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阿蘇ヶ嶽桐右衛門の絵
この書庫では江戸時代から代々の熊本(肥後細川藩)の幕内力士をご紹介していきます。
阿蘇ヶ嶽桐右衛門
江戸相撲は宝暦七年十月場所から始まります。
江戸時代に名を残す郷土幕内力士は17名いました。
まず第1回は、番付け表の出来る前の力士 大関阿蘇ヶ嶽桐右衛門を、ご紹介いたします。
出身地
『御城(熊本城)下より二里はかり、岩尾村といへる所が我が親の故郷なり』とあります。【相撲古今物語(子明山人著)】
正確な場所は、解りませんが、阿蘇郡説と矢部町説があるようです。
元文(1736年〜1740年)の頃、関西に上り、13歳で上方(京都、大阪)相撲に入りました。
寛保元年(1741)五月、大阪堀江の夏場所で関脇付け出しで初土俵を踏む。
身長は、約188cm 体重150kgの大男であった。
延享年中(1744年から1747年)まで、吉田司家 第十七代追風から故実門人を許されている。
【故実門人(吉田司家の相伝故実伝授された者・力士、行司など功労顕著な者に授与されてきた。)】
延享元年(1744年)京都二条梅津の夏場所と、寛延二年の(1749年)十月の長崎巡業では、
東の大関丸山権太左衛門に対峙して西の大関を務めた。
阿蘇ヶ嶽桐右衛門の墓は、熊本市西子飼町1−1忍法寺に在ります。
逸 話
篤実で、よく仁悲の心が深く、貧しいものを見れば誰にでも金銭を施したそうです・・・・・
相撲今昔物語には、「その剛勇なる事、竹を縄になへるの力量なり、
長背抜群世の人に越えたり云々」とある。
吉田司家の土俵で四股を踏んだとき、
足が土俵にめりこむほどであったという事です。
【横綱制度の誕生の歴史】
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