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現在、日本で起きていることは、世界に、或いは歴史に目を向けてみた場合、既に誰かが経験したことである。原子力の平和利用や原子力発電における安全神話の盲信。英雄を作り上げて、ともすれば彼らには名誉しか与えず、その英雄と呼ばれる人々の背後に隠れて、安全な場所で利益を貪る人間がいるという構図。酪農や農業・漁業はもちろんのこと、暴走した原発によって生業(なりわい)を失い、これまで懸命に築きあげてきたものも、将来の展望も一気に打ち砕かれてしまった人々の苦悩と絶望。これを見た限り、人類は過去の経験から何も学ばず、同じ過ちを何度も繰り返しているとしか思えない。
そもそも歴史を鑑みるに、人間は永遠に、絶対に壊れないものをこれまでに一度だって作り得たことがあっただろうか。器物にしても建築物にしても、人間が作るものは、時間の経過とともに傷み、破損し、風化していく。遠い過去に作られた物が現存している場合でも、それは、作られた当時の状態を万全に保っているとは云えない。補修に補修を重ねて、もしくは、再建に再建を重ねて、存在しているはずである。”形あるものは、いつか壊れる”などと警句を発していながら、それでは何故、原子力発電所だけが絶対安全と云い切れるのか。考えれば考えるほど、なぜ原発のみが永久不滅の施設のように賛美され、人々もそれを信じてしまうのか、私には解からない。人間というものは、死という滅びの道から逃れられない宿命を負っている。生まれれば必ず死に、生まれたということは、そこからすでに自らの死への道が開かれているということである。人間存在に永遠だとか無限というものは、はなから与えられておらず、人間は、いつか死ぬ、いつか終わるという有限性の中でしか生きられないようになっているのだ。その有限性に束縛されざるを得ない人間が、どうして原子力に関してだけ、永久に稼動し続けるものを、絶対に安全と断言できるものを創造することが出来ようか。いまだ人類は、自らの身体においてさえ絶対性も無限性も獲得できてはいないのだ。相対性と有限性しか持ちえたことのない人類が、原子力を扱うということに、私は禍事(まがごと)めいた誤謬(ごびゅう)を感じるし、そこはかとなき恐怖を覚える。 この記事を書いている折も折、二井関成(にい せきなり)山口県知事閣下が、上関原発建設予定地に関して、公有水面埋め立て免許の延長申請を中国電力側が申請したものの、それを認めないとの決断を下した。原子力エネルギーについての国の方針が定まっていないから、という、少々含みを残した理由ではあったが、今まで推進してきた事業を一旦凍結し、従来とは異なる政策へと方向転換することは、非常に勇気の要ることで、そこを乗り越えて新たな決断をしてくれたことに感謝したい。慣れきってしまっていた物の考え方や生き方を変える、疑問を感じることなく進んでいた道から踵(きびす)を返すというのは、実に容易なことではない。しかし、山口県という本州の端っこの土地が本来的に備えている、中央に立ち向かう力、変革を志向する原動力といったものを、このたびの原子力問題を考えるうえでもう一度、再認識し、発揮することが出来たら、一長州人としてこれにすぐる喜びはないと感じている。県知事閣下の英断を嬉しく思う。
ただ、そうは云いつつも現段階では、オセロゲームの黒白(こくびゃく)を争っているようなもので、いつ何どき、この判断がひっくり返されるか分からない。私個人は、上に挙げた誤謬性から脱原発の立場であるが、原発推進派の人々ももちろんいるし、地域ごとに原子力発電に依存する割合も異なっているから、事は非常に難しい。むしろ、山口県が上記のごとき判断を下せたのは、上関原発が「建設段階」であったからだとも云えるのである。これが、はや建設完了しており、発電所として稼動していたら、県知事閣下も同じ判断が下せたかどうか。したがって、現在、運転休止中の原子炉を再稼動させるか否かの問題について、その炉が置かれている地域の市区町村長や首長が苦慮していることも、そして電力面でも歳入面でも、原発への依存度が高ければ高いほど、再稼動させたいと考える立場の人が多くなるのも理解はできるのである。
けれども考えて見てほしい。福島第一原発のように、チェルノブイリ以来、全世界を動揺させ、驚愕させたこれほどの大事故を起こしておきながら、その事故を受けてヨーロッパ各国が脱原発路線に移行しつつある情勢の中で、ヒロシマ・ナガサキの原爆であれほど酷(むご)い被曝に苦しめられながら、今また、自国に抱え込んだ原子力によって被曝の危機に直面しているという最中に、まだ、原発をどうするかで国が迷走するみっともなさ。「日本はそれでも原子力を虎の子のように崇めるのか」と全世界から嘲笑されることの不利益を。
ヒロシマ・ナガサキの経験を経て、日本人は、原子爆弾の恐ろしさと戦争の惨(むご)たらしさ、平和への希求を国際社会にずっと訴えかけてきた。そのメッセージの強さ、全世界の人々に向けて語るべきことがあるという強味は、確実に日本の財産の一つになっていたはずである。それがどうであろう。今回のことで改めるべきは改め、踵を返すということが出来なかったとすると、ヒロシマ・ナガサキでのメッセージもきっと矛盾を孕むことになる。そうして、日本は、筋の通ったメッセージさえも発信できない国として顧みられなくなることは必至である。国際社会というものは、国際競争力の強い国や経済成長の著しい国、資源の豊富な国ばかりを尊重しているわけではない。日本のように、リーダーがコロコロ替わり、資源に乏しく、経済的にも不安を抱える国が、それでも何故、諸外国の人々から愛されているのかといえば、日本それ自体が特異な文化や国民の資質、思想、提言といったものを有しているからである。何ものにも代えられない独自のメッセージを持ち続けているということが、国際社会において日本が尊重される所以(ゆえん)ではないかと私は考えている。だからこそ、このたびの事故をきっかけに、これまで培ってきた日本の財産さえも毀損(きそん)することのないように、日本は、日本国民は立ち回らなければならないのである。
過疎地の人々の横っ面を、札束でひっぱたくようなやり方はもうやめて、オセロ盤上の黒白を取ったり取られたり、それを繰り返しながらでも良いから、徐々に、原発に頼らずに済む社会を形成していくほうが、最終的には日本人の為になるのではないだろうか。フクシマの事故を教訓に、日本は新たな再生可能エネルギーへの取り組みを世界に先駆けて始動した、と胸を張って云えたほうが、それがまた良い財産となりうるのではないか。
『チェルノブイリの少年たち』はドキュメント・ノベルなんだそうである。あまり聞かない言葉だが、プリピアーチの街にセーロフ一家が実在したわけではないということだろう。だが、チェルノブイリの事故後には、この小説に登場するセーロフ一家と同じような末路を辿った数限りない家族がいたであろうことは想像に難くない。そしてそれは、二十五年前のウクライナ地方に限ったことではなくて、原子力発電所を有する世界中の都市ならどこでも、ひとたび事故が起きれば、こういった家族が生み出される可能性を持っているのだ。「あの偉い連中は…」と、ターニャが叫んだことを、我々日本人が今叫んでいる。「畑や動物をどうするのか…」と、ストレリツォフが苦悩したことを、福島第一原発の周辺地域の人々が今、経験している。我々一人ひとりが、セーロフ一家になるかもしれないということを肝に銘じて読むべき作品である。
目次
運命の金曜日
大草原の惨劇
第二夜の訪れ
危険地帯からの脱出
孤独な少年
検問
病棟
捜索
キエフの空の下
イワンの脱走
チェルノブイリ現地の真相
福島第一原発事故のあと読了。
あまりにショックで日付を控えるのを忘れた。
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た行の本
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国家は必ず嘘をつく―――。より小規模な組織でも然り。人間一人ひとりは善良だとしても、それが寄り集まって、組織や国家という大きな共同体を形成した場合には、それが善良な国家、善良な組織である保証はどこにもない。人間一個人でさえ、たとえ善良な小市民であったにしても、自分の失敗や過ちや恥を認めるのに多少の勇気がいり、それらを過小評価しがちであるのに、人間の寄り集まりであるところの国家や組織が、その人間の性(さが)から逃れられようはずもない。むしろ、国家や組織といった共同体が自らの負の部分を嘘や隠蔽で糊塗する場合、それが巨大な功利主義に根ざしていることが殆どであるゆえに事態は一層深刻である。そしてその嘘が、国民のため、社会のため、パニックを起さないためというのだから、始末が悪い。
『チェルノブイリの少年たち』を購入したのは、いつ頃のことだったろうか…。私が持っているこの九刷が平成七年(一九九五年)の発行であるから、出されてすぐに手に取ったとして、大学二回生の頃である。それから十六年間、私はこの本を購入して本棚にしまいこんだまま、一度も読まなかった。チェルノブイリ原発の事故は、当時十一歳だった私の眼にもとてつもなく衝撃的で深刻な問題だったし、原子力発電、あるいは原子力発電所というものに全然無関心だったわけではない。何と云っても、私の住む山口県東部には上関(かみのせき)原発建設予定地が存在し、もうかれこれ三十年にもわたって、住民が推進派と反対派に分裂して対立し、さらに反対派住民と中国電力が闘い続けていたのだから。ただ、なんと云ったらいいのだろう…。私は、そういう問題を極力避けて通るようにしていた。考えないようにしていた。大人たちのややこしい利害関係に首を突っ込みたくない、という心境だったのかもしれないし、チェルノブイリ原発に関して云えば、遠い遠いウクライナ地方の事故で、対岸の火事と呑気に構えていたのかもしれない。だが、この「考えないようにしている」という消極的行為も、私の、ひいては人間の悪いところであり、この致命的な欠点が国家や組織という、より大きな共同体において立ち現れてしまうと、起こり得る危機に対して、実は何らの予測も対策も講じていないという、極めて怖ろしい状態が現出する。
私がこの本をようやくのこと読んだのは、福島第一原子力発電所で重大な事故が起こった後だった―――。
物語は、チェルノブイリ原発が爆発事故を起こした一九八六年の四月二十六日深夜から始まる。主人公となるのは、チェルノブイリ原発の近隣地区・プリピアーチに住むセーロフ一家。父アンドレー、母ターニャ、十五歳の息子イワン、そしてようやく十一歳になったばかりの娘イネッサの四人家族である。父であるアンドレーは、チェルノブイリ原子力発電所の古参の職員で、彼ら一家が住んでいるアパートは、その住人全員がチェルノブイリ原発で働く職員家族であった。アンドレーは、世界一の原子力発電基地を目指すプリピアーチの住民として、かつ、チェルノブイリ原発の設計から運転作業にいたるまでを監督してきた真面目で誠実な職員として、誇り高く生きてきたし、その誇りを胸に愛する家族を養ってきた。その、自分にとって誇りと自信の源であった発電所が、何の前触れもなく、深夜の一時二十三分、大音響とともに爆発し、火柱を立ち上げたのである。
深夜の事故という事情もあったのかもしれないが、もの凄まじい火炎が吹き上がっているにもかかわらず、セーロフ一家を含む職員アパートの住人が避難するのには、かなりの時間を要した。彼等は軍人の指示のもと、避難用バスに乗る手続きをさせられ、そのバスも夜明けになってもなかなか到着せず、結局、自家用車で避難できる者は、家族ごとに車に乗り込むことになった。けれどもそれは、逃げたい場所へ、逃げたい速度でめいめいに散らばってよいということではなく、軍用トラックに先導されての、のろのろとした逃避行であったのだ。自家用車を持たない住人は軍用トラックや、やっと到着したバスに詰め込まれて出発する。この爆発事故から朝方までの数時間で、アンドレーの車には得体の知れない灰が降り積もっており、地面には今にも死にそうな鳥が転がっていた。
避難の大行列は軍部の統制下に置かれており、何ぴとも、その行列から抜けることは許されないようであった。その間にも娘のイネッサは頭痛と不快感からぐったりとし始め、息子のイワンも視力を失いかけている。人々は、肌に刺すような痛みを覚え始め、若い母親が抱えている乳児の中には吐血している者もいる。農地を見やれば、羊の死骸―――。そんな中で、軍人に追い立てられ、家族とともに避難せざるを得なかったアンドレーは、急遽、チェルノブイリ原子力発電所に引き返すことになる。彼の上司であるコリヤキンの命令であった。アンドレーを含む十三人の幹部職員は、さらに十人ほどの部下を招集し、合計百数十人の決死隊となって原子炉の処理に向かうのである。セーロフ一家は引き裂かれるようにして、父のアンドレーを奪われ、そしてそれは、本当に今生(こんじょう)の別れとなってしまったのだった。上司のコリヤキン自身は事故現場には赴かず、避難者のバスに乗り込んで、軍のやり方に不満や疑問を投げかける者、都合の悪い情報を口にする者を見つけては圧力をかけていく。
悪夢のような出来事を次々に体験していくイワンとイネッサ。発電所から命からがら脱走し、現場の真実を皆に教えようとしたニコライ・アレクサンドロフが見せしめのために銃殺され(おそらくその妻も)、二万人以上いる避難者は途中から大人と子供に分けられてバスに分乗することになり、イワンとイネッサは母ターニャとも引き離されてしまう。実は、百キロ四方に飛散した高濃度の放射性物質や有毒性ガスの中を、避難する彼等はせいぜい二十キロ程度しか移動できていないのだ。次第に血液が破壊され、体中に内出血による紫色の斑点が浮かぶ。脱毛する者も見受けられるようになってきた。急激に衰弱していく自分の肉体を目の当たりにせねばならない恐怖を避難者たちは味わい、それを必死に噛み殺す。途中に設けられた検問所では、健康状態の把握と称して当局のための名簿が作成され、症状ごとに人間を分類している。イワンとイネッサの兄妹は、ここでさらに別々のバスに乗せられ、異なる病院に収容されてしまうのであった…。彼らの行く末には奇跡もハッピーエンドも用意されてはいない。
この小説の結末はひどく恐ろしい。母ターニャは子供たちから引き離されたあと、キエフに住む姉夫婦のもとに身を寄せながら、イワンとイネッサの行方を追うが、どれほど手を尽くして調べても、最早彼らの居所はわからない。子供たちは忽然と姿を消した。姉夫婦は無頓着なのか、テレビで注意喚起の対象となっている汚染されているかもしれないパンやミルク、野菜を平気で口に運んでいる。ターニャは、過酷な避難を体験したものとそうでない者との意識のあまりの違いに、愕然とするのであった。そんな平静を装うキエフの街にも、眼に見えない放射性物質は、しんしんと降り注いでいる。
『チェルノブイリの少年たち』を読んでいくと、現在、我々日本人が福島第一原発の事故について直面している問題や不安といったものが、すでに記されていることに気付くはずである。例えば、福島第一原発を中心とした同心円状に区分された被災地域。あれにしたって、(本当にそういう区分で間違いないのか? 本当にそんな風に満遍なく放射性物質は拡散するものなのか?)と疑問に感じた国民は多かっただろう。ヒロシマ・ナガサキに投下された原子爆弾の、爆発直後における瞬間的被害の拡大状況ならば、ああいった図で問題ないが、長時間あるいは長期間にわたってジワジワと放出される害毒に対して、あんな同心円を当てはめるのは本当は間違っているのだ。事故後かなりの日数が経って初めて、我々は、放射性物質が集中的に溜まる「ホットスポット」という言葉を耳にするようになったが、実のところ、本書にはすでに、そのことについての記述がある。
このような場合、灰は平均的に全面を覆うのではなく、気流と気流が交錯して生ずる細い流れに沿って、ある地点へ集中的に降りつもる。それが丘陵の起伏による温度差と組み合わさり、一ヵ所に驚くほど大量に降下する。(36頁)
「風向きが変った」というニュースがソ連当局から発表された瞬間、キエフに第三の変化が訪れた。チェルノブイリ原子炉から噴出するガスが、こちらの方向に流れていることを知らされた市民のパニックは、今度こそ衝撃的なものだった。果たしてあのメーデーの日に、風はこちらに吹いていなかったのだろうか。どうやら今日までの当局の発表が、とんでもないトリックだったらしいことに人びとは気づいた。いま当局が発表している言葉が、ようやく現実の状況を伝えはじめたのだ。(148頁)
福島第一原発のような全世界に発信されるほどの未曾有の大事故を経験したのは、確かに我々日本人にとっては初めての経験であるかもしれない。しかしながら、この作品を読めば、今から二十五年前に同じような経験をしている人々が、受けた放射線量や民族こそ違え、存在したことを、はっきりと思い出せるのである。我々は日本政府から発せられる情報を鵜呑みにするばかりではなく、類似する事故について書かれた本を読むことで、医療におけるセカンド・オピニオンのように、今回の福島での事故を考えることが出来たはずなのだ。あの同心円図はおかしい、もっときちんと各地域の放射線量を、観測地点を大幅に増やして観察し、それに基づいて作成した分布図を公表したほうがいいのではないかと、より早い段階で声を上げられたはずなのである。
加えて本書には、事故以来、日本人の多くが感じ続けているのと酷似する憤りが、そこかしこに書かれていることにも注目したい。
「これが」と、ターニャはようやく口を開いた。「私たちの信じてきた世界一安全な発電所だったのね」 烈(はげ)しい怒気がこもった最後の言葉だった。根拠のないことではない。夫のアンドレーから、絶えずそう聞かされ、実際、つい昨日まで、事実がそれを実証してきた。誰もがそこに信を置いていた。これほどおそろしい落とし穴があると、アパートの住人の誰が予測できただろう。(11頁)
この別離の会話が、どの家族にも一瞬のうちに流れた。上司のコリヤキンが慌しく歩きまわり、残忍にも家族の腕をちぎるように引き離していったからである。その姿を見て、ターニャが叫んだ。
「あの偉い連中は、こういう時には原子炉のなかに入らないんだわ。命令だけして、あとは自分の家族と夕食をとるのよ!」(34頁)
ストレリツォフたちには、彼らの言い分があった。いきなり原子炉が爆発し、たった今まで住んでいた所から立ち退けと言われても、羊と牛はどうすればよいのか。朝早くから床を出て、来る日も来る日もこの動物たちに水をやり、餌を与え、毛並をそろえ、出産に立ち会い、精も根も使い果たして育てあげてきた。その動物たちは、彼らにとってわが子であり、分身と呼んでもよい。それをすべて放り出して退避しろ、と軍隊が叫んでいるのだ。銃口を突きつけながら。
畑はどうなるのだ。これもまた、日が昇る前から野良に出て、雪や霜と戦いをくり返し、作物の日誌をつけ、種を選び、肥料をまき、あるいは土にさりげなく目をくれ、指のあいだに泥を握りながら感触を確かめてきた。今年こそは実れよ、と叫びながら地面を掘り起こし、凍てつく寒さのなかを走りまわるように働き続けてきた。
この人たちにとって、牛や羊は動物ではなく、畑の作物も植物ではなかった。学者風情(ふぜい)がそのように呼び捨てることを許さない、ストレリツォフたちの生命そのもの、彼らの人生そのものであったのだ。(84頁)
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時に憑かれた作家・広瀬正氏の小説について、幾ばくかのことをこれまで書いてきた。『マイナス・ゼロ』から始まって、『ツィス』『エロス』『鏡の国のアリス』『T型フォード殺人事件』と、集英社文庫から出された『広瀬正・小説全集』に収められた作品の感想を順繰りにまとめてきたわけだ。そして、本作『タイムマシンのつくり方』が、復刊されたこの小説全集の最終巻となる。
思えば、広瀬氏が書き残した作品群に、これほどまでに没頭することになろうとは思ってもいなかった。彼は、いわゆる「タイムマシン物」を数多く上梓してきたわけだが、その「タイムマシン物」という範疇に入りきらない作品も無論のこと、遺している。『ツィス』『鏡の国のアリス』などは、これが適した表現かどうかは甚だ自信がないものの「パニック物」と云えるだろうし、『エロス』『T型フォード殺人事件』においては、タイムマシンは決して登場しないけれども、過去から現在へ、或いは現在から過去へという時間の経過が、その作品を読む上での重要な要素になっている点で、「時間物」と云える。「タイムマシン物」は、大きく云えばこの「時間物」という範疇に含まれるものである。
そして、今回の『タイムマシンのつくり方』にも、ある意味、表題に反するかのように「タイムマシン物」以外の作品がいくつか収録されており、それが、作者である広瀬正氏の横顔を知りうる魅力となっている。『広瀬正・小説全集』の六巻目にあたる本作は、二十四篇のショートショートと一篇の付録作品が収録されていて、長編作品とはまた違った、面白さ、作者の機知が感じられるのだが、それ以上に、これでもかこれでもかと繰り出されるショートショートの波状攻撃から、作者の、「時間」というものにこだわって物を書き続けた執着や、時に「タイムマシン物」「時間物」から離れて、全く別のジャンルの短篇を書かねばならなかった苦悩が、ひしひしと伝わってくるのである。
筒井康隆氏が寄せているあとがきを読めば容易に首肯せらるることであるが、これらショートショートは、広瀬氏が興味のおもむくまま、愉しみながら余技として書いたという性格のものではない。今でこそSFやタイムマシンという言葉は、広く一般にも知られ、文章作品や映像作品でも一大ジャンルとして、その地位を確立している。しかしながら、彼がSFの短篇を書いていた主に昭和三十年代において、これらのジャンルは、まだまだ限られた人たちが仲間内で愉しむものであったのである。一般人はSFやタイムマシンという言葉に不慣れであったために、それらの作品は大体同人誌で発表するしかなく、商業誌に掲載されるにしても、長編ではなく短篇を、という制約がつきまとったのだ。時には、一般読者の要望と出版社からの依頼に応じて、SF以外の作品を書き上げねばならなかったこともあったようである。『タイムマシンのつくり方』は、そういった時代を生きていた広瀬氏の足跡が辿れる本であり、彼の、時間の流れへの執着、過去への憧憬、とことん細部にこだわる職人気質、作家として認められるまでの期間が長すぎたゆえの焦燥、そういったものが渾然一体となった一冊と云えよう。
それにしても、ショートショートというスタイルは読みこなすのが難しいとつくづく実感する。長編をじっくり読んでいくのとは違い、ショートショートは、提供される情報を上手くのみこんで、突如、ストンと到来するオチを理解しなければならないからだ。文字通り、腑に落ちるように読者がオチを理解せねば、この手の文章様式の魅力は減殺されてしまうだろう。作者は、読者がその作品の状況や設定を無理なく理解できるように文章運びに腐心し、読者は読者で、作者の意図するところに沿うように、その作品を読んでいかなくてはならない。そして、二者の感覚がきちんと一致している時に初めて、ショートショートの結末は合点がいき、腑に落ちるのである。こういう意味で、ショートショートとは、書き手と読み手の共同作業と云えなくもない。 ”最後に笑う者は、多分ジョークが分からなかった”という言葉があったかどうか。ショートショートの結末は、作者と同じ感覚を持っていないと面白くも何ともないものだが、私自身、”最後に笑う者”の状態に陥ってしまう作品が二、三作あった。(えーと、えーと、多分あれでしょ、この人がこうなって、こっちがこうなるんだから〜、だからこういうオチなわけでしょ?)と、懸命に、無い知恵を絞って、どうにかこうにか広瀬氏の頭の中身に追随できるものもあるし、結末は何となく理解できるんだが、途中経過が何故そうなるのか未だに解からないというものもある。
そういう”最後に笑う者”になりながらも、何とか理解できた作品に「親殺しのパラドックス」をテーマに書かれた『Once Upon A Time Machine』がある。「親殺しのパラドックス」というのは、子供がタイムマシンに乗って自分が生まれる以前の過去へ行き、まだ若い両親の内、どちらか一方でも殺してしまったら、子供である自分はどうなるか、という問題である。親を殺したのだから、未来において生まれるはずの自分も存在しなくなり、自分の姿が消滅するという結果になる場合、親を殺す自分がそもそも存在しなくなるわけで、親は殺せないのではないか、というパラドックスに見舞われるというもの。『Once Upon A Time Machine』では、未来からやってきた「子孫」が、現在の「私」と共に、「親殺しのパラドックス」の答えを得るために、過去をさかのぼって二人の共通の先祖を殺しに行くという展開になっている。実際には彼ら二人が手を下すのではなく、剣の腕の立つ近い過去の「先祖」を伴って、さらに五代前の過去に行き、近い「先祖」に「大先祖」を殺害させるという流れだ。しかし、この「大先祖」が「先祖」の剣によって殺されても、「私」と「私の子孫」は消滅することもなく無事であった。それは何故か。「大先祖」は死の間際にあたって、駆けつけた周囲の者に、自分の名と家督を弟に継がせ、許嫁(いいなずけ)さえも与えるように遺言していたからである。この結果から「私」は、「大センゾに弟があったとはね」などと、トンチンカンな解釈をしているのだが、「私の子孫」は、それを否定する。「違いますよ。大センゾには……曲者に殺された兄があったのです」
「親殺しのパラドックス」における、この解決の仕方は非常に日本的であるといえる。弟が亡き兄の家督を継ぐという日本的なシステムによって、「私」とその「子孫」は消滅せずに済んだのである。そして、この作品は、「タイムマシン物」でよく取り上げられる「歴史の自己修復機能」にもそれとなく言及している。つまり、「私」と「子孫」にとって、「大先祖」は確かに凶刃に倒れた人物であったわけだが、彼が遺言した瞬間から、彼らの「大先祖」は凶刃に倒れた人物ではなく、その「弟」へと自動的に移行したのである。弟があった人物から、兄があった人物へとその後の歴史が自然に切り替わってしまったというわけだ。過去をどんなに改変しても、未来に重大な変化が生じないように、歴史それ自体が微調整するという考え方が、この『Once Upon A Time Machine』には表れている。ただ、二十四篇の作品の中には、この「歴史の自己修復機能」が働かず、過去をいじったことで未来が大幅に変容してしまったという結末を迎えるものもあり、タイムマシンや時間についての多彩な発想が存分に楽しめる。
『マイナス・ゼロ』からずっと読んできて感じるのは、広瀬氏にとっては、小説を書くことそれ自体がタイムマシンに搭乗することとイコールであったに違いない、ということである。彼の小説を読んでいると、少年時代の彼自身や、彼自身をモデルにしたであろうと思われる登場人物がちょくちょく出てくるのだ。小説中のキャラクターとして配される広瀬氏は、綿密に描写された昭和初年代の東京を飄々(ひょうひょう)とクールに生きている。文章世界において再現された、昭和初期という自分の青春時代のなかで、彼は失われた時間・過ぎ去りし日々を懐かしんでいる。本当に乗り込めるタイムマシンを人類はまだ手に入れてはいないが、少なくとも広瀬氏は、自らの手で入念に調べ上げた過去の東京の街並みを、自らの作品に構築することで、文字という二次元のタイムマシンをすでに手中に収めていたのだろう。そこには、ほら、セイコー株式会社の前身・服部時計店の陳列棚がある。出火する前の白木屋百貨店が建っている。牛乳が一本五銭くらいで、エビスビールは三十三銭くらい―――。広瀬氏にとってタイムマシンそのものであった小説は、現代の我々読者にとっては、懐かしいものを詰め込んだタイムカプセルのようでもある。
タイムマシン―――。それは未来へ過去へと自在に往来できる夢の乗り物である。
タイムマシンに乗って、どんな未来に行こう。
タイムマシンに乗って、どんな人たちに会いに行こう。
けれど、今だったら、タイムマシンに乗って、三月十一日以前に戻りたい。気がふれたと思われても構わぬから、大きな地震が来るよ、巨大な津波が来るよ、だから今の内に早く逃げて、と叫んで廻りたい。私を含め、そのように思う人は多いかもしれない。タイムマシンは未来へも過去へも行ける乗り物だが、人はきっと、未来よりも、帰りたい過去が明確に見つかった時に、初めてタイムマシンの搭乗者になる。広瀬氏の「タイムマシン物」に、昭和初期へと向かうストーリーが多いのも、彼の中に帰りたい過去が厳然としてあるからだ、と私は考えている。
広瀬正という一個の天才は、一九七二年、心臓発作により四十七歳で突如この世を去った。彼が存命していれば八十六歳。私は、彼には長生きしてほしかったと思っているんだ。もう戻ってはこない懐かしい昭和の東京を、あれほど詳細に書き残した作家。彼にはぜひ長生きしてもらって、私にとって縁(ゆかり)の地である広島を、ピカが落ちる前の広島の街を舞台にして、一つ小説を書いてほしかったな、なんてわがままな事を儚く思うのだ。原爆ドームがまだ産業奨励館と呼ばれていた頃の、あの大きな丸屋根、瀟洒な佇まい。猿楽町通りに立ち並ぶ商店の数々。いろは旅館、岡本味噌店、益本建具店などなど……。商家の小父ちゃんや小母ちゃんたちが熱線でかき消えてしまう前の幸せな毎日を、広瀬氏が亡くならずに存命しているというパラレルワールドがあるならば、書いてほしかったと心底思う。けれどこれは、ファンならではの無理な願望というもので、広瀬氏の眠りを妨げるものであろう。
広瀬正の霊(みたま)よ、つまらぬ愚痴を云った、忘れてくれ給え。
収録作品
『ザ・タイムマシン』
『Once Upon A Time Machine』
『化石の街』
『計画』
『オン・ザ・ダブル』
『異聞風来山人』
『敵艦見ユ』
『二重人格』
『記憶消失薬』
『あるスキャンダル』
『鷹の子』
『もの』
『鏡』
『UMAKUITTARAONAGUSAMI』
『発作』
『おうむ』
『タイム・セッション』
『人形の家』
『星の彼方の空遠く』
『タイムマシンはつきるとも』
『地球のみなさん』
『にくまれるやつ』
『みんなで知ろう』
『タイムメール』
付録『時の門』を開く
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T型フォード―――。なんという懐かしい響きだろうか。T型フォードと聞くと、それがどんな姿をしているか、車オンチの私でさえも大体想像が出来るほどだから、その名称と形状とは広く人口に膾炙していると云えよう。約一世紀前のアメリカで、売れに売れたフォード・モーター社の自動車である。
そのT型フォードクーペが、ある日、泉大三という資産家のもとでお披露目された。泉家の中には、彼の娘のユカリとその婚約者でアメリカ人のロバート・ジョーダン。そして、T型フォードのお披露目にさきだって招待されていた四人の男、すなわち、作家の白瀬圭一、大学助教授の早乙女寛、自動車修理工の曾我二郎、医師の疋田善三がいた。
そのT型フォードは、滋賀県で開業医をしていた疋田善三の祖父・善之介が、往診用という名目で大正十五年(昭和元年)に購入したものだったのだが、ある忌まわしい出来事の為に、昭和二年までの一年ほどしか使用されず、そのまま仕舞い込まれていたのである。その忌まわしい出来事とは、施錠され密室状態になっていたはずのT型フォードクーペの中から、死体が発見されたことであった―――。
資産家・泉大三と医師・疋田善三は提案する。四十六年前の疋田家で起こった殺人事件の真相がいかなるものか、推理してみようではないかと。そこで、手がかりとなる物品が、やはり疋田善三の手によって提示され、彼を含む七人の男女は、九ミリ半の映写機であるパテー・ベビーのフィルムと疋田善三の叔母(疋田善之介の娘)・麻里子を撮影した写真に目を通すことになったのである。いや、目を通すどころではない。皆一様に食い入るような視線を注がずにいられなかった。フィルムの方はともかくとして、叔母・麻里子が写っているという二枚の写真は、あろうことか彼女のヌード写真となっていたからである。
この導入部を経て、医師・疋田善三は、生前の麻里子叔母から告白されたという、四十六年前の事件をめぐる疋田家の様子を語りだす。娘時代の疋田麻里子は、滋賀県の商家の跡取り息子・三田村圭吉と交際していたこと。けれども、京都帝大出のエリート・辻井篤の出現により、麻里子の心は辻井篤の方に傾いてしまったこと。その辻井は、麻里子の友人・田中菊江と将来の約束をしていたのではないかと思われること……などなど。そして、麻里子の心をつなぎとめられなかった三田村圭吉は、悪い取り巻きを身辺に置くようになり、とうとう商売が暗礁に乗り上げ始める。三田村は、辻井との婚約が成立した麻里子に向かって、自分と交際歴があった事をばらすとほのめかし、彼女から金銭をせしめようとするのだ。その三田村に対抗すべく一計を案じて撮影したのが、例のヌード写真であったらしい。
そのヌード写真を撮影するために、麻里子は疋田医院の書生兼運転手・馬杉太一を使った。自宅に女中や使用人がいる環境で育った麻里子にとっては、馬杉太一は使用人の一人に過ぎなかったが、彼女の全裸を目の当たりにした馬杉は、写真を撮らされたことをきっかけに彼女に秘かな恋心を抱き始めるのだ。だが、馬杉はある日、麻里子と辻井から自分の気持と出自とをからかわれた為に、腹立たしい思いに駆られてしまう。
以前の記事でも指摘したことだが、広瀬正作品では、いわゆるマイノリティ(少数派)や社会的弱者、身体障害者と呼ばれる人々が重要な役を担って登場する例が多い。作者の広瀬氏は、そういった立場の人々を作中に登場させることで、社会的に恵まれている人々、或いはごく一般的で普通とされる人々との違いを明確にしたり、不都合な生活を余儀なくされていることを読者に気付かせたりしているのだ。加えて、その対立する両者の立場が、ふとしたきっかけで逆転する、もしくは相互に理解し、歩み寄るようなストーリー展開を見せたりもする。それでは『T型フォード殺人事件』において、その対立する両者とは何かといえば、これは明らかに麻里子や辻井篤といった裕福でハイソサエティな人間と、馬杉太一のように裕福な人間に使役される階級の人間である。現代でも、所有する財産の多寡によって「見えざる階級」というものは厳然として存在しているが、ほんの数十年前までは、財産云々ばかりではなく、受け継がれてきた階級制度・身分制度の残滓(ざんし)によって、一人ひとりの「分際」というものが否応なく押し付けられてきていたものである。麻里子や辻井、馬杉といった登場人物は、そんな時代に生きていた人々なのだ。麻里子と辻井の、馬杉に対するからかいは、そういう背景を負った底意地の悪いものであった。
辻井が馬杉に向かい、
「おい、きみ」といった。馬杉は、はじめて顔を上げた。辻井は、うす笑いを浮かべ、
「きみはジェラシーという言葉を知っているかい?」ときいた。
「いいえ」と馬杉は答えた。
「ぼくは、英語はぜんぜんわかりません」
辻井は気持ちよさそうに笑い、
「そうかい、英語はぜんぜんだめかい。じゃあ、きみは中学校を出ていないのかい?」
「はい、出ていません」
「No, I did not か、ハハハ……。どうして、きみは中学校へ行かなかったんだい?」
「それは……うちが貧乏だったからです」
「ふん、貧乏か。貧乏ということは、つまり、親に甲斐性がなかったということだな」辻井の低い笑い声が響き、馬杉は、
「失礼します」と立ち上がった。
馬杉太一の心には、冷静さを装おうとしても装いきれないトゲが、深々と刺さっていたことだろう。
そしてその翌日、疋田家の鍵のかかったT型フォードから辻井篤の撲殺死体は発見されたのであった。
資産家・泉大三の家では、疋田家で起こった殺人事件について推理大会が行われ、密室状態のT型フォードにどのようにして死体を入れたかについての実演までがなされていた。と、そこへ、死体役の早乙女助教授が毒殺されるという新たな殺人事件が発生し、泉家はさらなる謎に見舞われるのであった―――――。
この話、T型フォードに死体を入れるトリックや、真犯人が誰であるかといった面については比較的単純である。そもそも四十六年前の事件に関わる人々が、疋田家・辻井家・田中家のなかで辻井篤への殺害動機のある人間と馬杉太一に限られており、ほとんど二者択一か三者択一なのである。したがって、ミステリ小説が様々な文明の利器を用いて複雑になってくる以前の、素朴な推理小説といった観があり、物足りないと思う方もいらっしゃるだろうことは否めない。ただ、大正時代にミステリアスな殺人事件が起こるとしたら、確かにこんな感じだろうなぁという想いもある上に、T型フォードを始めとする、現代では観賞するだけのアンティークとなった多くの小道具が、作中でその機能を十分に発揮しているのを読むと、過ぎ去ってしまった時間をほんの少し取り戻せたような気もして、なかなか悪くないのである。
ちなみに、作中での「私」は作家の白瀬圭一なのだが、最終章の「第六章 馬杉太一の手記」の途中から、この「私」という一人称で指し示される人物が、いきなりガラッと変わる仕掛けになっており、読む側は少々、ギョッとさせられる。この理由については、最後の部分で明かされているので、ギョッとしたり混乱したりしても、安心して読み進めていただきたいなと思う。
平成二十二年八月十一日 読了
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一九九三年に出された『閉じ箱』は、表題作「閉じ箱」を含めて十四の短篇を収めた作品群である。その元を辿れば、八〇年代に発行されたミステリ系や幻想系の雑誌に掲載されたものであり、それは綾辻行人や歌野晶午、有栖川有栖といった「新本格」と呼ばれるミステリ作家達が続々とデビューしていった、まさのその八〇年代と重なっている。そんな、「新本格」ミステリの黎明期にあって、この竹本健治という人物はどういう性格の書き手だったのだろう、と、私はつい思うのだ。
『閉じ箱』とは、なかなか云い得て妙である。表題作の短篇「閉じ箱」を読んでも分かるのだが、この一連の作品群は、謎を解くことに主眼が置かれているというよりは、閉じられた世界の中で、話者のアイデンティティーや精神の崩壊が進んでいったり、観察する側とされる側の主客が転倒したり、表裏が渾然一体となっているような感覚に満ちているのだ。ミステリというよりも、モダンホラーの趣が強い面もある。読み進めているうちに奇妙な雰囲気に捉われ始め、(おやおや?)と思うが早いか、一気に、まともだと思っていた主人公は破綻した精神の持ち主へ、正常に運行していたはずの世界はピタリと動きを止め断絶へと収束していく。当然あると思っていた下り階段の最後の一段が不意に無くなっていたような、渓谷を渡る吊り橋の橋板が急にポッカリと抜け落ちていたような、「あっ…!」と思う間に無防備な足元からストンと落下する感覚がそこにはある。そして実際に、本書には「落下」「墜落」といったモティーフが多く見受けられもするのである。
収録作品の中の「月の下の鏡のような犯罪」では、妻の浮気相手を向かいのアパートから監視していた男が、妖しの月光の力を借りて、浮気相手の男に見立てた等身大の人形を窓から落下させている。
妻の浮気相手が住むアパートをつかんだ男。彼はその浮気相手が住む部屋の、丁度向かいに部屋を借り、それとなく監視を続けている。二棟のアパートは狭い路地を挟んで、そっくりの佇まいだ。そして、彼はある青年から仕入れた月光の妖術を心の中で反芻している。それがどんなものかは語られてはいないが、監視する男の行動を見ていればおのずと知れてくる。それは鏡の妖術である。浮気相手が着ているのと同じような青いパジャマを人形に着せた男は、月の運行と共に、月光が二棟のアパートの丁度真ん中を照らし始める時間を辛抱強く待っている。月光が向かいとこちらとを同じように照らし始めた時、浮気相手の住むアパートと男が借りたアパートとは、月光によって切り取られた、鏡像のような世界になるのだ。ほんの数分間が勝負だが、すでに月光は妖しの呪力を発揮していたのだろう、向かいのアパートから妻の浮気相手が導かれるように窓際に顔を出した。男は同じように人形の顔を窓から突き出す。対峙した浮気相手と人形とは、本当に実像と鏡の中の虚像のように見えた。男は人形を抱え、窓枠の上に腰掛けさせる。すると、向かいの浮気相手もそうするのが当然というように、体を動かし、窓枠に腰を掛ける。監視する男は、この面妖な状況に戸惑いながらも……。
浮気相手に見立てた人形を窓から突き落とした―――。
そして、浮気相手もまた、アパートとアパートの谷底へと落下して行った―――。
男は人形と浮気相手が落ちた辺りを確認しに階段を駆け下りる。やはり、あちらとこちらに二体の倒れ伏す影がある。男はこちらの影をやり過ごして、向かいのアパート側に倒れている浮気相手の屍体に駆け寄るのだが……。不自然にねじ曲がった体には、ニタニタとした表情がはり付き、それは紛れもなく自分が落とした人形だと判る。なぜ…何故…、自分の落とした人形が向かいにあるのか…? では、自分が借りたアパート側に倒れているあの影は? 男は月の鏡の呪縛から逃れられなくなったのか、自分がどちらのアパートから駆け出てきたのかすら、最早判らない。月は変わらぬ速度で運行し、二棟のアパートからその月光は徐々に離れていく。しかし、男は、切り取られた鏡の世界に取り残されたまま、永遠にたどり着けぬ、もう一つのアパート、もう一つの影への間(はざま)で恐慌を来(きた)すのであった…。
この閉じた世界の中でふと異世界を見るような感覚を、私も幼少期に味わったことがある。それは私が保育園児の頃だったろうか、祖父に連れられて、所有する土地に残っていた古井戸を覗いたことがあるのだ。その時、私の眼にはモノモライが出来ていたようで、それを治すおまじないをしに古井戸に行ったのである。祖父は一粒の大豆を携えていて、「井戸の中にメイボを落とすけぇの」と言って、私に古井戸を覗きこませ、なにやらブツブツ唱えたかと思うと、古井戸の中に大豆をそっと落下させたのだ。井戸はその当時既に使われていなかったらしく、落ち葉が入り込んで仄暗いような円筒形の底に、かろうじてじくじくと水が浸み出しているような、そんな様子であった。覗き込んだ自分の顔が、井戸の底にちらりと映った気がする。モノモライに見立てた大豆を、その井戸の底にいるもう一人の私に落とすことで、そっくり引き受けてもらおうという考えであったのだろうと思う。
モノモライは見事なほどに即座に治った。もともと、モノモライはよほどのことがない限り自然に治るから、別におまじないが効いた訳でもなかろうが、おまじないの翌日か翌々日くらいに治ったのと、祖父の男巫(おとこみこ)のような呪術的な振る舞いに、子供だった私は(井戸の中にメイボが落ちて治った)と素直に信じていたものである。井戸の中のあの子、もう一人の自分が私の痛い部分を貰ってくれたのだという想いでいたのだ。
あれから井戸そのものも、いつの間にか埋められ、コンクリートの立ち上がり部分も取り払われて、今では雑草の茂る小さな更地になっている。古井戸の底に映りこんだ私は、保育園児のまま、堆積した土と時間とに押し潰されながら、大きくなった私が再び覗き込み、何かを落とすのを待っているのかもしれない。もう、井戸が毀(こぼ)たれた以上、その場所に鏡の魔力は存在しないのだが―――。
本書『閉じ箱』の魅力は、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』や澁澤龍彦の『鏡と影について』に見られるような異世界が、より現代的で早業(はやわざ)的な筆致によって、読者の前に提示されるところにあると云える。物語の素材やトリックは、今となっては目新しいものではない。しかし読者は、いきなり幕が開いたかのような感覚で、世界の転換、主客の転倒、静から動・動から静の転回、正気と狂気の逆転などをまざまざと見るのだ。それは戸板返しのような印象もあるが、もっと云うと、その世界観は一個の小さな砂時計に似ていると、私は思っている。
細いくびれで繋がっている一個の砂時計。
両端に全く同じ構造を持っているが、片方が上にあれば、もう片方は下にしか行けない。私は、さらさらと流れ落ちる砂を見つめている。上の世界から下の世界へ、一方から他方の世界へと流れる砂を眺めていると、その小さな宇宙が寸分の狂いもなく運行しているのが理解できる。砂が落ち切ると、私は一瞬間の内にその砂時計をひっくり返す。空になった上の世界は下の世界となり、砂に満たされた下の世界は早くも上の世界となって砂を落とし始める。砂は一定の速度で移動し、やはり目の前の小宇宙の運行には何らの支障もない。私は、砂時計をひっくり返し続ける。そのうちに、どちらの砂だまりが上であったかすら判らなくなり、私はただひたすら小宇宙の運行を監視し続ける装置と化していく。閉じた世界、閉じたガラス管、閉じた箱の中で、さらさらと、かたかたと、くるくると………。しかし、その常と変らぬ運行の中で、価値や意味の転換は、めまぐるしく行われているのだ。
箱、函、匣、筐、筥、はこ………。
考えてみれば、我々が住んでいる地球や、この宇宙も一種の閉じ箱である。天文は滞りなく、機械仕掛けのように運行し続けている。その中に、我々は閉じ込められ、流れ落ちる砂のようにたゆたいながら、変転極まりない生を生きているのだ。『閉じ箱』は数々の奇妙な物語が収められた本だが、我々が棲息する閉じ箱もまた、奇妙で不確かで、不安定な現象に満ちているのではないか―――。
平成二十二年七月二十一日 読了
※寄贈本
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