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国技相撲道を守り伝えて800年 司家家訓 【その弐】
その壱からの続きです。
いよいよ、十五代 追風の時代になると、朝廷が衰微し相撲節会も中断となったので、相撲愛好家として知られる肥後藩主 細川綱利公に仕え(前記事参照)、万治元年(1658年)熊本に移り、細川家好遇のもとで相撲屋敷を定めた。
徳川幕府より国技相撲道の諸々の礼式の相伝、免許を司どる許可を得て、武家相撲及び将軍上覧相撲の式故実作法を定着させました。
このように吉田司家も国技相撲道の変遷とともに朝廷の相撲司から、武家の本朝相撲司御行司へとその役目も移り変わりますが、相撲界に於て最も重きをなすに至ったのは、
十九代追風が将軍家斎公の江戸城吹上御殿での上覧相撲にて横綱制度を考案、谷風・小野川に横綱を免許し、
現在も行われている土俵祭(本場所の前日)の式法や、横綱の土俵入りの型を定めた事で、以降横綱に『綱』を授与し、故実門人(歴代の横綱及び三役格以上の立行司の免許を授与していました。
また明治維新(西洋思想影響)の旧物破壊(日本古来の文化否定)の大怒涛のなかで裸体でとる相撲は未開野蛮人の行為で国辱だと相撲廃止論が起こったとき相撲宗家としての地位と矜持をもって国技相撲道の護持のため獅子奮迅の活躍をみせた。
二十三代追風は、東京・大阪両相撲会所の対立に於いても『一味清風』の家訓を基に一本化を図り日本相撲協会の設立、国技相撲の発展に多大な貢献をして参りました。
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この記事も転載させていただいて、良いんでしょうか?
2008/3/16(日) 午後 1:07 [ - ]
いいですよ!
協力ありがとうございます。
2008/3/16(日) 午後 9:49 [ sasasa ]
tomoiteruyaさま:相撲の歴史は・・・美しい日本人の心。
戦後:物の不足していた時代にも、美しい、こ・こ・ろ。はありました。
経済大国に一直線に、走り得た「幸運」は、何でしょうw当時:世界の状況は・・・?、
自由経済化?。それとも共産国か?・・の別れ道だった。
当時、相撲の実況放送で、はっきり決断したものです。
私は15歳でした。後に力動山のクラブ「リキ」で・w
2008/3/17(月) 午後 3:15 [ - ]
そうでしたか・・・・心の無い時代に生きて・・・・
私の師も、現在の世界のイデオロギーの限界(経済的成長の限界)を、ローマクラブの成長の限界をいうレポートを基に、20年前に教えてくれました。
その当時、まだ私も20歳で漠然ととしか理解出来なかったのですが、今はっきりと解ります。
物質的豊かさが無かった時代の方が、今より心が美しかったのでは??と感じます。
少なくとも殺人事件だけでも少なかった気がします。
恐らくまだ日本には、心豊か時代に戻る力が残っていると信じています。
また、戻らないと50年後の日本は、貧しい心の後進国になってしますのではないでしょうか?
その刻が、近ずいてきているような気がします・・・・・
若輩ものの意見でした。
rakuten23様
ありがとうございます。
2008/3/17(月) 午後 7:01 [ sasasa ]