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                     香川県へドライブ!(一)からの続き。
 
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       帰路は愛媛県今治市から、しまなみ海道を通って広島県尾道市まで戻るルートをとった。
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 因島の手前、生口島の瀬戸田パーキングエリアから伯方の塩で有名な伯方島方面を撮った写真。この反対側を向けば、因島や尾道市はすぐそこという場所である。そして、再び山陽自動車道を通って山口県へ。本州と四国の間の瀬戸内海を、瀬戸大橋としまなみ海道を使って、クルッと一周したような旅であった。
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 今回は琉球絣風の化繊の紗を一日目に着用。毎年一回は、浴衣と間違われる着物なので、帯は出来るだけ華やかなものを結ぶようにしている。もともとは、呉服屋勤めの時代に夏の仕事着として誂えたもの。帯はその時のベテランさんが譲ってくださったもの。
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 二日目は化繊の単(ひとえ)を着用。これも元仕事着。帯は、以前、萩行きの記事で紹介したことのある木綿の半幅帯でリバーシブルになっている。表は鳥獣戯画、裏は茶系の縞模様である。全体的に地味な印象なので、朱・萌黄・濃紺・白というパッキリした配色の帯締めで、腰回りを押さえ、激しく動いても帯結びが乱れないようにした。
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                           今回の取り合わせ。
 猛暑の中、着物でこんぴら参りというのは、かなり無謀な行動であったように思う…。「こんぴら歌舞伎」を観るという目的があれば、上演期間である四月が望ましいし、着物で金毘羅宮にお参りするのであれば、真冬が最も適しているような気がする。それも最初から最後まで自分の足でお参りするということになると、真冬でも正絹の袷(あわせ)は着ないほうがいいかもしれない。長い長い石段を登っている間に、大量の汗をかいてしまうだろうから。
 
 次回、私がこんぴら参りに再チャレンジするとしたら、季節は真冬にし、着物は汗をかいても気にならない木綿の単(ひとえ)にする。それを裾からげにし、しごき帯で押さえ、手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)で身を固めたい。勿論、参拝アイテムとしてははずせない。草履では登りにくいから、ふもとのお土産店で売っている草鞋(わらじ)のほうがいいだろう。白足袋なんぞもってのほかで、砂埃に汚れてもいいように濃い色足袋を穿こう(裸足はさすがに抵抗がある)。ここまでくると、江戸時代の旅人コスプレのようだが、人の目なんか気にしない。昔の人だって着物でお参りしていたのだから、現代人に出来ないはずはないのである。いつか着物で金毘羅宮を踏破する。人生に新たな目標が出来ちゃったかもしれない。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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 「美味しいおうどんが食べたいッ!」と、我が家の気まぐれお母様が、八月上旬のある日、突然、そう宣(のたま)った。夏バテ気味の父と私は、「はぁ?? うどん〜〜??」と、やる気のない反問で応酬した。毎回そうなのだが、何かを思い立った時の母の鼻息はとても荒い。今回も、とても逆らえない雰囲気を、母がビンビンに放射していたので、おうどん食べたいなら香川に行かなきゃしょうがないでしょう、と、我々は一路、香川県に向けて車を走らせた。八月二十九日(日)・三十日(月)のことである。
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 山口県東部から山陽自動車道に乗って、岡山県まで行き、瀬戸大橋を渡って目指す香川県へ。この橋を渡りきった向こう側が香川県坂出市である。七時四十五分頃に家を出発し、この瀬戸大橋まで、約三時間しかかからなかった。一泊する予定で「ことひら温泉 琴参閣」というホテルを予約していたのだが、そのホテルは、金比羅宮の参道近くという、とても分かりやすい場所にある。金刀比羅宮そのものも橋を渡ってすぐの位置関係にあるから、探すのにも時間がかからないだろう。チェックイン開始の十五時まで、三、四時間はゆうにあるという時間の余りようで、車内には(こんなに早く着いちゃって、どうするどうする?)という空気が流れ始める。
 
 私たちの到着予想は十六時頃であった…。そして初日はのんびり休んで、翌日の午前中に、うどんを頂こうということになっていた。なぜなら、香川出身の知人にあらかじめ確認したところ、うどんを食べさせてくれるところの多くは、午前中の営業が済むと閉まってしまうと聞いていたからだ。しかし、はからずも初日の時点で午前中に着いてしまったので、予定を変更して初日の昼食にうどんを食べようということになった。
 
 私たち長州の田舎もん一家は、『るるぶ』も持参して、うどんマップと散々睨めっこをしていたにもかかわらず、行きたい店をさっさと決めることが出来なかった。田舎もんは、車を走らせながら景色とナビと雑誌に目をやり、行きたい場所を決めたり見つけ出すという器用なことが出来ないのである。結局、早い段階で『るるぶ』を見る事をやめてしまい、父の「香川はうどんの国なんじゃけー、車を走らせよったら、いくらでもうどん屋にぶつかるじゃろう」という適当な考えのもと、我々は車を流し続けることにした。
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 そうこうしているうちに、いきなり母が「あーッ!! 今、うどん屋さんの看板があったッ!!」と叫ぶので、引き返してみると、「麺豪 山下」というお店がある。「やましたって、なんか有名って聞いたことがあるよ〜」と母が言うので、「それってテレビか何かで見たん?それとも雑誌?」と私が尋ねると、「えー、分からん。全然覚えてない」と返してくる。母がもたらす情報は常に出どころ不明なのだ。
 
 上の写真が「麺豪 山下」で頂いたうどんである。これは「ぶっかけうどん(小)」。小とはいいながらも、量としては並盛りくらいはある。トッピング用の揚げ物なども豊富に揃っていたが、基本となるうどんだけで満腹になりそうな気がしたので、シンプルな状態で頂いた。小麦粉を練って、切って、湯がいたものって、何故こんなに美味しいんだろうと思わせるような、ほのかな甘みやモチモチとした噛みごたえがあり、小麦粉を練って、切って、湯がいたものって、何故こんなに綺麗なんだろうと見入ってしまうような、濡れた陶器のようなツヤがある。そんな讃岐うどんだ。麺の切り口と太さは不揃いで、少しうねっているのが特徴。ここに、おだしがからんで、口中につるんと入る。入ると、しばらくモチモチ感との格闘になり、一杯食べ終える頃には、あごがかなり疲れているのがよく分かるくらいである。
 
 この「麺豪 山下」は、アームレスリングの中四国チャンピオンだった店主が経営しているらしい。私は「豪」という漢字が好きだ。「撃」とか「斬」とかも好きだが、「豪」「豪傑」「剣豪」「酒豪」など「スゴイ奴」を連想させる。きっと、この「麺豪 山下」の店主もスゴイ奴で、鍛えぬいた腕や足腰で、小麦粉をグイグイ練りたおしているに違いない。従業員さんの声にも張りがあり、私たちが、初めての讃岐うどんにまごまごしていると、丁寧に説明して誘導してくれる。最も気分が良かったのは、お客さんの出入りに常に気を配っているようで、「いらっしゃいませ」「有難うございました」の言い漏れが一切なかったこと。「麺豪」は武士(もののふ)の如く、きびきびとして礼儀正しかった。麺の豪傑「麺豪 山下」、覚えておくぞよ。
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 香川県に来た目的が、うどんを食べるという、この一事のみだった為、早くもその目的を果たしてしまった私たちは、チェックインまでの数時間をどう潰すかという問題に改めて直面することになった。これが友人同士とか若者の集まりだったら、うどんの食べ較べで店々を巡ったり、あえて行き当たりばったりの旅を愉しんだりも出来るのだろうが、三十路の私と初老にさしかかった両親とでは、うどんを何杯も平らげるだけの喰い力もなく、予定にない行動を取るだけの体力も度胸もない。仕方がないのでホテルのロビーで一息入れながら、着物の写真を撮っておくことにした。
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 汗をかくだろうと思い、化繊の紗に化繊の絽の帯を締めた。帯揚げと帯締めのみ正絹。この日の香川県は気温も日差しも厳しく、着物で外歩きをすると背中を汗が伝うほど。痩せた方なら背中や腰周りに薄手のタオルか手ぬぐいを入れて汗取りができるそうだが、私はかなりむっちりしているので、これ以上厚みを増やすことも出来ず、夏はいつも汗に困る羽目に。
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 ロビーにずっといることにも飽きてしまった父が、「わし、ちょっと歩いてくる」と言うので、一緒にこんぴらさんの参道付近を歩いてみることにした。ここは、酒造会社「西野金陵株式会社」の趣きある建物。
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 元店蔵だった讃酒館(さんしゅかん)を抜けると、広い敷地の中に、仕込み倉と貯蔵倉だった建物があり、金陵の歴史を学べる資料館になっている。
 
 金陵とは、琴平の古い地名であるらしく、その名付け親は江戸後期の儒学者・頼山陽(らいさんよう)である。この琴平の地が、中国の歴史都市・金陵(南京)に似た雰囲気を持っていたことから、金陵と呼ばれるようになった。清酒金陵は、その古地名から付けられたものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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敷地内には、こんぴらさんの天狗が休憩したと伝えられる楠の大樹がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 一般的に讃岐三白といえば、綿・塩・砂糖といわれる。ただ、酒造会社などでは、綿の代わりに讃岐米を入れることもあるようで、この西野金陵株式会社のパンフレットにもそう書いてあった。
 
 個人的には、綿・塩・砂糖に讃岐米を加えて四白、さらには、佳い酒は佳い水がないと出来ないから、こんぴらさんのお山の良質の水、それが瀬にかかり白くきらめくことをイメージして、綿・塩・砂糖・米・水の讃岐五白でもいいんじゃないかと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 こんぴらさんの門前町はまた、「こんぴら歌舞伎」が演じられる処でもある。参道を含め、門前町全体に、絵師・穂束とよ國氏の絵看板(演目の一場面を肉筆画で描いたもの)が飾られている。
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 全部で四十二枚の絵看板が町のそこここに点在しているそうで、それらを探して門前町を歩く楽しみもある。山田一家が泊まった「ことひら温泉 琴参閣」の屋内には、左の『男女道成寺(めおとどうじょうじ)』と右下の『金毘羅のだんまり』の絵看板があった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 穂束とよ國さんという絵師については、ここ琴平を訪れて初めて知った。役者絵だと名取春仙と月岡芳年がダントツで好きではあるが、この穂束とよ國氏描くところの役者の顔も上品で好いなぁ。肉筆画特有の、むっくりとした色合いもとても魅力的である。
 
 読書しか趣味がなく、歌舞伎も含めて演劇全般を全く見ない私だが、こんど琴平に来る機会があったら、「こんぴら歌舞伎」が上演されている時を狙って来ようと本気で思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 二日目は、こんぴらさんにお参りすることになり、あまり暑くならない午前中に登ってみようと再び参道に出てみた。しかし、予想に反して午前中から気温はグングン上がり、とてもではないが長時間歩くことは出来ないように思われたので、父と私はズルをすることにした。そう、タクシーに乗って参道を駆け上がることにしたのである。母はこの時どうしていたかというと、こんぴらさんへも自力でお参りした経験があることから「もう、あんなえらいとこ行かん。チェックアウトまで寝てる」と言い、本当に私たちがホテルに戻るまで、一旦たたんだ蒲団を再び敷きのべ、寝ていたのであった。
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 タクシーに乗って、大門駅というところまで連れて来てもらった。これから先の神域ではどんな商売もしてはならないということで、結局ここからは自分の足で歩かなくてはならないのだそうだ。(な…な〜んだ、完全なズルが出来るわけじゃないのか…)と落胆している私たちに向かって、「お山から下りるときも、ここまで来て電話してくださいね、五分で来ますんで」と運転手さんは爽やかな笑顔を残し、ふもとに帰って行った。
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 大門駅から少し石段を上がってくると、広場があり、そこに「五人百姓(ごにんびゃくしょう)」と呼ばれる人たちが、名物・加美代飴を販売している。私たちが行った日は二人百姓状態だったが、「五人百姓」とは人数に関係なくそういう名称になっているのだろうか。それとも普段は本当に五人いらっしゃるのだろうか。本来境内では商売はしてはいけないそうだが、この「五人百姓」に関しては金刀比羅宮の神事への功労で、特別に許可されているのだそうだ。
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鳥居をくぐり、引き続き境内を歩く。
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長い長い道のり。
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 その昔「こんぴら狗」なるものが流行っていたことは知っていた。体力的・年齢的な問題や経済的な支障で直接のお参りが叶わなかった人に代わり、その飼い犬が、こんぴら参りと書いた札や袋を首に提げて、代参したというのである。こんぴら参りは、伊勢参りや富士参りのように一生に一度は行きたいと、民衆が念願する類のものであったから、「こんぴら狗」を見かけると、見ず知らずの色んな人が世話を焼き、その犬がこんぴらさんに少しでも近づけるように、讃岐方面へ行く人を見つけては託し、というふうにしてリレーしてやっていたらしい。しかも、ほとんどの「こんぴら狗」が無事代参を終え、こんぴらさんの御札や御守を携えて主人のもとに帰還したという説もあり、昔の人の思いやりと信仰の深さに驚いたものである。
 
 だが、この立て札の文章、ちょっとねじれているように感じるのは私だけだろうか?一文の中に袋・犬・飼い主という語がダブって出てくるせいか、途中までが微妙におかしいのである。
「江戸の昔、こんぴら参りの袋に初穂料と道中の食費を入れ、それを首に巻いた犬を飼い主が旅の人に託したもの」とすれば良かったんじゃなかろうか。ま、余計なお世話なんですけども。
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現代の「こんぴら狗」。
その名も「こんぴら狗ゴン」。
イラストレーター・湯村輝彦氏のデザイン。
藤子F不二雄氏の漫画やアニメに出てきそうな感じで可愛い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 それにしても、御本宮まで全然着かない。この鳥居をくぐっても、まだまだ先なのだ。(もう駄目だ…)痛み止めの薬は飲んできたのに、石段の一歩一歩が大きいためにヘルニアの痛みがぶり返してきた。(お父さんはまだ登るつもりなのかッ?)と父の横顔をチラッと見ると、彼も同じ事を考えていたようで目が合ってしまった。「おい。もうここでやめよう」と、父が呆気なくギブアップしてくれたので、根性なしの父娘はお山を下りることに相成った。なんだかかなり中途半端な旅だったが、私たちには「さぁ、行ってくるがよい!」と放つ「こんぴら狗」がいないので、これ以上どうにもならない。猛暑だったことも災いした。リベンジの際は真冬を選びたい。
 
 
 

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