のため、奈良までいけず王子どまりとすると

アナウンス。

スピードを落とした電車から大和川のみずかさが増えているのがよくわかる

橋脚のまわりを濁流が渦巻いている。

普段はあまり水量もないかわなのだが。

ふとこの雨は五月雨だと気付く。

旧暦ではまだ5月なのだ。

五月雨を集めてはやし最上川

の句を頭に、

五月雨や大和の川の溢れたる強き流れに
燕乱舞す

五月雨の雲をまといて伊吹山
富士の高嶺の綿衣

行きも帰りも伊吹、富士とも見えず。

昨晩はミスパール。千日前。大阪と東京の違いにいつもながら驚く。

年配のホステスがいるところは、老人ホームのようだが、それもなかなか良い。

互助精神が必要であろう。

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