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 『闇彦』というタイトルから、私は何かしら、神話の暗部だとか秘事だとかに沈潜していくような、追い落とされるような、そんなおどろおどろしい物語を想像していたのだけれど、実際に読んでみると、文体も展開も意外なくらいにあっさりしていて、水の上をたゆたうような印象のなかで読み終えることが出来た。
 
 日本の神話とまるで無関係なわけではない。秘事、謎といったような日本神話であまり深く語られてこなかった部分に、「海彦」「山彦」らにとっては三人目の兄弟であったかもしれない「闇彦」なるものの存在が見え隠れしており、その「闇彦」が、主人公の「私(弓彦)」の人生にも、時おり顔をのぞかせる。そして、その「闇彦」に関わる者たちは何故か皆、類まれなるストーリーテラーであり、人は、人類は、なにゆえかように物語を求めてしまうのかというテーマのもとに書かれているのが本作品である。
 
 私(弓彦)が、自分と闇彦との関わりを意識し始めたのは、物心がついて直ぐの頃からであった。双子の弟・吉彦が三歳で病死してからというもの、お守り役のお婆あが語る言葉の端々に、闇彦という名前が出てくるようになったからである。弟の吉彦は死者ではあるが私とともに同じように成長しているらしく、お婆あは「吉(よ)っちゃん、吉っちゃん」と呼びながら、死んだ弟のことを語る。時に「庭に来ている」と云い、「大きくなって、七五三でセーラー服を着ている」と云う。そして、それらのことは闇彦が教えてくれるのだ、とも。私は、眼には見えない闇彦なるものの存在があって、それは死者に関わる何かなのであろうと漠然と考えるようになる。
 
 小学六年生の時には、舟宮稲子(ふねみやいねこ)という物語の上手な女子と出会う。彼女は普段は目立たないのに、色々なお話を級友たちに話して聞かせるときだけは、皆を惹きつけてやまない不思議な魅力を発するのである。頭の中に入っている物語は数限りなく、そして人の死ぬ話が多くを占めていたようだった。そんな稲子は、学芸会で舞台に立ち、物語をするという大役を果たしてしばらくした後、不意に病死してしまう。葬儀は新潟県の海辺の村で執り行われた。私はクラスを代表して彼女の葬儀に出席し、馴染みのないしきたりに少々面食らいながらも、そこでまた闇彦の存在を感じるのである。薄闇の中で一本の蝋燭を手から手へと受け渡しながら、蝋燭を持っている者が故人について、短く静かに思い出を語る。浜辺で死者を納めた棺を筏(いかだ)に乗せ、火を点けて沖に流す。不思議な弔い方の背後で聴こえるのは、「向こうに島がある。稲子は闇彦の血だすけに」という年寄りの声だった。
 
 闇彦とは何なのだろう―――?
闇彦に関わるとされる人たちは、何故、お話が上手いのだろう―――?
なにより、人はどうして、お話を聞くことを求め、物語を読むことを好み、語られることに我知らず惹かれていくのだろう―――…?
そんなことを考えるともなしに考えながら、主人公の私(弓彦)は新潟を離れて東京住まいとなり、自らも小説家となる。自分自身も死んだ弟や同級生を通じて闇彦と繋がっているせいなのか、ごく自然にストーリーテラーになったのだ。
 
 同級生の舟宮稲子を弔って以降も、人生の其処ここで闇彦は私の前にふと立ち現れる。そして、闇彦の正体らしきものが垣間見えるきっかけとなったのは、西村夕海子(にしむらゆみこ)と舟宮糸子(ふねみやいとこ)との出会いであった。
 
 西村夕海子は劇団の女優であり、ギリシア人の血が八分の一だけ入った美しい女性。役者としての熱心さからか、自分の体内に流れるギリシアの血がそうさせるのか、或いはその両方か、夕海子は、演劇にも多大な影響を与え続けるギリシア神話に特別の関心を寄せているようである。一方、舟宮糸子は新潟生れで、血のつながらないお婆あに育てられている。昔病死した同級生・舟宮稲子と同姓だが、糸子と亡くなった稲子の間に関係があるのかどうかは分からない。だが、糸子を育てたお婆あの語る闇彦の物語がまた秀逸なのである。主人公の私は、この二人の女性から様々な刺激を受け、人間が物語りすることの本質というものを捉えていくようになる。
 
 夕海子はギリシア神話のオルフェウスエウリュディケの悲話が好きだという。竪琴の名手・オルフェウスとその妻・エウリュディケは仲睦まじく暮らしていたが、ある日、妻のエウリュディケが毒蛇に噛まれたことで突如死んでしまう。どうしても妻の死が受け入れられないオルフェウスは、冥府へと下って、冥府の王・ハデスとその后・ペルセポネの前で竪琴を奏で、妻のエウリュディケを甦らせてくれるように懇願する。オルフェウスの、涙を誘ってやまない竪琴の音色と哀願とにほだされたハデスとペルセポネは、オルフェウスにエウリュディケを伴わせ、冥府から逃がしてやることを決める。その際、王から付けられた条件が「冥府から脱出するまで、決して後ろを振り返ってはならぬ」というものであった―――。冥界の闇の中を、オルフェウスは妻を連れて地上へ戻ろうとする。行く手に光が見え始め、あともう少しで自分たちの暮らす地上へ出られるという時に…、オルフェウスは振り返ってしまうのである。妻がちゃんと付いて来ているか、不安に駆られた夫は、ハデスとの約束を破って、後ろを振り返ってしまったのであった。彼は妻の顔を一瞬見たものの、それが永遠の別れとなってしまった…。

 これと酷似した話が日本神話にもある。いうまでもなく、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)のエピソードである。イザナギとイザナミは夫婦の神であり、天地開闢(かいびゃく)以来、国産み・神産みを進めてきた。ところが、火を司る神・軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に火傷を負い、それが元で、妻のイザナミは死んでしまう。夫のイザナギはどうしても諦めきれず、妻を取り戻そうと黄泉国(よもつくに)に赴く。イザナギは黄泉国でイザナミを発見し、彼女を連れ帰ろうとするが、イザナミが云うには「黄泉の国の食べ物を口にしてしまった以上、私は還れない」ということであった。しかし、イザナギはなおも彼女を説得し、根負けしたイザナミは「本当に還れないのかどうか、聞いてくるから待っていてほしい。その間、私の姿を見ないように」と条件を付けて一旦、夫の前から下がる。けれども、待てど暮らせどイザナミは姿を現さない。しびれを切らしたイザナギは、彼女が下がった辺りへ足を踏み入れ、そこで床に転がっている何かを見てしまう…。床に横たわったまま動かないそれは、イザナミの躰(からだ)であったのだが、よく見れば手足には恐ろしい雷神が取り付き、おびただしい蛆が湧き、腐乱している。妻の浅ましくなりはてた姿に肝をつぶしたイザナギは、黄泉国から逃げ帰ろうとする。自分のおぞましい姿を見られたイザナミは、黄泉醜女(よもつしこめ)らを使ってイザナギを追わせるも、彼は髪飾りや櫛を葡萄や筍に変えて時間稼ぎをし、最終的には桃の実を投げつけて黄泉国の追っ手から逃れることができたのであった。しかしやはり、死んだ妻とは永遠の別れをせねばならなかったのである。
 
 これらの物語を、夕海子はこのように捉えている。どんなに願っても、どんなに嘆いても、決して肉体的には戻ってはこない死者を唯一取り戻す方法があるとすれば、それは、恋しい人をもう一度振り返り、記憶にとどめ、語り継ぐことなのだと。
 
 冥府や黄泉の世界から突きつけられる「見てはならない」という禁忌は、死の世界に、生の世界の人間が立ち入ることはできないという暗示で、その「見てはならない」約束を破ってまで、生者の側がつい一瞬見てしまったり振り返ってしまったりする展開に至るのは、失ってしまった人の死に顔を、面影を、思い出を、もう一度目に焼き付けておきたいと思う人類の願望が物語化(神話化)したからではないだろうか。妻をこの手に取り戻そうとした男たちは、一瞬だけ死の世界を垣間見るが、見たことによって、死者と生者は決定的に違うこと、そして死んだ者は決して生き返りはしないことを思い知らされる。けれども、その一瞬の垣間見によって記憶された妻の面影を胸に抱き続け、恋しい人の思い出を物語ることで、彼らはこの世には既にいない人とも、永く共に生きることができるのである。
 
 そんな死者について語ることを宿命づけられたのが闇彦だったようだ、と、私に教えてくれたのは舟宮糸子であった。彼女は、”闇彦は、神代において天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の間に生まれた神々・海彦と山彦の兄弟だった可能性がある”と示唆してきたのだ。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメには、三柱の神が生まれている。すなわち、火照命(ほでりのみこと)・火須勢理命(ほすせりのみこと)・火遠理命(ほおりのみこと)の三柱で、ホデリは海の世界を支配する海彦ホオリは山野の世界を支配する山彦として『古事記』に登場するのだが、不思議なことに真ん中のホスセリについては、誕生したという以外に詳しい記述がないのである。何を司る神なのかも知られていない。糸子のお婆あは、このホスセリこそが闇彦として死の世界を支配するようになったのだと、糸子に教える。ホスセリ=闇彦ということが知られていないのは、死に関する神であるために、あからさまに語られることがはばかられたからである、と…。この闇彦の血脈が一部人間(じんかん)に伝わり、舟宮姓を名乗る人々に死者を語る能力が備わったのだ、と…。
 
 このことは勿論、作者・阿刀田高氏の創作であるが、ホスセリが死を支配する闇彦であると空想してみるのは非常に面白い。闇彦の血を受け継ぐ者に「舟」の文字が冠されているのも、「御舟入り」という言葉が死者の弔い・葬儀を意味するように、死の世界を暗示するからだろう。「舟宮」とは言うなれば、闇彦(ホスセリ)が密やかに生き続ける「死の宮殿」なのである。闇に隠れたホスセリは、もはや神話の表舞台には現れない。現れないが、しかし、確実に存在し、生きとし生ける者の命数を、その手に握っているのである。
 
 加えて、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に、死を司る神が誕生したと考えてみることがとても興味深いのである。実はニニギノミコトには、もう一人、娶るべき姫がいた。それは、コノハナサクヤヒメの姉・磐長姫(いわながひめ)である。コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父・大山祇神(おおやまつみのかみ)は姉妹二人ともをニニギノミコトに娶(めあ)わせようとした。なぜなら、イワナガヒメは、磐(いわ)が永くその姿を保つようにニニギノミコトの弥栄(いやさか)を寿(ことほ)ぐ役割を担っていたからである。ところが、ニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメだけを嫁入らせ、器量の悪いイワナガヒメはオオヤマツミノカミに返してしまった。舅であるオオヤマツミノカミは落胆する。そして、こういう言葉を発するのだ。「コノハナサクヤヒメは、ニニギノミコトの世を美しく繁栄させはするが、花の命が短いように、彼の世も永くは保てないであろう」。
 
 ニニギノミコトはイワナガヒメを拒絶したことで、コノハナサクヤヒメとの間に闇彦を生(な)すことになったのかもしれない。上記の神話は、ニニギノミコトから連なる子孫の歴代天皇が、神々ほどには寿命を永く保てなくなった、限りある生命となったということの原因譚として読めるのだけれども、もっと云えば、人間の世界にはっきりと「死」がもたらされるようになったということの原因譚でもあるように思える。ニニギノミコト以前にも、イザナギとイザナミが人間の生死に関して呪詛と寿ぎを投げかけ合ったことがあったが、ニニギノミコトの代になって、命あるものは皆ひとしなみに死ぬということが決定的になった、そんな印象だ。闇彦は、本作品における想像上の神ではあるが、その神を、永遠の生命を蹴ってしまったニニギノミコトの子としてあてがっているところに、作者・阿刀田高氏の意図が見えるのである。
 
 
 

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何度かブログを読ませていただいていました。
私には、レベルが高すぎて(*_*) いつも二度読み直しています。
内容も もちろんですが、知的で 素敵な方と思っています。

今日からブログをはじめましたのでコメントしました。

本は不思議な力がありますよね。
読み手側にもよりますが・・。
自分にとって難しいと思う本でもチャレンジしたいと思います。
また、おじゃましますm(__)m

2011/8/1(月) 午後 10:24 [ 赤ずきんCHIKO ] 返信する

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akazukinchikoさん、初めまして〜^^。
嗚呼、こんな文字ばかりのブログに何度も訪問してくださるとは有り難いことです☆
「知的で素敵」なんて…、そんな…(照)。
「でゅへへへ」という笑い癖が不気味と、もっぱらな評判の私です。

本はいいですねぇ。
難しいとあきらめていた本が、年齢や経験を重ねるうちに理解できるようになっていたり、自分のちょっとした成長が感じられるところも好きです。

ブログもぜひ続けてくださいね〜^^。

2011/8/3(水) 午前 8:46 山田ギョクト 返信する

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ハイ(^−^)
そうですよね。以前読んだ本でも 感じ方が変わったり理解出来なかった事が分かったり。
成長ですか・・・自分を成長する為には、
読む事
見る事
聞く事
私の尊敬する社長が(勤め先の社長です)
成長するには この三つを努力しなさいと 話された事があります。
納得です(*^^)v
ブログ頑張ってみます。 ありがとうございますm(__)m

2011/8/4(木) 午前 0:13 [ 赤ずきんCHIKO ] 返信する

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