フィロビブロン

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?H1>東京在の妹夫婦が「シルバーウィークに帰省したら、萩に行ってみたい」と希望していたので、「よっしゃ、行こうぜ!」ということになっていたのだが、フタを開けてみれば、甥っ子(一歳児・十一キログラム)を数ヶ月ぶりにたびたび抱っこしたことで、ひどい神経痛が出てしまい、私は萩行きを断念することになってしまった…。 イメージ 2
 息をするのもしんどいくらいの背面痛だったので、仕方なく、妹の旦那さんに「ぜひとも萩の町並みを撮ってくるように」と申しつけ、彼らを送り出したのであった。あいにくの曇り空だったようだが、何とか雨に見舞われることもなく、観光できた模様。しかし、萩のどこら辺を散策したのか、写真からでは分かりにくいのが難点と云えば難点か。
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 お〜、萩の町は「日本の道100選」というのに選ばれているんですな。これによると、彼らは菊屋横丁という所を歩いたらしい。
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 幕末の尊攘倒幕派の志士・高杉晋作の生家。名は春風、号は東行、変名は谷梅之助。久坂玄瑞と共に、吉田松陰門下の俊英と称されたことは、幕末ファンの方なら言わずもがなのことであろう。
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 こちらは、田中義一の生家らしい。一八六三年〜一九二九年を生きた、陸軍大将にして政治家という人物。田中義一内閣を組閣し、第一回普通選挙を実施する一方で、共産党などを徹底的に弾圧した人としても知られる(三・一五事件、四・一六事件)。
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?H1>萩に行くのなら、散策する際に古い町並みに合うようにと、久留米絣の単(ひとえ)を選んでいた。あまり明るい色味の小紋などを着ても、自分ひとり浮いてしまうと思ったので。今回は、萩には行けずじまいだったので、コーディネートだけ、ご紹介したいと思う。  私自身、外出時は殆ど着物を着るくらいの着物好きなのだが、父方の祖母も着物道楽の人である。で、この久留米絣の反物は、祖母が仕立てないまま持っていたのを、二年ほど前に譲り受けて、懇意の呉服店で仕立ててもらったものだ。好みにもよるが、久留米絣は地厚なので、胴裏・八掛を付ける必要があまりなく、単仕立てで着たほうが着姿もスッキリする。また、少し汗ばむ季節(五六月と九月辺り)に着るものとしておけば、木綿なので吸湿性もよく、気持ち良く着ることが出来る。(一般的に、単を着る季節は六月・九月となっているが、私はかなり暑がりなので、気候によっては四月下旬から五六月、九月から十月上旬まで着ることがある。単は着る期間が短いからと、あまり仕立てたがらない方もいらっしゃるが、温暖化の影響もあり、むしろ着用期間は任意で延ばせると考えて、ある程度の枚数をお持ちになっても損はないだろうと思う)
 今回は小さい子の世話もあるだろうし、お太鼓できっちり着なくてもイイや、と思って、素材を合わせて、気軽な木綿の半幅帯をチョイス。
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 着物本体は、約四十年ほど前に織られた久留米絣なので、半襟もレトロな感じで。なおかつ全体の色が暗くなり過ぎないように、パッと華やかなものをかけようと予定していた。
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 帯留も少し華やかな色にして目線がそこに行きやすいように。そうすることで、ずんぐりした昭和体型の私でも、少しだけ足長に見えるのだ(ほんまに少しだけだが)。素材は、気軽に買える価格のベネチアングラス。
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 ブローチを帯留代わりに付けてみると、帯と帯締めが同じでも、印象が変わる。
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 今回の半幅帯はリバーシブルになっていて、落ち着いた茶系の縞と鳥獣戯画の柄が楽しい。着物本体の柄がもっと小さいか、無地に近い場合に、鳥獣戯画の方を表に出して締めるとポップな印象になる。

 長州人でありながら、私は一度も萩の観光地を訪れたことがないので、機会があれば次こそ行ってみたいものである。そのときは、どんな季節で、どんな着物を着ているだろう。萩に限らず、山口県の景勝地などを紹介出来ることがあれば、また記事を書きたいと思っている。長く、山口の地を離れていたためか、自分の故郷(ふるさと)というものに、私自身が興味深々なのだ。山口県にしても、着物にしても、その他の伝統文化にしても「善きもの」を常に感じ取れる人間でいたいなと考える今日この頃である。


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