車椅子の3人娘・私の天使たち

子供たちに残したい。お母さんの気持ち。

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katsu 6歳

毎日があっという間にすぎ、忙しすぎて続きが書けませんでした。
今年度の定期総会も終わり、つかの間の休息。
ちょっと続きを書いておこうかな。
 
KATSU 6歳。年長で、もうすぐ卒園の1月だったかな?
お腹が痛くて病院に連れていってもらったら「おめでたですよ」と言われた。
1週間後に病院へ行くと、切迫流産で入院。
もうすぐ卒園のkatsu.1人子で育ったkatsuを残して入院。辛かったなぁ。
夜、8時の消灯の前に電話するとkatsuはいつも1人で家にいた。
犬がたくさんいたから、犬とkatsuだけの家になってた。
電話で、『夕飯は食べた?』と聞くと 『まだだよ。お父さん帰って来ないし。』と言う。
飛んで帰りたい気持ちをおさえて母と姉に電話して行ってもらった。ほぼ毎日。
こんな思いをするなら子供はkatsuだけでいい。って何回思ったか。。。
でも、katsuは、いつも元気で『僕は大丈夫だよ』って元気をくれた。
『僕が弟か妹がほしいって言ったからできたんだよ。頑張って!』って応援してくれた。
まだ保育園なのに、迎えもないまま1人で帰っていた。
協力してくれた人もたくさんいたけど、1人が多かったと思う。
1日も早く帰りたい。毎日そう願っていた。
でも、当時38キロで骨盤が小さく、katsuの出産のときに子宮の入り口になるところが
はがれてしまっていて、無理をすると流れてしまう状態にあって退院できなかった。
5ヶ月半のとき念願の退院。でも1週間で再入院。切迫早産でした。
今度は、産むまで退院できませんって言われてしまった。
また苦しい日々が続く。
毎日、毎日、katsuの日記をつけた。〇時。katsu1人。夕飯も食べていない。
母に電話して飛んでいってもらう。毎日こんな日記になっていた。
母は、東京大学病院の看護婦をしていて、夜勤もあったから行くのにも苦労したと思う。
姉も週に2〜3日は協力してくれ、katsuのところに行ってくれていた。
卒園式は外出許可を無理やりとって出席できたけど入学式は行けなかった。
小学校1年生は、下校が早く、お昼もない。
もちろん家には誰もいない。
そんな中でkatsuは頑張ってくれた。なのに、いつも明るくやさしい子だった。
私は毎日泣いていて、一生分の涙を使ってしまった。
7月に入り、私はベッドの上で寝返りもできなくなり、お腹に少しの力を入れてもいけない。
もう少し、1人が1000グラムになるまで点滴でもたせるようにと言われていた。
点滴の副作用で全身が冷や汗、痙攣したように手も足も体もピクピクしている。
そんな状態が続き、8月2日、これ以上は母体がもたないから、出産する病院へ移動します。
医者からそう言われた。産むのは築地産院と決まっていた。
築地産院は、超未熟児の対応できる病院で、全国から未熟児になるとわかっている人がきていた。
私は、限界まではkatsuの近くにいたい。とわがままを言って大田区の病院にいた。
救急車で築地産院へ運ばれ、破水してしまい緊急オペとなった。
katsuが6歳の8月の出来事でした。
このことは『誕生』にも書いたかな〜。内容が違っているところがあったらごめんなさいです。
 
そして、2週間後、生まれた双子を病院に残して、7ヶ月ぶりにkatsuの元に帰れたんだ。
うれしかったなぁ。でも、katsuは、すっかりお兄ちゃんになっていたよ。
あんなに甘えん坊で、出かけるときはいつもおんぶばっかりしていたのに。
少しさみしくて、でも、すごくうれしかったな。たくましくなっていたkatsuがいて。
さみしい思いをさせてごめんね。そう、何回も言った覚えがある。
満点の笑顔で、僕は大丈夫だよ。そのときもそう言ってくれたkatsuがいました。
 
 
 

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