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『刺青』(谷崎潤一郎)

 女の性(しょう)が劇的な変化を遂げる時というものが、この世には確かに存在する。
稚(いとけな)き少女が初潮を迎える時もそうだろうし、男性との肉体的な和合によっても女性は新たな世界が眼前に開けるように変わる。出産もまた、その女性にとって人生における一つの転換点であり、社会的役割の一つが増えることを意味する。すなわち、誰かの娘であり、誰かの妻でありさえすればよかったものが、今度は誰かの母となるのである。

 女がその性(しょう)を変えるのに、まず介在するものは「肉の変化」である。それが内部からわき起こるものであれ、外部から求められるものであれ、己が肉体の変容は否応なく、その変容の一瞬間前の自分を脱ぎ捨てていくことを余儀なくさせるものだ。自分の肉に起こる変貌を見るにつけ、人はその変貌にふさわしい人格や役割を演じようとさえする。初潮を経験した少女は、思春期の乙女を演じ、和合を果たした乙女は、妙齢の婦女としてのしとやかさを演じ、妙齢の婦女は出産を通じて、母親の役割を担い演じることになるのである。それだけ、我々人間は、己が肉体によって束縛され、制約を受けているということでもある。なかでも、女性は自分の変化に、ことのほか敏感である。

 脱ぎ捨てていった「古い自分」を残滓(ざんし)として踏みにじり、一顧だにしない女もいるし、「古い自分」すらも日常生活の糧や規範として大切に見つめ続ける女もいる。

 谷崎潤一郎の『刺青』は、「脱ぎ捨てた古い自分」とは全く別個の「新たな美」として生まれ変わった女を描いた短編である。しかもその契機は、女として生きていく上で起こるありふれた変容ではなく、「刺青」なのである。

 若き刺青師(ほりものし)・清吉は、腕は良いが、サディスティックな一面を持っているらしい。彼の針の一彫り一彫りに、どんな依頼人も息も絶え絶えとなり、彼の足元にひれ伏すかのようにうずくまるのだが、清吉は、その依頼人の呻き声が苦しげであればあるほど、云いがたき快味や恍惚感を覚えるのである。彼は、依頼人達の無残な姿を眺めては、
「嘸(さぞ)お痛みでがしょうなあ」と冷ややかに笑う。
意気地のない男が、悲鳴を上げていると、
「お前さんも江戸っ児だ。辛抱しなさい。――この清吉の針は飛び切りに痛えのだから」と冷淡に言い放って、構わず刺していく。
時に、我慢強い男が眉一つ動かさずにいると、白い歯を見せて笑いながら、こう言うのだ。
「ふむ、お前さんは見掛けによらねえ突っ張り者だ――だが見なさい、今にそろそろ疼き出して、どうにもこうにもたまらないようになろうから」
清吉にとって、自分の目の前に横たえられた人間の肌は、美に対する己の思想を敷衍(ふえん)し、表現するためのキャンバスに過ぎない。

 そんな清吉にも年来の宿願がある。
それは、この世で最も美しい女の肌に、自分の魂を彫り込むこと。
しかし、彼の眼鏡にかなうだけの女はなかなかいない。まだ見ぬ美女を追い求めて、清吉は空しく時を過ごしていたのだが…。

 ふとした偶然から、清吉は、これはと思う娘に巡り会うこととなる。その出会いの場面において、と云っても、清吉はその素足を垣間見たのみなのだが、その娘の素足の描写が、谷崎潤一郎らしく耽美的で好いのだ。素足の描写については、未読の方が読んだ時のお楽しみとして、その娘の全体的な外貌の描写が素晴らしいので引用しておきたい。
「年頃は漸(ようよ)う十六か七と思われたが、その娘の顔は、不思議にも長い月日を色里に暮らして、幾十人の男の魂を弄んだ年増(としま)のように物凄く整って居た。それは国中の罪と財(たから)との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代わり死に代わったみめ麗しい多くの男女の、夢の数々から生まれ出づべき器量であった」

 日を経ずして、その娘は清吉のもとに、深川からの使いとしてやって来る。早速、用を済まして帰ろうとする彼女の手を取って、清吉は、おもむろに二本の巻物を彼女の目の前に繰り広げた。一本は、刑死を目前にした男を、けだるげに眺めやる紂王の寵姫・末喜(ばっき・妲己)の姿。もう一本は「肥料」という画題で、桜の幹のもとで、男達の累々たる屍を眺める、晴れやかな女の姿。そして、二巻の奇怪な巻物を見せ付けられた彼女は、はからずも自分の中にある、画幅の女達との同質性に気付くのである。すなわち、他者を踏みにじることで到達する、何者にも拠らない冷酷かつ究極の美への憧れに。しかし、娘はまた、自分の内面に潜む残酷性に対し、あたかも見てはならぬものでもあるかのように、怖気づき、慄(おのの)いてもいるのだ。

 清吉もまた、娘のかもし出す美の片鱗を見抜き、それを究極ならしめるために密かに画策する。
彼の懐には嘗(かつ)て和蘭(オランダ)医から貰った麻睡剤の壜(びん)が忍ばせてあった。

 一昼夜を経て、娘の背に彫り込まれたものは、一匹の巨大な女郎蜘蛛であった。生けるが如き女郎蜘蛛を背に負った彼女は、最早、最善までの初々しさの残る娘ではなかった。発色を良くする為には入浴も必要で、何百箇所と針に刺された肉体には、想像を絶する苦痛を伴うのだが、刺青という一種の通過儀礼を見事にし遂げた娘は、それを施した清吉でさえも仰ぎ見ねばならないほどの凄絶な美を湛えて、彼の前に立ち現れたのである。彼女は女帝のように、清吉を冷たく睥睨(へいげい)してさえいたであろう。娘は言う。
「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。――お前さんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねぇ」

 彼女の絖(ぬめ)のような肌膚(きふ)は、女郎蜘蛛の八本の肢に抱き締められている。そんな彼女は、これからきっと、大きく拡げた網の中に鎮座して獲物を狙う女郎蜘蛛のように、幾多の男達を犠牲にしていくだろう。女郎蜘蛛にふさわしい女を演じながら。その絖のはだえの衰える日まで。


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こんばんは。これを読んでいると無性に読みたくなる!サディスティックで耽美な世界。すっごい面白そうなんだけど、実際読むと数ページで挫折してしまいます^^;ギョクトさんの文面、本当に引き込まれてしまいます。

2009/9/24(木) 午前 1:30 [ ぱぱっち ] 返信する

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memiaさん、こんばんは^^。コメント頂きまして有難うございます。
現在、私が読んでいる『百年小説』の頁で云うと、本作は十三頁の短編なのですが、大人でなければ味わえない耽美な世界が、ねっとりと展開されております。
麻酔で眠らせて、その間に刺青を入れてしまうなんて、今だったら犯罪ですが(当時も?)、その、人として危ういところを、男女が手を取り合って、確信犯的にあえて綱渡りしている感じが、現代ではなかなかお目にかかれない、退廃的「美」といいますか、デカダンな感じで宜しいですねぇ。

2009/9/24(木) 午後 10:24 山田ギョクト 返信する

谷崎は若い頃、かなり読みました。初期のものから晩年に至るまで主要な作品は読んでいす。私の好みは昭和初期からのものばかりです。「芦刈」「盲目物語」などのあたりからです。代表作のように言われる「細雪」はきれい過ぎて好みません。「鍵」「瘋癲老人日記」などはとても好きです。初期の作品に共通するところがあるように思います。

2009/10/31(土) 午前 0:39 [ 遠い蒼空 ] 返信する

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遠い蒼空さんは、やはり読書量がすごいですね!
万巻の書を読まれているといった印象です。
私は今回の「刺青」が谷崎デビューでした^^;なんとなく「谷崎潤一郎=ちょっとエッチな小説」という感じで進んで手に取ることがなかったのです。
でも、他の方の書評ブログを拝見しても「瘋癲老人日記」などはとても面白そうだし、これから少しずつ読んでみようと思っています^^
今回挙げて頂いた作品を参考にさせていただきますね。

2009/11/2(月) 午前 9:16 山田ギョクト 返信する

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