【25代吉田司家】

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吉田家の25代(追風)吉田長孝氏のこと 
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※写真は、代々の吉田司家の祖先が眠る(熊本市坪井の真浄寺)墓所です。



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    第十二回(昭和三十四年度顕彰)



?H1>吉 田 善 門 翁

  家  系


 吉田善門の家系は遠く後鳥羽天皇の時代にさかのぼる一名門ということが出来る。源平の兵乱にわずらわされて朝廷の儀式などもすたれたことがあったが、そのうち兵乱もおさまったので、これらのすたれた儀典を復興しようと志されたのが後鳥羽天皇であった。

相撲節会の復興もまたその一つであった。そこで天皇はこれまで相撲行事官として長く仕えた志賀家の子孫を四方にさがされたが、その家は安徳天皇にしたがって壇ノ浦に消えて、断絶してしまったらしく見出すことが出来なかった。それではと、これに代る人を天下にさがされた結果、志賀氏の伝をうけてこの道の故実旧例に精通している吉田家次という者が越前国にいることがわかった。もと木曾義仲の家臣であったが、義仲の行動にあきたらず、退いて生地に螢居していたのである。


 そこで後鳥羽天皇はたゞちに越前国から家次を召され、相撲司を命じ、従五位上に叙し、名を追風と賜った。時に文治二年(一一八六)六月である。こうして吉田司家は生れた。吉田善門はこの家次から数えて二十三世にあたっているので二十三世追風といった。


 初代追風家次は後鳥羽天皇から獅子王の団扇と木剣を拝領している。むろん相撲節会に行事官として大いにつとめた功によるものである。第二世は豊後守追風といった。その頃承久の乱がおこって都はまた騒がしくなったので、追風は万一をおもんばかって勅賜の品々や家伝の書類を持って遁れ、河内国の一族のもとに非難した。それから代々大和摂津の間に流寓することになる。


 第三世から第十二世追風まで、この間、北条、足利、戦国時代とつゞくため、都に出ることも少なく、したがってさしたることもなかったようである。


 十三世追風にいたって特記すべきことがおこった。十三世は名を長助といった。時の帝は正親町天皇である。天皇はふたたび相撲節会の復興を念じられ、長助を召して行事官とし、豊後守と称させた。その時の相撲節会の奉仕の功を賞して「マカロオ」の団扇を勅賜された。関白二条晴良は長助を呼んで相撲の故実について種々下問したが、その答えが実に立派であったので、「一味清風」の四文字を記して長助に与えた。


この 一味清風 というは日本相撲の法二派に分るゝ時は必ず道が乱るゝから作法を一味にして相撲道を守る、これ清風なり、という意であるとつたえられ、また一説には相撲の初祖志賀清林の清と追風の風をとって一味清風と書かれたものともいう。とにかく


吉田家と相撲と離すべからざることをいったものであろう。


関白近衛晴嗣もまた式につかう烏帽子、狩衣、四幅袴を投与している。織田信長も豊臣秀吉も、また徳川家康も、ともに団扇を授け、信長は長助の力をかりて武家相撲の例式を定め、家康は将軍上覧相撲の規程を定めた。吉田家ではこの十三世追風を中興の祖とよんでいる。

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上の写真は、熊本市碩台小学校校庭にある本山彦一氏の生誕記念碑
下の写真は、写真は学生横綱になった同志社大学服部祐児に絹手綱を渡す25世吉田長孝氏


大正八年十月大阪毎日新聞は初めて全日本学生相撲選手権を開催することになった。同社社長 本山彦一氏は、二十三世 追風吉田善門に大会個人優勝者に横綱を授与してほしいと懇願してきた。この本山彦一氏は善門より三歳上の熊本での幼馴染で本山彦一氏は、嘉永六年(1853年)の生まれで善門と同じく肥後藩校 時習館に学び、その後慶応大学に進み卒業後一時兵庫県へ奉職したが後に官界を去り、時事新報に入りその後、明治二十六年大坂毎日新聞社五代目の社長となった。善門は、ことに本山彦一氏の依頼であり、これを快諾し、アマチュアの横綱に対し、横綱ではなく練絹としての絹手綱(きぬたずな)を授与することにした。そして大阪相撲協会行司木村正直等を引き連れて大会に臨んだのであった。第一回の優勝者となった神戸高等商学校 田中四郎に、この絹手綱を善門は、授与したのであった。(この絹練りの手綱は身にまとう物ではなく、頂ものである) その後、昭和七年(1932年)本山彦一氏八十歳の時 郷里熊本市の碩台小学校校庭の一角に建設された彼の誕生記念碑序幕式に出席し同席した善門と久々の旧交を暖めたものであった。

第54代 横綱輪島は本大会で学生で二回の学生横綱になり、大相撲の横綱と合わせて三回の横綱を25世吉田追風から授与された。


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        ◆吉田家始祖豊後家次が、後鳥羽天皇より賜った獅子王の団扇



国技相撲道を守り伝えて800年

農耕民族である日本人が、五穀豊穣を神に祈った年占いの神事に起源を持つ相撲は、朝廷の公例行事「三度節」のひとつである相撲節会、武家相撲、そして広く一般庶民に親しまれるようになった勧進相撲を経て、現在の大相撲や全国各地で催される奉納相撲、アマチュア相撲に、その伝統は受け継がれております。

 

後鳥羽天皇の御代、文治二年(1186年)それまで中断されていた相撲節会復興に際し、相撲故実旧例に詳しい吉田家始祖豊後家次は、越前の国より後鳥羽天皇に召され相撲節会の典儀を故実旧例に従い無事勤め、 「国技の古き伝統を守り伝えよ」という訓を「追風」の号に託し獅子王団扇とともに賜り、相撲の司として以来800年の間、国技相撲道の普及発展に尽力して参りました。

 

弘治年間(1555年〜)当時角力と称し、唯一の協議として人気のあった相撲は、単に力くらべとなり相撲本来の礼儀礼節を尊び古例旧式にならう相撲道から大きく離脱の様相に、十三代追風は、土俵上の登場礼式(力士が土俵にあがり行う動作及び型)を定め、神儀であった相撲を国技の「 道 」として確立。時の正親天皇より永禄元年(1558年)相撲全般をとり仕切る行司官を、命じられ、「マカロオ」の団扇を勅賜。元亀年中(1570年〜1572年)関白二条晴良公より「一味清風」の四文字が記された団扇を授与された追風は、以降国技相撲道に二派はなく、常に一味(ひとつの派のみ)の作法でもって相撲道を守ることを相撲界はもとより、吉田司家の家訓として代々伝授してきた。

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私の個人的所感ですが・・・・・・

私は、地元の小学校のPTAの役員をしているのですが、挨拶の出来る校区は、比較的に子供たちの非行もすくないような気がします。

礼節・・・・・・これは、人の社会にとって、一番大切なことでは無いでしょうか・・・

私の大好きな書の中に・・・・・このような一説があります。

 それ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂主、師、親これなり。又習学すべき物三つあり、所謂儒、外、内これなり。
(すべての民衆に尊敬すべきものが、三つあり、主、師、親の三徳である。身につけねばならぬ物が三つあり、儒教、仏教以外、仏教の教えもこれにおさまる。とあります・・・・・

主、師、親の三徳・・・・・

主の徳、師の徳、親の徳、現在の日本に、一番掛けた部分ではないでしょうか?

親が、自分の子供の教育には、命がけで責任を持つこと、また気がついた者が見て見ぬぬふりを、せねばもっと良い社会になるのではないでしょうか・・・・・・日本本来の礼儀礼節、一番大切な教育ではないでしょうか?・・・100年後の日本のために・・・・・・。

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吉田司家(よしだつかさけ)は、大相撲の宗家である。志賀清林を祖とする志賀氏の断絶後、志賀氏に代々受け継がれてきた故実・伝書などを受け継いだ初代、吉田豊後守家次(ぶんごのかみいえつぐ)から始まり、代々相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗る。元来、京都二条家に、奉公し節会相撲の行事官として務めていた。その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をした。以来、熊本県熊本市に住む。

江戸時代に勧進相撲が、取り行われるようになり、寛政元年十一月谷風・小野川に横綱を免許した。

寛政3年及び寛政6年に、征夷大将軍徳川家斉の上覧相撲を奉仕し武家相撲の作法及び土俵の登場・礼式など、すべての相撲の様式を定めた。

以来横綱免許は、すべて吉田司家によって、授与されてきたのである。

西南戦争で吉田司家が西郷隆盛率いる反乱軍に従軍してからは一時的に権威が弱体化し京都の五条家があちこちで横綱免許を出したが梅ヶ谷藤太郎が吉田司家による免許を望んでからは権威も回復した。そして明治維新の、あの旧物破壊の大怒涛の中で、裸で取る相撲は、未開野蛮人な行為であって国辱だと、相撲廃止論が起こった時、23世 吉田善門は、身を挺して相撲廃止の無謀さから、国技相撲を救ったのであった。相撲界の一代恩人である。後に大坂相撲にも吉田司家の免許を持つ公認横綱が4人登場した。

第40代横綱東富士欽壹までは吉田司家による横綱本免許状授与式(仮免許は、司家の主君であった、細川家の東京小石川の別邸で取り行われた)が続いたが、第41代横綱千代の山雅信以降は日本相撲協会が横綱推挙を行なうことになり免許権を、相撲協会に移譲した。なお第59代横綱隆の里俊英までは司家も推擧式に参加し、司家の15尺土俵における奉納の土俵入りも行なわれたが、第60代横綱双羽黒光司以降は司家は推挙式には参加せず、15尺土俵での新横綱による奉納土俵入りも行なわれていない。

司家内部の不詳事により、25世 吉田追風と、春日野理事長との会談で、吉田家の横綱授与の儀式を、春日野理事長に委ね当面、協会との関係を中断する旨、双方了解した。

現在、諸問題を解決し、1日も早い復興を栄位努力中です。




吉田司家が、歴代の横綱に授与していた、横綱免許の実物の写真です。

みなさん意外と見たこと無いはずです。

つい最近まで、この横綱免許状が、熊本の旧吉田司邸で伝統的に代々の横綱に授与されていました。




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