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『椿』(里見)

 「三十を越して独身の女が――」という書き出しに、(なんや、私の事かいな)と思って読み始めた。
辺りも寝静まった深閑とした夜のひとときに、暗がりの中で、花瓶に生けた椿が一輪、ポトリと落ちる。その物音を聞いた三十過ぎの女と、二十歳ばかりの姪が、何の音だろうと一瞬身構えるのだが、その正体が椿と知って、二人して笑いあうという、時間にしてみれば、十分か十五分そこらであろう情景を描いた短編である。

 「椿」というと、私の家では大抵「首から落ちる花」として語られる。
花自体は、大人になって紅を差し始めた、若い娘のぽってりとした唇のようで非常に美しいのだが、花ごとポトリと散るため、斬首を思わせるのである。明治の御一新の前までは、薩摩藩の武家であったらしい我が家では、現代においても、庭に「椿」を植えることを嫌っているようである。時代錯誤と云えば確かにそうなのだが、サムライにとって「椿」「斬首」「切腹の際の介錯」「首実検」などを連想させ、家運を衰えさせるイメージが強く、そのタブー感がいまだに抜け切っていないのであろう。
我が家のさして広くない庭には、椿の代わりに山茶花(さざんか)が植わっている。

 本作品でも、「パサッ」という音で落ちた椿の花は、ある種の不吉さをかもし出しているようだ。
三十過ぎの叔母と二十歳頃の姪が、落ちた椿について色々語る場面の中、「でも、なんだか血がたれてるようで……」という台詞がある。確かに、台電灯(スタンド)の細々とした明かりの中で見る、床に落ちた椿は、赤黒く凝った血の様にも見えるであろう。

 二人は「捨てていらっしゃいよ」「姉さんが捨ててよ」と互いにやり取りした挙句、叔母の方が先に「知らない、もうあたし臥(ね)ちまうわ」と夜着を引っかぶって寝てしまう。姪も何とはなしに薄気味悪くなったものか、寝ようとした途端、叔母がおかしくて堪らなくなったものと見え、プッとふきだしてしまい、結局二人で夜のしじまを破らぬように、遠慮しいしい笑いあうというシーンで終わる。

 夜中に椿の花が落ちるという、なんとなく不吉なイメージの出来事が、二人の妙齢の女達が笑い合うことで生き生きとした情景に変わるのが印象的な作品である。「落ちた椿」という静的なものの不吉さが、「笑い合う女」という動的で、且つ、非常に匂やかな存在によって払拭されているのである。無邪気な女達の笑いは、世の中のどんな陰気で悲惨なことも覆すような「生」の明るさと躍動感に満ちている。

 この『椿』が発表されたのは、関東大震災の起こった一九二三年である。なおかつ、当時は震災恐慌が起こり、食料などを手に入れることの方が目下の急務であり、文学など腹の足しもならないことから「芸術など一個の芋、一尾の鰯にも遠く及ばない」と語った菊池寛に対して、「地震くらいで飛び散るのは瓦礫の類で、珠なら砕けはしない」と反論したことを念頭において書かれた作品だということだ。したがって、この作品の場面設定自体も震災後のことではないだろうか。登場人物の叔母と姪は、どうやら引越しをして今の家に住んでいるようなのだが、引越しの経緯などは文中に全く語られていない。もしかしたら、関東大震災で生き残った女性同士が、寄り添って生活しているのではないかとも受け取れる。


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