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私が井伏鱒二と聞いて思い出すのは、中学生の時に映画として鑑賞した『黒い雨』である。かなりうろ覚えなのだが、当時、私が通っていた中学校には、中間テストだか期末テストだかの全日程が終了した後、全校生徒が講堂に集まって映画を鑑賞するという習慣があり、その折に『黒い雨』を観たのである。
ちなみに、生徒側に鑑賞する映画の選択権はない。おそらく先生方が、生徒の教育に資する題材は何がいいかと考えて、色々チョイスしていたのであろう。井伏鱒二原作・今村昌平監督作品である映画『黒い雨』は一九八九年の完成だから、ちょうど私が十四歳の時、まさしく出来立てほやほやの映画をタダで観られたワケだ。とは云え、テストでフル回転させた頭で、さらにずっしりしたテーマの映画を観なくてはならなかったから、終わった頃は何だかクラクラしたのを覚えている。今から二十年前の、井伏鱒二に関する思い出である。
他にも『山椒魚』や『ジョン万次郎漂流記』などの作品があるが、『百年小説』の中には短篇『へんろう宿』が収録されている。「へんろう」は「お遍路さん」の「遍路」のこと。この作品によると、土佐では「へんろう」と言い慣わしているらしい。
話の筋は非常にシンプルだ。主人公の「私」が、ある所用で土佐に出向き、遍路岬(へんろうみさき)にある宿屋に泊まった時の経験が綴られている。その宿屋には「へんろう宿 波濤館(はとうかん)」という看板がかかっていて、名前はなんとなく立派だが、漁師小屋をそのまま使っているような粗末さで客間は三部屋しかない。そのうち一間は、へんろう宿の女児二人が勉強部屋のように使っているから、実質、二部屋である。お遍路さんが宿を乞うた時だけ、営業する感じなのだろう。
「私」がこのへんろう宿に泊めて貰おうと入ってみると、八十歳くらいと六十歳くらいと五十歳くらいの三人のお婆さんが出迎えてくれた。奇妙なことに、このへんろう宿にはこのおばあさん達と二人の女児が従業員としているだけで、経営主や親爺さんのような人も見当たらない。宿を切り盛りするのは全て女性なのだ。
何故そのような不思議な家族構成になっているのか、それは「私」が部屋をあてがわれ、二時間ほど寝入ったあとに判明することになる。
へんろう宿の間取りは客間三つが襖で仕切られたのみで縦に並んでいる。「私」は一番奥の部屋に案内され、真ん中の部屋には男の泊り客がいるのだが、その部屋から話し声が聞こえてきたのだ。どうやら、その男の泊り客と五十歳くらいのお婆さんが、酒盛りをしているようである。「私」はその話し声で目が覚めたついでに、二人の話を聞くともなしに聞き始めたのだった。そうすると、お婆さんの口からこんな話が聞こえてきた。
「うんちゃ違います。みんなあが、ようそれを間違うけんど、一ばん年上のお婆さんがオカネ婆さん、二番目のがオギン婆さん、わたしはオクラ婆さんといいます。三人とも嬰児(あかご)のとき、この宿に放(ほ)っちょかれて行かれましたきに、この宿に泊った客が棄てて行ったがです。いうたら棄児(すてご)ですらあ」
そう、「私」の目に、この宿の人々の家族構成が奇妙に映ったのは、三人のお婆さんが三人とも昔々にへんろう宿に棄てて行かれた棄て児であり、血の繋がりなど実は無いからなのであった。その五十歳くらいのオクラ婆さんによると、一番上のオカネ婆さんの前のお婆さんも、宿の泊り客が棄てて行った子供が成長し、そのままこのへんろう宿で年老いたのだという。そしてその前の代のお婆さんも、同じ身の上だったという。きっと客間の一つで勉強していた女の子達も、三人のおばあさんとは血縁関係のない棄て児なのだろう。棄てられたのが男の子ならば、親を追いかけて行ってその子を返し、女の子だけを引き取る。この宿では、代々置き去りにされた女の子供が嫁にも行かず、浮気もせず、育てて貰った恩の為に宿を切り盛りしながら一生を過ごすのである。
お遍路の旅に出る者は、きっと色んな苦悩を抱えているのだろう。手甲・脚絆をきりりと引き締め、白衣(びゃくえ)の両手に数珠と鈴(れい)、金剛杖の絶え間ない響きを耳朶(じだ)に聞きながら、巡礼の旅に出る者は、他人には判らぬ何かを振りほどく為に歩き続けているのかもしれない。その振りほどきたいものが、ある者にとっては自分の子供だということも、ひどく哀しいが時にはあることなのだろう。
この『へんろう宿』はかなり短い内容で、しかも実話というわけではないものの、二つのことを読者に伝えているように思う。それは、現代よりも更に更に生きることがつらく厳しかった時代、何らかの事情で子を棄てねばならなかった者達が存在したということと、そんな世情がありながら、一方では赤の他人がその棄て子を受け入れ、育てていくような、へんろう宿に代表される救済的な土壌も同時にあったということ。この二点である。罪と悔悟と救済とが、お遍路の歩む道には備わっている。
棄てられてお婆さんとなった三人は、皆、存外に明るい。おそらく、養母となった先代・先々代のお婆さん達から愛情をいっぱいに受けて育つことが出来たのではあるまいか。「私」を部屋に案内した八十歳くらいのオカネ婆さんが、こんな可愛らしいことを言っている。
「そんなら、おやすみなさいませ。ええ夢でも御覧なさいませ。百石積(ひゃっこくづみ)の宝船の夢でも見たがよございますろう」
百石積の宝船――案外この言い回しも、代々のお婆さんから棄て児たちへと語られた一節なのではなかろうか…。
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『砂の器』の回想場面や宮本常一『忘れられた日本人』を彷彿とさせるエピソードです。
ひと昔、ふた昔前の日本の庶民の生活誌のような作品ですね。
歴史の本では書けない切り口です。
読みたい本がまた増えました。
2009/11/21(土) 午前 0:17 [ 奈良漬 ]
読みやすそうですね。
探して読もうかな。
2009/11/21(土) 午前 11:13 [ マール ]
「近代文学の作家について書きなさい」という宿題が出て、何の気もなく親しかった同級生の○○君と「早稲田の先輩の井伏鱒二さんに会ってみたいな」ということになったんです。
当時は学生運動が盛んで、ある日友人が「革マルが攻めて来るんで助けてくれ」と言うんです。どういう経緯か、僕と交易場君が守ることになった。攻めてくるという日、腹の周りに週刊誌や新聞紙を入れてヘルメットもかぶって、待ちました。「生きてたら、井伏さんちへ行こう」なんて言いながらね。
<何事もなく終わり、井伏さん宅に電話を入れた>
ご本人が出て「来なさい」と言う。「豪邸だったら入りにくいなあ」なんて言いながら、荻窪駅で降りて歩いて10分ほど、杉並区清水というところのお宅へ行きました。古い木造の平屋で、名刺の裏に「井伏」と書かれ画びょうで留めてある。ちょっと安心して小さな庭を横切って玄関に入ると、丸くて小さな74歳の先生は「上がりなさい」と言いました。
2009/11/22(日) 午後 2:54 [ たけ ]
昼過ぎだったでしょうか。近くの丹波屋からうなぎを取ってくれて。うまかったですね。ジョニ黒も飲ませてもらったなあ。チェリーの吸い方がまた粋でね。
<学生の身分で来たのは、太宰治以来だった>
「太宰はピンクのリボンで原稿を結んできた」と言ってました。「あれは自殺じゃない」ともね。僕は原稿を見せるどころか、ときどきお邪魔して、当時ちょっとやっていた民俗学の取材旅行で仕入れた民話などの話をして、帰る。そんなお付き合いでした。
やる気のない学生でね。単位を取れず卒業できなかった。そんな時、故郷からマツタケが送られてきた。井伏さんに持って行くと「一緒に食おう」と言う。「僕には食べる資格がない」と断ると「じゃあ、つくだ煮にして取っとく」。翌年、就職が決まってあいさつに行くと「上がれ」と言って、そのつくだ煮を出してくれました。泣きましたね。そして革靴を2足買ってくれました。
2009/11/22(日) 午後 2:55 [ たけ ]
500字制限で3pにもなってごめんなさい。
上2pは毎日新聞に掲載された、
江上剛の井伏鱒二の思い出。
井伏さんの包容力が伝わるエピソードです。
○○君(高校、大学の後輩)からよく聞いていました。
2009/11/22(日) 午後 3:00 [ たけ ]
奈良漬さん、コメント有難うございます!
この『へんろう宿』の味わいは、お婆さんたちが話す方言(土佐言葉)にもありますね^^。
歴史を追って書かれているものでなく、当時の庶民の暮らしを想像を交えて書いているだけなのですが、数十年前の日本人の暮らしぶりや心の在り方が探れそうですよね。
方言など土着性を前面に押し出して成功した作品というと、最近ならば岩井志麻子氏の『ぼっけえきょうてぇ』や『岡山女』などを思い出します^^。
2009/11/22(日) 午後 10:36
mrs**17さん、コメント有難うございます!
この『へんろう宿』はとっても読みやすい上に、非常に短い作品です。人によっては五分くらいで読めてしまうかもしれないくらいです^^。
『へんろう宿』単独では本にならないので、このタイトルでは見つけにくい可能性があります。『新・ちくま文学の森16 心にのこった話』には『へんろう宿』が収録されているようですよ☆
私が買ってしまった『へんろう宿』の入っている『百年小説』よりもお求め安い価格になっております^^。
2009/11/22(日) 午後 10:53
たけさん、コメント有難うございます!
江上剛さんはこんな素敵な思い出を持っていらっしゃるんですね^^。よくよく考えたら井伏鱒二さんは一九九三年まで存命だったわけですから、じかに接した思い出を持つ方たちも当然いらっしゃるんですよねぇ。
「太宰はピンクのリボンで原稿を結んできた」「あれは自殺じゃない」いう話題も、その場にいないと聞けないようなエピソードで、何だか貴重な歴史証言のような気持ちもします。
マツタケのつくだ煮や革靴、表札代わりの画びょうで留めた名刺からも、優しく包容力があり、悠揚迫らざる大人という感じが受け取れますね。
人生でこういう人物と交流できるというのは、本当に天から与えられた恵みのように思えます☆
井伏鱒二という人の慈雨によって、江上さんの心が豊かに潤ったわけですから。
2009/11/22(日) 午後 11:35