フィロビブロン

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 次に、各自一人ずつ中佐の前に出て行って、姓名と前歴を申告し、なぜ今まで軍医予備員に志願しなかったかという詰問を受けた。自分は第一師団と広島連隊区に昨年一月送附済の一件書類を奉公袋から取出して、この通り志願完了していて未志願でないことを具申した。それで訊問は尻きれとんぼに終った。しかし自分より先に訊問を受けた人たちも、あとに続く人たちもすべて志願書を出している。去年も一昨年も召集を受け、体質的欠陥のため即日帰郷となっている連中が多かった。
 なるほど体格検査が始まると、集っている連中のうち、羨ましいと思われるような体格の者は殆どいなかった。脊椎カリエスのためコルセット持参の者、頸腺炎(けいせんえん)で繃帯(ほうたい)した者、肋骨カリエスの瘻孔(ろうこう)のあとのある者、学生時代に運動会で足を折って膝が半分しか曲らなくなっている者もいた。
(中略)
 レントゲン透視と喀痰(かくたん)検査の結果、即日帰郷となった者も何人かいた。病院の医師欠乏という理由から帰郷させられる者もいた。奉公袋をさげて殊勝げな顔つきで、嬉しさを噛み殺して帰って行く人が羨ましかった。
 
 上記の文章をシゲ子の目の前で読んだ時の、九一色院長の様子は以下のようなものであった。
「この岩竹さんの手記、あたしの見ている前で院長さん読んだんよ。読みながら、院長さんの表情に微妙なものがあったんよ」
「それで、治療法について、院長さん何か云ったか。それが大事なことだ」
「読みながら、二度ほど参考になりますと云ったんよ。それから読んだ後で、実は自分も広島二部隊に軍医懲罰召集で入隊したと云ったんよ。岩竹さんの入隊したのと同じ日に、同じ部隊へ入隊したんですって」
「でも、あの院長さん生きておるじゃないか」
「入隊した日、体格検査で即日帰郷になったんですって。そのときにはカリエスで、石膏の繃帯を下腹に巻いておったんですって。運不運の二筋道は妙なものね。院長さんは顔をしかめて読みながら、一度ぐっと息を嚥(の)みこんだんよ」
 
 岩竹さんの手記にある「脊椎カリエスのためコルセット持参の者」というのが、この九一色院長であったかどうかは判らない。しかしながら、「殊勝げな顔つきで、嬉しさを噛み殺して帰って行く人」の中に、この院長先生が含まれていたことは疑いないわけで、カリエスによって徴兵されず被爆をからくも回避できた自分と、徴兵されたがために原爆によって瀕死の重傷を負い、原爆症と苦闘し続けた岩竹さんとの運命の対比があまりにも鮮やかなこの手記をゆくりなくも眼にして、九一色院長の胸には一体どんな感情が去来したろうか。
 
 自分が被爆せずに済んだ裏側で、この岩竹軍医予備員のように死の苦しみを味わった人がいる。過酷な原爆症を乗り越えて生き返った彼と違い、病気で兵隊にも取られることなく、御国の為に戦うことも避けられた自分。誰がなんと言おうとも、生きて息災ならばそれが一番の親孝行だ。だが当時は、兵隊にも行けない九一色院長のような繊弱な人は、陰で後ろ指を差されることもあったろう。想像を絶する苦痛を味わった岩竹さんと、安全な場所で医療に従事できた自分。岩竹さんの手記は、自分自身のための覚え書程度のものであったろうけれど、九一色院長にとっては「殊勝げな顔つきで、嬉しさを噛み殺して」即日帰郷した自分への無言の告発のようにも思えたかもしれない。
 
 ごく小さな「ゆらぎ」なのである。淡々と展開していく本作品にあって、ほんの一瞬、さざなみが立ったようなものなのだ。原爆投下直後のことを書いた重松の日記でさえ、冷静な目で現実を見つめた末の文章だったのが、戦後数年経ってからのシーンにおいて、一人の医師の胸に微小な棘(とげ)が刺さるように「ゆらぎ」が起こる。しかし、小さいながらも井伏鱒二のその演出があまりにも巧みで、はっきり云って参ってしまった。平和を取り戻した戦後の夏のある日、ひっそり閑とした印象の九一色病院の一室。蝉の声だけが喧(かまびす)しい診療室で、院長が岩竹さんの手記に目を通した時…―――、シゲ子が云うところの「運不運の二筋道」を眼前に突きつけられて、ハッと彼が息を呑むのと同時に、あれだけけたたましく鳴いていた蝉が、一斉に鳴くのをやめてしまったような、そのとき真の静寂が訪れたような、そんな情景まで想像させる「ゆらぎ」なのであった。
 
 矢須子の病状が好転するか否かについては、作品の結末においても何も書かれてはいない。おそらく回復は無理だろうという雰囲気の中で、重松が、それでも矢須子は治るかもしれないという、儚い望みを抱いているところで物語は終わる。こんな不幸が起こるから原爆は絶対に駄目なんだ、というような論調よりも、原爆が落とされたことで、こんな不幸が起きてしまったよ、君はこれをどう思う?と語りかけるような作品である。重松の静かな語りかけを感じたら、『黒い雨』を読む人々には、広島と長崎に投下された二発の原爆について、ほんの少しで良いから思いを馳せて頂きたいと、私は願っている。 E=mc² の関係式が人間の頭上に、何も知らされずに降ってきた時、生身の人間がどうなってしまったのか、もう一度考えてもらえたら嬉しい。
 
 私は読後の感想を書く際、可能な限り正確さを期して調べなければいけない事柄のほかは、その作品の周辺情報をなるべく目に入れないようにしている。というのは、たとえそれが誤った、あるいは人とは違う印象、受け取り方、感想であったとしても、その時、自分が感じたことをそっくりそのまま引き写すようにして書き残しておきたいと考えているからである。色んな情報に影響されないで、自分の素の感想を真空パックしておきたいのである。大分あとになってから読み返してみた時、(ずいぶんバカなこと書いてるなぁ)と赤面してしまう文章も多々あるのだが、そのときの自分は確かにそう思っていた、という読書感想アルバムにしたいわけだ。
 
 だが、今回は書いている途中で、『黒い雨』についてちょこちょこと調べ物をすることになった。その調べ物を通じて、この小説『黒い雨』に登場する閑間重松が実在の人物であることを知る。本名は、このシズマ・シゲマツをひっくり返した重松静馬という人なのだが、彼が自身の被爆について書いた『重松日記』を、知人である井伏鱒二が手にし、それを基に『黒い雨』は書かれたのだそうだ。ちなみに被爆軍医である岩竹さんも実在の人物であり、『岩竹手記』を遺している。『重松日記』は現在、筑摩書房から文庫が出ているそうで、その中に『岩竹手記』も併録されているとのことなので、是非手に入れて、こちらも読んでみるつもりでいる。
 
 思えば、戦時中の様子を、当たり前といえば当たり前なのだが祖父母たちは語りたがらなかった。産業奨励館に勤めていた祖母が亡くなる前に、山口県の周防大島町にある『陸奥(むつ)記念館』に見学に行ったことがある。私が大学一回生の頃だったから、もう十七年も前のこと。『陸奥』は旧日本海軍の戦艦で、『長門(ながと)』の姉妹艦だったのだが、一九四三年(昭和十八年)に謎の爆発を起こし、広島県柱島付近で約千五百人の乗組員を乗せたまま沈没した艦として夙(つと)に知られている。その『陸奥記念館』を、私は祖母をいざなって何の気なしに観て回ったのだけれど、館内から出ると、祖母は腰を下ろして溜息をつくなり「…あねぇなのは(ああいうものは)よぅ見んねぇ…」と小声で呟いたのだった。肩が落ちてしまって、小柄な体を余計に小さくして、しょんぼりと萎れた祖母の姿を見て、私は心底悪いことをしたと後悔したものである。それ以来、私が戦争関連のことを祖母に尋ねることは一切無かった。タブーなのだと思った。
 
 それでもしかし、我々は戦争や原爆について、知りうる限りのことを次代に伝えていかなくてはならないだろう。戦争や原爆の恐怖を、実体験として心の奥に閉じ込めている世代が、もうかなりの高齢になっている。亡くなっていく方々も非常に多い。戦争体験を根掘り葉掘り聞くのが、聞き手にとっても話し手にとってもつらいならば、せめてこうして、当時のことが書かれた本を読まねばなるまい。今を生きる現代人は皆、すべからく、戦乱を生き延びてきた人々の子孫なのであり、どんな人間も、その血脈をさかのぼっていけば、必ず戦争を体験した先祖に行き当たる。なにも、太平洋戦争に限らなくてもいい。第一次世界大戦、日清・日露戦争、ひょっとすると応仁の乱で、生き延びてくれた先祖だってあるかもしれない。その人が戦禍に屈することなく、生きて、命のバトンを渡してくれたからこそ、今の自分があるということを再認識せねばならないのだと、私は思っている。歴史を学ぶとは、そういうことで、自分とは無関係に存在する遠い過去ではないのだ。どんなに幾多の時代が過ぎ去ったとしても、必ず自分の命とつながっている現実だということを、私自身も肝に銘じておきたい。
 
 私も戦争を知らない世代であり、不勉強さが目立つ人間ですので、こんなことをいえる資格は無いのですが、今年も若い学生の皆さん、広島や長崎の地から遠い地域にお住まいの方々、外国からいらした方々など、数多くの様々な方達がピカについて関心を持ってくださいましたことを心から感謝いたします。有難うございました。
 
 
                                    平成二十三年四月二十二日 読了          
 
 広島平和記念資料館バーチャル・ミュージアムで原子爆弾について学習することが出来ます。(冒頭のアニメーション部分で音声が流れます。音量にご注意ください)
 
 山田ギョクトのウェブ本棚・デジタルアルマリウムでは、この記事にある引用文以外の文章をいくつか引用しています。(現在、上から四段目の一番左に『黒い雨』を入れてありますので、いつでもご覧ください)
 
 
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『黒い雨』の読後感が、小説『黒い雨』とシンクロして、強い力を放っている……そんな風に感じました。(2篇続けて拝読したんですが、こちらにコメントいたしました。)
玉兎さん、ありがとうございます。

2011/8/30(火) 午後 8:47 ookini_neko 返信する

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ookini_nekoさん、こちらこそ有難うございます。
字数制限のことが気になって、なかなか思うように書けなかったり、削ってしまったりしたトピックもありましたが、なんとか八月中に書き終わることが出来てヨカッタ〜と思っているところです。
私は祖母を通じてしか、かつての戦争を追体験できないけれど、これからも自分自身の問題として受け止めていきます。
こんなだらだらした文章を読んで下さって、有難いことこの上ないです。

2011/8/31(水) 午前 11:22 山田ギョクト 返信する

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母は満州から終戦の混乱の中引き揚げ、父は捕虜になった挙句に帰国したんですが、とうとう二人から戦争の話を聞いたことがありません。
特に母は一切口にしませんでした。
小さい頃、近所の息子さんが自衛隊に入隊したとき、戦争中に生まれた年の離れた姉が、「あの人、どうしてあんな仕事(人殺し)を選んだのかしら?」と、厳しく言ってたのを思い出しました。

2011/8/31(水) 午後 0:46 マルス 返信する

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マルスさん、お父様もお母様も大変な苦労をなさったんですね。。。私(達)のように戦争を知らない世代だと、どんなに「思い出したくもない過去」というものがあったとしても、得てして、どうってことのない内容だったりするものですが、戦争体験者である方々は、心底思い出したくない経験をしていらっしゃるんですよね。

先日、BSで戦争体験者の証言番組を見たんですが、当時兵隊に出ていたというおじいさんが、「何も飾らない、生(き)のままの、鬼の心さ。本能むき出しの、鬼の心そのもの。その鬼の心は君たちだって持っているんだぜ」といったことを証言していらっしゃいました。
また違う方は、戦況が不利になってから南方に送られ、糧秣にも事欠く中で、人肉食にはしる仲間がいたことも語っていらっしゃって…。

今の自衛隊隊員はそういう環境に置かれていないから良いようなものの、鬼の心で人を殺さねばならないような、そんな悲惨な時代が再来するのは絶対に避けたいですよね。

2011/9/1(木) 午後 1:51 山田ギョクト 返信する

ギョクト様の今回のキーワードは、「ゆらぎ」ですね。

お書きになった、こちらのブログに強い!!エネルギーを感じます
m(__)m 私の、簡単なメッセージをこちらのコーナーに書く事が
失礼とさえ感じます。

5年程前、父が私たち 三人姉妹と母5人で沖縄旅行に連れて行って
くれました。普通の家族旅行と思っていたのですが・・・・
父が、北海道の慰霊碑で ずっーと離れなくて 私たち姉妹で
父の背中をしばらく見ていたことを 思い出しました。

2011/9/2(金) 午後 9:47 [ 赤ずきんCHIKO ] 返信する

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akazukinchikoさん、私、とんでもない失礼を…。こちらに頂いたコメントを見逃しておりました。
返信が大変遅れてしまいまして、申し訳ございません。時おり、こういうことがある抜けた人間なので、コメントを入れてあるのに返信がないと思われましたら、どうぞご遠慮なく「返信コメントはどうなっとるかいの〜?」と、催促してくださいませ。

お父様がご覧になっていた北海道の慰霊碑というのは、沖縄に建立されているのでしょうか?
どなたか近しい人が慰霊されてらしたんでしょうかねぇ。

以下に続く。

2011/10/7(金) 午後 10:05 山田ギョクト 返信する

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上記からの続き。

最近思うんですが、たとえ肉親のことでも、その人が生きてきた人生とか歴史って、知らないことのほうが多いなあと感じます。自分の親のことでも、実は知らないことや話して貰ってない事のほうが多いですよね。自分の身近な人の歴史でさえそうなのだから、何十年も何百年も昔のことなんて、簡単に忘れ去られてしまいます。そうやって、遠い過去は忘却の彼方に追いやられてきたのでしょう。

でも、なるべく話して貰って語り継いでいかなくてはならない事柄も沢山あって、その一つが戦争の記憶だと私は感じています。akazukinchikoさんのお父様も、忘れ去ってはならない何かを、その慰霊碑から汲み取っていらっしゃったのではないでしょうか。

2011/10/7(金) 午後 10:05 山田ギョクト 返信する

二つもコメント有難うございますm(__)m
何だか得した気分でいます(*^_^*)

北海道の方が沖縄で亡くなられたの慰霊碑です。

お気遣い、有難うございますm(__)m

2011/10/8(土) 午前 0:38 [ 赤ずきんCHIKO ] 返信する

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なるほど〜。
生まれ故郷を離れて、遠い土地で亡くならねばならなかった人々の運命を、お父様は思いやっていらっしゃったんでしょうね。
こちらこそ、教えていただき、有難うございます!

2011/10/15(土) 午前 0:30 山田ギョクト 返信する

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突然のコメント、失礼いたします。
書評コミュニティサイト「本が好き!」を運営しております、和氣と申します。

今回レビューを拝読し、ぜひ本が好き!にも書評を投稿していただきたいと思いコメントいたしました。

本が好き!URL: http://www.honzuki.jp/

本が好き!では、書評(レビュー)をサイトに投稿していただくと本がもらえる、献本サービスを行なっております。

献本は書評(レビュー)を1件以上ご投稿いただけると申し込み可能となります。貴ブログの過去のエントリを転載いただいても構いませんので、ご投稿いただければ幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

2016/8/3(水) 午後 3:18 [ wakky-works ] 返信する

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