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【 大  正  時  代 】




 ?H1>阿蘇ヶ嶽虎吉



土 俵 歴


明治23年2月17日、飽田郡寺迫村万楽寺(現熊本市北部町万楽寺)に生れる。本名は田尻寅吉氏。

明治41年5月、八角部屋に入門し、錦山と名乗って初土俵を踏みました。得意の四つ、食い下がりの秘法をもってめきめき頭角を現し、明治42年1月には序ノ口、同年6月には序二段に進みます。

このとき明(あきらか)と改める。明治43年6月場所は5戦全勝で序二段優勝を飾りました。明治44年1月には3段目に進み、同年5月場所は4勝1預かりで3段目優勝を飾った。翌年1月には幕下、大正4年1月には西十両12枚目に進んだ。
 
大正5年1月場所は東十両5枚目で5勝1敗の好成績をあげ、翌5月には西前頭15枚目に
入幕した。27才の時でした。

入幕の場所は病気で全休のため翌大正6年1月場所は西十両3枚目に下がったが、5勝2敗1預かり2休の成績をあげ、翌6年5月には東前頭14枚目に再入幕した。

大正8年1月には阿蘇ヶ嶽と改め、翌場所は6勝3敗1引き分け、9年1月場所は西前頭4枚目で7勝2敗1引き分け、翌5月場所は西前頭1枚目(筆頭)で6勝2敗1引き分け1預かりで旗手となり、3場所連続して6勝以上の好成績をあげ、大正10年1月には東小結に昇進し、3役入りを果たした。

この年の6月には、横綱大錦卯一郎、栃木山一行のハワイ、アメリカ本土の海外巡業に参加し、国技大相撲の紹介につとめました。



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合唱団卒業式

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今日は、子供たちが所属する火の国合唱団の卒業式でした。

私は運転手兼、引率で参加させていただきました。朝10時から〜私達は練習のため9時には会場に到着。

すぐ運営を手伝ってくださるお兄さんお姉さんと歌合せ・・・・

人の繋がり(子供達も含め)が、希薄になりつつなる今、こういう地域合同の活動も必要ではないでしょうか?

せっかくの日曜日に運営を担当してくださる方々に感謝です。

子供達みんな、すばらしい笑顔で合唱団の卒業記念の歌を歌ってくれました。

最初、恥ずかしがって声も出てませんでしたが、何回も練習する内にすばらしいコーラスになって行きます。

私も20年ほど合唱団にたずさわってますが、最初お世話した子供達ももう20歳・・・・・

知らない内に、私も41歳・・・・(ガーン)

そういえば、私の子供の頃はまだあまり家の戸締りもしなくても良い時代だったような気がします・・・・

もちろん、地域にで差はあったでしょうが・・・・

アダルトチルドレンという言葉があります。

簡単に言うと、子供の頃の記憶や経験により、年齢的には、大人なのに大人になりきれない人のことだそうです。

社会経験(精神成長)不足で人とのコミニケーションが旨くできない人がたくさん増えている・・・・

私の住んでる田迎地区は、前田青少協会長の働きかけでPTA・地域で、子供達に一声かけよう運動を実施しています。

大変挨拶も出来る校区になっていると思います。

まず身近な人への挨拶から出来るような人になってもらえるように、今以上に子供達に関わっていきたい。

そして、その輪を少しでも広げていきたい。そう思っています・・・・・


私の子供の頃は、家の戸締りもしなくていいほど、地域みんなが繋がってましたよね。

御近所みんなで、子供の面倒をみてみんなで不審者を撃退してましたよね・・・・


そういういい意味での日本の文化(家族・地域の繋がり)の心を取り戻さなければと・・・・心を新たにした午前中でした。

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写真は有りませんので錦絵をお楽しみください。



□ い よ い よ 明  治  時  代  突  入 で す・・・・・



?H1>芳ノ山 多治郎

土 俵 歴

文久元年(1861)熊本府(現熊本市)に生れる。本名は浜崎太治郎。

 初め京都に出て出水川の弟子となり、のち上京して境川浪右衛門(14人目の横綱)の弟子となった。明治20年1月、吉野山と名乗って東十両九枚目に進んだ。

明治二十一年一月場所は西十両四枚目で七勝三敗の好成績をあげ、翌5月に西前頭十枚目に入幕した。なお、一月に芳ノ山と改めました。
 
入幕後三場所は連続して勝ち越し、順調に昇進していったが、明治23年1月場所から不振を続け、明治24年1月には脱走して京都相撲に加わった。

同年5月には帰参したが次の明治25年1月場所は全休し、翌6月には東十両一枚目に落ちた。しかし、明治26年1月場所は東十両四枚目で七勝二敗の好成績をあげ、翌5月には東前頭十枚目に再入幕した。

同場所は三勝六敗一休と負け越し、場所からその名を消した。 
 
これより先、明治22年には師匠の境川(明治20年に没)の名跡を相続することがきまり、二枚鑑札になっていたが、境川を名乗ることもなくして東京を去り、4月の大阪場所には西前頭五枚目に出場しました。しかし、たった一場所でまた姿を消した。
 
幕内の在位は8場所で、最高位は前頭四枚目。



   

?H1>黒雲 雷五郎

土 俵 歴
 
嘉永5年(1852)玉名郡長洲町に生れる。本名は五島林七。初め京都に出て出水川の弟子となり羽登と名乗りました。

その後、上京して境川浪右衛門(14人目の横綱)の弟子となり、黒雲と改め、明治19年1月には東十両八枚目に進んだ。
十両五場所目の21年1月場所は、西十両五枚目で四勝一敗一引き分け一預かり三休の好成績をあげ、翌5月に西前頭十一枚目に入幕しました。

入幕後は、二場所出場のあと二場所休場し、明治23年5月には東十両張出となったが出場せず脱走して大阪相撲に加わった。 

幕内の在位は四場所で、最高位は前頭六枚目。



史    跡
 


玉名市光尊寺に過去帳があり
 本名 五島林七
 死亡年月日 明治四十三年1月十三日五十九才


戒名 釋了現信士

 となっています。

玉名郡長洲町の五島大助氏(明治44年生れ)は、五島林七の孫にあたり、子供のとき黒雲雷五郎という墓があったことを覚えているそうです。



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※写真は、代々の吉田司家の祖先が眠る(熊本市坪井の真浄寺)墓所です。



熊本県近代文化功労者



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    第十二回(昭和三十四年度顕彰)



?H1>吉 田 善 門 翁

  家  系


 吉田善門の家系は遠く後鳥羽天皇の時代にさかのぼる一名門ということが出来る。源平の兵乱にわずらわされて朝廷の儀式などもすたれたことがあったが、そのうち兵乱もおさまったので、これらのすたれた儀典を復興しようと志されたのが後鳥羽天皇であった。

相撲節会の復興もまたその一つであった。そこで天皇はこれまで相撲行事官として長く仕えた志賀家の子孫を四方にさがされたが、その家は安徳天皇にしたがって壇ノ浦に消えて、断絶してしまったらしく見出すことが出来なかった。それではと、これに代る人を天下にさがされた結果、志賀氏の伝をうけてこの道の故実旧例に精通している吉田家次という者が越前国にいることがわかった。もと木曾義仲の家臣であったが、義仲の行動にあきたらず、退いて生地に螢居していたのである。


 そこで後鳥羽天皇はたゞちに越前国から家次を召され、相撲司を命じ、従五位上に叙し、名を追風と賜った。時に文治二年(一一八六)六月である。こうして吉田司家は生れた。吉田善門はこの家次から数えて二十三世にあたっているので二十三世追風といった。


 初代追風家次は後鳥羽天皇から獅子王の団扇と木剣を拝領している。むろん相撲節会に行事官として大いにつとめた功によるものである。第二世は豊後守追風といった。その頃承久の乱がおこって都はまた騒がしくなったので、追風は万一をおもんばかって勅賜の品々や家伝の書類を持って遁れ、河内国の一族のもとに非難した。それから代々大和摂津の間に流寓することになる。


 第三世から第十二世追風まで、この間、北条、足利、戦国時代とつゞくため、都に出ることも少なく、したがってさしたることもなかったようである。


 十三世追風にいたって特記すべきことがおこった。十三世は名を長助といった。時の帝は正親町天皇である。天皇はふたたび相撲節会の復興を念じられ、長助を召して行事官とし、豊後守と称させた。その時の相撲節会の奉仕の功を賞して「マカロオ」の団扇を勅賜された。関白二条晴良は長助を呼んで相撲の故実について種々下問したが、その答えが実に立派であったので、「一味清風」の四文字を記して長助に与えた。


この 一味清風 というは日本相撲の法二派に分るゝ時は必ず道が乱るゝから作法を一味にして相撲道を守る、これ清風なり、という意であるとつたえられ、また一説には相撲の初祖志賀清林の清と追風の風をとって一味清風と書かれたものともいう。とにかく


吉田家と相撲と離すべからざることをいったものであろう。


関白近衛晴嗣もまた式につかう烏帽子、狩衣、四幅袴を投与している。織田信長も豊臣秀吉も、また徳川家康も、ともに団扇を授け、信長は長助の力をかりて武家相撲の例式を定め、家康は将軍上覧相撲の規程を定めた。吉田家ではこの十三世追風を中興の祖とよんでいる。

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【 小柳 平助 】



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  ?H3>土 俵 歴


 天保元年(1830)熊本府紺屋町(現熊本市紺屋町)に生まれる。
初め大阪に出て、頭取湊由良右衛門(8人目の横綱不知火諾右衛門)の弟子となり、鬼鹿毛と名乗った。嘉永7年(1854)2月江戸に下って阿武(おおの)松(まつ)の門に入り、九段目に付け出されました。

この場所5戦5勝。同年11月東幕下四十八枚目に鬼鹿毛平助の名で登場。
安政5年(1858)1月には西幕下十七枚目に進み、雲生嶽と改め、翌6年11月場所は西幕下九枚目に進み、七勝二敗一休の好成績をおさめました。

 万延元年(1860)10月西前頭六枚目に入幕し、小柳平助と改め、細川藩のお抱え力士となった。
同場所は二勝四敗一休と成績は良くなかったが、翌場所は剛勇鬼面山を破るなどして五勝三敗二休の星をあげた。
 
文久2年(1862)2月場所は西前頭三枚目に進み、初日より快進撃で、5日目には四戦四勝の横綱雲龍を破り、7日目には「負けずや」と謳われた陣幕と対戦しました。

陣幕は阿波藩のお抱え力士で、それまで不知火光衛門には3連勝していた。「打倒陣幕」は2人というより肥後藩の面子にかけての悲願となっていた。陣幕が双上手から体力にまかせて土俵いっぱいに寄りつめたところを小柳は土俵際で耐え、思いきって陣幕を東溜に打棄ったのでした。

意外の勝負に満場総立ちとなり、拍手喝采は天地も揺らめくばかりで、座蒲団、土瓶、茶碗などが飛んで山をなし、一時は凄まじい程の騒であったという。物言いはつかず、陣幕の24連勝にストップをかけ、この日まで四勝二預かり一休という土つかずでした。

 同日夜、小柳は陣幕に勝った祝宴より肥後部屋に帰ったときはかなり酔っていた。肥後部屋というのは、本場所中、肥後細川藩の方で本場所に近い下総屋という宿屋を一軒借りきって藩の抱え力士を宿泊させ場所に通わせていたところである。

 小柳は、部屋にいた不知火の若い者(付け人)である幕下の殿峰五郎と、小柳の若い者である3段目の不動山岩吉の両人を摑えて理不尽にどなりちらした。そこで両人は日頃からの不満が爆発して、ついに意を決して小柳が眠ったのを見すまして太刀を浴びせた。(寝込みを襲われた)

小柳は深手を負い、手当てをしたが及ばず、2日後の4月16日に落命してしまった。

同部屋にいた不知火もこの事で、喪に服すため場所8日目より休場しました。


 怪力で闘志満々、肥体をぶっつけて一気に突進してゆく取り口は後年の横綱玉錦や東富士タイプであったといわれ、人気も先輩横綱 不知火光衛門に迫るものがあり、将来は大関・確実の超大物だといわれただけに当時の相撲界にとっては、実にショッキングな事件であり、

もしかしたら肥後細川藩三人目の第十二代横綱だったかもしれない関取を、失った大変残念な出来事でした。(当時の角界史上のまれな事件です)


 幕内の在位は四場所で、最高位は前頭三枚目。


史   跡

 墓は東京都保谷市ひばりが丘4-22-4大谷派の墓地内にあり、碑面には次のとおり刻されています。
 (正) 小柳平祏之墓
 (裏) 昭和十二年七月再建
            施主 山本きよ子

 大阪市四天王寺の無縁墓群の頂にも“肥後小柳平助”と刻まれた大きな自然石の墓碑があります。 
 静岡県の相撲研究家杉浦弘氏の調査の過去帳には
   法刃 文久二戌年四月十六日
       深川御船蔵前町言之清地借
       角力年寄阿武松庄吉弟子
           小 柳 平 助
               三十三歳
 
とあり、さらに同月14日夜西ノ大関不知火光右衛門弟子不動岩岩蔵、殿峰蔵両人に傷を負わされて死亡、奉行所の役人石ヶ谷因幡守殿らが見分上土葬を申渡という意のことが付記されていました。

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