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 この新潮文庫版『檸檬』には、表題作『檸檬』を始めとして『城のある町にて』『Kの昇天』『桜の樹の下には』など、全二十篇の作品が収録されている。

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 
 幻想と衝撃が入り混じったような冒頭文で始まる『桜の樹の下には』などは、読書好きの人々の間では特に人気が高いらしい作品だ。私も例外ではなく、この小品が好きなのだが、これ以外にも『Kの昇天』や『冬の蠅』といった、一種異様な事故、普段は気にも留めない小さな生物への着眼を扱った作品にも惹かれる思いがする。

 この新潮文庫版の『檸檬』に収められている作品は、そのどれもがよくある日常の風景を写し取ったもので、せいぜい近所周り、もしくはちょっとした森林への探検や観察が題材となっているために、ともすれば、どれがどの話だったか、とっさには区別できないくらいであったりする。しかし、その作品群に共通して云えることは、主人公が病者であったり、病者ではないにしても、その人物がどこか克服しがたい苦悩や焦燥を抱えていたりすることである。あまり溌剌とした性格の登場人物は出てこない。常に死の不安を抱え、うっそりとした生活を送りながら、病者特有の炯炯(けいけい)とした眼力でもって、日常のあらゆる現象に敏感な関心を示している、そんな作品達である。

 『のんきな患者』は、上記の性質の最も強い作品といえるかもしれない。ちなみに梶井基次郎は、この『のんきな患者』で生涯たった一度の原稿料を貰っている。それこそ、そんな呑気な調子でどうやって暮らしていたのだろうと思うが、時折実家から送られてくる生活費でしのいでいたらしい。実家から届く為替を現金化しようとするところが、本書収録の『泥濘』という作品に描かれている。書けども書けども、それが満足のいく作品にならず、生活を成り立たせる方途としても不完全であるということが、かれの焦燥感やいらだたしさの一因になっていたのであろう。

 その、のんきな患者―――吉田は肺病を抱えている。現代医学でなら治療のしようもある肺病も、梶井基次郎やこの小説の吉田の時代では、生き延びるか死んでしまうか、運を天に任せるしかない病である。そんな、じわじわと病勢が悪化していく療養生活の中で、吉田は自分の肺病に関して、自分の思っている以上に、周囲の人間が鋭敏に反応することを思い起していく。

 同じく肺病で床についていた近所の荒物屋の娘が亡くなったことを母から聞かされた時、吉田はこんな事を思い出している。その肺病の娘は、なぜか食後に目高(メダカ)を毎日五匹ずつ嚥(の)み下しているのだという。それは肺病に効くという迷信からの行為らしいのだが、その娘の家の者は、吉田も肺が悪いということを、どこからか勘付いて知っており「うちの網は何時(いつ)でも空いてますよって、お家の病人さんにもちっと取って来て飲ましてあげはったらどうです」という提案までしていたのである。

 また、吉田は学生だった頃、実家に帰省した折に母親から「人間の脳味噌の黒焼を飲んでみないか」ともちかけられたこともある。その脳味噌の黒焼というのは、母親が青物を売りに来る女から仕入れたもので、その女の弟が肺病で死んでしまった際に、荼毘に付したその亡骸(なきがら)から「人間の脳味噌の黒焼はこの病気の薬だから、あなたも人助けだからこの黒焼を持っていて、若(も)しこの病気で悪い人にあったら頒けてあげなさい」と、寺の和尚に取り出してもらったものなのである。その弟の脳味噌の黒焼を、同じ病気の者がいたら頒けてやるつもりで、常時持ち歩きながら青物を商う女の気持を考えると、吉田は堪えがたいような心持ちがするのであった。

 そして時には、首縊(くく)りの縄を飲んでみないかと言われたこともある。それも結局は肺病がらみで、たった一人で暮らしていた肺病患者の男が、病苦から首を縊って死ぬのに使った縄なのであった。けれども、肺病に関する迷信が横行する時代ゆえに、その縄に買い手が付いて一寸二寸と売れていったのだという。

 母が病気になった時に付き添っていった病院では、咳をした途端に「心臓へ来ましたか?」と、いきなり病院の附添婦に声をかけられ、その病気には、素焼の土瓶へ鼠の仔を捕って来て入れてそれを黒焼にしたもので、それをいくらかずつか極く少ない分量を飲んでいると、一匹食わんうちに癒ると教えられたりもした。

 世間は皆、吉田が肺病患者であることを敏感に嗅ぎ取りながら、彼に近づいてくる。吉田はまた、それらのまことしやかな肺病の薬が明らかな迷信であることは理解しているのだが、それでもなお、そんな迷信にでもすがりたいと思うような自分以外の肺病患者の存在があることを切実に感じるのだ。自分は、脳味噌や鼠の黒焼を服用することは出来ないが、日本のどこかに、それもかなりの数でそんなあやしげな薬にすがってでも生きたいと思っている人間がいるはずだということを、彼は日本の現実として受け止めている。そして、この吉田が経験したような周囲の反応は、おそらく作者である梶井基次郎も実際に経験したか、もしくは自分のごく身近で聞き知ったことであるに違いない。

 吉田はどこかに生命に対する諦観のようなものを持っている。完治の見込みがおそらくないであろうことをすっかり諦めきっているというわけではないが、死というものについて、一つの統計を通じて半ばのんきに考えているのだ。
「それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった」

 そして漠然と、こうも考えている。
「その統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり、子供もあれば年寄もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことの出来る人間もあれば、そのいずれにも堪えることの出来ない人間も随分多いにちがいない。
しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることの出来ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応(いやおう)なしに引摺ってゆく――」と。

 きっと人生それ自体も、除外してもらったり、休ませてもらうことを許可されない行軍のようなものなのだ。我々は、耐性があろうとなかろうと、死というゴールに向かって引き摺られていっている。吉田は病気という観点から、「死への行軍」ということを想起したわけだけれども、我々読者は更に、この吉田の思う「死への行軍」のイメージから、人生そのものを考えずにはいられない。もしかしたら吉田もまた、病気があろうとなかろうと皆、等し並(ひとしなみ)に死んでいくことを想ったのかもしれない。それを思えば、なぁんだ、皆死んでいくことは至極当たり前じゃないか、という気持もして、かえってなにやら呑気な気分にさえなってしまう。

 吉田が肺病患者の統計をよく思い出すように、私は私でこの作品から、どんな人間も百パーセント死ぬという確実な統計数字を得る。そして、生きていることの緊張を少しだけ緩め、しばし呑気に構え始めるのだ……――――。

                                平成二十二年三月二十日読了

◆関連記事◆
『闇の絵巻』(梶井基次郎)の記事はこちらから→http://blogs.yahoo.co.jp/tomo31841211/12213881.html


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 神がその才能を愛するあまり、才気溢れるうら若き人を早々に天国に召すということがあるならば、中島敦という小説家はまさしく神に愛された人である。

 中島敦――。一九〇九年〜一九四二年までを生きた人物である。というよりも、持病の気管支喘息のために一九〇九年〜一九四二年までの三十三年間しか生きられなかった人物と云ったほうが良いのかもしれない。高校時代、国語の教科書には彼の作品『山月記』が掲載されていた。それを読んだ時は、三十三歳なんて、まだまだ遠い未来だと思っていたのに、こうして彼の享年を超えて生きている自分を顧みると、三十三歳でこの世を去るというのは、あまりにも残酷なことのようにも思えてくる。三十数年生きてきた割には、世間に認められる何ものも為すことなく、後世に残るような作品を生んだわけでもない私である。今、持病で死なねばならないとしたら「神サマ、それちょっとタンマです!」と申し入れの一つもしたくなるではないか。

 中島敦の作品は、中国古典に取材したものが多い。加えて、彼の筆致はとにかく高雅にして洒脱である。行儀作法の基本を弁(わきま)えている人の立ち居振る舞いが、垢抜けていて無駄がないように、そして基本を知った人が、あえてその基本から外れたことをしても、周囲に卑しさを感じさせないのと同様に、彼の文章は、幼い頃からの漢籍教育に裏打ちされた教養という、確固たる基本があっての高雅さと洒脱味を備えているのである。二・三十代の人間に、果たしてこんな文章が書けるものなのだろうかと、驚きの念を禁じえない。
早熟の天才という言葉が脳裏に浮かぶ。

 この新潮文庫版『李陵・山月記』には、四篇の作品が収録されている。表題となっている『李陵』『山月記』に加え、『名人伝』『弟子』という二篇が撰ばれており、中島敦の書き遺した古代中華世界を知るのに適した一冊となっている。

 『名人伝』は、天下第一の弓の名手たらんと一念発起した紀昌(きしょう)という男が、甘蝿(かんよう)老師という当代一の名射手のもとで、弓矢を用いずに的を射る「不射の射」を会得(えとく)するに至り、弓の道を極めすぎたあまりに、弓とはいかなるものであるかを忘れて果ててしまうという話。

 『弟子』は、儒教の祖である孔子の弟子・仲由(ちゅうゆう)、字(あざな)は子路(しろ)の半生を綴ったもの。そして、弟子の中では異色の存在であった子路の視点から見た、人間・孔子の姿と彼の率いる儒教集団の在り方が書かれている。

 『山月記』に関しては、現在通読中の『百年小説』(ポプラ社)の中の一篇として、五十番目に収録されているので、そこで改めて感想を書く心算でいる。これは『人虎伝』という逸話からヒントを得て書かれた物語である。

 『李陵』の名は、古代中国史が好きな人ならば、記憶の片隅に存在を占める人物名であろうと思われる。李陵は古代中国の前漢時代、皇帝でいうと武帝(前一五六年〜前八七年)の時代の武将である。その頃の漢帝国は、匈奴による朔北の国境侵犯に頭を悩ませており、たびたび遠征軍を派遣していたのであるが、李陵は何度目かの遠征軍の司令官の一人であった。しかし作戦に不備があり、彼の率いる一軍は壊滅状態に陥り、李陵自身は匈奴の虜囚となってしまったのであった。

 ここから彼の人生は大きく変わることになる。李陵は、匈奴にもその名を知られた名将・李広(りこう)の孫であり、彼自身も勇将として驍名を馳せていたために、捕われの身とはいいながらも、匈奴の単于(ぜんう:王)から厚く遇され、帷幕に加えられるほどの重要人物となったのである。彼は単于やその子息と親しく交わるようになり、ことに子息の左賢王(さけんおう)からは尊敬され、請われて武術の師ともなった。匈奴の地には、李陵のほかにも漢からの投降者が何人かおり、それぞれ兵法や戦術などを匈奴に伝授する者もいたようである。けれども李陵だけは、匈奴の、漢帝国に対する具体的な作戦行動には関わらないようにしていた。彼は、匈奴の人々に友情に近い感情をいだき始めてはいたが、それでもなお、いつの日か、漢帝国に有益な情報を持って帰還し、武帝にまみえようと心に期していたのである。単于も、漢帝国に対する李陵のそういった心情を理解し、漢侵略の戦列に無理やり彼を立たすような卑怯な真似はしなかった。

 ところが、思いもよらないところで一つの齟齬(そご)が生じてしまう。朔北の戦線から命からがら逃げてきた公孫敖(こうそんごう)という男が、「匈奴には李将軍と呼ばれる捕虜がいて、その李将軍が匈奴に戦術や軍略を授けているために、漢軍が苦戦を強いられている」と報告したのである。その奏上を聴いた武帝は激怒する。そして、李将軍とは李陵のことに違いないと断定し、彼が都に残してきた老母や妻子眷属を皆殺しにしてしまったのである。この報せは半年を経て、李陵の耳にも届く。だが実は、李将軍とは李陵のことではなく、同じく捕虜となっていた李緒(りしょ)という男のことだったのである。李緒が匈奴に漢侵略についての入れ知恵をしており、それが元で生じた誤解であったのだ。ここにおいて李陵は決定的に、漢帝国と武帝に対する忠誠心を失い、絶望したのであった。

 李陵の一族は代々漢帝国に仕え、漢の国益の為に必死に働いてきた。しかし、その働きの割には報いられることの少ない家系ともいえた。彼を育ててくれた祖父・李広は数々の戦功を立てたにもかかわらず、その清廉な性格ゆえに、君側の奸に昇進を妨害され、最期は自刎(じふん)という非業の死を遂げている。また彼の叔父も、ある事情で、その死の真相を武帝によってねじ曲げられた人物であった。そして今また、李陵も……。

 李陵は今まで拒み続けていた匈奴の娘との婚姻を、自ら単于に申し出て、改めて妻帯した。匈奴に降服し、その地に骨を埋める覚悟を決めたのである。漢が自分を理解してくれないならば、その漢を見限り、捨てるまでという決意の表れであった。彼は、父の後を継いで新たな単于となった左賢王に仕え、右校王(うこうおう)の地位を得た。

 ここに一人、李陵の心をかき乱す男がいる。
名は蘇武(そぶ)といい、李陵が捕われる一年前から捕虜となっている男である。蘇武は李陵のように武官ではなく、和平交渉の目的で漢から遣わされた使者であったが、使節団の中に匈奴の内紛に関わる者が出たために、長年、胡地に拘束されていたのである。まれに見る硬骨の士であり、彼の人格に惚れ込んだ先代の単于は、自分の幕下に加わるように説いたものの、降服を潔しとしない蘇武は、数度にわたる降服勧告を拒絶。尊敬に値する人物なので殺すことも出来ず、持て余した単于は、蘇武を北海(バイカル湖)のほとりに幽閉したのであった。それからというもの、蘇武は次第に匈奴の民からもその存在を忘れ去られ、凍てつく寒さの中で草の根をかじり、鼠を獲って飢えをしのぎ、それでも漢人としての節を枉(ま)げずに細々と生きてきたのであった。この蘇武と李陵とは二十年来の友人でもある。

 そして当代の単于になってから、この蘇武の存在がにわかに思い出されるところとなり、李陵は単于の意を受けて、蘇武を訪ねて行った。再び、彼に降服を勧めるためである。李陵と蘇武は数年の時を経て邂逅(かいこう)するが、李陵の心に何か名状しがたいわだかまりが頭をもたげてくる。李陵は降服を受け入れ、匈奴で枢要な地位にもついて身なりも立派なものとなっているのに対し、蘇武は食うや食わずの生活で衣服もみすぼらしく、見る影もない。だが、漢帝国への忠誠と節度を保持し続けた高潔な志は、匈奴で厚遇されているはずの李陵の気持を暗いものにするのである。一方は豪奢な毛皮をまとい、右校王として重用せられる降服者、他方はぼろをまとい、赤貧に甘んじてはいるが、降服など夢にも見たことのない漢の忠臣。

 次第に李陵は、蘇武が自分を憐れみの眼で見ているのではないかと感じ始める。蘇武は、自分の忠良の志が漢に伝わらずとも、顕彰されなくとも、そんなことはお構い無しに、ただ独り、孤高の漢臣として生きている。それに引き換え、お前は何だ。豪華な衣装を着てはいるが、要するに変節漢ではないか! 匈奴に服属することは、自分の意志で決めたことには違いない。だが、蘇武に対する葛藤の消せない李陵は、蘇武の自分を見る眼に、そんな感情があるのではないかと疑いだすのであった……。

 結末から云うと、さらに数年を経て漢の武帝が崩御したことで、李陵を漢に連れ戻そうとする運動がにわかに起こった。彼を帰還させるべく、漢からの使者が匈奴の地を踏むが、結局李陵はその提案を断ってしまう。そしてさらに五年後、今度は偶然にも蘇武が漢に帰れることになった。蘇武の生存を漢室に伝えた者がおり、彼が厳しい環境下にありながらも節を持し、漢臣として生きてきたことが賞賛され、帰還の準備が整ったのである。苦節十九年、蘇武は漢に再び戻り、李陵は匈奴の地で没した。

 中島敦の作品、特に『李陵』や『山月記』には、自らが決心し、その生き方を選んだにもかかわらず、どこかに拭い去れない葛藤や拘泥(こうでい)を持つ人間の姿が、非常に巧みに描かれている。その意思決定がどんなに強力で揺るぎないように思えても、人間はどこかの時点で(これで本当に良かったのだろうか)と迷う存在だということを見透かしているかのようでもある。

 一体、蘇武のように想像を絶する苦境の只中にあっても、自分の志を貫徹できる人間がどれほどいるのだろう。若い頃の私は、何かを決心するということ、それ自体に重きを置いていた。けれども、大人になってからようやく分かったのは、決意や決心が難しいのではなくて、決意・決心した当初の気持や熱情をずっと保ち続けることが難しいということなのだ。

 中島敦は、この問題にもきっと随分若いうちから気付いていたのだろう。彼の早熟ぶりは、ただ単に文体にのみ表れているのではない。この人間の葛藤と苦悩に気付き、描き切るという面においても、きっと彼は早熟の天才であったのだ。


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 この新潮文庫版の『羅生門・鼻』には、タイトルにもなっている「羅生門」「鼻」を始め、芥川龍之介の作品群の内、主として平安時代を舞台とした、いわゆる「王朝物」と分類される作品が収録されている。

 その作品は「羅生門」「鼻」「芋粥」「運」「袈裟と盛遠」「邪宗門」「好色」「俊寛」の八篇である。「羅生門」などは国語の教科書でもお馴染みであり、「鼻」「芋粥」辺りは、学童向けの本でも紹介されていることがあるので、比較的何度も読む機会の多い作品といえるであろう。残りの五篇となってくると、どうだろうか。「運」「袈裟と盛遠」「邪宗門」「好色」「俊寛」に関しては、少し大人になってから味わいたい心理描写や状況設定があり、少年少女時代に何度も読み込んだという人は少ないのではないだろうか。これは私の個人的な感触ではあるけれども、学童期または学生期に読んだだけでは、特にこの五作品の味わいは十二分に得られないかもしれない。若い頃に一度読んだという方には、ぜひもう一度読んでみて、と勧めたくなる小説たちである。

 この文庫本に入っている作品はどれも皆、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』または『平家物語』や『源平盛衰記』などの平安時代から鎌倉時代にかけてまとめられた文学作品に材を得ている。「邪宗門」だけは、特定の作品に拠っていないが『栄華物語』『大鏡』『古今著聞集』などからもエピソードを採用しているらしい。らしい、というのは、私自身が『栄華物語』『大鏡』『古今著聞集』といった作品をきちんと読んだことがないからで、文庫本の解説によるとそうらしいということである。いや、ありていに白状すると、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』だって何十話もある内の数話しか未だに目を通していないし、『平家物語』や『源平盛衰記』に至っては、子供時代に児童書で読んだきりなのだ。私が頼りない記憶力を総動員して、話の筋を思い出せるのは、『鼻』『芋粥』『俊寛』の元となった逸話の三篇のみである。

 それでもこの芥川作品から感じ取れるのは、彼が、遠い昔に形成された文学作品を継承し、土台としながらも、そこに新たな解釈と再構築を試みたという事実である。「新解釈」「再構築」の前段階として、元々の古典文学がもつ「単純な記録文学性」の破壊があったことを、同時に挙げておいてもいいだろう。

 ここでいう単純な記録文学性というのは、要するに、何月何日にこういう出来事があった、どこそこの国の某という人がこういう経験をした、というようなニュース的・日記的な体裁でもって書かれた文学のことを指す。そこに、書き手の思想や感想、歴史観などが全く無いわけではないものの、主眼点となるのは起こった(あるいは起こったと思われる)出来事の詳細な記述であって、エゴや倨傲(きょごう)、名誉心といった様々な人間性の露呈ではない。

 芥川龍之介の王朝物は、元々の逸話をそのままそっくり頂きました、というのではなく、ニュース的・日記的な古典文学をベースにしながらも、そこに新たな解釈を施し、肉付けをすることによって、人間に備わる五欲の永遠不変であることを、かくも人間とはエゴイスティックな存在であることを、近代人に報知しているのである。しかも、古典文学の格調高さを決して損なうことのない、高雅で郁々たる筆致によって。

 先人が残したエピソードを基にして新しい物語を作るというと、先に作られた和歌を踏まえて、新しい歌を詠む「本歌取り」を思い出す。芥川の王朝物も古典文学における本歌取りと表現して良いだろう。しかし、本歌取りをする者は、必ず先人の作よりも優れた作品を残さねばならないという至上命題がある。元の作品を超えられず、凡作となってしまったら、その不出来の作は物笑いの種にしかならないからである。

 『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などの本歌取りとしての芥川作品は、まず香気あふれる文体によって、近代人に古(いにしえ)の王朝時代を思い起こさせ、次いで、鋭敏な感性によって、西洋文明受容のもとで表面的な洗練を手に入れた近代日本人に対し、エゴイズム不変の理(ことわり)を説いた。それは、天才的な感性に秀逸な技巧が上乗せされて成された、古典文学に勝るとも劣らない仕事であるように思う。

 収録作品一つ一つに対して、自分なりの感想を書きたい欲はあるのだが、芥川龍之介の作品を語るというのは、分かっていた事ではあるが思った以上に難しい。学生の頃、「羅生門」の感想を国語の時間に書かされたはずだが、人生経験の殆どない時期の方が、頭が単純だっただけにサラリと書けていた様な気がする。考えねばならない事柄が少なくて済んだのである。現在、多少なりとも社会経験を経てきた自分だと、かえって、目にしてきた色々な人々の人間性(善悪両面を含む)が頭にこびりついていて、サラリと述べる訳にはいかなくなった。無論、世間にいて、自分がいかに物を知らないか、不勉強であるかが身に沁みて感ぜられたからでもある。


                                  平成二十一年十月十日読了


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