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正直、古墳には興味ないんだけどこの『吉見百穴』は一度見てみたかったんだよね〜 吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末〜7世紀末)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。 横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものであるが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じである。 百穴が分布する一帯は凝灰質砂岩と呼ばれる比較的掘削に適した岩盤が広がっており、当時の人々は掘削するのに適した場所を探して横穴墓を造ったと考えられる。 吉見百穴は明治20年に発掘調査が実施されているが、わずかな写真と出土品を残すのみで詳細な情報はほとんど残っていない。 現在確認できる横穴の数は219基である。 吉身町HPより 最初、この穴は人が暮らしてた跡だったとか言われてたらしいけど・・・どう考えても人がしゃがんでやっと入れる位の穴なんだよねぇ。 穴の中には自由に入れるみたいだけど、私にはとても入る勇気はありませんでした・・・; しかも、百穴の下には・・・『軍需工場跡』まであって、更に怖ぇっつーの! 太平洋戦争中、米軍の空襲で大打撃を受けた日本は航空生産が10分の一にまで落ちたんだって。 それを何とかするために、この吉見百穴が急遽選ばれたみたい。 ここなら空襲も避けられるし、航空機の部品も作れるってわけ。 ただ・・・ここで働いていたのは多くの朝鮮人。 ・・・・ま・・・ま、あ気をとり直して・・・この工場跡はかなりでかいらしい!! 近くに「松山城」があるんだけど、その松山城から岩粉坂までの直線距離にして約1300メートル部分が工事対象になったとか・・・ ってことは!! なんか怖ぇなぁ・・・; この軍需工場跡も一部一般公開してて、中に入ると冷〜っとしてて肌寒い!! |
歴史関係♪
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久しぶりに、城跡散策してきたよ♪ 場所は群馬県安中市にある、『後閑城』 ここも桜の名所として、新聞にも載ったりしてるんですよ。 も〜、何年も前から行こう行こうと思ってたんだよね。 で、行くなら桜の時期に行こうと思ってて、早数年・・・; やっと今日、実行してきました〜! 駐車場は西と東に2箇所。 西の駐車場から、本丸を見上げてます。 ここのメインとも言える、『北第一堀切』 第一堀切の隣にもう一つ、『第二堀切』 3重の堀切で守られていたんだね〜。 後閑城本丸跡 もっとドカ〜ンとでかい石碑に「本丸跡」ってあるのかと思ってたのに・・・ちょっと残念; 周りに並んでるのは、『百庚申』(かのえさる) 『二の丸櫓台』 もう薄暗くなってきて、写真がわかりにくいですね; 中に入ると、ギシギシ鳴って正直怖かった(笑) 櫓台の中にありました。 周りに誰もいないのを確認してから、一人で「カンカンカン・・・」って鳴らしてきました。 もっと晴れてれば、群馬三名山のうち、「榛名山・妙義山」がハッキリ見れたのに・・・ 桜は、まだ満開には早かったみたいで、残念; 一本だけ、満開の桜発見!! なんで、一本だけ満開・・・? 整備されてるのは知ってたから、余裕こいてたら・・・アップダウンが激しくて疲れ果てました; しかも、久々の城散策だから、スニーカーも忘れちゃって・・・靴ずれしそうになっちゃった。 でも、久しぶりにのんびり出来て、ちょっと幸せでした♪
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この赤い橋が際立って、すっげぇキレイ〜!! 清洲町制100周年を記念して、平成元年に復元されただけあって、新しいしキレイだし、ウットリ・・・ また石垣の写真撮っちゃった♪ 『野面積み(のづらづみ)』の石垣です。 石を加工しないで(時には割って)自由に積み上げる方法です。 なんか・・・ちょっと登れそうかな〜なんて思っちゃったりしました。 天守閣内の2階にある、信長の人形です。 『桶狭間出陣』で、出陣を前に信長が胸中に決死の覚悟を秘めて謡曲敦盛を舞うシーンが展示してありました。 そして展示の前には、ビデオがセットしてあって、ボタンを押すと5本のストーリーが流れるんだけど・・・長い!! 18分くらいあったかな〜。まあ、最後まで聞いちゃったけどさ(笑) でも、それを聞いている間、誰も周りにいなかったんだよね。客は私だけ〜。 『信長塀』もありました。 桶狭間出陣の前に熱田神宮へ必勝祈願をして、その後見事に勝利したのでそのお礼に寄進したそうです。 素人の私から見れば、「・・・瓦が積み重なってるだけ・・・?」って思いましたけど(笑) 実際は、土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねて、上部を桟瓦で葺いた優雅で重厚な築地塀だそうです。 いや〜、キレイだった! 目の保養になりました〜。 観光客も私一人だったので、ゆっくり見れたし、満足でした♪
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初めての名古屋なら、まず先に行っとくのは 名古屋城でしょ〜!!(単に近かっただけ) ではでは・・・・ まず、城全体を撮ろうとしたんだけど・・・・手前の小屋がちょっとね〜・・・邪魔(笑) どうやら、14日から菊祭りが始まるようであちこちにテントが張ってありました。 名古屋城って、徳川家康のお城だよね? でも妙に目立つのは加藤清正 そして、有名な『清正石』 清正が運んだって言われてるけど、ホントは石塁の施工大名は黒田長政だったみたいなので、どうやらただの伝説になっているらしいですね。 今、名古屋城では募金を集めていました。 なんだろう??と思ったら、本丸御殿復元。 本丸御殿は、第二次世界大戦で消失してしまったみたいだけど、襖絵は戦火をまぬがれて重要文化財に指定されてるらしいですね。
石垣の刻銘です。 上の写真のアップです。 『加藤肥後守内小代下総』と刻んであります。 城内のあちこちの石垣に、いろんな記号を刻んだ石があるんですよ。 大名達が自分の運んだ石を他の大名の石と区別するための目印です。 ↑ここも見えるかな〜? 上の写真のアップです。 これは・・・なんて刻んであるんだろう? 名古屋城は普通に見ても二時間はかかりました。
天気が良ければもっと良かったんだけどな〜。 |
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もう一ヶ月以上経ってると、記憶も曖昧になってきますね・・・ 今年の大河ドラマ『功名が辻』の山内一豊のお城です。 山内一豊は尾張で生まれ、後に信長・秀吉・家康の3人の戦国武将に仕えました。
信長に仕えていた時代には妻・千代の『内助の功』の代名詞として有名な逸話が生まれました。 ある日、馬商人の持っている駿馬にほれ込んだ一豊でしたが、その駿馬の値段である10両をどうしても捻出できず諦めて帰りました。 一豊の話を聞いた千代は、かつて嫁入りした時に父親から与えられて、大事の時のためにと大切にしまってあった10両を差し出したというわけです。 その馬を得たことがきっかけとなって、一豊は信長の目にとまり、次々と功名をあげていくことになります。 1590年に山内一豊が豊臣秀吉から掛川城主を命ぜられ、土佐へ栄転するまでの10年間に戦乱で痛んだ城の大修復や城下町の区画の構築・整備を行うと共に、天守閣を建立しました。 その後も著名大名の居城として栄え、天守閣の美しさは『東海の名城』とうたわれました。 そして、現在の掛川城は、当時から現存する掛川城御殿、太鼓櫓、大手門番所と平成6年4月、当時の美しさをそのままに復元された、天守閣と大手門になっています。 掛川館。 今年の1月21日〜12月17日まで。 この展示館では、千代と一豊夫妻の活躍を年代ごとに解説するとともに、ドラマオープンセットの再現や映像、ジオラマ、ドラマで使用された衣装・小道具・パネルなどを展示し大河ドラマにちなんだ千代と一豊の世界を楽しめます。 功名が辻の出演者 信長の陣羽織とサーベル(舘ひろしさん着用) 明智光秀の陣羽織(坂東三津五郎さん着用) 髑髏杯 秀吉の正妻。寧々役・浅野ゆう子さん着用 一豊の妻。千代役・仲間由紀恵さん着用 信長の妹。市役・大地真央さん着用 市役の大地真央さんが、実際着用した着物を羽織って記念撮影した私♪ 掛川城の近くにある清水銀行 今回は、写真ばっかり・・・
しかも城より大河ドラマじゃん・・・ |












