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「ともくん日記」

先日の研修もたくさんの発見があった。

最新鋭の設備で日向の古代と向き合う西都原考古博物館からこんにちわ〜!(^○^)

ともくんの新たなもう一つのホームベースになるこの地で、日々学び

みやざきの謎に挑戦してゆきたいと思う今日この頃。

博物館をちょびっと紹介します(^ ^)!

(何気に応神稜や箸墓古墳の模型もあるよ)

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開館して10数年がたつここ西都原考古博物館。

僕が小学校のころくらいにオープンした最新鋭設備の、九州最大規模の古墳群

その研究と記憶に触れることができます。

入り口は古墳を模した壮観な建築デザイン。

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日本ではじめての学術的な発掘調査がおこなわれた西都原古墳群。

皇祖発祥の事実を調べるべく行われた調査は

より一層の謎を発見するきっかけとなったのでした....。

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入り口はシラス壁を採用。温かみがある館内への入場はなんと無料なんです。

県内外からおおくのお客様が遊びに来てくださいます。

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廊下スロープは、1センチ10年、1世紀は10センチの長さで

25メートル=25000年の歴史を過去までさかのぼれるよう記されてる。

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(^○^)気の遠くなる時間旅行へ。

姶良カルデラの噴火と、石器〜土器時代の流れから展示は始まります。

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西都原古墳群の顔である、オサホヅカ(瓊瓊杵命の陵墓と言われている)と

メサホヅカ(木花佐久夜毘売の陵墓と言われている)。

おおきい前方後円墳がメサホヅカ

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古代人の遺骨が数百体安置されています。

当時の状況をリアルに実感できる一番ディープなところだとおもう。

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日本人のルーツから縄文土器まで、多くが本物もあるよ。

写真撮影もフラッシュをたかなければ大丈夫。

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いまやってる展示(石が人をつくった)ここは既成のミュージアムでは

ありがちな変化の少ない常設展ではなく、来るほどに常に展示内容が進化

変化し続けていく常新展であるところもツボ。

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子供にも楽しんでもらえる絵本や、来客者向けの研究資料もすごい量。

勉強になります。

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そしてこれが当館の目玉。みんなの教科書にも出てきたこともある

西都原からでてきた子持家型埴輪と、

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船形埴輪(レプリカ)です(^○^)

一見からインパクトがあるよねえ〜。

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ハヤト族の盾。抵抗の民というハヤトは海幸彦の後裔だという。

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近況など今後もたくさんレポートしていきます!

これだけの規模の施設で古代と向き合う、ある意味ぼくにとっても挑戦でした。

神社やスポットだけなら数百にせまる数6年にわたり旅してきた僕らの宮崎旅。

はたして天孫降臨の霊地日向の古代にはなにがあったのか?!

新たな旅ははじまったばかり。

近況などツイッターやfacebookなどの各種SNSで常時発信していますので

ふらっとみやざきに来た人などはぜひとも遊びに来てね!

(来館情報などは定期的につぶやいてます。

ともくんいますか?とニックネームのほうで呼んでもらえれば

博物館を無料でガイドできますのでよろしくね♪)





この記事に

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ともくん宮崎からの手紙—! PART.1 
新岩戸地区からの手紙(天孫降臨の真実を追う)〜前編 その1〜

ともくん宮崎からの手紙―! PART.1
新岩戸地区からの手紙(天孫降臨の真実を追う)〜前編 その2〜


ひさしぶりに、おそらく半年〜1年程ぶりに、ともくん

スピリチュアル女性誌トリニティの誌面で、連載を再スタートさせました

普段の僕は西都原考古博物館でボランティアガイドとして観光客のお客様たち

にたいしていろんなところを紹介して活動したり

依頼されれば神話や歴史学のトークをやったり

フリーライターとしてさまざまなジャンルの世界の紹介記事やレビューをやったり

エッセイを書いたりして過ごしています。

誰もいかない聖地やスポットなどに、神秘体験などを通じてむかったり

多くの歴史と神話の謎に本格的に向き合いたいと思ったという理由もありました。

博物館では多くの先輩方や、新しい仲間たちに囲まれて、ぼくも若干緊張気味。

それでも優しい方々に巡り合えて、それが僕自身の成長という意味でも

多くの人々と出会って交流していく中で得ていくことは、いっぱいあると思います。

なによりたくさんの子供たちと触れ合って、多くの体験を

そこに残してゆくことができるということも

僕にとっても、全国の皆さんとも、有意義な時間、体験や感動につながって

ゆくのかなとここ最近強く感じてしまったのでした。

まあとにもなくにもそんなわけで、宮崎の隠されたもう一つの歴史、そして

神話の真実を探す旅に、一緒に新しく生まれ変わった

ともくん一行と出かけましょう!

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その連載タイトルも「ともくん宮崎からの手紙―!」

原点回帰し、初回の連載は、その名にふさわしい

「新岩戸地区からの手紙―!」

男の神様だった天照大神の謎と、天孫降臨は歴史学の見地

スピリチュアル的な視点ではたしてどうだったのか?いま最も熱い、

気になる最新情報とともにお送りしてゆくよ!

それと、今回紹介している神社たちは、ここ最近街がリニューアルして

県外のお客様向けに大幅に美しく、親切に解説されるように生まれ変わったので

ぜひとも宮崎県の中心部に来たお客様は、遊びに来てのぞいてほしいです♪

ともくんに聞いても教えることもできるので、気になる方はメールとかでも

対応できますよ。

そんなこんなで何卒よろしくね!








この記事に

こんにちは〜!ほんじつは

ぼく”ともくん”のルーツにかかわりのある神様である

アマテルこと

照国照彦天火明櫛玉饒速日命
(あまてるくにてるひこほあかりくしみかたまにぎはやひのみこと)

にまつわる宮崎県でたどれる各スポットに、みなさんをご案内したいと思いま〜す!

実はこの神様、様々な別名や、個人名で呼ばれることも多く、その伝説や伝承も

いっぱいあるんですね^o^

天孫降臨したニニギノミコトの兄としてみれば物部氏の先祖ニギハヤヒ(饒速日)に。

男の天照大神としてみれば、(天照御魂神/火明命)になって記紀神話などに

登場したり。

そのいろいろな物語についての調べて見えてきたことなどは

先日出版した著書の中で説明しているので、ぜひともみんな読んでみてね♪

まだまだこれから紹介したい場所がいっぱい。

みんなでぜひともいってみよう!(すんごいマイナーなところから

メジャーなところまでいろいろだった。)

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まずはじめにホームベースとしている大年神のいるところへ。

福智皇子と母之伎野妃の眠る大年神社(祭神大年神) 

オオトシ(大年神)は、新年正月になるとやってくる、農業と初日の出の神様です。

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先日いったときの比木神社の別宮です。個人的に一番好きな場所。

一説には、饒速日の幼いころの九州地方での名前を大年尊(おおとしのみこと)

といい、大和地方にはいってから、”饒速日”と改名したという説も

長年支持されてきていて、竹内文書を継承したご子孫という方も

その説を有力視されるなどなかなか興味深いことだと思います。

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僕も古代のアマテル(太陽神)信仰は、日下部氏、日下(くさか)の一族がやっていた

ものだとおもっているから、穀物の霊信仰と、太陽霊信仰は、生きていくうえでも、

セットだったんじゃないかな?とおもっているんだよね。

アマテラスのお孫さんもニニギだし、穀物、稲穂の霊ですしね。

宮崎のオーシャンリゾートに、ニニギベーカリーなんてのもある。

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(福智王をまつる)

この大年尊も、人間として饒速日といってまつられる前までは

太陽神の別の側面として、農業の神として同一視されていた可能性もわかります。

この神社は高鍋町にあります。(10号線沿いに百済の母という看板があるので、
それに従って進んでいくと、海岸沿いの線路横に道があり、大年神社が見えてくるよ!)

ここには大年尊のことを詳しく書いてあるパンフレットが神社内に置いてあるので、みなさんもぜひとも読んでみてください。(いちおう平時入れるのだとか。)

高鍋の神社内では一番重要視されているところだったりするので、みんなぜひとも来てね!(町のパンフレットでも最初に紹介されているようにここが軸になっている部分はある)

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まえおきはこれくらいにして

さてそれでは旅に出かけましょう!

最初には西都原古墳群に行くようになったので

児湯の池より、土地の神様に御挨拶という気持ちで言ったところでした。

ここが僕が本で大きくふれた、火明命(ほあかりのみこと)についての

伝承地の一つです。

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火明命は大和地方で活躍した瓊瓊杵尊より先行して

天孫降臨していた饒速日という人物と同一視されることもあります。

日向三代神話では火中出産でうまれたのち、海幸山幸は大活躍するものの

この火明命だけはほぼ無視されてしまうというか、基本的には登場しません。

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往古の神社たちを調べていくと、この火明命っていう神様の正体は

男のアマテラス、天照御魂(アマテルミタマ)だったのだという。

つまり、岩戸に籠った女神である天照大神の正体がこの神である

という説が出て久しいのです。

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有名な降臨と活躍地方である丹波地方では、山幸と火明は同一人物で

別名だと伝える。神話ではこの二人は別神です。

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どちらにしても、日本神話では児湯郡でうまれたのが

これらの神だといわれています。丹波と児湯のつながりやロマンを感じるスポット。

氏族間でも行き来があった証拠が意外にもかなり出ているんだとか。

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ともくんが今一番気になっていた宮崎県(日向地方)の隠れスポット

2社にいってきました!

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ひとつが饒速日が天孫降臨した尾鈴山をご神体とした

『日向国一宮、都農神社。』主祭神は大国主。

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国譲り神話で有名な出雲の神様が、日向では社格の一宮に。

もともとは饒速日を祀っていたという説もあるんだとか。

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大黒さんにそっぽを向かれないように気を使いながら、ツーショット。

何気にこれがいちばんやりたかったというのは内緒。笑

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神職の方と、祭神の話題で盛り上がった。

饒速日の件は説としては認識的にも案外メジャーなのだとか。やっぱりなあ。

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前回も書いたけど、鳥居も霊力を迎え入れる方向に神社があるのも不思議。

古代は尾鈴山付近に『物部』という地名があり、これも先祖とした饒速日の信仰が

あったのでしょう。(饒速日命は、物部氏の先祖といわれている。)

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※(尾鈴大明神といわれている細神社が、尾鈴山のふもとにあり、かつてそこに
いってみたことがある。饒速日が地元の方に信仰されている歴史が今もあった。すぐちかくには浦島太郎が終焉の地として尾鈴山に住み着いた白鬚神社もあり、浦島/ニギハヤヒの裏表が見て取れます)
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細神社も、もっと全国の人たちに知ってほしいなとおもうスポットです。

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細神社は田んぼの中心に鳥居だけがあって、本殿は相当しげみを超えた先にあった。

そのため一見すると、神社はもうなくなってしまったのではないか?

と思われるような外観をしている。

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そのため見つけるためにはもう少し

奥底に進まなければいけないので、いく人は気をつけてね♪
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饒速日の神名も書いていなかったから、ネットのある時代にそれを知る人は

幸運だと思います。都農神社のご神体出る饒速日は

こうして細神社という別宮で今も健在です。頂上付近の尾鈴神社でも

同じく饒速日として祀られているらしい。

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尾鈴山の隣の卿名として古書(倭名類932年ー伝本では高山寺本)の記録に

明確に解読した結果『物部』という地名が発見されたという。

物部ー饒速日。都農神社ー三輪氏族の尾鈴山崇拝と饒速日を祀る記述は

いい加減なものではなかったとおもう傍証でもある。

これは昔からなので、当然といえば当然なんだけれど

ニギハヤヒを都農の神だとする説に

疑問を持たれる方がいて、僕も少し気になった。

時代が移り変わるとともに紙の配置も変わることは確かにあるので

正確に多くの人に伝えるためにも、調べておかなければいけない。

一応こういう系のことは確かめておこうと思い僕もいろいろ調べて

みたけれど、先のように最古の記録や地域の細かいディティールを見ても

やはり根源的に降臨伝承が存在していて

饒速日に関しての何らかの信仰がかなり前からなければ

”説明がつけられないことしかなかった”ので、時代考証や、資料の正確性から

見ても一目瞭然で僕も納得でした。大歳大明神の存在も、今でこそ大国主だけれど

都農=饒速日説に密接にリンクしているといえるのです。

出雲神を表面は喧伝し、本質的には天孫としてこの神だったり。

二重に存在していた可能性もあるしね。

大和政権に隠れる形で祀られているだけだったり、まあ

あまりはでに歴史の表舞台に出られなかった存在ではあったという事なのでしょう。

やはり多角的に検証しても都農神の元宮説は

濃厚に感じさせられますね〜。

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今日は記念に神社の記録のため。アイパッドを盛大に落としたこともあるため

今回は注意だ笑 また都農神社においても

大国主は、七福神の大黒天だといわれていて、饒速日が降臨した

矢研の滝や大黒さん因幡の白兎をイメージしたゆるキャラ

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(つのぴょん)も

道の駅つのの周辺にかつて出没していてツーショットしたことがある(^○^)
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(お見苦しい画像をお許しください^o^;笑←髪がなげえ時代)

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ここ立ち入り禁止区域になっている奥にあった看板だったそうで

それ後から知った泣

看板が環境庁のたてたものでありながら、今みんな見にいけなくなっていて

まさに秘境で、磐船を見に行くために、命がけの取材でした!

なんども滝つぼに落ちそうになったり、足を滑らせそうになって大変だった。

今度は完全な形で、尾鈴大明神そのものを見に行きたいと思った。

看板にもあるように

乗り物の神でもある饒速日は『天の磐船』というUFOみたいな乗り物に乗って

天孫降臨しました。

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そんなわけでぼくもアマノハナモービルに都農神社のマーキングを汗

 尾鈴山に向かって遥拝できるよう存在する鳥居とともに。

地元の方でUFO目撃談もあるとかなんとか。(詳細知る方教えてください汗)

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尾鈴山の矢研の滝


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大黒天は大国主です

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同じく饒速日が天孫降臨したという伝説のある延岡は早日渡の

早日渡神社へ・・・・・

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ここもまたすごいんだよね〜。

ここに寄贈された饒速日の絵は、僕がいって3か月後にできとった。

びっくらこいた。

ここの饒速日は、火明命としてもまつられ、古くからある祠には

「止志賀美(としがみ)」と書いてあったのだという。

年神ってことなんだけれど、つまり・・・・・・・

そう、饒速日の幼名である、大年命(オオトシ)。

ここでもまた点と線でつながってきますね。

僕も最初饒速日のことを詳しく知らないころに、不思議なお告げを

聞く体験をしたことがあって

「次の誕生日以降の交流会で、お前に縁のある人はこちらで選んでおくから

ばったり会ったら覚えときなさい」

それであまり深く気にせずに行ったら、すぐに打ち解けた方がいたんだけど

早日渡さんといって、自分のめずらしい名前や延岡の土地の話とかをされていた。

僕はその時なんとも思わなかったんだけど、早日渡さんの住んでいる土地が

ここ早日渡(はやひと)だったわけ。それでその地名もやはり

饒速日(にぎはやひ)からくるものだったのです。

早日渡姓のかたはもう日本に彼以外にはいらっしゃらないみたいで、

同姓同名はいないと、おっしゃられていました。僕も超興奮して

彼の事務所まで手ぶらで飛び込んで「早日渡さん!ちょっと聞きたいことが!」

といったら、向こうも超びっくりされていた(いきなりもうすみません汗^^;)

僕の先祖も古くたどればこの神の系譜にたどりつくので

先祖のご縁なのかな?と個人的になんだけど、実感しました。

一瞬でもすれ違っていたらば、出会わない人も多い世界。

こんな奇跡ってあるのか?と思った。

とにかく多くの人に紹介したいところです。



そのままビューんと走り、前々からブログや連載で言いまくっている

『比木神社(ひきじんじゃ)』へ.......

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比木神社の比木は

火棄(ひき)が転化したものといわれている。

地名に、日置村があり、日置村の神官の方が比木神社の神官をされていたので

その転化である可能性もある。比木(火棄)神社の記録。

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すごく安心する空気に感動。ここでは百済からやってきた、亡命の王子

福智王を祀ります。


前回紹介した

神門神社(みかどじんじゃ)の貞家王の息子さんなのです。



親子ですけれど、相当離れた地に漂着してしまったので

親子で合流しに行く師走祭りが毎年開かれています。

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南郷町と木城、高鍋はこのように深いつながりがある。

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郷土文化である『高鍋神楽』は、比木神社が発祥だといわれています。

同級生が高鍋神楽舞ってることを知り驚きだったが

向こうもこういう系統中心のライターしてるって知ったら驚くだろうなあ。

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社殿と由緒。比木神社はさっきの都農神社とすごく深い繋がりがあり

神官などの方々も根源的には共通で資料やデータを

やり取りされていた時期もあったのだという。

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ここは神秘体験をする人がめちゃくちゃにでた児湯郡信仰の中心だったのだという。

瓦の上に『恵比寿さま』と、『大黒さま』が!ちゃんとおる。

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これは主祀神が、大国主(ダイコクさん)ー事代主(えびすさん)ースサノオ など

出雲系だから。

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成務天皇の時代創建された神社だそうで、児湯の宗廟神社

ということもあり、出雲系信仰の心臓部であった最古の神社の可能性があるんです。

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この土地の記録伝承をまとめた古文書などでも、福智王の伝承は史実というよりは

百済王やその子供の福智王の正体を出雲族や大国主(おおくにぬし)のこと

であって、敗戦して異国から漂着したと伝えられる伝説も

国譲り神話が過って伝わったものだという説が古くからありました。
(1700年代かかれた笠原道順の日向見聞録より)

神門(ミカド)神社の息子である比木神社はそんなわけですごく重要な聖地。

すごく大切な場所。出雲系の神様は、出雲大社はもとより

都農神社と児湯郡の陵墓に、さらに本質的には心臓部としては

この比木神社などに隠されてしまったのではないか?

とぼくはかねてより思っていた。

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実際にいろいろな見方や考え方があると思うし

定説の出せない世界であるからこそ、その1ピースとしてでも

向き合うべき事があると感じる事が幾つもかんじずにはいられませんよね。

いま古代史と神話の事実を知るため

ぼくも本気で追いかけ続けて行きたいなと思いました・・・。



この記事に

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今日の一枚 百済の里にて宮崎の旅をふりかえる。

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今日もなかなか濃ゆいところにいったなあとおもう。

それももうその名前が何とも・・・すごい響きである。

神門神社(みかどじんじゃ)は貞家王、応神天皇(八幡神)などを祀る。

神門と書いて、ミカドと呼ぶ。

ミカド=帝

スメラミコトなどもシュメールなど

いろいろな言霊から来ている説もあるし

(大和=ティアマト→海人→ヤマトなどに転化していったという説もある)

カド族出身のものということで、ミ・カドとなると

ユダヤ人ラビ(教師、先生)が説を提示していた話や

天皇家の応神天皇はガド族やユダ族の王だった!という説を出される方々が

たくさんいるなかで、この神社がなかなかに取り上げられない不思議がある。

いやいや、みやざきでここほど強烈&最強に意味深な場所はないやろ~と、

ともくんはおもっちょります

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応神天皇は、実は初代の天皇である日向神話の神武天皇と同一人物だという

説も出ていて

たしかに歴史学から見ると、神武天皇が卑弥呼の次に王となったとみていけば

卑弥呼が神功皇后と同一人物であるように日本書紀などの神話で注釈されているので

その処女懐胎で授かった、朝鮮半島から帰還したとき誕生した応神天皇は

神武天皇のことだということになるとおもう。

あと祟神天皇も。

伊勢神宮をつくるよう命じた人物だからね。

そうなると歴史がかなり骨組みから覆る新発見も

たくさん出てしまうんだと思うけれど、

いやはやこれはもうなんていっていいか


すごいすごかったです。

というしか・・・・なかったなあ汗笑

ほんとうにそんなかんじでした。

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ここも西の正倉院といって

宮内庁に図面を国内唯一正式にもらって作られた

正倉院と同じ建築物なんです!仏教伝来とともに完成した

日本書紀や古事記という日本のルーツを読み解ける物語。

その中間に偶然過ぎるタイミングで発生した百済王渡来伝説。

そして”みかど”ということだま。

イスラエルと日本の古代の関係性につながる何かを思いおこさせられなくもない

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(よくいわれていることだけど、こんなサイトもあった。当然だけど僕も完全に真に受けてるわけじゃありません。^o^; 話しのネタ&参考程度に 半分はほ~おもしろいなていう内容もあったりもするからね。※報道されないニュース】 天皇家の真相 ※天皇家はユダ族・神道はユダヤ教である - 世界の真実や報道されないニュースを探る 地球なんでも鑑定団)


最初に百済王族は畿内すなわち大和にやってきて住むわけなんだけど

そのあと乱が起こったため逃げていった先で風に流されて、比木と神門に。

そしてその地ですみ着いて平和に暮らしていたのだが、追ってにおわれて

対抗するも王族は敗北。現地に葬られることとなった。

現地の住民かそれを大いに悲しみ、彼らの厚意で

王族は神として祀られたのだとか。

だけれども、その時代は700年代。600年代にもう百済は滅んでいて

王族なんているはずがないので、歴史的にありえないことなのです

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その時代に貞家王とか福智王なんていないとあるし

この辺の詳しい研究は、最近出版した本で書いてるので

そちらを読んで楽しんでいただければと思います。

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ほんとうにいろいろディティールにこって書いてるから、楽しめると思う。

まあちょびっとコアな話題でもある分、みる方しだいだとはおもうけれども。

それでも天皇や天照のことは日本人ならみんな知りたい物語の真相でもあるから

ピュアに「なんだろう?気になる」ってだけのライトな気持ちで

読んでもらえると嬉しいなあ。なんちゃって。

もっと読んでもらえる人が、楽しいとか、面白いといろいろな発見のヒントになる

ネタを本とかコンテンツで発信していければと思います。

西都原のガイドとしてがんばりはじめてまもないですが

僕も明日は勉強会。頑張らなければ・・・・・・・・・・

改めて解説をよく見てみる。

百済王族は最初に厳島〜畿内(大和朝廷周辺)に逃れ定住していたが、乱があり

日向の蚊口浜、美々津周辺浜に逃げ、比木神社ー神門神社に定住するように

なったという。邪馬台国畿内(大和)説が現在有力だけど、以下のように思った。

畿内に邪馬台国の痕跡が残ったことは事実だと思ったと同時に

そこが海部氏の丹波ー尾張の中央ルートだとも。

のちに畿内が大和朝廷に発展していき日本書紀などの古典が完成してゆく

歴史と神話の融合点に彼らは動きすぎていると思うなあ。

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(神門神社から出たご神宝が正倉院のモデルと一緒だからこそ、西の正倉院プロジェクトが始動したんだとか。)

また、ビデオなども流れていたのだが師走祭りで木城町は比木神社からずっと9日間徒歩で南郷町まで歩いていた時もあるらしい。この長旅はすごいことだとおもう。今は車でやっているらしい。いつか旅にも同伴取材をしたいなあ。

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(これはともくんの実家の氏神さん、比木神社です)

そうやって比木神社などの祭り神と対比してみても気になる部分もちらほらあって、

百済の歴史を邪馬台国の残骸にむりやりに、被せた的な。

語弊はあるだろうが、神門大明神(秦氏ー応神天皇=神武天皇)

比木大明神(共に祀っている大国主ー大年ー饒速日尊、もとの天孫国神系海部氏)に

比定されると見てもおもしろいとおもう。

まあぼくのほうからは何にも云えない、言っていいことではない系

のこともあるような気がしなくもないので、一説とか

比喩の話程度に皆さんにはお届けできれば幸いと思います笑^^;

本当に気になる人はガンガン突っ込んでくるネタでもあるからね。

僕みたいなのがどこまで言えるのか、かなり気を使う部分ではあるんですよね。

はっきりこうですとか、どうですとか言うと語弊が出ちゃうし。

あくまでこういうみかたもあるよねってとこまでしか、もう言えませんね。

とにかく秦氏が絡んでいるということは言えるだろうと思う。(この時点でかなり言ってる気もするけど)

だが、そこで終わりでは決してなくってまだ続きがあるというのも感じるし。

そこから先のことは、その詳細な構造が日本の創生に迫るものになるだろうから

デリケートなネタになってくるだろうとも。


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(日本と韓国の友好のしるしといわれている)

父が天皇系支配層で、息子は邪馬台国の被支配層系統で譲渡関係を固め

いわば強気で味方化させて鎮魂してゆく。

ここももうほんとうに、僕の目線で見ても

カド族じゃないけど、イスラエル渡来民族

天孫降臨の裏文化の香りしかしなかった。

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西の正倉院にてのビデオで神門神社の鏡が紹介される。

天照大神の岩戸開きにも鏡を使用されたり

卑弥呼の鏡なども正倉院で展示紹介されている。

こういう細かい解説版も意味深なんだよなあ

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さらなる謎が深まりつつも、旅はより神秘の深層へ・・・・・・・



この記事に

著書を出版しました!

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こんにちわ〜ともくんです!実はこのたび著書を出版しました!

「もうひとつの太陽神アマテル〜児湯郡に棄てられた火明命〜(みやざき新書)」

近年知名度が着実に上がりつつある「スピリチュアル宮崎県」天孫降臨の舞台であるともいわれ皇室のルーツともいわれるこの地で筆者は衝撃の事実を知る。「日本の祖神である天照大神は人間で、しかも男だった?!」みやざきの中心である一大古墳群持田、西都原を軸に繰り広げられる過去と現在、歴史と神話の邂逅。戦後の日本教育より現代に至るまで誰もが実は感じていた、その矛盾。日向国に漂着していた百済の皇子は、歴史に消されたもうひとりの太陽神「火明命(大年尊)」だった!児湯地方に棄てられた神アマテルが、岩戸から息を吹き返しいまふたたび、僕たちの前によみがえろうとしている。本書は膨大な現地調査と聞き込み、神秘体験や古文書などのデータ比較による徹底した追及により天照大神の実態を神話の地宮崎で探しだす新たな時代多くの人々に捧げたいデータのほんの一端である。(完全版は現時
点では非公開としております。)

なにとぞよろしくおねがいします〜!

この記事に

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