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 夏目漱石の『坊っちゃん』は、中学生くらいの時期に一度通して読んでいると思っていた…。今回取り上げているのは、ごく最近購入した新潮文庫版だけれど、『坊っちゃん』そのものは、新学社文庫版や講談社から出ている少年少女日本文学館版などで、二十年以上前から手元にあったからだ。実際、登場人物も、教頭の赤シャツとか、なよなよした画学教師の野だいことか、そこそこ覚えているのも手伝って読んだ気になっていたようだ。
 
 しかし、今回あらためて読み進めてみると、坊っちゃん赤シャツ野だいこが釣りに行って、とある島を例の赤シャツが「ターナーの画のようだ」とか何とか言う辺りを過ぎた頃から、どうも私はその後の『坊っちゃん』の展開がどうなったという記憶がないのである。本当に一回でも読んでいれば、読み返してみた時に(あぁ〜、そうそう、こんな感じだったわ〜)という感覚を味わえるはずだと思うのだが、「ターナー島」以降それが全くない。ということは、私は坊っちゃんら三者の釣りの場面までは目を通したものの、それより先の話を実は読んでいなかったということなのだろう。つい先日の記事で、「『坊っちゃん』を久しぶりに再読中〜」みたようなことを書いたくせに恥ずかしい……。これは「再読」なんかではない。殆ど「初読」である。
 
 当時、中学生だった私は、世代を超えて読み継がれ、愛されている天下の名作を、そして愛媛県は松山市の観光事業に大いに貢献しているところの文学的資源を(つまらん小説)と評価したもののように思われる。その時、面白いと感じていれば、きちんと最後まで読んだはずなのだ。とんだ大馬鹿野郎のコンコンチキが私という人間なわけだが、そんな私も二十数年を経てちょっぴり大人になったのであろう、今回は『坊っちゃん』という作品を非常に、大変、誠に、この上なく面白く読めた。
 
 まず、夏目漱石が坊っちゃんに語らせているところの、松山の印象が興味深いのだ。昔「ターナー島」の辺りまで読んだ時には、私の感受性が鈍かったのか、良く言って大らかだったのか判らないが、坊っちゃんは数学教師として赴任した当初、松山の土地や地元民のことを、かなり手厳しく突き放しているのである。
 
 「…県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布の聯隊(れんたい)より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くした位な道幅で町並はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だなどと威張ってる人間は可哀想なものだ…」
 
 「…然しこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった…。…一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかな、もしは生温(なまぬる)い言葉だ…」
 
 「…冗談も度を過ごせばいたずらだ。焼餅の黒焦(くろこげ)の様なもので誰も賞(ほ)め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないと云う了見だろう。一時間あるくと見物する町もない様な狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争の様に触れちらかすんだろう。憐れな奴等だ…」
 
 と、こんな調子である。思うのだが、松山市の皆さんは、『坊っちゃん』において書かれている自分たちのふるさとの印象をどう感じているのだろう。漱石が実際に愛媛県尋常中学校の教師として赴任し、なお且つ、この作品が書かれた明治時代の松山現代の松山では比べるべくもないのだが、思いのほか、ケチョンケチョンに書かれているので、本当のところ、『坊っちゃん』を読む松山市の人々は、心中複雑なのではなかろうかと推察するのである。
 
 坊っちゃんは決して、松山の地を好きで好きで仕様がないとは語っていない。むしろ、松山からいつでも去る決心をちょくちょく固めているようにさえ見える。坊っちゃんは小説の中の登場人物に過ぎないのではあるし、彼の考えることと漱石の考えることが常にイコールというわけではないが、松山での勤務経験を持つ夏目漱石が、作品内で様々な描写を行うにあたっては、自分自身の経験をもとにするのは当然ということを考慮すると、作者・夏目漱石の内部に、任地・松山という土地に対するフラストレーションが少なからずくすぶっていたのではないかと勘繰ってしまうのである。一度、松山に住んでいる人たちに『坊っちゃん』を本当に最後まで読んだことがあるか、そして、その『坊っちゃん』を読んで内心どう思ったか訊ねてみたい心地がする。
 
 それから、意外にマドンナの存在がそんなに大きくないことに驚く。私が住んでいる山口県東部からは、「防予(ぼうよ)汽船」という松山直航フェリーが就航しており、かの地へは旅行しやすいはずなのだが、残念なことに私はまだ松山を訪れたことがない(しかしながら「防予汽船」のCMソング「み〜な〜み、瀬戸ぉ〜内ぃ〜海ぃぃ〜〜♪、光る風〜、走る波〜〜♪…」という、おそらく中国・四国地方でおなじみの歌はいまだに歌える)。そこで、テレビの旅番組や美味いもの番組からイメージを得ることになるのだが、観光地・松山というと、坊っちゃんとマドンナのキャラクター商品や、そのキャラクターが包装紙に印刷されたお土産品(なかでも坊っちゃん団子)などが浮かんでくる。坊っちゃんやマドンナが顔を見せるカラクリ時計もあったような気がする。とにかく、校長の狸や教頭の赤シャツ、うらなり君こと古賀先生、坊っちゃんと同じ数学教師の山嵐らは付け足しで、坊っちゃんとマドンナという組み合わせが街中に溢れているようなイメージがあるのだ。『坊っちゃん』を一度も読んだことのない人なら、坊っちゃんとマドンナは付き合っている、と勘違いするのではないか。
 
 しかし、作中ではマドンナはチラッとしか登場しないのである。「何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみた様な心持ち」がするハイカラ美人であることと、うらなり君(古賀先生)の婚約者であるにもかかわらず、教頭の赤シャツからもモーションをかけられている罪な女であることは分かるが、うらなり君や赤シャツに対する、彼女のはっきりとした感情は特に見えてこないのだ。どちらかといえば、そのマドンナを、計略を用いてうらなり君から掠め取ろうとする赤シャツや、彼の腰ぎんちゃくである野だいこへの反発から、典型的な直情径行型の男である坊っちゃんが山嵐(堀田先生)とタッグを組んで懲らしめるという展開の方に重きが置かれているため、マドンナにそれ以上の役割はないのである。この、実際の作品におけるマドンナの存在感の無さと、観光地・松山との間に結構大きなギャップがあるような気もして、これも面白いなと思ったのである。
 
 そして、坊っちゃんの幼少期から仕えている下女の清(きよ)のこと。
 坊っちゃんは東京に残してきた清のことをなにかと案じている。清が望んでいる詳しい近況報告になるように、苦手な手紙書きを試みてみたり、ふいに清に逢いたくなったり、清の言行を思い出してみたり。あたかも、新社会人が始めて一人暮らしをするにあたって、母親のこれまでの苦労や自分にかけてくれた愛情について、ついつい考えてしまうようにだ。清は清で、坊っちゃんの家の奉公人なのに、主である坊っちゃんに、かえって小遣いや菓子を与えてひどく可愛がっているのである。昔の、主家の人間と奉公人の関係は、どこでもこんな感じだったのだろうかと思う。奉公人である年老いた清は坊っちゃんを子供の頃から猫かわいがりし、主である坊っちゃんは、松山を去って東京へ帰った後、また清を引き取って一緒に暮らし、一生の面倒を見る。主従関係というと封建的で身分制度がかもし出す抗いがたい束縛のようなものを感じがちだが、存外にこの坊っちゃんと清の関係のように親子に近い感情で構築されているのものも多かったのではないかと気付くのだ。現代の雇用・被雇用関係ではなかなか見られない光景ではある。
 
 だから私は、松山にいた時の坊っちゃんの自由奔放な言動や、彼が巻き込まれた事件、滑稽味を帯びた感性も好きなのだけれど、最も好きなくだりはここである。
 
 「おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った」
 
 清は、もとは由緒ある家の人間であったようだが零落して奉公人になった。十分な学校教育を受けていないと見えて、坊っちゃんの赴任する松山が、どっちの方角にあるかも分かっていない。とりとめのない話もするし、想像力ばかりが豊か過ぎて、坊っちゃんはいずれ、麹町辺りへ屋敷を構えて役人になると勝手に決め込んでしまってもいる。坊っちゃんからすれば、学のない下女の域を出ないはずの清だが、それでも坊っちゃんは、そんな清のことが好きなのである。学校で教わるような学問が出来ないこと、下女という身分であることといった社会的属性は、清という老女の本性(ほんせい)や人間としての徳、愛情の豊かさとは全く関係がない。坊っちゃんもそのことを理解しているから、清のことが誰よりも好きなのである。彼女がこの世を去るまで面倒を見たいのである。上に挙げた文章は、坊っちゃんの清に対する恩愛と責任とがにじみ出ている、私のどこよりも好きな文章となっている。
 
 おそらく坊っちゃんは、清の中に万人に勝る美点を見出し、それゆえに清のことが好きであったのと同じように、松山という土地も本当は好きだったのではあるまいかとも考える。でなければ、俗な赤シャツと野だいこをとっちめるのに、山嵐と共同戦線を張るということもなかっただろう。山嵐こと堀田先生は会津出身なのだが、ちょっぴり強情で、しかし正義感の強い堀田先生が坊っちゃんと同じ職場にいるということ、そして「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」と坊っちゃんに言わしめるその土地の特色こそが、坊っちゃんにとっては松山の何にも勝る美点だったのである。その美点によって、彼はなんだかんだ言っても松山に愛着を感じていたろうし、そしてまた夏目漱石自身もそうだったのではあるまいかと、ふと私は感じたのである。
 
                          平成二十二年五月十日 再読了のはずだったが読了ということで。
 
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 私にはほんのちょっぴり仙人願望というものがある。喜怒哀楽を超絶し、およそ書物と酒樽しかない小さな庵に住み、梅花の香りの頃には逍遥遊として春の気に交わり、冴え冴えとした月の頃には月兎と戯れる。不老不死までは望んでいないが、できれば不老長生を得て、たまーに人間界の出来事にちょっかいを出したりしながら「ふぉふぉふぉっ」と笑う。そんな仙人になりたい気持が心のどこかにあるのだ。

 道号も既に考えてある。「玉兎山人(ぎょくとさんじん)」である。もしも他の仙人が既に「玉兎山人」を名乗っている場合には、私の方は「玉兎娘娘(ぎょくとにゃんにゃん)」で譲歩してもいい。使役する霊獣は勿論ウサギだ。「疾(チッ)!」と唱えると、双の耳が長すぎるくらいにビョーンと伸びるので、それを手綱代わりにして、ばいーん、ばいーんと飛び回る。そんなわけだから、人間が仙人である私を図に描く際には、巨大ウサギの背に乗る姿というのが最もポピュラーな画像となる。

 そして、得意技は「文章三昧(ぶんしょうさんまい)」。これは、読書嫌いの神・仙人・人間に遭遇したときに繰り出される技で、かざした私の手指から中空に向かっておびただしい数の字が浮かび、面白い物語を構成するというものである。この「文章三昧」にかかった者は、皆、その字を読まずにはいられなくなり、いつのまにか読書嫌いが治っているのだ。

 無論、「玉兎山人」は強力な宝貝(ぱおぺえ)も持っていて、この宝貝を「冊子飛燕弾(さっしひえんだん)」という。普段は道服の袂(たもと)に収めている胡蝶装の袖珍本(しゅうちんぼん)だが、ひとたびこの「冊子飛燕弾」を投げつけるやいなや、その名にたがわず燕のように飛んで行き、巨大化した上で敵の頭をはたくという代物なのである。(ここでいう「敵」とは、本を破いたり、食べ物のカスを落としているにも関わらず平気でそれを挟み込んだり、直射日光の当たる所に放り出したまま、色褪せるにまかせているような、本をぞんざいに扱う神・仙人・人間のことを言う)

 このように、私は仙人へと遷化(せんげ)した後の活動を大体決めてはいる。
…が、しかし…。仙人になるには、手始めに穀断ち(こくだち:米・麦などの穀物を一切口にしないこと)を行って、体内の浄化を図らなくてはならないのだが、残念なことに、私はこの穀断ちに成功したためしがないのである。(穀断ちが難しいなら…)と思って、天地陰陽の気との合一を図ろうと思い、独りでこっそり「なんちゃって太極拳」とでも言うべき、ユルユルとした変てこりんな動きを実践してみるものの、そもそもが独りよがりな習練だから成果が上がるはずもない。もっと楽な方法として、天地陰陽の気を長年に亘ってひたすら浴び続けるというのがあって、一見魅力的に思えるのだが、この「長年」というのが数百年・数千年・数万年単位なので、実践していたら仙人になる前に死んでしまう。これは木や石、岩といった無機物が仙人になるのに適した方法なのだ。こういった諸事情から、最近、私は行き詰まりを感じ始めている。(モー娘。に入りたいけど才能ないのかな…)と芸能界志望の女の子がつぶやくのと同じ手軽さで、(私って「仙骨(せんこつ):仙人になる素質・資格」がないのかなぁ…)なんて、ひとりごちている。

 『僕僕先生』の登場人物である二十二歳のニート青年・王弁も「仙骨がない」とのっけから宣言されている人間である。宣言したのが黄土山に住まう仙人で、姓が僕、名も僕という僕僕先生である。普通仙人というと、鶴の如き立ち姿に白髪白髯(はくはつはくぜん)、あるいは禿頭白髯というイメージがあるが、この僕僕先生は十代半ばの少女姿であるところが、まず珍しい。しかも、自分の事を「ボク」と呼ぶあたり、どうやらかなり「萌え」を意識して書かれているようだ。

 時代は唐。玄宗こと李隆基(りりゅうき)がまだ若く、政治(まつりごと)にも意欲的で、楊貴妃との愛によって唐王朝を衰退に向かわせる以前の、華やかなりし国際帝国をいっそうの繁栄に浴させていた時代である。王弁の父・王滔(おうとう)は地方の県令を勤め上げ、私財をふとらした後、神仙趣味に傾倒しているような男だ。彼の息子の王弁は、そんな自分の家の財力を知っている為に、学問をすることも働くこともなく、日々だらだらと過ごしている。その王弁が、父親の神仙趣味をきっかけに美少女仙人・僕僕と出会い、旅に出ることからこの物語は始まる。

 旅の目的が奈辺にあるのか、それは僕僕先生にしか分かっていない。何を考えているのか、さっぱり読めない僕僕先生に付き従いながら、それでも王弁は、次第に僕僕先生に心惹かれていくようになる。恋に落ちるのが早すぎるのでは?と思わないこともないが、こういうのが好きな読者もいようから、まぁ良しとしよう。早い段階で王弁が僕僕先生に対して恋心を持ったお蔭で(?)、皇帝が用いる温泉であんなことやこんなことが起こったり、軽めのスキンシップがあったりする。読んでいると(はは〜ん、三十代半ばの男は、日頃こんな事を妄想したり、萌えたりしているのか〜)と、久々に男ゴコロが解かったような気にさせられる。(作者の仁木英之氏は一九七三年生まれ。私の二つ上)

 僕僕先生と王弁は、道士・司馬承禎(しばしょうてい)の宅に滞在し、司馬承禎を信任している大唐帝国皇帝・玄宗への目通りも経験する。そして、司馬承禎から宝貝の一つ「禺疆翅(ぐうきょうし)」を借り受け、使用人の仙童からは「瑣納(ラッパ)」を貰い受ける。この宝貝は物語の後半で重要な役割を担うので、失くさないように持っておかなくてはならない。そのほか、犬頭人身の犬封国(けんほうこく)の商人から、今にもお陀仏しそうな痩せた駄馬を借りたりしながら最終目的地へと向かっていくのだ。この駄馬も後に、中国史好きならば誰でも知っている名馬に変身するので、その変身に至る過程を、苦心惨憺の王弁とともに読んでいくのもまた愉しい。

 最終目的地はこの世(中華世界)を作った神々の世界である。そこで僕僕先生と王弁は、創造主とも言うべき帝江(ていこう)や混沌(こんとん)らに遭遇する。ここで王弁は、混沌に飲み込まれるという最も苦しい試練をはからずも与えられ、これまでの怠惰な生活では考えられなかったほどの頑張りと自分以外の存在に対する信頼を強く要求されるのである。僕僕先生の旅の目的は果たされるのか、はたして王弁は混沌の腹の中から無事生還できるのか。そして何より、神々の世界を脱して人間界に戻ってこれるのか―――。

 この『僕僕先生』で描かれる世界は、例えば『封神演義』や『史記』『十八史略』など、神代から三皇五帝時代あたりのことが書かれている本を読んだ者なら、お馴染みの名前がわんさと出てくる。帝江もそうだし、目鼻など顔に七つあるとされる孔(あな)を一つも持っていない混沌が、他の神々の親切心から孔を開けられてしまい、かえって混沌ではいられなくなって死んでしまったというエピソードなども、既によく知られているものである。神代には十個の太陽がいたのを、九つまで射落としてしまった神・羿(げい)の話なども古代中国史好きならば、必ず読む神話と言っても過言ではない。そういった既に知っている、見慣れた名称が多く登場することも手伝って、この作品を読んだ時の私の手ごたえとイメージは「ちんまり」であった。

 けれども、その「ちんまり」はスケールが小さいという意味での「ちんまり」ではない。この「ちんまり」した感覚は何なんだろう、と思って考えているうちに、私はふと「壺中天」の語に行き当たったのである。「壺中の天」「一壺天」ともいう。小さな壺の中に神仙の別世界が存在し、時間・空間が変幻自在に伸縮する世界のことである。もしくは、古代中国の文物を紹介する展覧会などで、小さな宝玉や香木を巧みに彫り込んで、その中に碁を打つ神仙たちの姿や、詩を詠じ、琴を弾じる竹林の七賢を出現させたりしたのを、我々見学者が(うわー!小っせー!)と感嘆しながら覗き込んでいるような、あの感覚である。小さな小さなスペースを占めているだけの美術品にもかかわらず、そこを覗き込むと、神々がいて、仙人がいて、そこには人間臭い序列なんかもあって、曼荼羅のようでもあって、という感じの「ちんまり」。そういう、覗いてみると無限の広がりが感じられる作品なのだ。

 文章自体はまだこなれていない部分もあるようだし、いかにも「萌え」を意識した展開も、読んでいて少し照れくさい。それに、帯に「超クールな美少女仙人!?」とあるのも、読み終わってみれば「超クール」というよりも「ツンデレ」だろうと思われるのだが、人生に目標を見出せない青年が、旅を通じて生き方や恋や世の中との関わり方に悩み、少しだけ成長するストーリーも含めて、現代の世相を反映していて面白いし、楽しく読める。実は続編も全て購入していて、この勢いを借りて読もうかなという気になるのだから、私はやはりこういう物語が子供の頃から好きだったんだなと実感する。

 そうそう、この記事を書いている間に、我々が日々接する本そのものも「壺中天」の世界だということに今さらながらに気がついた。たった一冊の本に、紙の束でしかないその物体に、我々はどれだけ感嘆させられただろう。一冊の本の中に自分の見たことのない世界が広がっていて、一人の人間の一生という時間が流れていたり、もっともっと悠久の歴史の流れが渦巻いていたりする。その小さな本を覗き込むと、千軍万馬の轟きが聴こえ、豪壮華麗な皇宮が視界いっぱいに拡がる。本という「壺中天」の世界に遊ぶ者も、案外仙人のようなものなのかも知れない。

                               平成二十二年三月二十八日 読了

◆関連記事◆
『久米仙人』(武者小路実篤)の記事はこちらから→http://blogs.yahoo.co.jp/tomo31841211/6841388.html


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 小川未明。彼の遺した怪談は、何故こんなにもひんやりと冷たくて、湿っていて、出口の見出せない印象がつきまとうのだろう。

 長い年月開けてさえもいなかった死んだ人の部屋に、つと入って、仕舞い込まれたままの着物を取り出してみる。その絹地が異様なほど湿り気を帯びているのを掌に感じて、堪らず、ぞくり、と来るあの感覚に、それは似ている。死んだ人の用いた着物が、降り積もり、沈殿した時間を含んだまま、「なぜ、思い出してはくれなんだか…、なぜ、顧みてはくれなんだか…」と冷たく静かに問う。生きている者がその声を聞いて、死者を顧みることのなかった永の歳月に後ろめたさを感じるのに、それは似ているのだ。

 そう、小川未明の怪奇作品には後ろめたい感情を基盤とした「恐怖」が蟠(わだかま)っている。

 ジャパニーズ・ホラーというものが海外の映画業界などに認知されて既に久しい。私が子供の頃は、海外の恐怖映画といえばスプラッター的要素がふんだんに盛り込まれていたような気がするが、昨今では、極めて日本的というか、情緒的演出が多分に採用されているようにも思える。それどころか、日本のホラー映画そのもののリメイク版なども公開されたりして、それが映画業界的に成功したかどうかは甚だ疑問ではあるものの、日本のホラー小説やホラー映画というものが、派手に血しぶきが飛ぶわけではないが、じくじくとした恐怖演出を得意とするものであるということは理解されたのではないかと思う。

 海外でジャパニーズ・ホラーが一時もてはやされたのは、その演出が今までのアメリカ映画などにはあまりないタイプのものであったからだ。人間は「恐怖」を楽しめる唯一の動物と聞いたことがあるが、更に人間は、その「恐怖」が斬新なものであることを望むようでもある。同じ演出の「恐怖」にばかり接していると次第に慣れてしまうので、常に異なるタイプの「恐怖」や刺激を求めているわけである。井戸と亡霊びしょびしょに水に浸った廃屋付きまとう因縁・悪縁などといった演出は、今まで接したことのない人々にとっては非常に魅力的な「恐怖」としてその眼に映ったのであろう。

 そして、日本人にとってもジャパニーズ・ホラーといいならわされるジャンルは、目新しい存在であったと言える。井戸と亡霊というだけなら『番町皿屋敷』のような話もあるが、その井戸端の亡霊が這いずりながら、テレビから自分に向かって抜け出てくるといった演出は、日本人にとっても未体験ゾーンであったからだ。要するに、近来のホラー小説なりホラー映画というものは、その未体験の、斬新な、意想外の演出によって、読者や視聴者を恐怖させてきたと言うことが出来る。

 しかし、そういった恐怖演出もじきに飽きられてしまうことは明白である。

 反対に、小川未明の怪談・怪奇小説には「恐怖」についての目新しい舞台装置は無いに等しい。それにもかかわらず、彼の作品を読めば、読者は覚えず肌を粟立たせてしまうだろう。それは、小川未明の描き出す「恐怖」が、人間の持つ後ろめたさという感情、それも弱者や貧者、遭難者といった「助けが必要であった者」を故意に無視し、虐げた果ての後ろめたさを、そのモティーフとしていることが多いからなのだ。

 『赤い蝋燭(ろうそく)と人魚』を童話の範疇で読んだ方も多いだろう。
その『赤い蝋燭と人魚』の話が、今回この未明作品の中で怪談として選ばれているのも、この話が、人魚の娘を自分たちの子供として養育しておきながら、見世物商売の種になる生き物を探す香具師(やし)の口車に乗せられ、大金に眼が眩んで売り飛ばしたといういきさつを持つからである。信仰深いはずの蝋燭屋の老夫婦は、金の魔力に取り付かれ、今まで愛育していた人魚の女の子を香具師に引き渡してしまう。人魚を閉じ込めた檻と香具師とを乗せて船は出港するが、折からの嵐に船は沈没。それまでは、人魚の娘が描く美しい絵蝋燭は、山のお宮に捧げ、その燃えさしを身に付けてさえいれば、漁師は絶対に海難事故に遭わないと言われていたのに、娘が売られていく時に悲しみのあまり真っ赤に塗った赤い蝋燭がお宮に灯ってからというもの、その灯火を見た者は必ず海で溺れて死ぬのである。禍々しい赤い蝋燭をお宮に灯すことは不吉以外の何ものでもないはずなのに、今日もまた、誰の手によるものか、真っ暗な参道をちろちろと赤い蝋燭が、山のお宮に向かって上げられていく…。

 老夫婦は自分たちがしでかしたことを悔やむのだが、その後悔はもう既に遅いのだ。
山のお宮は鬼門となって、その村は程なく滅んでしまう。

 または『黒い人と赤い橇(そり)』。
北方の国の人々が、黒い獣の毛皮を着込んで、海の凍った氷上で仕事をしていた時のこと。突然その氷が割れ、三人の人が割れた方の氷に乗せられたまま、はるか沖へと流されてしまう。残りの者らはうろたえるばかりで直ちに助けることが出来ないまま、沖に流された三人の姿は見えなくなってしまった。無事だった者の内、勇気のある五人の男が「見殺しには出来ない」と、五日分の食糧を赤い橇に積み込み、捜索に出て行くが、五日待っても六日待っても帰ってこない。先の三人と捜索に出た五人の者を救いに行こうと提案する者も出ないまま、残った人々は諦めて日を送り始めたのであった。そして、遭難者の出たことを忘れ始めた数年後、漁師達がいつものように海で仕事をしていると、海上に三つの黒い人影が浮かんだ。彼らには…足が無い…。その影を見た者達はぞっとして、あの時行方不明になった三人だと確信する。そうして、漁師達が早々に引き上げようとしたところ、彼らの乗った船はなぜか一つ残らず海に引き込まれ沈んでしまったのだった。またある時は、夕陽で赤く染まる地平線に向かい、五つの赤い橇が無言で走っていくのを見た者まで出る。あの時、捜索に出たまま、何事かが起こって帰って来れなくなった五人の橇だ。

 そして初めて人々は悔いるのである。
あの時、誰も彼らを助けに行かなかったではないか。
戻って来れなくなった者を誰も祀ってやらなかったではないか…。

 小川未明の作品が恐ろしいのは、その恐怖の根源が人間誰しもが持っている「我が身可愛さ」というエゴイズムから、助けるべき対象に救いの手を差し伸べなかった後ろめたさと悔恨に由来しているからなのだ。これまで生きてきた人生の中で、人は誰でもそんな後ろめたさと悔恨の情を抱いたことが、多かれ少なかれあるのではないか。これまでに無かった新しい手法による「恐怖」というものも確かに恐ろしさを感じさせはするが、「我が身可愛さ」から生じる他者への冷淡さ・残酷さを我々が秘めている限り、それが人間の性質の中に深く密接に根ざしている限り、そして己の冷淡さがいきなり眼前に突きつけられる時、小川未明の怪奇小説は極めてシンプルでありながら、「本能的恐怖」を誘発し続ける…。

 『文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船』では、上に挙げた作品を含めて、全三十三篇の怪奇幻想作品を読むことが出来る。その中には、上記のような人間のエゴイズムを発端とした妖しの物語もあるし、小川未明の出身地・新潟県の重々しく湿った雪や風、闇に閉ざされた夜そのものが「恐怖」として描き出されるものもある。または、幼い子供が得体の知れぬ旅僧に会ったり、正体不明の現象・兆しに出会ったことで、ある日突然不条理に死んでいく話もあったりと、読者は非常にバラエティーに富んだ妖異物語に遊ぶことが出来る。それらを読むと、「恐怖」とは作りこまれたフィクションの世界にばかりあるのではなく、我々の日常生活の其処ここに、ひそやかに佇んでいることも解かるのである。
それは日常生活の眼には見えない部分に、蛇がとぐろを巻くように、か黒く蟠っているものなのだ…。

 子供時代のあの日、あなたに「遊ぼうよ」と声をかけてきたのは、確かに見覚えのある友の顔であったか。去年死んだ子供の顔ではなかったか。
あの四辻で泣いている子供は、帰りの遅い母を案じているのか、それとも死んだ母を慕って泣くのか。
黒い夜、あなたの側で寝息を立てているのが、確かにあなたの家の者という確証はあるか。悪意と害意に満ちたこの世ならぬモノが、あなたのすぐ背後で、あなたの寝姿をまねて寄り添い、あなたに、妖しの世界へと導く息を夜ごと吹きかけ続けているのではないか……。
我々の手には、そうではないと断ずる何らの証拠もありはしないのである。―――


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 「時には魔帝と」「時には野望児と」「時には妖僧と」…という具合に全十章の章立てに沿って、「ばさら大名」こと佐々木道誉(どうよ)が南北朝の混乱期をひらりひらりと生き抜いてゆく。

 南北朝時代といえば、一三三三年の鎌倉幕府滅亡から室町幕府による全国統一までの約六十年間を指す。この間、皇統は後醍醐天皇の南朝光明天皇の北朝とに分かれ、複雑な政治抗争、数々の合戦が巻き起こったが、北朝を擁する足利尊氏の室町幕府の側に次第に政権が収斂されていき、南北合一が果たされることになる。いわゆる『太平記』に描かれる軍記絵巻でお馴染みの時代である。

 そこはしかし、御馴染みとは云いつつも山田風太郎氏の書く小説であるから一筋縄ではいかない。魔帝・野望児・妖僧・神将・人獣…と、混乱の極みを見せる日の本六十余州において、佐々木道誉が巡り会う人々の誰も彼もが、規格外の妖しさや非道さ、支配欲、権力欲を有する者たちなのである。

 権力のありどころとバランスは年々刻々変転する。南朝の後醍醐帝は、武士の台頭する世になって久しい十四世紀の時代を天皇親政・皇統支配の昔に返そうと企図し、鎌倉幕府を打倒、建武の新政を開始する。足利尊氏は鎌倉幕府方でありながら、後醍醐帝側に寝返り、六波羅探題を解体、北条氏も六波羅探題と共に滅亡させる。しかし、天皇が政治を執り行う建武の新政に失望した彼は、あらたに光明天皇という傀儡天皇を擁立し、北朝を奉じる。後醍醐帝は吉野に追いやられ、捲土重来を期することに。そして事実上、日の本六十余州の支配者となった尊氏のもとで、今度は尊氏の家臣である高師直(こうのもろなお)・高師泰(こうのもろやす)兄弟が京洛に幅を利かせ、豪奢な邸宅に無理やり奪ってきた貴族の姫君たちを住まわせ、悪逆の限りを尽くす。その高兄弟は尊氏の弟・足利直義(ただよし)と対立を深め、高兄弟は権力の中枢から追い落とされるのだ。南朝・北朝のせめぎあいは、実のところ、南朝と足利政権の対立であり、その情勢の中で足利政権内部でも権力闘争が頻発している。最終的には足利尊氏・直義兄弟までもが相争い、兄の尊氏が弟の直義を滅ぼすに至る。

 では、最後まで南朝の後醍醐帝について戦っていた楠正成とその一族郎党が、背反と下剋上が常となっている国情の中で、烈忠の臣という名にふさわしい働きを為したことについてはどうか。異形の人間達がうごめく南北朝にあって、南朝の為に変わらぬ忠誠を誓い続け、戦い続けた楠正成もまた、一種異様な執念を燃やす人外の神将のように描かれている。山田風太郎氏は楠正成をして佐々木道誉に対し、このように言わしめている。
「正成は、たとえみかどが天魔鬼神でおわそうと、必ずお護りして死ぬものと覚悟を決めておるものです。……私は決してマトモな男ではありませんぞ」
正成の眼の奥底からも、狂気の青い光が浮かび上がって来る。

 面白いことに佐々木道誉は、この血で血を洗う動乱期を不思議なほど軽妙に渡り歩いている。彼は自らを「ばさら」をもって任じ、連歌・立花・香道・茶をよくし、申楽(さるがく)を保護し、女を愛した。この作品の中の彼は、自分の「ばさら」としての生き方を貫くためには、日本が統一されず、混沌とした状況下にあるのが最もふさわしいと考える。政治権力がどこかの一点に集約され、日本の国情が安定を見れば、自分のような勝手気ままで自由奔放な伊達者は、いずれ頭を押さえつけられる形になるからである。旨いものを喰い、自由に幾人もの女を抱き、華美で奢侈な衣類を身に纏い、芸術を愛好し、申楽や白拍子など道々の者と交流する為には、権力というものが絶えず流転し、他の競争者達がそれをわき目も振らずに追いかけている状況が望ましかったのだ。よって、南北朝の混乱期は彼にとってはむしろ、自分の主義を表現しやすい、生きやすい時代であったのかもしれない。ゆえに物語の最後の最後、足利尊氏の孫・足利義満によって天下が再び太平の世を迎えた時、佐々木道誉は、少年将軍・義満が後に世阿弥となる究極の美童にして天才申楽師・鬼夜叉と共に舞を舞うさなか、ついにどうとばかりに倒れ、この世に別れを告げることになるのである。

 実はこの将軍義満、天皇親政の世を目指したまま無念のうちに没した後醍醐帝の魂魄がのり移った存在なのだが、この世のものとは思えないほどの美しさを持つ鬼夜叉を召し、道誉の眼前、舞の所作の中でこの鬼夜叉と媾合を行って見せるのである。道誉もまた、この鬼夜叉という美しい少年申楽師を愛で、自邸に何度か招いたことがある。ただ、道誉はこの鬼夜叉を一個の芸術美、芸術の結晶と見て、けっして性愛の対象とはしなかったのだ。だが、ここにきてその鬼夜叉は将軍義満によって、はかなくも花を散らされ、蹂躙されたのである。これはいうなれば、道誉が志向した「ばさら」における美への蹂躙であった。彼が生涯貫き通した「ばさら」的生き方、美的生き方の全否定であった。
「あっぱれでござる!将軍家こそ、いやはや日本一の大婆沙羅、道誉、これにて……」
もはや、彼の生きる舞台は将軍義満の出現と共に失われてしまったのであった。

 山田風太郎氏が南北朝時代を作品化するにあたって、そこに登場する後醍醐帝や足利尊氏・直義兄弟、高師直・師泰兄弟、僧・文観、楠正成一党ら、あらゆる人物をおどろおどろしたエネルギーを持つキャラクターに仕立てたことには、なにかワケがあるような気がする。その疑問を解決するのに、同氏が太平洋戦争を経験した世代であることを考慮に入れるのもいいかもしれない。

 氏は東京医科大学在学中の一九四七年に推理小説『達磨峠の事件』で作家デビューを果たす人だが、かれの十九歳から二十三歳までの時期が戦時中に当たっている。学生として色々なことを学び吸収する時期に、彼はあの酷い戦争を経験しているわけである。戦争という地獄は、氏に人間の残虐性や獰猛性、あるいは嗜虐性といったものまでも見せつけたであろうし、また権力への妄執や、権謀術数によって浮沈をとめどなく繰り返す支配者層の愚かさをもまざまざと露呈したであろう。人というものは、ひとたび足を踏み外せば、即座に魔界の住人となりうるということを、氏は身をもって体験したのではないだろうか。彼が描く歴史小説がどろどろとした魔界の如き世界であるのは、その裏で、この世の現実そのものが魔界と隣り合わせであることを示唆するものだからだと私は思う。ここまで考えると、楠正成の「正成は、たとえみかどが天魔鬼神でおわそうと、必ずお護りして死ぬものと覚悟を決めておるものです。……私は決してマトモな男ではありませんぞ」という言葉も、お国の為にと狂信に近い愛国精神を抱いて、あたら若い命を散らせた軍人・兵士たちの姿に重なるような気さえするのである。

 佐々木道誉は言う。
「どうも私には、あのみかどが、みかどとして出現なされて以来、人間界の魔棺をあけられて、そこからおびただしい婆沙羅の星がいっせいにこの地上に飛び出してきたような気がするが、ここにおわす方々もみなまた然り―――」

 その魔棺の蓋は、いまだ閉じられてはいないのだろう―――。


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 好きな小説ベストテンを挙げよ、と言われたら、間違いなくランクインさせてしまうのが、この『墨攻』である。残りの九作品については、まだ何も考えてはいないけど。

 舞台は古代中国。儒家、法家、縦横家、農家、名家、道家、兵家など、数多くの思想が大陸に開花し、百家争鳴と称された春秋戦国時代(紀元前七七〇年〜前二二一年)の話である。この『墨攻』というタイトルが指し示す通り、本作品で活躍するのは「墨家」の徒である。墨翟(ぼくてき)という人物が確立させたのが「墨家」の教えだと、一般には言われているが、墨翟なる者については歴史資料はあまり残っていない。宋に仕官しているから士大夫階級のようだが、「墨」という字から見るに入れ墨刑を受けた罪人のようにも思える。ちょっとワケ有りな人らしく感じられる。

 「墨家」諸子百家の中では、かなり特異な性質を持った学派といえよう。儒家や法家など殆どの学派が王侯に仕官するための「学問」として発展してきたのに対して、墨家は戦争を仕掛けてくる相手から徹底して城(じょう・中国では城塞都市を意味する)を守る「技術」として、その思想を発展させてきたからである。墨家の徒は「非攻・兼愛」の思想のもとに決して自分達から戦争を仕掛けることはなかったが、他国から攻め入られそうな国や城に対しては、要請に応じて学徒を派遣し、その対象を確実に守禦した。 彼らは思想集団であると同時に、戦闘集団でもあったのだ。

 墨家の徒・革離(かくり)が単身やって来たのは、梁城という田舎豪族の城邑(じょうゆう)であった。彼は墨翟から数えて四番目の巨子(くし)・田襄子(でんじょうし)によって、梁城を守れと派遣されて来たのである。巨子とは墨家の最高指導者で、その命令は絶対である。また、巨子のもとで学問や技術習得に励む墨家の徒も、巨子の下知には絶対服従で臨む。革離は、巨子・田襄子の命を受けて、将軍・巷淹中(こうえんちゅう)率いる趙軍から梁城を守り抜くための戦いを開始する。

 革離はまず、梁城の城主である梁渓(りょうけい)と、その子息・梁適(りょうてき)と面談し、梁城における全権を自分に委任するよう要求した。城主父子は墨家に援軍は依頼したものの、まさかに革離がたった一人やって来るとは思っておらず、その実力には半信半疑であった。梁渓・梁適の二人は、自分の城を守るために、しぶしぶ承諾するものの、革離のことをよく思っていなかった。

 梁城での全権を掌握した革離は、早速、守城の準備に取り掛かる。彼は城内のどの人間よりも寝る間を惜しんで働き、城壁の修理、土嚢作り、兵器製作、塹壕掘削、軍隊編成、軍規作成、兵糧管理、指導者育成に至るまで、持てる技術を梁城の支配者層と邑人にたたき込んだのである。趙軍から城を守りぬかねばならない期間は約半年。それを持ちこたえれば、趙は首都・邯鄲を、同じく戦端を開いている魏から狙われるのを阻止するため、梁城から撤退せざるを得なくなるのだ。

 革離の戦術指導が功を奏して、梁城の邑人たちは戦慣れしていないにも関わらず、趙軍の激烈な攻撃をよく防いだ。邑人を始め、役人や将軍らも次第に革離の軍神の如きカリスマ性に心酔していく。しかも、革離を始めとする墨家の徒は、無報酬でこういった戦闘に従事し、他国に侵犯されて困っている城邑を守るのである。支持者が出ないわけがない。反対に、城主の息子・梁適は、何の見返りも求めず、死に物狂いで奉仕する墨家の思想に、そして革離に名状しがたい恐怖を覚えはじめるのであった。
『彼らはいつか報酬をまとめて要求するに違いない……』梁適は思う。
その報酬が一体どういうものなのかは、本書を読むと追々解かってくる事になる。

 守城期間のめどであった半年が過ぎようとしていたが、趙軍はなかなか撤退の様子を見せない。
そのような状況下で、戦闘のさなか趙軍に捕らえられ、虜囚となっていた梁城の邑人が巷淹中将軍の恩情により帰還させられてきた。その中には梁適の愛人・瞭姫(りょうき)も含まれていたのだが、彼女は捕虜になっている間に、生命を脅かされ、梁城内部の様子を巷淹中将軍に話してしまっていたのであった。
革離は帰還してきた邑人の内、敵に情報を流した者を処刑することにし、梁適の愛人・瞭姫も首を刎ねられてしまう。梁適は彼女の為に助命嘆願したが、革離が定めた軍規により受け入れられることはなかった。

 実は、巷淹中将軍のもとには、梁城から撤退して趙の首都・邯鄲を魏から守るようにとの指令がきていたのだが、彼は小城すら落せぬ状態に憤懣やるかたなく、最後に一戦を交えてから撤退しようと考えていたのであった。趙軍は改めて梁城に押し寄せた。革離を中心にして梁城の邑人は死兵と化して応戦する。
戦場指揮の為に、革離は城内を東奔西走していた。
その時である。
革離の胸を一矢が勢いよく貫いたのであった。
矢の放たれた場所を革離が振り返ると、そこには梁適がいた。

 軍神を失ったことで、梁城は一気に弱体化する。そして趙軍によって蹂躙され、滅亡した。
革離は契約した半年の守城を果たした後、七ヶ月目に死んだのである。

 墨家は一時期、儒家と肩を並べるほどの隆盛を見たが、始皇帝が秦を強力な法治国家に仕上げた頃には、跡形もなく消え失せた不思議な学派でもあった。しかし、革離が厳しい軍律と粉骨砕身の奉仕によって梁城を軍事要塞として鍛え上げたのと同様に、もしかしたら墨家そのものも秦国の中枢に溶け込んだか、もしくは墨家の思想が、韓非子に代表される法家に受け継がれるなどして、秦の強大化の一翼を担ったのではないかと考えることも可能だろう。

 しかし、革離があまりにも苛烈な軍規を適用して、かえって愛人を失った梁適の恨みをかったように、秦帝国もまた、その峻厳な法治体制により内部崩壊を誘発してしまう。結果は歴史を見るとおりである。

 この『墨攻』はフィクションではあるが、(『墨攻』というタイトルからして既にフィクションである。本来は『墨守』) 実際の歴史の趨勢をも暗示しているように、私には思えるのだ。短い小説だが、作家・酒見賢一氏の力量を証明する作品ともなっている。


                             平成二十一年十月十四日再々読了



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