【5月27日】1969年(昭44) 遠い異国で現役中に“孤独死”した助っ人ジャクソン
米ルイジアナ州出身の黒人助っ人は、最愛の妻にも娘にも看取られず、東京都内の病院で33歳の若さで死去した。
“黒い弾丸”“おとぼけルー”の異名をとった、アトムズ(現、ヤクルト)のルー・ジャクソン外野手が、すい臓壊疽(えそ)のため、東京・慈恵医大病院で息を引き取ったのは27日午前0時5分。現役の外国人選手が日本で亡くなったのは、後にも先にもジャクソン一人だけである。
来日3年目のジャクソンが入院したのは3月27日。前日26日、東映とのオープン戦(後楽園)で3打数無安打1三振に終わった直後に胃痛を訴えた。吐き気がひどく水も飲めない状態で、著しい脱水症状も出ていた。体重は正常時の80キロ台から60キロ台まで激減。「水分を受け付けず、肌はカサカサ。衰弱しきって精密検査もできない」と、付き添った川小渉外部長は厳しい病状を別所毅彦監督に説明した。
主治医は「胃かいようと本人は思い込んでいるが、すい臓炎の疑いもある。検査をしてみて手術が必要になるかもしれないが、復帰までには時間がかかる。もう野球選手としては無理かもしれない」と主治医。実際にはすい臓がんだったようで、すでに手遅れの状態だったという。
カブス、オリオールズでメジャーの経験のあるジャクソンは大の酒好き。毎日のようにビールを浴びるほど飲み、来日してチームメイトに連れて行ってもらった居酒屋で覚えた焼き鳥の味が気に入り、これも毎日のように食べていた。偏食は著しく、「ビールを飲んでいないときはコーラかドクターペッパー。焼き肉とかステーキとか肉しか食べず、野菜を食べているのを見たことがなかった」。仲が良かった、同僚外国人のデーブ・ロバーツ外野手や高山忠克外野手はそう証言している。
加えて日本でプレーすることに反対していた夫人との離婚問題も抱えており、まだ2歳の愛娘となかなか会えないことがよりいっそう寂しさを増し、それが酒に手を伸ばす大きな原因でもあった。
日ごろの不摂生に球団首脳部も眉をひそめ、67年に28本塁打79打点、打率2割9分6厘の成績を残しながら、解雇寸前までいったが、代役が見つからず渋々契約した。
日本で最後に放った本塁打は68年9月16日の阪神26回戦(神宮)でのサヨナラ満塁本塁打。その時の表情を高山はよく覚えている。「3年間付き合っているが、あまり笑顔を見せないルーが笑っていた。あんなに笑っているのを初めて見た」。
このころから胃痛を訴えていたこともあったが、家族とのことを思い悩み、ジャクソンはその豪快な打撃とは裏腹に常に物憂げな表情を浮かべていた。
ジャクソンが亡くなった翌日の28日、都内の教会で球団葬が営まれた。キャンプ中での打撃練習の写真が遺影となり、祭壇は白菊でいっぱいに飾られた。アトムズナイン、関係者だけでなく、阪神のウイリー・カークランド外野手、西鉄のカール・ボレス、元阪急のロベルト・バルボン氏らも駆けつけた。しかし、ジャクソンの家族で参列したのは義母のモンゴメリーさんだけ。妻と娘は姿を見せなかった。
日本での通算成績は3年間で309安打68本塁打181打点。打率2割5分7厘で67年にはオールスターにも出場した。
焼き鳥は大好きだが食べ過ぎはよくない!生前よっぽど妻子にひどかったのだろうな!
俺もきをつけよう!
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