【熊本城と相撲】

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■熊本城と相撲文化の情報発信のブログです。http://http://tomoiteruya.otemo-yan.net/
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いよいよ私達NPO法人行司の活動も本格的に始動しまじめました。

そこで・・・・

『第三回 相撲史講演会』 を開催致します。

テーマは・・・・


『熊本城と相撲』


と銘打ち、吉田司家 第25世追風 吉田長孝氏を、講師にお迎えしての講演会です。


相撲史の話を、ライブで聴きにこられませんか?


熊本城で生まれた、横綱誕生の秘話や、角界のこぼれ話など、幅広く語っていただきます。


皆様、お誘いあわせの上、奮ってご参加ください。

参加費 無料です。

申し込み方法は、FAX又は、メールにてお願いします。

先着50名様の定員になります。

ご不明な点は、事務局にご連絡ください。

NPO法人 行司   熊本事務局まで・・・・・・

【日時】

平成20年 5月10日 (土曜日) 午後2時より開演します。

【場所】

決定し次第、お知らせいたします。




さっそくのお問い合わせありがとうございました。

もちろん県外からの参加も大歓迎です!


つづきを読む・・・・・・・→NPO行司 http://tomoiteruya.otemo-yan.net/





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【潮錦義秋】

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【潮錦義秋】



土 俵 歴


大正13年9月25日、下益城郡隈庄町下宮地(現下益城城南町)に生れました。

本名は村上義秋。

子供のころから相撲に慣れ親しみ、その怪力ぶりは近所の評判でありました。

小学校を卒業するころ、熊本市出身の荒汐卯三郎親方(元 殿(しんが)り)に、
昭和15年秋17歳のとき荒汐部屋に入門し、昭和16年1月、本名の村上をそのまま四股名として初土俵を踏みます。

同期には鏡里(のち42人目の横綱)や松登(のち大関)がいました。

やがて荒汐は部屋経営をやめ、

力士をあげて横綱双葉山が経営する双葉山道場に合併したのでその所属となり、
双葉山が引退して年寄時津風を襲名してからは時津風部屋の所属となりました。

同部屋には先輩の不動岩がいました。3段目には5場所いたが、4場所目に荒汐の「汐」の1文字をもらって「汐錦」と改め、

それから2場所目に幕下に上がり、4勝1敗と好成績を残したところで応召しました。

昭和20年6月と11月の2場所は兵役と未帰還で星取表もブランクになっていました。

幕下に上がって、これから伸びるという肝心なところで兵役にいって、その期間も長く、ひところは戦死まで伝えられ部屋一同身を案じていました。しかし無事に帰還し、昭和21年11月、幕下別格で再出発したのでした。


空白を取り戻すために非常な努力をし、その後は順調に勝ち進み、5場所目の昭和23年10月の大阪場所は、

西十両11枚目に進みました。同門の鏡里はもう幕内のパリパリではるか前方をつっ走っていました。

十両に10場所在位したが、5場所目の昭和25年1月、西8枚目のときに潮錦と改めました。

昭和26年5月場所は千秋楽に大山部屋の新鋭松登と対戦し、惜しくも敗れて11勝4敗となり十両優勝を逸しました。

しかし次の9月場所は千秋楽に立浪部屋の小坂皮と十両の優勝決定戦を行い、
得意の上手投げに小坂川を破って13勝2敗の好成績をあげ、十両優勝を遂げ、

翌27年1月前頭15枚目に入幕しました。


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横綱不知火光右衛門

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横綱不知火光右衛門は、文政8年(1825)5月、合志郡陣内村下町(現大津町下町)の原野慶助の二男に生まれました。本名を原野峰松といい、草相撲の大関で近隣に名をとどろかせていた祖父儀右衛門の血統を受けたのか、優れた体力と力とをもって草相撲でその怪力と妙手、早わざは近隣におよぶものがなかったと言います。

 村の郷士坂本十郎左衛門からさそわれて、大阪に出て郷土の先輩である湊(第八代横綱不知火諾右衛門)の弟子となって修行し、嘉永2年(1849)江戸にのぼり、殿峰五郎の名で同3年11月幕下に付け出されています。

 安政元年(1854)十両、同3年11月西前頭7枚目に入幕し、細川藩のお抱え力士となり、同4年1月不知火光右衛門と改名しています。以後、順調に勝ち進み、同7年2月小結で8勝1引き分け1休の成績で優勝、文久2年(1862)2月大関に昇進、同3年11月吉田司家から11人目の横綱免許を受けました。時に39歳のことでした。

 176センチメートル、124キログラム、取り口はきびきびとして名人級、右を指したら盤石と言われていました。またその土俵入りは、先代(第八代横綱不知火諾右衛門)が創始した不知火型をさらに華麗にしたもので巧妙をきわめ、「白鶴の翼を張れるがごとし」の形容で華麗さはかって見ないところとされ、また大変な美男子でもあったので、その錦絵は飛ぶように売れたと言います。

その後、6年間12場所在位し、元治元年(1864)4月と10月に連続して優勝を遂げています。好敵手には、雲龍・鬼面山・陣幕(いずれも横綱を張った力士)がいました。明治2年(1869)11月場所限りで引退、幕内の在位は14年、27場所で、最高位は大関(横綱)、勝率は、7割7分3厘。引退後は、先代同様大阪に帰って頭取(年寄り)2代目不知火諾右衛門と名乗り、不知火部屋を創立して年寄りとして大阪相撲に貢献していましたが、同12年2月24日55歳で没しました。

 墓は、大阪市天王寺区下寺町の遊行寺(円成院)と生地の大津町下町に建てられています。

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