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ジョーンズの独り言集です。見てくださいね!

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最も決定的なのは、彼が工場に戻るまで3時間しかかからなかったということだ。
この3時間では保田を殺害するまでの時間的な余裕は全くないと言ってよい。
警察もパトカーを繰り出して工場から産業廃棄物置き場までの時間計測をしたが、『まず不可能』
との結論を下した。
納品先も彼がきちんと立ち会って納品したことを証言しており、不審な様子はなかったとのこと
であった。

納品先から戻った後は、彼は会社から自宅に戻りそこから家にずっといたとのこと。
金曜日の晩は終日家にいて、翌日の土曜日に遥の実家にまっすぐ向かったとのことだ。

彼の妻である遥に言質を取ろうということにもなったが、「妊娠中でもあり」「妻である立場上、
容疑者に有利な発言をするはず。」とのことで揉めながらも結局は遥に出頭を命じたが、
案の定、遥は容疑者のアリバイを崩すような発言はしなかった。
アリバイの鍵を握っているのが妻の遥である以上、アリバイ崩しの発言が無ければ、アリバイ
を崩すような有力な証拠も不十分だった。

彼・吉田巧は当然のことながら証拠を現場(と見られている)産業廃棄物置き場に残していないのだ。
ちなみに、カローラの中から保田が愛用している手帳が発見され、そこには金曜日の夕刻に増田刑事
の手引きで櫛音沢に行くという言葉が手書きで書いてあった。
当然のことながら、増田刑事は「そんなこと、言うわけないだろ!!」と騒ぎたて、一時は
署内がひっくり返らんばかりの騒ぎになったが、どうも犯人が増田刑事の名前を騙っていたという
可能性が高い。

と言うことは、犯人は増田刑事の名前を当然に知っていたことになる。
そして彼・吉田巧は増田刑事の名前を知っているのである。

増田刑事の名前を騙っていた以上、刑事の名前を知っていたはずの彼が有力な容疑者となるのは
間違いないところだが、それにしても決定打とはいえない。
事件を担当していた検事も有力な証拠が出ない以上、48時間という規定の時間を越えて彼を拘束
できなかった。とうとう時間切れとなり、彼は釈放された。
意気揚々と警察署から出ていく彼の姿を見て若い増田刑事は言った。
「……あいつがオレの名前を騙って人殺しをしたのは間違いないのにな!」
そう言って歯噛みをするのだった。

それから一ヶ月後。
事件はふとしたことから解決の糸口が見つかった。
ちょうど同じ頃、県一帯にて不法入国者の一斉取り締まりが始まった。
その時ナイジェリア出身のある一人の黒人が身柄を拘束された。
早速にこの人物の居住する部屋を調べたところ、なんと彼・吉田巧名義のパスポートが発見された。
顔写真は剥がされていたもののパスポートナンバーが彼のナンバーだったのだ。
サイパンのある北マリアナ諸島発行のスタンプが押してある。サイパンは彼の新婚旅行の旅先
であった。

早速、この黒人は取り調べられた。
男は塗装工場に勤務したことのあるマイクの友人で、故国の仲間に売り付けるためにマイクを通じて
吉田巧から当該パスポートを入手した。
パスポート一つ分がナイジェリアでは2百万円で売れるためである。
それだけの金があればナイジェリアでは豪遊ができるのである。
その代わり男は吉田巧の依頼に従い、彼が乗っていた工場の車を途中で代行運転し納品先直前で止めた。
「パスポート一つ分の見返りとしては単純な仕事だと思ったんだけど。」と男は通訳を介して言った。
彼が携帯電話から連絡をしたのがマイクだったのである。
マイクは強制送還された後、これまで貯めていた金で偽装結婚の仲介業者に金を払い、再入国を
果たしていた。そして入国後、個人的に親しかった彼・吉田巧と連絡を取り合っていたという。
マイクは、塗装工場の社長の娘に近づくための便宜を彼・吉田巧が図ってやったことを恩義に
感じていたという。
そして、今回の『単純な仕事』のために仲間を手配し、その上、20万円を彼から手渡された
とのことであった。

なるほど。
以下の仮定であれば今回の犯行の説明はつく。

吉田巧がライトバンの運転を黒人に代わってもらってから、すぐに電車かタクシーに乗ってどこかの
犯行現場に向かい、そこで犯行に及び、その後保田のカローラフィルダーを使って遺体を運搬。
車を乗り捨てた後、産業廃棄物置き場の近くまで迎えに来ていた黒人が運転のライトバンに
再び乗り、最寄り駅にて黒人を下ろしてから急いで納品先に向かうとすれば……。

時間的にはかなり汲々であるものの、決して不可能な仮定ではない。
3時間という時間の範囲であれば、塗装工場から60キロ圏内である
産業廃棄物置き場と納品先とを結んでの殺人は可能なのである。
今回の犯行に無理がないのだ。
黒人の男の証言もそれらの仮定と一致した。
(もちろんこの時点では、櫛音沢での犯行のことはわからなかったが。)

「ライトバンに、黒人の皮膚や指紋などの跡はなかったのか?」
増田刑事は事件を担当していた鑑識に聞いた。
「不思議ですね。それがないんです。」刑事はニャッと笑った。
「……はは、吉田の勤めてる工場は塗装工場だろ?塗装の時に使っている服を来て、手袋を嵌めれば
黒人だろうと誰だろうと臭いは残らないし、跡も残らないだろ?」
「なるほど。」
黒人に確認したところ、観念したようにその旨を白状した。

すべては彼・吉田巧の頭の中で計画された知能犯罪だった。
被害者の車で遺体を産業廃棄物置き場に車ごと捨て、一部区間の車の運転を、パスポートと引き換えに
黒人にさせた上で、自分は電車やタクシーを使用して殺害現地に急行し何食わぬ顔をして殺人に及ぶ。
その後、取引先に納品の上、自分の勤務先に戻る。
何食わぬ顔をして、だ。
「人間とは思えない奴だな。」と増田刑事はひとこと言った。
警察は早速に検事から逮捕状を請求した。

その日。
いつも通り仕事を終え家に帰るや彼はいたたまれなくなった。
人殺しの余韻が尚も彼の内で燻っていて予断を許さないまでになっていた。
遥は妊娠五ヶ月目に入ろうとしていた。わかってはいたが、あまり激しい性行為は難しいことだった。が、別に構わなかった。
『どのみち俺の女だ。所有物だ。おもちゃだ。』

そう思うや彼は玄関で靴を脱ぎ捨てるや、出迎えた遥をそのまま寝台まで抱き抱えようとした。
驚いた遥は「な、何すんの!」と叫んだが、彼は力まかせに女を運び寝台に下ろすや服を脱がせに
かかった。そしてそのまま遥をさいなんだ。
たちまち五ヶ月目の腹と赤黒い乳首が見えたが、それらをぶっこわしたいという欲にかられながら
彼は強く挿入した。いつのまにか遥は抵抗をやめた。
あろうことか遥は、これまでの我慢からやっと開放されたのを喜ぶように口から唾液の糸を引きながら
ひたすらのたうちまわっている。
その妊娠した腹。わざとらしい膨らみ。そこに潜む魔の遺伝。
彼はそれを破壊したいという欲求と戦いながらなんとか堪えた。

遥の声は悲鳴にも似ていた。
当然ながらいつものようにその声は外にまで響いた。
それはどう聞いても折檻をされている時の声であった。
「女が暴行を加えられているようだから救出するぞ!このまま踏み込んで逮捕だ!」
逮捕に来た警官数名がその悲鳴を聞きつけてドアの左右に張り付き、鍵が掛かっているのを確認した。「錠を破るぞ!」
警官の一人がそう叫ぶや工具の入ったバックから五十センチほどの大きなペンチのような物を
取り出した。そしてその先をドアノブに当ててして思う様に捻った。
ドアノブはそのままいとも簡単にポロリとこぼれ落ちた。

彼は遥をさいなんだ。
やがて感極まりのあまり、彼は遥の腹に手を当てそのまま力を入れて押し上げようとした。
そして射精の高みにまで入ろうとした時、遥の腹に手を当てぐいと指先に力を込めようと試みた。
遥の方はそんなことにも気付かずに下半身を痺れさせる快楽にひたすらとろけていた。

今まさに彼ら二人が高みに上り詰めようという時、扉の向こうで警官たちは今にも突入
しようとしていた。

櫛音沢の近くには小さい駐車場があった。
吊橋を撮りに来る観光客を期待して設けられたものなのか。
が、今の時刻は一台も止まっていない。

保田ははたして来るのか?彼はじりじりと時が流れ過ぎていくのを待った。
やがて闇の向こうからサーチライトが光っているのが見えた。光はどんどん伸びてきた。
程なくして保田の乗っているカローラフィルダーがやってくるのが見えてきた。
さすがは官僚さんだ、時間も守っているし律儀なことこの上ない。
そのまま彼は暗がりの中で保田の出方を伺った。

向こう側の暗闇の中でライトが消え、保田が降りてくる気配がする。
彼は額がじとっと汗ばむのを感じた。が、意外にもそれほど緊張しているわけではなかった。
そのうち人が歩いてくる気配が濃厚になる。
すぐ向こうにある吊橋は暗闇の中にどっぷり消えいろうとしていたが、その吊橋に気配の人影が立った。
影の形からして保田のものであるに違いなかった。
後はこっちに来ればいいのだ。

が、保田の影は橋のたもとにいて動かずにいる。
『馬鹿!俺は橋を渡りきった場所で待ってろって言ったんだぜ!』
じりじりとした焦りの中、やはり影は動かずにいる。そのまま三分くらいの時が過ぎた。
保田が電話口での彼の指示を聞き違えたのは確実たった。
彼はさらに舌うちをすると決然として闇に叫んだ。
「……保田さん!こっちですよ!こっちに来て下さい!」
若い増田刑事の声を真似たつもりだったが、なぜか痰がからんで声にならなかった。
向こう側から保田の声がした。
「刑事さん!そちらこそこっちに来てもらえますか!」
『なぜだ?』彼は絶叫したくなるような衝動に駆られた。
保田はなぜか慎重になっている。
その時彼は思った。
『あ、駐車場に車がないからだ。』
せめてパトカーの一台でもあればこの男は警戒を解いていただろう。
が、当然にあるはずの警察の車がないということに奴が罠の匂いを感じとった可能性はある。
でなければ刑事に向かって、こっち来いなど言えないであろう。

彼は少し深呼吸をしてから言った。
「……わかりました。すぐに行きます。」
もう決めた、行くしかない。
彼はそのまま暗がりの中から立ち上がると顔を下に向けたまま早足で吊橋に入った。
橋は幾重ねにもワイヤで吊られているので、一人が渡ったところでびくともしない。
が、彼は早足で行きながらも肉体の揺れを微妙に感じた。
片手には大きなハンマーをにぎりしめている。
背中に回したままである。
そして吊橋をわたりきったところで顔を上げた。

目の前に保田がいた。その保田がまるで宇宙人を見るような目で彼を見た。
彼は背中に回してあったハンマーを再度握るとそれを思いきり振り上げて精一杯の速度で
保田の頭目掛けて打ち落とした。
保田は一瞬硬直したように立ちすくんだ。手応えはあった。
が、瞬間、保田の両手が伸びてきて彼の頭をつかもうとした。
『そんな!』
彼が叫びにならない叫びをあげようとした刹那、そのまま保田の体は彼の方へと傾いていった。
やはり打撃はあったのだ。
その体を彼は両腕で受け止めるや、すばやく後ろに回り込んで頭部を握り、そのままゆっくりと
保田の喉仏を絞めた。
ほとんど抵抗の力は残っていない。
奴の体から急速に力が抜け、やがてがくりという感覚が彼の両腕に伝わった。
脈拍は無い。小便も洩れている。死んだ。保田は死んだのだ。
顔を見ると、目をカッと開いて天空を見ていた。鼻汁が出ている。
『……やってやったぜ、誠。』
どうしようもない快感が彼の五体をさいなもうとしていた。
が、感慨に浸っている暇はなかった。

彼はすぐに保田のズボンとシャツの中をまさぐった。金と、車のキーだ。
財布はすぐに見つかり、彼はそれを自分のズボンに突っ込んだ。キーケースはすぐにズボンの左ポケット
から見つかった。
『よし!これさえあればいい!』
後は保田の重い遺体を引きずりながら駐車場に出た。
拙劣な段取りであるにかかわらずここに至るまでまだ一人の人間にも会っていない。
そう。
『保田の車のキーを見つけること』と『誰一人として吊橋には来ない』という偶然的な要素が
なければ、彼の立てた計画犯罪は成立しないのだった。
彼は神に感謝しながら車にキーを差し込みトランクを開けた。そしてそのままエンジンをかけた。

保田の車を使って遺体を運ぶのも計画のうちなのだ。
彼は車のトランクに保田の重い遺体を入れた。
『腕が吊りそうだ。』
そう心の中でぐちりながらも頭の中はめまぐるしく回転していた。

遺体と車を捨てる場所はかねてから目星をつけていた。
隣の市内にある産業廃棄物置き場だ。とにかくここまではうまく行った。
彼はエンジンブレーキを放すとそのまま駐車場を後にした。


……保田の遺体は6日後、翌週の木曜日に発見された。
かねてより産業廃棄物処理場近辺は野犬が出入りしていた。
犬たちの嗅覚が血の臭いを嗅ぎ取り、放置されてあった遺骸の部分部分を食いちぎった。
そして野犬たちが死体の肉を口に加えながらあちこちに移動したからたまらない。
その遺体の一部が人間の足先の部分だった。

産業廃棄物を運搬していたトラックの運転手が、処理のために野犬を追い払おうとした時に
その口もとからどうも人間の足の指らしいものが見えているのを認めた。
最初、何かの冗談かと思ったがそれにしてはあまりにリアルだった。
せっかく取った餌を守るために今にも飛び掛からんばかりに見えた野犬に向かって運転手は
産業廃棄物から拾って手にした蛍光灯の先を翳したところ、餌を思いきり噛んだ犬の足元に
それら足指がこぼれ落ちた。
野犬に襲われるかもしれないという恐怖感の中、犬が咥えていた餌を人間の足先だと認識する
までの運転手の心境の変化といったらなかった。
悲鳴を上げた運転手が本能的に携帯電話を取り上げて110を押した。
飛び掛からんばかりの野犬に蛍光灯を必死に振り回しながら現場の所在を告げたことにより
この人物は後で表彰されることになった。


警官たちは丁重に遺体を取り扱い、近くに「散らばっていた」残りの部分をかき集めた。
内臓はほぼ食い散らされたが、顔面が繋がった胴体が見つかった時、たまたま捜査に加わっていて、
以前、誠の事件を担当していた中年の刑事がそれを見てアッと唸ったのである。
「……これは先日の怨恨事件の被害者の顔だぞ!」

保田のものと推定されるカローラフィルダーもナンバーを外された形で置き捨てられていた。
明らかに殺人事件だった。
警視庁では早速に捜査班が結成された。
捜査線で当然ながら有力な容疑者である「吉田巧」の名前が浮かんだ。
早速彼に出頭命令が下った。
『遺体が見つかるのが早かったな。』
野犬の存在は計算外のことであった。
彼は舌打ちしながらもおとなしく出頭することにした。

頭の中で事前に話すことを考えていたものの、警察での拘束経験のある彼はかえって度胸が座っていた。入れ変わり立ち代わりで刑事たちは彼を責めたが、彼の表情は変わらなかった。
彼は綻びが出ないようにと必死に自分を守った。

そんな彼にはアリバイがある。
(金曜日の殺害の後)彼は土日は隣県にある遥の実家に宿泊していた。
終日、遥の実家にいたとのことだが、その途中で殺人のために抜け出たかどうかが一応の焦点と
なった。念のために遥の両親に聞いたところで「いえ、ずっとおりましたよ。」とのことだった。
が、この証言はあてにはならない。
実家付近の近所の聞き込みでも彼が出歩くのを見ていない。
それでも彼が遥の実家を抜け出て犯行に及んでいた可能性は否定できないが、まずは大ざっぱに
土日は『白』とした。
そして日曜の夜にはまっすぐに自分のアパートに戻ったとのこと。
遥の実家から彼のアパートまでのアリバイはいちおう『白』。
遥の実家を二人が出ていくのを見た者の証言と、彼ら二人がアパートに戻って明かりがつくのを
見たという証言で裏付けがとれた。
時間的にも無理がなく、彼がアパートに戻った後に家を出たという形跡もなかった。
月曜日から水曜日にかけては塗装工場で働き、残業もこなした上にまっすぐに家に帰ったとのことだ。
疑えばきりはないが、決定打となるような証言はない。
また遺体の腐乱状況からして月曜日〜水曜日にかけての日も『白』と見るのが妥当だった。

問題は保田が失踪した初日である金曜日だった。
確率から言えば保田はこの日に殺害された可能性が最も大きい。
この日、保田は警察からの調査依頼ということで、勤務先の上司に半日休暇を申請し
それを取っている。
そして、この日には吉田巧容疑者は以前から工場長から頼まれていた、車両での納品の仕事をしていた。これは彼にとっては初めての業務である。
が、この業務は以前から予定されていたものだけに、今回の殺害計画の一環として組み込みやすい。

工場から櫛音沢までも片道30キロと近い。
この日、社用車であるライトバンに品物を詰め込み、納品先までの約60キロの距離を彼は往復していた。もう一度言うが、保田が金曜日の晩から姿を消していることから金曜日に殺害された可能性が大である。が、それにしてはその車には何の血痕やDNA反応もなかった。
保田がどこで殺害されたのかも不明であるが、産業廃棄物置き場で殺されたとしてもライトバンの
車両跡がどこにも見当たりがなかった。
どう見ても保田のカローラフィルダーが犯行に使われた可能性が大。
ちなみにカローラには吉田容疑者の指紋はなかった。

職場に戻った彼のことを工場長は何食わぬ顔をして迎えた。
「よっ!お久しぶり!誠は元気だったか?」
その声を、彼はまるで最初から聞こえなかったかのようにして憮然として配置につき
いつもの塗装を始めるのであった。

家に帰れば妻が待っていた。
まるで何事も起きなかったかのように笑顔で彼を迎えた。
「いいんじゃない!ちょっと旅出たと思えば。」
そう言って微笑むのであった。
気持ち腹部が少し膨らんでいるようだった。
それを見て急に彼は親としての自覚が生まれた。

が、一方で彼の頭の中で保田に対する敵愾心が燃えた。
『あの野郎。』
一度会っておく必要がある。
どのような形であれ彼のことを容疑者扱いにするような証言をしたのだ。
このままにしておくつもりはない。
『おとなしくしてろって?そんなことできるわけないだろ!』
自分の中でくすぶっている何かを解き放たない限り、自分は他の形で何らかの危害を他人に
加えるだろう。
遥との幸福な日々?
それは彼の凶暴な欲が満たされない限り今後ともありえないだろう。
『それがサディストってものだ。俺は保田を殺る。』

そんな時、彼は工場長から初めて得意先への納品の仕事を言い使った。
この時、彼の頭の中で何かが高速の光を放った。
ひらめいた。
「これで行くか!」

彼は紙面に計画のようなものを書き記すといつになく思案した顔になり、そこに幾つかの要点
を書きこんだ。彼がこれからすることがばれてしまっては元もこもない。
彼は渾身の智恵を絞って考えに考え抜いた。
そうした上で携帯電話を取り出しておもむろに通話を始めた。
「……もしもし。ハロー、オレ、吉田だけど。久しぶり。」

このような事件があったせいで短大のソフトボール同好会は半分解散状態で土日の河原沿い
の練習もなくなっていた。
保田の手掛かりを得ようにも婚約者である美沙子の居所がわからない。
唯一の手掛かりといえば保田は経済産業省に勤務しているということくらいだ。
電話をしてみるか。彼は少し頭を捻った。
保田を呼びつける方法を考えているのだった。
保田のフルネームは検察で諮問を受けた後の略式裁判を受けた時に聞き、裁判官の口頭から
聞いて頭の中に残っている。
彼はネットカフェに行って経済産業省の代表番号を調べると、やにわに携帯電話からかけてみた。
「……もしもし○○市警察署で刑事をやってる増田ですけど。」
これは先日工場にやってきた若い方の刑事の名前だ。
彼には、今なら保田は警察からのどんな呼び出しにも応じるはずだとの直感があった。
「そこに保田ナオキさんという人間が働いてると思うんだけどさ。呼び出してもらえませんか?」
幾秒か過ぎた。
が、返ってきた返事は、「保田は今出張中ですが、明日戻りとのことです。」とのことだった。
民間企業ならそこで「ご伝言でも承りましょうか?」と来るだろうが、さすがは中央官庁で
あとは素っ気ない対応だった。
彼はそこで電話を切り翌日あらためてかけてみた。保田はすぐに出た。
「もしもし。」ああ、懐かしい声だ。
彼はつとめて増田刑事に似たような声を出そうとした。「もしもし増田です。」
ダメだ、全然似てない。少し冷や汗がでた。ちょっと間を置いてから保田は答えた。
「……お久しぶりです。その節はどうも。」奴は気がついていないようだった。
ここで彼は一息ついて保田を罠にはめるためにかねてから考えていたことを話すことにした。
「お忙しい中、急にすみません。実は、先日の事件で、加害者が美沙子さんに危害を及ぼすため
に使っていたナイフが櫛音(くしね)沢というところで見つかりましてね。それに、あなたの指紋
があったんですよ。」
受話器の向こうで絶句しているのがよくわかった。

実は彼が住む市の隣町の一画に吊橋が掛かっている沢があるのだ。
櫛音沢とはその名のとおり沢であった。水の流れの音が櫛の歯を引いたような音がするという
のが名前の由来だ。
沢といっても清流の沢ではない。
少し生活排水に汚れた流れの沢である。
が、この沢にかかる吊橋と周りの緑がえもいわれぬ景色となっている。
ちょっとした絵葉書の風景なのだ。
よくも都心からそれほど離れていない場所に沢が、と思う。
よく東京都内からは映画やドラマの撮影のためのクルーが来て、写真家たちの格好の撮影対象
となっておりちょっとした町の名物だった。
「……ですが、そこをよく調べましたところ、容疑者があなたの指紋を使ってあなたを痴情
もつれの殺害犯人に仕立てようとした形跡が見られました。現場検証に立ち会っていただきたい
のですが。」
彼の言葉に対して保田は反論した。
「それが?別に私が行かないでも検証できることではないでしょうか?」確かにそうだ。
が、彼は言った。
「検事からはあなたに物証の確認のために現地に直接に確認に行くようにとの指示が来ております。」
実際そんなことを言い出す検事などいるわけないのだが、彼はあえて押しきった。
「……そうなんですか。」
保田が動揺してきているのがわかる。当たり前のことだが。そこを彼はさらに押した。
「……非常に言いにくいことなんですが、今はあなたにも嫌疑がかかっているということをお忘れなく。
もちろん明白な『白』だとは思いますが、もしもご協力いただけないということであれば、あなたの
上長にも相談させていただきますよ。」
やり過ぎかと思うくらいに強引だったが、保田はすぐに「わかった、わかった、わかりました。」
と連呼した。
彼は「では恐縮ですが、今から申し上げます日時にあなたの方から来ていただけますか。
櫛音沢の場所はこれから申し上げます……場所は……」
時刻は今週の金曜日の夕刻5時きっかりである。場所の詳細も説明した。
保田は言った。
「平日は当然に公務があるんですが!」
奴は公務という言葉に力を込めて言った。そこを彼はさらに押しきった。
「わかってます。が、こちらも公務なんです。と言うことでまことに勝手ながらあなたには半日の
休暇を申請していただきます。5時きっかりに櫛音沢の吊橋を渡ったところでお待ちください。」
櫛音沢の吊橋を渡りきるという点を強調した。
「いいですか、渡り切った場所で、ですよ。」
保田はとくに怪しむという気配を見せず、またもや「わかりました。」
彼は最後に一点を強調した。
「……実はあなたの使っている自動車も嫌疑の対象になっております。当日は、必ずや、お車で
お越しください。」


そこは隣町の集落へと続く登山道となっている。
緑濃く夕刻にもなればほとんど人通りはない。
そのことを彼は地元に近い場所であるだけによく知悉していた。
小さい頃親に連れられてよく遊びに来たっけ。
吊橋の向こうは森になっていてそこは夕方になると「幻のオオカミ」が来るとまで言われていた。
もちろんここに来るまでに事前の下見はしていた。
相変わらずに暗い森が広がり夕方になると人通りはほとんどない。
隠れた名所なのだ。
保田が来たら、人目を盗んで奴の背後に回り鈍器でぶっ叩くか、首を締め上げるつもりだった。
ここに来るまでの間、彼は何度も何度も今回の殺害計画はまとめあげた。後はそれらがうまく回れば
いいだけだった。
『それにしても俺はこれから人を殺そうとしているのだ。しかしなぜ?』
そう。しかしなぜ?だ。別に殺すようなことではない。
保田に対する強い憎しみはない。
が、保田を殺さないことには自分の中の憤激に似た衝動を殺すことができなかった。
たしかに遥は彼の中の何かを解き放ったのだ。
『美沙子の奴はどうしたのかな?』
その後、何も聞いていないし、どのみち興味はなかった。
顔面を傷つけられたというのはいい気味だった。誠もよくやってくれたと思う。
どれくらいの深手なのだろうか。整形でもするのだろうか。おそらくは手術をするだろう。
間違いない。保田の愛は変わらないのだろうか?
予定通りに結婚するというのか?傷のある女と?

いや、傷があろうとなかろうと保田は女と結婚するに決まっている。
奴は目的に向かってまっしぐらの男なのだ。
そうやって甲子園へ行き、有名大学や中央官庁への入口を手にしてきたのだ。
それを思うだに彼はやはりここで保田を殺すしかないと思うのだ。
『なんでもかんでもあいつの思う通りにさせてたまるかよ。そういう人生がムカつくんだよ。』

妊娠発覚後の遥との営みは淡泊なものであった。
激しい性生活を求めようとすると遥はいつも妊娠していることを楯に取って断るのであった。
「ごめんなさい、赤ちゃんが生まれるまで我慢してくれる?私、骨盤がしっかりしていない
みたいで流産しやすいみたいなの。だから今後は口でしかできないと思うのよ。」

『この女は何を言っているのだ?』
赤ん坊のことを言われると彼はそれ以上何も言えなかった。
しかたないので遥の口の中に欲汁を流しこんでその直後に烏龍茶を飲ませた。
「生まれてくる我が子に栄養を与えなければな。」と言って。
が、そんなことで彼の欲が満たされるわけではなかった。
そのかわり彼は夜ごとに遥の腹を裂いて血に塗れた胎児に見入っている自分の姿を思い描いた。
その図が残虐であればあるほど彼は陶酔を感じるのであった。

朝起きる度に遥はすでに起きていて、ニコッと微笑み朝食を差し出した。
『こういう生活を俺ははたして本心から求めていたのであろうか?』
彼はチカチカする疑問詞にしばし戸惑いを感じた。

そんなある日、彼は警察署からの出頭依頼を受けた。
三日後の日曜日の午後だった。
『なんだろ?』
誠のことは気にかけないでもなかったが、今は当然に工場を解雇となっており、
彼も日常の忙しいのにかまけて忘れていた。
所詮はその程度の付き合いだったというのか。
警察署からは一方的に日にちを指定され、迎えの車までよこすとのことだったが
そんな強引さが気にかかった。
誠が何か不用意なことを話したというのだろうか?

気が重いながらも彼は遥に出かける旨を話した。
警察署に行くや先日会った若い方の刑事が出てきた。
二人は署内の三階にある取調室に入った。
何気なく部屋に入ったものの扉に鍵をかけられたのが気になった。
案の定、途端に刑事の顔は厳しくなった。
眼鏡のフレームがきらりと光り、低い鼻先がぴくっと動いたのだった。
着座するなり刑事は言った。
「……いやなにね。被害者の保田さんからあなたが数ヶ月前にソフトボールの練習に参加した
ということを聞きましてね。」
彼は答えた。
「ええ。それなら誠に連れられて見に行ったという程度のことっすよ。」
刑事の目が光った。
「その場でね、誠君がね。事前にあなたに盛んに保田氏の殺意のことを仄めかしたと言ってるんだよ。」
は?と彼はわけがわからんという顔をした。
「……それはでたらめでしょ?誠が錯乱して言った言葉でしょ?そんなこと、俺は言ってないよ!」
刑事は薄ら笑いを浮かべて言った。
「でも誠君は確かにそう言っているんだよね。あなたから殺すように言われたってこと。」
「だからどうしたって言うんですか?」
「つまりあなたは今回の事件をあらかじめ知っていたのでは?ということですよ。」
「そんなわけないでしょ!」彼はカッとなって叫んだ。
「が、誠君は内々にあなたに今回のことを話したと言っているの。これどう思うの?」
「だから聞いてないって!」堂々巡りだった。
「誠の勘違いてしょ!なんでこんなことで自分を呼んだんですか?」逆にそう質問した。
すると刑事は「いやなにね。あんたが誠君に今回のことを教唆したんじゃないかって疑いが出てき
たんでね。」そう言って薄い唇を開いた。
「保田氏に当日のことを確認したところ、あんたがソフトボールの練習時に保田氏の目前でした行為は
普通のことじゃないよね?あれは事前の殺意の現れじゃないのかね?」
え?という顔をして彼はあの日のことを思い出そうとした。
いや、あの日は俺は保田のことを睨みつけただけだ。何も危害を加えちゃいない。
「違う、違う!俺は、奴を睨んだだけっすよ!」と彼は首を振って否定した。

が、刑事は「どういうことであれ、被害者を睨みつけたということに、誠君が言っていた
殺害教唆の意思が汲み取れるんだけどな。保田氏もあんたの目付きはただもんじゃなかった
って証言してたよ。」と言い、
「実はもう検事から逮捕請求が来てるんだよ。」と付け加え、凄みのある眼つきで彼を見た。
「とにかくあんたは今逮捕されてんの!」

途端に奈落の底に落ちていくような感覚がした。
誠が出まかせを言うなんて!
それに保田はなんてことを言ったんだ!刑事はインターフォンに手をかけた。
「おい、『宿帳』の準備をしてくれ!」

その日彼は警察署の留置所に入れられた。
7留置所だけに当てられている階があってそこには幾つもの部屋があり、土間の上に畳敷きと
なっておりそこに二、三人ずつの人間が寝そべっている。
誠のいる部屋はすぐ近くのはずだった。まず彼は大部屋に入れられた。
そこにはすでに『先客』が2名いた。
部屋に入れられるやスライド式の鉄格子に鍵がかけられた。
呆然と立ちすくむ彼に向かって先客の若い男二人が座ったまま会釈をして
「どうぞ座ってください。」と彼に畳の縁を示した。
二人とも礼儀をわきまえている人間らしかった。

若い男二人のうち一人は八の字髭で眼光鋭いがっしりとした男。
もう一人が坊主頭で小柄で目の細い男だった。彼は軽く頭を下げた。
それからしばらくの間、三人の男たちはこれまでのことについて語りあった。
先客の二人とも暴行による逮捕だった。八の字髭は集団リンチ事件に連座して逮捕され、
坊主頭は中古車取引でのトラブルを巡り相手のディーラーを袋叩きにしての逮捕だった。
彼が冤罪でここに連れられてきたことを話すと、坊主頭の男が誠が同じ署内にいることも明かした。
すると八の字髭の男が「あ!みっちゃんと同部屋の人だね!」と思いついたように話した。
「だけど、ここの棟と離れた建物に入ってるんだよね。」と説明した。
彼は言った。「連絡をとるのは無理だよね?」
八の字髭が答えた。「まあ、基本的に無理だよね。ただ。」そこで咳ばらいが入った。
「別の棟に人が移る時に何らかの伝言を伝えることはできるよ。もっとも、これは警察の人間の
知るところじゃないけど。」
彼は聞いた。「それはつまり?」
「つまり、ここの棟で部屋の誰彼と気まずくなっていざこざが起きると、警察側の配慮で棟を
変わることができるんだ。その時に入れ変わりに別棟からこちらに移動してくる男が出てくる
場合があるんだが、たいていは一日遅れでこっちに来る。だから、こちら側から向こうに行く男
にそっとメモがなんか渡せば向こう側との連絡ができるんだよ。」
坊主頭が言葉を継いだ。「まあ、ほとんど神業に近いことだよね。」
あとはしんと静まりかえった。

食事は朝昼晩と定期的に出た。
仕出し弁当で揚げ物ばかりだったが、思ったよりも豪華だった。
カップの味噌汁もついた。
三人は食事の度に黙って弁当を貪り食った。
換気のために外へと開く窓が開けられる時があるのだが、そんな時、遠くに街の明かりが見える。
三人の視線は自然、その明かりに吸い寄せられるのであった。彼は思った。
『遥は心配してるだろうな。工場の奴らはどうしてるだろうか?』
首になる心配はなかった。彼自身は無実なのだ。
それに少々の暴力事件くらいで解雇などはしない工場だ。
みな、なにがしかの前科があるのだから。
そうは思ってもこのまま無実が証明されないことには検事から起訴を受けてしまう。

留置された日の翌日に早速彼は警察の護送車に乗せられて検察庁に連れられ、そこで担当検事
から事情を聴取された上で別棟の裁判所で略式裁判を受け、そこで十日間の拘留が決定された。
もしこの十日を過ぎた場合、彼の身柄はそのまま検察が預かり本格的な裁判へと通され罪状が
固められてしまう。
無実なのに冗談じゃない!

夜寝る時もなかなか寝付けなかった。
意外なことに彼が拘留されている警察署では睡眠薬を用意していた。
彼は夜勤の警官に頼んでは錠剤を口にして苦みとともに深い眠りへと入るのであった。
そんなある日、坊主頭の男が言った。
「……実はお願いがあるんだけど、もし聞いてくれるのならオレ、あんたとケンカしたってことに
して向こうの棟に移るのを申請したっていい。」と言ってきた。
話を聞くとこうだ。
坊主頭の男はやくざから飲食店の経営を任されているが、自分が捕まってから経営が左前に傾いた。
そこでもし彼が釈放されたら、代わりの経営者となる人間に渡りをつけて欲しいというのだった。
「え?そんなことできるのか?」
半信半疑だったが、ここはこの話に乗ってみるしかなかった。

その日の晩、彼は八の字髭の男にも言い含めて坊主頭の男と激しい口論を始めた。
すぐに警官が来たが、いかにも『またか』という顔だった。
トラブルは日常茶飯事らしい。
誠宛ての彼の伝言メモを持った坊主頭は、出ていく時にニャッとして彼を見た。
メモには彼の字で『どうして殺害教唆なこんなデタラメな証言をしたのか?すぐに取り消して欲しい。』とだけ書いておいた。
翌日、別棟からの移動があった。痩せぎすの背が高い男だったが、部屋に入るや彼に
伝言メモの紙を渡した。それは折り紙の兜の形にして折ってあった。
彼はちらっと痩せぎすの男の顔を見て、メモの折り目を調べたが、とくに読まれている形跡は
ないようだった。彼は兜を開いた。
『兄貴、ごめん。保田を殺すつもりだったけどできなかった。兄貴には悪いことを話したけど、
他意はなくて、兄貴にこっちに来てもらって俺の無念を感じてもらいたかっただけなんだ。
これから兄貴の無実のための証言を弁護士通じてやるから、たぶん兄貴は釈放されると思う。
で、代わりにあいつに復讐して欲しい。それはつまりあいつを殺すということ。大丈夫。
兄貴ならそれができるよ。だって兄貴はサディストなんだから。』

あいつとは間違いなく保田のことだろう。
メモはここまでだったが彼は何度も何度も読んだ。
殺し屋とサディストは違う、と彼は思わず言おうとした。
何を勘違いしているというのだ。
痩せぎすの男は「せっかくメモを持ってきたんだから俺の頼みも聞いてもらおうかな。」
と横で言っていた。
が、彼はこの男の願いはおろか、坊主頭の男も聞いてやるつもりはなかった。
十日の拘留期間が過ぎ、彼は検察庁に身柄を引き渡されることになった。
これはつまり彼はじきに釈放されるということであった。
「よかったな!おめでとう!」八の字髭もやせぎすも喜んでくれた。
そして、あらためて釈放後の用件を幾つも頼まれた。
彼はそれらを聞くふりをしながらも全部心の中で消去した。

『誠の奴、発言をひっくり返したんだな!』
そう彼は思った。
事実、誠は、彼が保田と美沙子を襲うように教唆したとの発言を土壇場で勘違いとして取り消した。
口裏合わせの疑いがもたれたものの、彼が保田に対して単に睨んだだけのことであったし、まして
や犯罪を教唆したということでの物的証拠はまるでないのであった。
こうして彼は釈放された。
検察庁の玄関に少しだけ腹のせり出た遥が青白い顔をして立って待っていた。

工場はまるでその日は仕事にならなかった。
社員一同、口々に「誠の奴、一体どうしたんだ!」と騒ぐ始末。
社長の方も工場長に何かと聞くが、工場長の方もわからない。
刑事との応対はすべて工場長がやったが、そのうち社長が事務所のテレビでワイドショー番組の
チャンネルを回したところ、近隣の都市でこの事件があったという報道があり、なんと誠の顔が
ドアップで画面に写し出されたのであった。
テレビを見るために詰め掛けてきた誰もが声を失った。
「この会社のことも映されるんじゃ!」社長はそう真剣に心配した。

誠の身柄は今、警察署の留置場に拘束されているということであった。
先ほど工場長が刑事に聞いたところ「誰か面会に行ってもいいんですか?」
との問いに、「それは問題ない。」とのことだった。
「俺か社長が行かないとな。」と工場長は独り言のように行った。
が、ふと彼の方を見て「吉田!おまえが行け!」と言った。
「俺は納品先との打ち合わせがある。おまえは誠と仲がいいからおまえが適任だ。」
不意のことだったので彼は虚をつかれた形になったが、咄嗟に「はい、わかりました。」と答えた。
心中では『よかった。誠に会える。』と思ったのだが。

その日の午後、彼は誠が拘束されている警察署に出かけた。
署は市内の北西部の田園地帯にポツンと立っている。
五階建てのコンクリートの塊のような建物だ。
悪人など来そうもない場所だ。
彼は市内バスで警察署前に下り、そのまま受付に面会の旨を伝えた。
受付の用紙に名前、住所、それから被疑者との関係を認めのために免許証の提示を求められた。
その後待合室にて待たされ30分後ほどになってようやく面会場所に通された。
そこまでの間、初老の係官が付き添い、暗く長い廊下を渡り、非常灯だけがついた一つの部屋
の前に立った。
「じゃここで。」と言うので扉が開けられるままに中に入った。
そこはがらんとした部屋だった。すぐ前に机と椅子が置いてある。
その向こうに仕切り硝子が嵌めてあった。
さらにその向こうにも机と椅子があるのが見える。

しばらく座って待っていると向こうの扉が開き、誠が入ってくるのが見えた。
同時に彼は立ち上がった。
誠はすっかり青ざめた顔をし、口の周りを不精ひげに覆われていた。
目は血走っている。誠の後ろには係官の男がいて時間を計測しているようだった。
不用意なことは話せないなと思いつつ彼は腰掛けた。
誠も座った。目はうつろで彼の方を見ようとしなかった。
彼は誠の顔を見ながら口をきった。ところが気の利いた言葉が言えない。
「……なんだか盛大にやったそうだな。」
誠はようやく顔を上げ、青白い顔のまま答えた。
「ええ。あれくらいやらないと後で後悔しますからね。」
口調は意外としっかりとしていた。
「でも大層なことだよな。二人とも生きているけどな。」
彼がそう言うと、誠は急に早口になって話し出した。
「保田の野郎については最初から殺すつもりだったんで残念でした。
奴がやたらと腕を振り回したし、腹目掛けてナイフを突き出しのに奴の胸板に当たって肋骨で
刃先をくじかれてしまったんです。その刃先が肩先に当たったんですね。」
事件の核心に入るような会話だったが、誠の後ろにいる男は顔を上げずに天井を見つめている。
聞いているのか、聞いていないのか……。
彼は問うた。
「誠、これからどうなるんだ?」
「まずは検事のところに行って十日間はここで拘束されることになりましたから、一通りの
取り調べをここでやってからまた検事のところに行ってそこで罪状なんかの言い渡しがある
でしょうね。」
あまり恐怖感を抱いていない様子だった。
「保田を最後まで追い詰められなかったのは残念だ。」となおも言った。
誠は饒舌だった。青白い頬にほんの少し赤みがさした。
「オレはこの先どこかの刑務所に行くことになるけど、兄貴、オレのこと、忘れないでいて。」
その言葉が彼の胸に突き刺さった。
彼は「ああ。」と言うのが精一杯だった。胸に熱いものがこみ上げてきた。
後は、職場の話をして社長や工場長がショックを受けていると話した。
最後に誠は言った。
「兄貴、オレの無念を晴らしておくれ!」
そして静かに目配せをした。

誠は再びうなだれて外へと出た。その寂しい背中を彼は黙って見送った。
『つまりこれは誠に会うのは今回が最後ということだ。』
その厳然たる事実。
あとは彼は自分の幸せであるはずの日常に戻ればいいだけだ。
それでいいのだ。それで。

彼は無理矢理に味醂を飲まされたような顔をしなから警察署を後にした。
時が過ぎるのは早い。
それから三ヶ月が過ぎた。いつのまにか季節は冬。十二月だ。
誠がいなくなった職場は何の変わりもなく稼動した。
皆が騒いだのは最初の一週間だけだった。どこのマスコミも工場を訪れなかった。
彼らにしてみればどうってことのない事件なのだろう。

家に帰れば遥がいた。屈託のない顔をして彼に抱かれるのを待っていた。
狭いアパートには、いつのまにかサドとマゾの二人を満足させるための小道具が散乱していた。
そのいずれも遥の肉汁に汚れていた。
それらは肉汁がついたまま放置され時には異臭すら放ったが、そんな臭いをかぐ度に新たな遊戯
を始める二人でもあった。

ある日の帰宅後、遥は言った。
「……私、妊娠三ヶ月よ。」
彼は放心したような顔をして再度聞き直した。「なんだって?」
「だから妊娠三ヶ月なの。」遥は無邪気な顔をして彼の顔を見つめていた。
彼はなおもわけがわからなかった。
遥は一人嬉々としている。
その笑顔にほだされたかのように彼は微笑んだ。
『俺は、この俺は、父親になるのだ。』

それは不思議な感覚だった。
さんざんに気持ちいいことをして中で出しまくってその揚げ句に妊娠するのだ。
しかも気持ちいいことをしまくった男が孕むということではなく女が一方的に負担するのだ。
彼はこうも思った。『俺は幸せなのだ。そう。俺は。』
そう思ってから遥の肩に手を置こうとしたその時彼女は言った。
「ごめんなさい、赤ちゃんができたとわかったから、これからは優しくして欲しいんだけど。」

妊娠を告げた日から遥は変わった。
彼の激しい求めを露骨に断り始めたのだ。
それまでの遥とはまるで人が違ったみたいな変わりようだった。豹変したのだ。
挿入はおろか前戯までにもあからさまに嫌な顔をし始めた。
それに対してあろうことか彼は強い態度に出ることができなかった。
主客逆転とはこういうことか、と彼は思った。
さらに時は過ぎた。
遥の腹がぽっこりとふくらみを見せ始めた。
『今、俺は幸せなのだ。幸せなのだ。』
無理やりにそう言い聞かせながらも、彼は自分の心が乾いているのを感じた。
遥に暴力的な性行為を強いることのできない自分。
その遥は自分の子供を宿している。

今こうして幸せであるはずの生活を手にしながらも、たちまち彼は鬱屈した欲求に苦しめられた。
それは『思うさま他人をぶちのめしたい』という欲求であった。
今までは遥を激しく抱くことでそういう欲求が弛緩していた。
今までは満ち足りたライオンだった。が、今は飢えているライオンだった。
遥が拒み始めるとにわかに残酷な欲求が出てくるのを押さえることができなくなった。
そういった欲求をここまで肥大させたのは他ならぬ遥であった。
そして今、遥と結婚して豚みたいに安楽な生活を手にしている自分にそこはかとない怒りを
感じるのであった。

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