お魚と僕のまち

とある港町。潮風にさびれた街並とお魚浸けの生活日誌 (※コメント書き込みはご自由に。でも返事はしません。ごめんなさい。)

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また為朝は20才で捕えられ流罪のはて、源頼朝によって果たされた同門源氏の再興を知らずして、30才の若さで没した、いわば「不遇の武人」「不遇の坊」であった。
古い時代は、親の願いにそむいて若くして死ぬ者を役立たずの「泥像の坊(でくのぼう)」といったらしいが、ちょうど市郎右衛門さんの為朝の似肖像(あやかりく)も土細工の泥像であったことなどもかさなり、江尻近郷の庶民のあいだからは、「市郎右衛門さんとこのでくのぼう」と呼ばれるようになり、郷土なまりも加わって『いちろんさんのデッコロボー』の愛称で親しまれていった。首人形の種類は、為朝のほかにも天神や鬼、狐、お多福、達磨、稚児橋の河童など多彩にわたり、子供のおもちゃなど数少なかったころですので、特に女の子は首人形に思い思いの端切れの着物をまきつけ「でっころーでっころー」といって遊んだ。
明治中期に月見里笠森稲荷神社の宮司をつとめた、第十三代霊学の祖長沢雄楯(ながさわかつたつ)神官のころが、この信仰の最盛期だったと云われ、以降、医学の進歩や欧米思想の浸透などを経て次第に信仰心も薄れてきたことから、現在は地元清水の郷土玩具、民芸品として紹介されている。

医学もこんにちほど発達しておらず、医者や薬も無い時代。我が郷土に於いても、こうした願掛けやおまじないといったものがあった。そしてそれが長い間治療薬の代わりをしてきた。長い間信仰が続いたということは、治る例も数多くあったということに違いない。
「強きにあやかりたい。病がなおりますように」と願う親のやさしい気持ちこそが、何よりの薬。現代人の我々がそれを忘れてしまって薬や医者に頼りっきりになってしまった頃から、こうした『似肖像(あやかりく)』もただの民芸品に埋もれてしまったのかもしれない。
初代堀尾市郎右衛門さん以降代々名跡相継ぎ「市右衛門」を襲名され、現在は代7代の「堀尾市郎右衛門」さんと親しまれ、入江町に青果店を営む傍ら、この郷土玩具をつくり続けている。

(おわり)

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しみず いちろんさん サイト管理者です。 よろしければリンクをお願いします。 http://www.mproject21.com/ichironsan/ 削除

2006/1/4(水) 午後 9:06 [ mproject ] 返信する

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