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どうやら私の遅筆ぶりは輪をかけてひどくなっているようだ。”加速する遅筆”―――もはや速いんだか遅いんだか、字面だけ見るとよく分からなくなってしまうが、八月のことを十月になってやっと書いてるってことは、やっぱり遅いんである。
八月から九月にかけて、ちょっとばかし手を取られることがあったといいますか、ただ単に時間の使い方が下手で悶々としてしまったといいますか、日頃の私に似合わず、”なんかしらんが忙しい”という状態だったため、ブログがなかなか書けずにいたのだが、最近、気持ちが落ち着いてきたので、「よっこらしょ」と重い腰を上げている。”なんかしらんが忙しい”時期が過ぎてしまうと、またいつものような毎日。
と、いうのも―――、三月十一日の東日本大震災以来、こまごま・あれこれと考えるところがあって、何か人や社会に対して役立つようなことがしたいと思っていた矢先、七月に入ってから、たまたま我が町の社会福祉協議会の職員募集のお知らせがあったので、それに応募して、色々試験を受けていたのである。被災地の直接的な支援になるわけではないけれど、地元の高齢者や障害者のために働くことができれば、それが自分にとっても社会にとっても、ゆくゆくは、ちょびっとくらいはプラスになると思ったのだ。
ただ、私本人の根本的な弱点として、大学で専攻していたのは、どうにもこうにもつぶしの利かないキリスト教神学であった。福祉の専門的な勉強をしてきたわけではないので、社会的関心は持っていても、学問としての福祉の知識は皆無。エントリーしたものの、(どうせ一次試験で箸にも棒にも引っかからず、きれいに落とされるに決まっちょるわい!)と考えていた。考えていただけでなく、試験てものが三十五歳の人間にとってはあまりにも久々過ぎてナーバスになってしまい、「逃げちゃダメだ…逃げちゃダメだ…。こういうのは結果じゃないんだッ! 参加することに意義があるんだーッ!!」と、オリンピック選手でもないのに、そんなことを口走ったりしていたのである。ところが、予想に反して、第一次の学科試験に合格したんである。その合格通知が届いたのが八月中旬。そして、その合格通知には、今度は九月十一日に第二次試験を行うから、会場にゼヒ来てね、と書いてあった。
―――…欲が出てしまったんだと思うんだ―――。
大して勉強もせずに臨んだ職員採用試験。大学卒業程度の学力が必要とあったから、英語だけは大学受験時(大昔である!)に散々お世話になった『即戦ゼミ』(←英頻とも云う)で、復習だけはしといたものの、それ以外は、どんな科目が出るのかも難易度も分からないから基本的にほったらかし。実際に受けてみると、数学的思考が問われる設問もあれば、睨んだとおり、英文読解や国語現代文読解、理科や歴史、政治・経済、推理力を計る問題までバラエティに富んでいて、まぁ、簡単な算数すらできない私にとっては数学問題はどんなに考えたところで答えを導き出せなかったし、反対に、それ以外の科目に関しては、遠い記憶を引っ張り出しながら考えれば、まぁ解かるかも、という感じであった。
楽して受かってしまったがために(二次試験もイケるんじゃないか、コリャ!)と調子に乗り、欲をかいたのが失敗の元だったように思う。二次試験に臨んでみると、一次試験時の三分の一くらいに受験者は減っており、周りは、いかにも大学の福祉学科で一生懸命勉強してます、みたいな若い人たちばかりであった。口頭試問の一つでグループディスカッションの時間が三十分設けられていたので、そこで話を聞いてみると、本当に(←というか、当たり前なんだが)福祉専攻だったり、親が福祉関係の施設で働いているといったようなコネのありそうな子までいたのだ。素人人間は私だけ!? それでもう、私の緊張は一気にピークに達してしまい、その後のもう一つの口頭試問(個人面接)はもう散々だった。噛みまくったし、自分でも何を云っているか解からないくらい支離滅裂だった。もともとが棚ボタのような合格だったのだから、(ここで落ちても、ワシは構へんのじゃー!)くらいな気楽さで受ければ良かったんだろうが、一次試験での合格を無駄にしたくない!と、力んでしまったがために、完全に空転・空回り・空中分解してしまったのだ。
結果は推して知るべし。
「貴殿の才能を十分に生かし、地域福祉にご尽力いただきたいのはやまやまなれど…」
「今回の職員採用は必要最小限に留まるものでして…」
「末筆ながら、貴殿のますますのご多幸とご発展をお祈り申し上げます…」
―――いやいや、いいですよ。そんなワタクシごときのご多幸とご発展を末筆ながらお祈りしてくれなくとも…。だって本当のところ、試験に落ちた人間ひとりひとりのシアワセなんて、あーた方、これっぽっちもお祈りなんてしてないでしょう?
私、常々感じるんだが、「末筆ながらお祈り」なんてしてくれなくて良いから、「今回は貴殿のこんな所がダメだったのです」と、単刀直入に書いといてくれたら良いのに、と思うんだな。そうした方が、私を含めて試験に失敗した人たちも、次回どうすれば合格に近づけるか、どんな対策を取れば良いかの示唆が得られると思うんだ。
「貴殿の三十五歳という年齢が、実はビミョーだったのです」
「貴殿のキリスト教を勉強していたという学歴が、ここでは受け入れられないのです」
「そもそも貴殿は面接で噛みまくりだった」
「表向き、資格不問で募集したけど、率直に云って、やはり介護福祉の資格を持っている者が望ましい。貴殿は、表向きの募集要項に引っかかったお調子者だったのです」
などなど。きつくても、その方がお互いのためになるような気がするんである。
自分の伝えたいことが、面接で全然、ちっとも、これっぽっちも上手に話せなかったことについては、今でも思い出すたび、悶々、鬱々、懊悩し、心愉しまざりけりな私である。
最近買った本の話題にたどり着くまで一体何行書いてるのか知れないが、どうでもいい近況報告はもう少し続きますゾ。
一次試験の合格通知を受け取ってから二次試験を受けるまでの期間、主に八月だが、私は正体不明のブツブツに悩まされていた。
主に右手の親指、人差し指・中指に数知れないブツブツが集中して出来 てしまった。
写真ではなかなか見えにくいが、水疱に水疱が重なってボコボコの指。ブツブツだけ写したのでは気持ち悪いので、さりげなく観葉植物も入れてみました。
人差し指が最もひどかった。
このブツブツができ始めた頃、手足口病が大人の間でも流行っているというニュースが流れていたために、(すわ! これぞ手足口病では!?)と疑ってかかっていた。それか、体が疲労している時に出てくるという噂のヘルペス。お箸が持てないくらい、痛くて痒いので、お隣のY市にある皮膚科専門のM医院に行って診て貰うことにした。
これまで皮膚に関して特に悩んだことがなく、皮膚科専門のM医院も初めて訪れたのだが、診察室に入ってみると、若い頃はさぞかしお綺麗だっただろうというような、色っぽい雰囲気満載のM女医が待ち受けていた。M(マゾ)の女医ではない。Mさんという名の女医である。そのM女医に、右手全体に気色の悪いブツブツがブワァーッと出来ていることを、手を差し出しながら告げたところ、彼女は私の手をとるでもなく、患部をじっと観察するでもなく、ただ一瞥して、こう云った。
「あ。これね。夏場によく出る普通のブツブツなのよ〜♪ 今年はものすごく患者さんが多いの♪」
(エッ!?) 私はちょっぴり心外だったものである。「こんなに痛くて、痒いのに?」
「そうなの〜。痒いでしょ〜う? これ夏場に汗をよくかいた時に出来やすいブツブツなのよ〜♪ しかも、よく使う利き手の三本指に出やすいの♪ あなたもそうでしょう? ウフフ♪」
(ウーン…、そういわれてみれば確かに、親指・人差し指・中指の三本がものすごいんだよなぁ)と、じっと手を見ながら、私はこうも考えていた。(病院嫌いの私がせっかくこうして勇気を出して診察にまかり越したのに、よくある普通のブツブツとは何事であるか)と。
私は典型的な病院嫌いで、そんな私が病院に行く時といったらもう、大抵症状が重くなってからというのが我が家の常識である。ちょっと変な考え方だが、せっかく嫌いな病院に行くのだから、どうせなら大事(おおごと)になっていて欲しいというか、「よく、こんなになるまで我慢してましたね」とお医者さんに云わせたら勝ちというか、とにかく普通じゃない症状が望ましいのである。でなきゃ、ふり絞った勇気がもったいない。そんな私の信条を知ってか知らずか、M女医は「普通のブツブツ」とのたまったのである。
「先生、でもね、こんなところにも結構できてるんですよ、ホラホラ」「あ、そうそう左手もね、何個か水疱が出来てるんです。ホラ、ここ」「足のすねにも、ポチッと出来てるの発見したんです。えーと、どこだったかな」
体じゅうのブツブツを探し出してはアピールを繰り返したものの、診察結果は変わらず、夏場に出来る普通のブツブツであった。
「手足口病かな?と思ってたんですけど…」
私はとうとう切り札的台詞を、ぼそっと口にしてみた。しかしながら、私のように利き手の三本指に集中して出来るものは手足口病の症状ではないんだそうで。
「…ヘルペスでもなく?」
「ヘルペスはねぇ、手に出来るのであれば、赤みの射したもっと大きな水疱が腕全体にバぁーッと出て、ものすごく痛いからすぐ判るのよ〜♪」
あっ、そう…。(な、な〜んだ…)という、私のつまんなそうな表情には目もくれず、M女医は最後にこうのたまった。
「あなたのは普通のブツブツなんだからヨカッタじゃない? 他人に伝染(うつ)しちゃうわけでもなし、自分が痛いがゆいだけなんだから安心なさいよ〜♪ ハイ、お大事に〜♪」
私は処方された塗り薬を握りしめながら、敗残の身を抱えて帰路に着いた。
そんなこんなで、普通のブツブツだらけの私は、そのブツブツをもてあましながら、辞書を引き引き、アメリカ人の友人宛てに英語の手紙を書いたり、(二次試験どうしよう)とドキドキしてみたり、なんかしらんが忙しかったのである。本を買ったのは、アメリカの友人宛の手紙をやっとこさ書き上げて、郵便局に投函しに行った帰りであった。
今回購入した本
◎『三国志(一)』(小川環樹・金田純一郎 訳) 岩波文庫 第二十八刷 700円+税
◎『三国志(二)』(小川環樹・金田純一郎 訳) 岩波文庫 第二十七刷 700円+税
◎『日本沈没(上)』(小松左京) 小学館文庫 第六刷 571円+税
◎『日本沈没(下)』(小松左京) 小学館文庫 第五刷 571円+税
◎『はい、こちら国立天文台 星空の電話相談室』(長沢工) 新潮文庫 初版 438円+税
◎『MM9』(山本弘) 創元SF文庫 初版 860円+税
六冊目『MM9』のMとは、決してM女医のことではない。モンスター・マグニチュードという造語の頭文字である。今回の六冊は「F本市場」で購入したので、ディスカウント価格だったのだけれど、やはり、ブツブツのことやら試験のことやらで頭がいっぱいだったのだろう。うっかりレシートを捨ててしまって、実際の購入価格が分からなくなってしまった。上記に書き留めたのは、正規の価格である。
気ぜわしい期間もどうにかこうにか過ぎ、現在は吉川英治の『三国志』を再々々読(多分)している。皆さんは、秋の夜長をどんな本を読んで、あるいはどんなことをしてお過ごしだろうか。
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最近買った本
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八月上旬のことを九月に入って、やっとこさ書く。相変わらずの遅筆ぶりに、かえって自分らしさを見出したりなんかして。
しかし今回は、いつも書いているY市の「ブックランドT書店」での本のお買い物ではないのですよ。星降る町・K市のショッピングモール内にある「ブックランドT書店」なのだ。この日は、母が夏休みを一日取得したので、母の買い物にお供してのK市行きなのである。
私が山口県在住なのはバレバレであるため、はっきり云って星降る街・K市なんて書いたら、それはもう「下松(くだまつ)市」しかないわけで、伏せ字にしてみたところでまったく意味がないのであった。ついでにバラしてしまうと、ちょいちょいお邪魔するY市は「柳井(やない)市」なんである。山口県発祥のカジュアル衣料製造販売企業・ユニクロでおなじみの柳井正社長とおなじ「柳井」だが、かの社長はこの柳井市ではなく、宇部市の出身らしい。
「下松市」がどうして星降る町とよばれるのか。それは推古天皇の時代、この地にあった老松に、巨星が降りおりて七日七晩光り輝いたという伝説にちなんでいるから。なんでも百済(くだら)からやって来る琳聖(りんしょう)太子が日本の聖徳太子と会見するのを守護するために舞い降りた星の精であったとか。松に降(くだ)ったから「降松」、時代と共に「下松」になったというわけ。他府県の方は「しもまつ」と読んでしまいがちだが、星が松に降ったので「くだまつ」と覚えてくださいな。
もはや何の意味も見出せないが「ブックランドT書店」の「T」の部分は、まだ伏せておこう。
今回購入した本
◎『箱男』(阿部公房) 新潮文庫 第五十四刷 438円+税 普段は観念的な小説や抽象的内容の本の類は殆ど読まない。どちらかというと、歴史小説や神話・伝承、人類が大昔から送ってきた生活をもとに紡ぎ出されるような、こまごまとした具体的内容の本を読むことが多い私である。
ただ以前、阿部公房の『砂の女』を読み、感想を書いた時、その作品の内容がぼんやりと抽象的なために、むしろ人間存在とか日々生きることとか、色々と考えをめぐらせることが出来たので、『箱男』でもそんな感覚を味わえたらいいなと思い、購入した次第。読みたい気分を醸成するのにしばらく時間がかかるかもしれないが、いい感じに『箱男』を寝かして発酵がうまくいったら読んでみよう。発酵待ちの本ばかりだけど。
うちの猫、オトちゃんに箱に入ってもらおうとしたが、興味がないみたい。
暑い時期はフローリングでお腹を出して、口を開けて寝る。それがクロちゃんの睡眠スタイル。
全身真っ黒の猫を撮影するのは、かなり難しい。どうしても強制フラッシュになって、猫の表面
がヌメヌメしてしまいます。
こ汚いぬいぐるみと共に。去年、我が家に猫たちがやってきた時、二匹とも雌(メス)と紹介したはず。
しかしですね、二匹とも雄(オス)だということが、おいおい判ってきまして。いままで雌猫としか生活
したことがなかったので、よく区別できなかったんですが、何もないと思われていたところが、段々と
ふくれてきましてね…。ええ、「ふぐり」が「ふっくり」と「ふくれて」きたんで す。
そんなわけで二月下旬に去勢手術を受けてもらいました。
クロちゃんの写真、やっとまともなのが一枚撮れました。去勢してからというもの、太りやすくなった
ようで、お腹の肉がたるんたるんです。 |
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十六日(土)から十八日(月・海の日)にかけてのきらきら輝く夏の貴重な三連休を、とりたててデートの予定も何にもない、そもそも彼氏もない、くびれもない、ないない尽くしの私は、叔父のラーメン屋の手伝いにいそしみ、地域の氏神様の夏祭り(田頭祭)にちょっとだけ顔を出し、本を一冊買っただけで終えてしまった。むなしい。
本を購入したのは、おなじみの隣接市・Y市にある「ブックランドT書店」である。
今回は本を買うというよりも、勇気を出して、幻冬舎アウトロー文庫から出ている『家畜人ヤプー』(沼正三)を注文しようと思っていた。なぜかというと、このところ私は『ちくま日本文学018 澁澤龍彦』(解説:養老孟司)や『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』(三島由紀夫)といった、マルキ・ド・サドについて書かれた本をちょいちょい読んでいたからだ。マルキ・ド・サド(サド侯爵)とは云うまでもなく、「サディズム」「サディスト」といった言葉の語源になった人物で、十八世紀から十九世紀にかけてのフランスの作家。本名は、ドナティアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サドという。
サドのことを読んでいて、なんでヤプー?と思われるかもしれないが、加虐性愛者の反対側には被虐性愛者がいるわけで、上記の本を読んでサディストの心理をたどっているうちに、マゾヒストの心理も知りたくなってしまったのだ。『家畜人ヤプー』は、私が持っている幻冬舎アウトロー文庫の新刊・既刊紹介頁に、そのタイトルと簡単な紹介文が掲載されていて、十年近く前から(ヤプーってなんなんだろう?)と気になってはいたのだが、『家畜人ヤプー』がマゾヒストによるマゾヒストのための小説だということを知ったのは、ごく最近の話である。どうでもいいことではあるが、「マゾヒズム」「マゾヒスト」などの語源になった人物は、こちらも十九世紀のオーストリアの作家、ザッヘル・マゾッホである。どうせ「マゾ」という単語を口に出すなら、「私、マゾッホなんですぅ」くらい云ってみたい。
痛いのも熱いのも、こねくり回されるのも嫌いな私だが、とにかくマゾッホたちの心理については知ってみたかった。で、(そうだ!ヤプー、買おう!)(←「そうだ。京都、行こう」くらいの爽やかさで)と思い立ったのだが…。
しかし、実際に書店のカウンターに行ってみると、その勇気がまるで出なかった。
第一に、私は全然アウトローな人間じゃないのに(?)、アウトロー文庫などと名のついた本を注文する気恥ずかしさ。私は「アウトロー」なのではなくて、ほんのちょっぴり変わっている程度の「変奇郎(ヘンキロー)」である。まぁ、一応女だから「変奇女」か?
第二に、『家畜人ヤプー』そのものに対する気恥ずかしさ。カウンター内の店員さんが、この本を読んでいて、内容を知っていたらどうしよう? (ちょっと、お客さ〜ん、こんな本注文するんですか〜?)と、ニヤニヤされたらどうしよう?という不安である。
第三に、『家畜人ヤプー』の表紙に対する気恥ずかしさ。幻冬舎アウトロー文庫版の『家畜人ヤプー』は全五巻で、そのどれもが金子國義氏の手による、なんともエロティックな絵で彩られている。角川文庫版『ドグラ・マグラ』の表紙は恥ずかしいとは感じなかったのに、『家畜人ヤプー』の表紙は恥ずかしい。そんなお年頃である。
怪しいまでに定まらぬ視線で、しばらくカウンター前をうろうろしたが、どうにもこうにも「『家畜人ヤプー』を注文したいであります!」とは云えなかったので、今回は仕方なく角川ソフィア文庫の『古事記』を購入して、立ち去ることにした。
今回購入した本
◎『古事記 現代語訳付き』(中村啓信) 角川ソフィア文庫 初版 1124円+税
この時ちょうど、『闇彦』(阿刀田高)についてのブログ記事を書いており、『古事記』について一から読み直してみたいな〜と思っていたところだったので、何も買わずに書店を出るということが出来ない私は、とびつくようにしてこの本を手に取ったのであった。ヤプーが注文できなかったという敗北感でいっぱいだったため、文庫本のクセして、なんかお高い、ということにも気づかず、購入してしまった。まあ、それはいい。
しかし『古事記』のような、ちょっと高尚に思われてしまいがちな本を購入した人間が、こののち、いつか『家畜人ヤプー』を注文するとなると、それはそれで更に注文しづらくなるような気がしないでもない。
(ホラ、あの、いつもうちを徘徊するお客さん、こないだは『古事記』なんてカッコつけて買って行ったのに、今度は『家畜人ヤプー』なんて注文してんのよ〜。どういう人なのかしらね〜。もしかしてマゾッホなのかしら〜)などと、書店員の間で噂になったらどうしよう? そんな妄想で脳中を満たしながら、七月の三連休は淡々と過ぎていったのであった……。
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六月のことを七月にはいってから書くという、このマヌケさよ。
「六月でこんだけ暑かったら、十二月はどんだけ暑いねん!」とか「アツが夏い!」なんて、しょうもないことを云っていたら、もう七月になっちゃいました。今年ももう半分しかないのか〜、な〜んだ、つまらん。そう、私は、コップにジュースが半分入っていたら、「あと半分もある」ではなくて「もう半分しかない」と思う人間である。
「あと半分もある」と素直に喜べる人間に、私はなりたい。
まぁ、そんなことはどうでもいいのだが、このところ書店からも足が遠のいていたのだけれど、先日久々に本を買った次第。
今回購入した本
◎『海と毒薬』(遠藤周作) 新潮文庫 第百三刷 362円+税
◎『沈黙』(遠藤周作) 新潮文庫 第五十刷 514円+税
◎『深泥丘奇談・続』(綾辻行人) メディアファクトリー 四六判 初版 1,580円
本当は『陰陽師』の最新刊を買う予定だったのだ。四六判の最新刊が出たと新聞に紹介されていたのを、チラッと一瞥しただけで、判型も価格も確認しなかったので、最新刊が文庫になったのだと思い込んでしまって、いつもの書店で探したのだけど、文庫化されていないんだからあるわけない。平積みされている四六判の『陰陽師 天鼓の巻』を発見して(なんだなんだ、文庫化じゃなかったのか…)と、ようやく気付く。どうしても読みたければ、大きいのを買ってもいいけど、今まで文庫でシリーズを揃えてきたのに、ここで四六判を購入すると、今まで刊行された四六判も揃えて、なおかつこれからは文庫本も四六判も、きちんとそろえる為に買っていく羽目になるから、それは避けたい。とか何とか、書店の棚の前を徘徊しつつ考えて、目的の品とは全然違う本を買うことになったのであった。
遠藤周作氏の『海と毒薬』『沈黙』は、有名な著作でありながら、まだ読んだ事がなかったため購入。綾辻行人氏の『深泥丘奇談・続』は、前作『深泥丘奇談』を読んでいたので、ちょっと続きが気になって購入に至る。
今年の夏も暑そうだし、電力事情もあって冷房もなるべく控えないといけないから、この夏は、恐怖でゾワッと涼しくなるような本を読むようにしようかな、なんて考えている。本屋さんも、そういうフェアを組んでみたら良いんじゃないですかね。
うちの猫さんたちも、暑くてやる気出ないみたい。オトちゃんは、ボヘ〜ッとしているし…、
クロちゃんは、大股おっぴろげでお昼寝ばかりしています。
電力が不足していようが、実は足りていようが、節電に取り組むことは良いことなんだけど、あまり無理して具合が悪くならないように、お互い気をつけましょうね!
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重陽の節句ともなれば、吹く風は心なしか涼しい。そんな秋めいてきた頃合に、私は足腰の強化もかねて、遠方の友人達に届け物をするべく、歩いて郵便局に行き、その帰りに近所の古本屋である「F本市場」にも行ってみた。「F本市場」に立ち寄る時というのは、買いたい本を明確に決めているわけではない。新潮文庫で、ある程度美本で、Yonda?グッズに応募する際に必要な三角マークが付いていて、なおかつ自分の好みに合いそうな内容のものがあれば、買うかもしれないぞという、そのくらいの気持ちである。普段、なるべく新刊本を買うようにはしている私だが、格安で三角マークが手に入る誘惑に負けてしまうことも、たまにはあるのだ。人間だもの。
今回購入した本
◎『東亰異聞(とうけいいぶん)』(小野不由美) 新潮文庫 第三刷 590円+税(→220円で購入)
◎『信長を撃(はじ)いた男』(南原幹雄) 新潮文庫 初版 590円+税(→220円で購入)
◎『少年探偵 怪人二十面相』(江戸川乱歩) ポプラ文庫クラシック 初版 560円+税(→220円で購入)
◎『少年探偵 少年探偵団』(江戸川乱歩) ポプラ文庫クラシック 初版 540円+税(→220円で購入)
◎『黒い森』折原一 祥伝社 四六判 第二刷 1,700円+税(→1,050円で購入)
『東亰異聞』と『信長を撃いた男』は、そこそこ綺麗で三角マークが残されたままだったので、しめしめと購入。「亰」という見慣れない漢字が、物語の不可思議さや妖しさを表しているようで、少なからず目を惹いたので、(「亰」なんていう字、ほんとにあるのか?)と思い、辞典で調べてみたら、きちんと載っていてビックリ! 読みと意味は「京」と同じで、「京」の異体字なのだそうだ。
『黒い森』は、装丁というか本文の組み方が凝っていて、表紙側の「生存者バージョン」からでも裏表紙側の「殺人者バージョン」からでも読めるようになっている。どちらも右開き仕立てになるように、真ん中の袋綴じ部分を境に、文字組みの天地が正反対になっているのが特徴である。袋綴じ部分に物語の解決篇が書かれているらしいが、ここは「生存者バージョン」「殺人者バージョン」の二篇を読んでから、カッターなどで切り開いて読むという趣向なのだ。私が購入したのは、袋綴じに手が付けられていない状態のもの。この『黒い森』を「F本市場」に売った人は、この本を買いながら一回も読まなかったということなのだろうか。ミステリ小説だから、読んだら結末が気になるものだと思うが、ひょっとして解決篇をわざわざ読まなくても、トリックが解かっちゃった、なんていうすごいお方だったのかもしれない。
そして、なんといっても興奮したのは、江戸川乱歩の『少年探偵シリーズ』の復刻版があったことである! 小学生の頃、ポプラ社の『少年探偵シリーズ』に熱狂した人なら、この興奮が伝わると思う。あのシリーズが、文庫本サイズで、当時の表紙イラスト、挿絵、背表紙のままに復刻されていたのである! 全部で六冊(『怪人二十面相』『少年探偵団』『妖怪博士』『大金塊』『青銅の魔人』『サーカスの怪人』)が、ポプラ文庫クラシックとして復刻されているようだが、「F本市場」に出ていたのは上記の二作品のみ。こちらも、買ったものの読まずにそのまま売られてしまったかのようで、販促用のしおりから読者カードから挟まったままで、これも私にとっては有り難い代物である。こうなったら、残り四作品を何とか手に入れなくてはなるまいて。表紙イラストや挿絵を見ると、(あぁ〜、確かにこんなだったなぁ〜)と、図書館から一冊一冊借りては読みふけっていた小学校当時の思い出がよみがえるようで切なくなる反面、『少年探偵 少年探偵団』の表紙に描かれている小林少年が、妹の旦那さんにそっくりで、「ブフッ」と笑えてしまう。
さて、夏の暑さも一気に遠のいて、秋の夜長らしきものが感じられるようになってきた今日此の頃。明智探偵に恋心を抱いていた、おマセな小学生の頃を思い出しながら活字を追ってみようか、などと私は考えているのであった。
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