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上の写真は、熊本市碩台小学校校庭にある本山彦一氏の生誕記念碑
下の写真は、写真は学生横綱になった同志社大学服部祐児に絹手綱を渡す25世吉田長孝氏


大正八年十月大阪毎日新聞は初めて全日本学生相撲選手権を開催することになった。同社社長 本山彦一氏は、二十三世 追風吉田善門に大会個人優勝者に横綱を授与してほしいと懇願してきた。この本山彦一氏は善門より三歳上の熊本での幼馴染で本山彦一氏は、嘉永六年(1853年)の生まれで善門と同じく肥後藩校 時習館に学び、その後慶応大学に進み卒業後一時兵庫県へ奉職したが後に官界を去り、時事新報に入りその後、明治二十六年大坂毎日新聞社五代目の社長となった。善門は、ことに本山彦一氏の依頼であり、これを快諾し、アマチュアの横綱に対し、横綱ではなく練絹としての絹手綱(きぬたずな)を授与することにした。そして大阪相撲協会行司木村正直等を引き連れて大会に臨んだのであった。第一回の優勝者となった神戸高等商学校 田中四郎に、この絹手綱を善門は、授与したのであった。(この絹練りの手綱は身にまとう物ではなく、頂ものである) その後、昭和七年(1932年)本山彦一氏八十歳の時 郷里熊本市の碩台小学校校庭の一角に建設された彼の誕生記念碑序幕式に出席し同席した善門と久々の旧交を暖めたものであった。

第54代 横綱輪島は本大会で学生で二回の学生横綱になり、大相撲の横綱と合わせて三回の横綱を25世吉田追風から授与された。


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いまの相撲界における、吉田司家の役割は、ますます大きく・責務と実効性にご苦労されることと、拝察しているしだいです。

2008/3/6(木) 午前 5:16 [ - ]

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rakuten23様

力強いコメントありがとうございます。
色々な方が、吉田司家の件で推測で書かれているみたいですが・・・

私達NPO行司の記事が真実です。
すべて裏打ちの文献もあります。

いま、アンチ司家の記事を書かれている方は後で恥をかくでしょう。
私は、まだ力不足ですが必ずこの司家のお状態を元に戻します。

皆様の声援だけが頼りです。
よろしくおねがいします!

2008/3/6(木) 午前 11:03 [ sasasa ]


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