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去年の七月から、ポプラ社刊行の『百年小説』という本を読んでまいりました。これは、明治・大正・昭和を代表する文豪の短篇が、五十一篇も収録された分厚い本で、良く知られた作品もあれば、代表作の影にかすんで、今ではさほど顧みられなくなった作品もあり、それぞれの文豪の横顔を知るのに、大変有益な書籍であります。
この『百年小説』を購入した当初は、ただのんびりと読んで行ければいいや、と漠然と考えていたのでありますが、こんなにも多くの好短篇を、順繰りに読み捨てていくだけでは勿体ないと思い、その時その時の感想を残していこうと思い立つに到りました。その際、手帖などの紙媒体に書き付けていくことも頭にのぼったわけではありますが、一念発起して、当世の大主流であるところの「ブログ」を用いて、自分の脳髄にうつりゆくよしなしごとを記録しておくことにした次第であります。「世間もすなる、ブログといふものを、吾(われ)もしてみむとて、するなり」といったところでありましょうか。
それまで、インターネットで自分の考えたことを公開するということには、まるで無縁の人間でありました。パソコン自体は手元にあったものの、蔵書管理のみに使っているような状態で、およそ我が家のパソコンには、コンピューターとしての仕事は殆どさせていないと云っていいくらいであったわけです。しかし、このインターネットを通じて皆様に御覧頂いているという状況が功を奏し、この度、一年ちょっとという時間こそかかりましたが、重さ約二㎏、厚さ約七㎝の大きな本を読み終えることが出来、かつまた、まがりなりにも全篇の感想を書くことが出来たのであります。
これが、一人でこっそりと手帖に書き綴っていくだけの孤独な作業であったなら、おそらくは『百年小説』を読み終えることも、文章を書き続けることも出来なかったろうと思っています。芸能人がいつまでも華やかでいられるように、年下の夫君を持つ女性がいつまでも若々しいように(まぁ、このたとえは、いま一つパッとしませんが) 相手があるからこそ、自分が触発されて頑張れるという状況に大いに助けられたように感じます。
こうして、一つの事をやり遂げられたのも、訪問してくださる方々、コメントを寄せてくださる方々がいらっしゃったお蔭であります。心より御礼申し上げます。
ブログを始めたばかりの頃は、読む人もそんなにいらっしゃらないだろうと単純に決めてかかっていたところもあり、私の書く文章は本当に、自分の為の備忘録といいますか、あとで読み返した時に自分にさえ分かればよいという程度のごく短い、つっけんどんなものでありました。しかしながら、訪問してくださる方が少しずつ多くなるにつれて、私の文章は少しく対外的にもなり、自分の考えや感じた事柄を、より詳しく、可能な限り丁寧に書いていくようになった気がします。様々なコメントを通じて、自分一人の頭では気付けなかったことや異なる観点からのご意見、知識というものにも恵まれました。このことに関しても大変有り難い気持ちでいっぱいです。
私は最近とみに実感するのであります。続けることこそ、大事なのだと。
どんな大家と呼ばれる人物も、その道の権威と呼ばれる人物も、脇目もふらずに一事をこつこつと続けてきたからこそ、まとまった成果や実績が残せるのであります。しかし、ごく当たり前のことではありながら、今までの私には、この一事にひたむきになるという経験が乏しかったのであります。キャリアを積み始めたにもかかわらず、別のことに興味が出てしまったがゆえに、今までの仕事を放り出したり、急に嫌気がさしてしまったり。好奇心旺盛といえば聞こえは良いが、それはとどのつまり、長続きしないということの裏返しでもあったわけなのです。私が飽きもせず続けてきたことといえば、読書くらいしかないのです。その読書すら、人に誇れるほど多読家でもなければ精読家でもないのでありますが…。
私は大家にも権威にもなれない凡人ではあるけれども、今は、本を読むことが好きという「一事」を一生かけて「大事」にしていこうと思っているのであります。何をするにも他人の三倍ほども時間はかかるが、これからもじっくり読み書きだけは続けていきたい。何年かかるか分からないが、せめて自分の持っている全ての本の感想なり書評くらいは書き果(おお)せたいものだ、と、心を新たにしているのであります。
この拙いブログを読んでくださる皆様、いつも有難うございます。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。
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読書道(どくしょみち)
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本をちょこちょこ買っていると、小金もちょこちょこ出て行くもので……。
懸賞やプレゼント企画が大好きな私は、図書カードが当たったり貰えたりするものを中心に、日夜せこせことハガキ書きにいそしんだり、応募券を集めたりして、図書費を少しでも浮かそうと試みている。かえってハガキ代がかかるのでは?との疑問もあろうと存ずるが、図書カード以外にもドクターシーラボのスキンケアセット(一万円相当)やお菓子の詰め合わせ(二千円相当)、日帰りエステの無料招待券(多分五千円相当)などなど、こまごましたものが結構当たっているので、今のところ黒字のはずだ。
で、UCCこと上島珈琲にも、クーポン券を集めると点数に応じて様々な景品がもれなく頂けるシステムがあり、母が何年もかけてちまちま集めていたものが、此の度千二百点を超えたので、ちょっと送ってみることにした。
こういうの。
私が直接集めているわけではないので、一体何にこのクーポンが付いているのか、よく分からない。コーヒー豆か何かかな?
画像では十点だけだが、ほかに五点と二十点のクーポンがある。
いろんな色があって楽しいですね。
千点以上のコースの大物を狙ってもいいわけだが、私のお目当ての景品はもう決まっていた。それは、五百点集めると貰える、「UCCオリジナルキャンバスブックカバーと五百円分図書カードのセット」である。これを二口送れば、千円分の図書カードが手に入るのである。フッフッフ………。
そして、クーポンを台紙に貼り付けて、UCCコーヒークーポンセンターに送ってから二週間ほど経ち、送ったことを忘れかけていた頃、その念願のオリジナルブックカバーと図書カードが届いたのである。
クロネコメール便で届けられた大判の封筒を開けると、待ち焦がれていたものが確かに入っていた!(今、送ったこと忘れてたと書いたばっかりだが)
このほか、ディズニーのシンデレラ城のイラストが入ったクリアファイルも同封されていて、クーポンがなくならないように、これで保管してね、とあった。
そして、利用者(私)の情報が印字された、新たな台紙など。
ブックカバーを広げてみるとこんな感じ。
ロゴは入っているものの、可愛らしいので気にならない。色味もベージュで飽きがこないし、なんといっても手触りが柔らかく、適度なスベスベ感とクタクタ感があって心地よい。
スピンが付いているのも嬉しいではないですか!
どちらかといえば図書カードの方が目的だったが、ブックカバーもなかなかイケる。
ためしに、『銀河鉄道の夜』などにカバーをかけてみませう。
嗚呼、何だか、カムパネルラたちと、夜汽車に乗って旅に出てみたい気分ですね。
シャキーン! 装着!
嗚呼なるほど、新潮文庫にかけると、スピンが二重になるのですね。
分かりました。
これはこれで活用できそうです。違う篇を同時に読む場合などにね。
ブックカバーは、布製で文庫本用のものがどうしても多いのだけれど、私は常々、厚手のソフトビニール製で四六判の本を包めるものがあったらいいなぁと思っている。探せばあるに違いないが、このビニール製・四六判用のブックカバーがもっとポピュラーだったら、風呂でハードカバー本がラクに読める。そういうのを扱っている懸賞やプレゼント企画はないものだろうか、このところの私の関心はそんなところにある。
写真を撮る傍らで、猫たちは色んなコードを引っ張り出して遊んでいる。
呑気で羨ましいですね。
最後に、フラッシュでヌメ感たっぷり、地獄の番犬ケルベロスか、古代エジプトのアヌビスか、というような不気味なクロちゃんをお楽しみ頂きながらのお別れです。
ここまで御覧下さり、有難うございました。
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連日晴天の下でのゴールデンウィーク、猫も杓子も大満喫の様子でしたが、皆様、如何お過ごしでしたか?
ワタクシめは、叔父のラーメン屋で毎日ちょこまか動き回っており申した。外が肌寒い時期は、厨房からの熱気が心地良かったものの、ここのところ急激に気温が上がったので、大量に汗をかくようになり、この期間中はかなり体力を消耗してしまった。行楽に向かう人々を尻目に労働する。美しい勤労精神ではないか。
そしてそんな中、私は「母」になった。
母と言っても、私が直接出産したのではない。五月一日に、仔猫二匹の養い親になったのである。
虎縞のと黒いのが、育児放棄されたような格好で見つかり、父が保護したのを、私が引き取って育てることにしたのだ。
家の近所には「野良猫以上、地域猫未満」みたいな猫たちが、沢山いて、仔猫の毛色から、あの猫とあの猫が親じゃなかろうか、という予測は出来るのだが、「お宅、小さいお子さんいらっしゃいませんでした?」と、猫に訊くわけにもいかず、第一、その親らしき猫は、私の家周りのパトロールをあまりしないグループなので、なかなか接触できない。
ここら辺は田舎でイタチも出るので、仔猫らが喰われないようにしてやらねば、という思いであったわけ。
去年の八月に、十八年間連れ添った猫を亡くしたのだけど、その子も生後数日くらいで捨てられていて、それを育てた経験があったので、その経験を思い出しながらの二度目の子育てである。
去年、天寿を全うしたミーちゃん。
庭であくび中。
ほっかむり姿のミーちゃん。
今回、ゆくりなくも愛猫を亡くしてから一年経たないうちに、新しい猫たちとの生活が始まった。
新しい猫たちがまた、ある程度の年数を生き、そしてまた更に新しい猫と出会い、という風なことを繰り返すとしたら、私は、あるいは一人の猫好きの人間は、一生涯で一体何匹の猫と生活できるのだろう、などと考えたりもする。
仔猫らは、バーバパパのスリッパがお気に入りのご様子。
時には順番待ちも必要。
彼らはまだまだ小さいので、授乳とトイレの世話を頻繁にしないといけない。しかし、満腹になって、しばらく取っ組み合いの遊びをした後は、すぐ泥のように眠るので、その合い間を利用して、読書している。
最近やっと『思考の整理学』(外山滋比古)を読み、現在はものすごく久々に『坊っちゃん』(夏目漱石)を再読している最中だ。
読書と猫とラーメン屋。時々、着物と野良仕事。しばらくはこんな生活が続きそうだ。
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ここ数日、記事を書けていなかったのは庭仕事が忙しかったせいである。ほんの二、三週間前までは冬庭の印象を引きずっているかのような、雑草のそんなに目立たない庭だったのが、ふと気付くと、どこもかしこもボーボーになっていて、びっくらこいてしまった。
ここのところ寒さのぶり返しで、ずいぶん腰も痛かった為に、用事や店の仕事があるとき以外は、一日中、家から出ないこともしばしば。いつか草むしりを本格的にやらねばと、窓から見える雑草を意識しながらも先延ばしにしていたら、草むらにひそむ蛇の危険を感じるまでになって来てしまったのである。
なんといいますか、あれですね、夏休みの宿題は早めにやっておかないととんでもないことになるように、何事につけても早め早めに着手しないと、余計に億劫になってきてしまうものですね。大人になった今でも、こんな簡単なことを分かっているくせに実行しないのだから、結局何にも成長してないなぁと痛感してしまう毎日である。
本の方は順調に読めている。『おさがしの本は』(門井慶喜)という作品も読めたし、先日購入した『東京奇譚集』(村上春樹)も読めた。そして何より、通読しているポプラ社の『百年小説』が残すところ、あと三作品となったのである。坂口安吾の『波子』、中島敦の『山月記』、太宰治の『富嶽百景』で読了となるのだ。全五十一作品の内、四十八作品までの感想を書いてきたのかと思うと、飽きっぽくて、実行能力に乏しい自分の割には、よく続いたなと思う。この調子で太宰治の『富嶽百景』まで頑張り、この分厚い本に収録されている全作品について、文章の巧拙はこの際抜きにして、とにもかくにも感想を書いたのだという達成感を味わいたい。
一冊の本を読みきるという経験は、種々雑多な人生経験の中でも、比較的お手軽に味わえる良質の経験といえるだろう。自分になかなか自信が持てない、何事かをやり遂げて達成感を味わったことがないという子供がいたら、私は「とりあえず薄い本でもいいから何か一冊読みきってみたら?」とアドバイスしたい。一冊読みきれた、読解力がまがりなりにも付いてきたという、ちょっとした自信や達成感の積み重ねが、子供達の(もしかすると大人達の)未来をほんの少し明るくするかもしれない。私なんて分厚い本を読み終えた日には、かなりの自信がついて、数日間はハッピーに暮らせる。
『百年小説』を読み終えたら、次はどんな分厚い本を読もうかと考え中である。小学校の学級会では考えてもいないくせに、指名されると「考え中で〜す」と言っては、やり過ごしていた私だが、今回は本当に考えているのだ。『国枝史郎歴史小説傑作選』(末國善巳篇)あたりどうかな、とパラパラめくったりもしている。二、三年前に購入して、まだ一回も読んでいないので、そろそろ熟成度が高まってきているはずだ。作品によっては単行本に匹敵するくらいの文字量のものから、たった一頁のエッセイのようなものまであるので、『百年小説』のように一定のペースで読めないかもなーなんて、少々ネガティヴな予想をしながらも、(次はコレだな、ぐふふ)などとニヤついている。一冊の本を読み終えていないうちから次の本のことを考えるのは、本の鬼に笑われるもとかもしれないが、こういう瞬間が一番楽しいのである。
しばらくは、むしられてもむしられてもぐんぐんと繁茂する雑草と戦いながらの読書となる。そのうちに、グイメがなったり、ブルーベリーがなったり、トマトがなったりと作物の収穫も期待できるだろう。これぞ、晴耕雨読。いっちょ、三国志の孔明先生を真似て、庭のまん前に「臥龍崗(がりょうこう)」と看板を立てておいてやろうと思う。
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四月一日、エイプリル・フールということで、我が家にある、こんな文庫本を紹介しよう。
松本清張氏の『中央流沙』。中公文庫版で、昭和五十一年三月三十日発行の第六版。お値段は二百六十円。
安っす〜!
この『中央流沙』。何の変哲もない文庫本に見えるのだが……。
あら!? 表紙をめくると折れている……。
もぉ〜ぅ! 駄目じゃないのぉ〜。最後に読んだ人ぉ〜。
折れた頁は、きちんと元に戻しなさいよ〜。
う〜ん…。 しかし、よくよく見ると、なんかちょっと変。
どうなっとるんじゃ、これは…?
ちょっくら、めくってみましょう…。
あ〜あ〜、折角のタイトルが隠れてるじゃないか…!
おおッ!! これは…。
ただ本文用紙が折れてるって感じじゃないなぁ。
思うに、本というのは一枚の大きな紙を何回か折って、十六頁一組とか三十二頁一組とかの折帖をつくり、そ
れを束ねて一冊の本に仕上げるわけだが(多分)、ただ折っただけでは、めくる側の紙の端が不揃いになってしまうので、天地と小口側を化粧裁ちするわけだ。(天のみカットしない仕上げ方もある)
この『中央流沙』は、本文が刷られて後は化粧裁ち、という段階で、この当該頁が何らかの原因で内側に織り込まれてしまい、そのまま誰にも気付かれず、化粧裁ちされたものと見受けられる。だから、この本の輪郭からはみ出た部分が、こうして出てくるのだ。
これ、私が一歳の時に発行された文庫本なのだが、自分がバブバブ云ってる時に、こんな印刷アクシデントがあったのかとおもうと、なにやら微笑ましい。本文の印刷を見ても、折帖が切り替わるたびに本文の印刷位置やノンブル(頁番号)が上下左右にずれていたりして、パラパラ漫画の要領で高速でめくっていくと、そのズレ具合が非常によく分かる。文字も印刷の薄い部分と濃い部分が混在しているし、三十年以上前の日本の印刷技術はこういう感じだったのかァとも思う。検品もかなりユルかったりして。
しかしなんだか、このアナログな雰囲気が私の生まれた七十年代を彷彿とさせて、懐かしくなってくるのもまた事実。それにしても、日本の印刷技術は格段の進歩を遂げたものである。
そうですか〜。なるほどね〜。
皆さんのお手持ちの本にも面白い造りのものがあったりして♪
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