2004.12.26

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

忘れないよ

          https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/28/ca/hawaiiantommy2006/folder/1025368/img_1025368_32243467_14?20080608234814.gif


クリスマスが終わると始まる新しい時間



私達には新年1月ではなく今日からが1年の始まりです。。。。。



今では何事も無かったかのようにほぼ復興した現地。
今日で5年目。きっと夜にはたくさんのコムローイが天に昇っていくことでしょう


いつかまた訪れる事が出来るようになる日が来るのでしょうか?



生きていることは奇跡なんだよ・・・・





ありがとう。










  
           https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/28/ca/hawaiiantommy2006/folder/1025368/img_1025368_33034911_18?20080711232350.jpg



今年の夏、サムイ島に行った時の事。


夜レストランでご飯を食べていると遠くからぼ〜っと明るいものが砂浜から上がり始めた。

あれ?もしかしたら コムローイ
イメージ 1





コムローイとは・・・・・・紙製の熱気球のこと。


こちらでは一般的で、最近ではタイ版の灯篭流しのロイクラトンの時などの時に空に放つこともある。

灯篭を空に放つ事で魂の浄化につながるとも言われていて津波の翌年にはクラビ、プーケット

では何万ものコムローイが空に昇って行ったのです。



今まで何もお返しの出来なかったことがずっと心に残っていた私は今回ここで
飛ばす事で一区切り出来るとそう思いました。
そこで家族4人で心を込めてコムローイを飛ばす事にしました☆

イメージ 2

火をつけるまでは持っています。

イメージ 3

付いたら手を放します。するとふわふわ上がっていくコムローイ。

イメージ 4

灯篭は数分で燃え尽きて消えていきます。



風に乗って海の方へ流れていったコムローイ。月に向かって飛んで行くのを見て
感謝を捧げました。


すべての人にありがとう☆

メモリアルデー

                   https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/28/ca/hawaiiantommy2006/folder/266803/img_266803_20032558_12?20070811182049.jpg



今日は私達家族のメモリアルデーです



そしてこの日を忘れた事はありませんでした



こうしてここでまだ生活できて、笑って 泣いて



皆さんと話すことができるこの普通の生活が送れることに



感謝。。。。。。



助けてくれたすべての人に感謝。。。。。










ありがとう











私達は元気です
イメージ 1

イメージ 1

2004年12月26日朝、インドネシア、スマトラ沖を震源とした大地震による津波がプーケットを
襲った日、私達家族はプーケットのパトンビーチにいた。
23日から滞在していて26日は帰る日の朝だった。午後のフライトなので朝は海かプールでのんびり
していよう、”どっちがいい?””プール!!”すぐに返事が返ってきた。
海が好きなのになんで・・・・?
まあ、プールがいいんならいいか!朝食をとって10時すぎころプールに降りていきました。
人かげもまだ少なめ、ここで本でも読んで少し寝ようかな・・すると、ビーチの方からパンパンと音が
しました。”パンク?”・・またすぐに同じ音。プールバーにいる従業員が不安そうに覗き込んで見ている。
”これは、テロだ!”そう確信した。

実は今もそうですがタイ南部は紛争地帯で、その当時も年末のプーケット、クラビ方面は注意したほうがいいとは、言われていた。しかし11月にオットのオッフィスのスタッフが行き、なんでもないと聞いて安心はしていた。ついにプーケットまで・・・でも前は海でしょ?でも、道路あるしなんて思っていたら、”エブリバディー、ムーブ、ムーブ!!!”プールバーの従業員が叫んだ。
”え!?な、なに?”とにかく泳いでいる子供たちを上がらせてビーサンを履かせた。(ベルト付き)
この時自分でもなんであんなに冷静でいられたのか、とにかくクツは履かせなきゃ、と思っていた。

でもこのサンダルをしかっり履いていたため、私達は遠方まで「歩くこと」ができたのです。
病院に運ばれた外国人などは、はだしで避難中ガラスの破片をふみつけ足を切り歩けなくなった・・
そんな人たちがたくさんいた。
だから、避難するときは足ありき、ですよ。

走ってホテルの外に出たとき、となりのホテルから装甲車の様な車が出てきた。
”このまま、この人たちにライフルで殺される!”本当にその時初めて『死ぬ」と言う事を意識した。
長男を抱え込んでその場に座り込んだら、その車から”ムーブ、ムーブ、ハリーアップ”の声。
”ムーブって、助かった?”そう思ったとたん後ろから水が押し寄せてきた。
”なに、これ!?走って!!”子供に叫んだ。となりに走ってきた日本人が”朝の地震の津波よ!”そう教えてくれた。

朝の地震・・そういえば前の夜飲んでしまって朝7時ころトイレに起きたら、なんだか横揺れがしていたっけ。しかも1分ぐらい。二日酔いだと思っていたけどそれなんだ。でも、タイには地震はおこらないんですよ。地形的にいって。でもその横揺れがこんな大津波として3時間後にやってくるなんてだれが想像しますか?

その後私達は地元や沢山の国の人たちに助けられ、3日遅れの29日最終便でバンコクに戻りました。
その空港で最も悲しかったこと。それは日本大使館職員が誰一人いなかった事です。
最終便にもかかわらず、各国何人かは旗を持っていたり、デスクまで置いて無料電話サービスを行って
いる国もありました。
誰もいない・・在留邦人なんてどうでもいいんだ!!
まさか、日本がこんなに冷たい国とは・・
きっとこう思った邦人も私達だけじゃないと思う・・・・

もう2年、まだ2年。
写真は津波の前日ピピ島で撮ったものです。この時は次の日に起こることを誰も知らない、平和な
ピピです。
生きていられた事に感謝、助けてくれたすべての人に感謝する26日がまたやって来ます。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事