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台風、やっと通り過ぎましたね。
今日は ちょっと?まじめなはなし。(笑)
10月から 少しずつだけど 新しい取組みが動きそうな気配です。
そしてずっとずっと もやもやしていたひとつのことが
私の中で決着がつきました。
以前から悩んでいたアイデンティティー
「私の名前」というものについて
今の名前は、なんかちがう。
昔の名前も、良い思い出は少なくて
どうだろうと思っていた。
新しい名前は・・・
考えたけど やっぱりこっぱずかしいし(笑)
9月に入ってから 実家の父の具合が悪く
(まあ、本人は至って自覚がないのですが)
今度は 悪性のガンが 膀胱にできた様子です。
15年位前に脳腫瘍が見つかって
その時に「もって半年」と云われたのが
なんと、いまだに元気で生きていてくれることに感謝しつつも
やはり前立腺に転移して 薬で抑えながら
年齢が年齢なだけに(今年の冬で86歳)
進行は遅いのか、ここ数年はそんな感じで過ごしてきたのですが
今度の腫瘍は転移ではなく 新しくできたものらしく
まあ、元気なのか年寄りなのか^_^;
結局、それ以外に悪いところはなく(椎間板ヘルニアで歩くのは困難ですが)
体力もあるので 手術することになるかと思われて
ここ数週間、病人へ付き添ったりの行ったり来たりの生活をしている中で
ふと思ったことがあるのです。
父がいなくなって、母がいなくなって
そして私がいなくなったら
私の旧姓は、この世からなくなるのだな〜と。
いや、別に
もともとがドライ(薄情)で、合理主義(冷たい)なので、
家系がどうのとか、名前がどうのとかは なんとも思わないのですが、
ふと、そう思ったときに
今の私を形成してきた名前は
やっぱり旧姓なのだと 感じたのでございます。
苗字など 単なる記号だと思っているから
今の名前には 私的にはなんの思いもなく、
でも例えば娘にしてみれば、
それは彼女が生まれた時からの名前であり、
それは姓と名がワンセットで
彼女自身のアイデンティティーなんだろうなと。
それなら、何か別の形で
私が私として生きてきた証代わりに
なにか残したいなと思ったとき、
やっぱり 旧姓で残したいと思ったわけです。
結局 私の出発地点はそこだったのだから
着地点もそこにしたい。
そう思ったら、これから展開していくライフワークの中で
旧姓でもいいやんと
そこに落ち着きました。
残り半世紀近い人生を
今の名前と旧姓と
うまくバランスをとりながら、
後悔のないような生き方をしようと
父と母の後姿をみながら、
ようやく 着地点を見つけたような気がします(*^_^*)
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折り合いのつけ方
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なつかしい人の夢を見た。
すれちがいざまにお互いおどろいて
そして、笑ってた。
そこからは・・
覚えていない。
目が覚めたら 泣いていた。
愛であれ、友であれ、
きっと 多くを望まなければ、
人とのつきあいはそんなに難しいものではないのだろう。
最初から そんなものだと思っていれば
一緒にいることはさほど苦にならないのかもしれないし。
きっと、それなりに 添い遂げることもできるんだろうな。
だけど、それでは物足りなくて
やっぱり一緒に成長したくて
同じものを見て笑ったり、同じものを見て泣いたり、
時にはぶつかったり、あらためて尊敬したり
そんなふうに生きていける人がいれば、
きっともっと、人生は楽しくてすばらしいんだと思う。
でもそれを 「一緒にいる人」に求めたら
たぶん失望やあきらめの方が大きくなってしまうんだろう・・・
だけど、それで、また別の人を求めても、
結局は同じことの繰り返し。
だから けっこう多くの人は
そんなことに気づかないようにして
日々の小さな喜びを重ねて生きている。
そのほうがいいのかなぁ・・・
そのほうが
幸せなのかな・・・?
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なんていう歌があったような気がします。
確かに若い頃は
友達が自分の友達を連れてきて、「これ、あたしの友達やねん♪」
などという一言だけで けっこう一緒に遊んだり 違和感なく過ごせたものでした。
でも、なぜか・・・ 特に最近は
自分の友達(この年になって友達ってのもないのですが(笑))の仲の良い人が
すべて気の合う人というわけではなく、むしろどちらかというと
もう人として受け入れられないタイプ(外見ではなく 考え方や生き方などが)だったり
「なんでこの人はこの人と仲が良いんだろう???」と 素朴に疑問に感じたりすることもあって。
で、あからさまに態度にはださないけど、できるだけ係わりは持ちたくないし、
その人の話題になっても、なんとなくスルーしたいそぶりを隠すこともやめたので
さすがに気づかれたりして(笑)
まあ、その人に言わせれば
「この人、こんなええとこもあるんやから、そう嫌ったりなや〜」などと
かばわはるんですが。
不思議だなぁ
一緒に過ごす人は、絶対同じ価値観や倫理観でないとムリだと思っています。
同じものを見て笑い、同じものを見て喜び、
それは 笑うツボが一緒だとか ちょっとした、でも妥協できないポイントが共通とか
そんなささいなことだったりするのだけど、
それって けっこう重要で。
だけど、一緒にいる人が自分と同じ「ツボ」であっても
その人の友達と 同じ「ツボ」だというわけではなく、
逆に 許せない「ツボ」だったりすることもあるわけで(笑)
ということは、
つまり私は その人の とある一部分だけとつきあってるということで
例えば それがその人の50%の部分であれば
それ以外の50%の部分は
私には受け入れられないタイプの他の人と共有できているんだろうな〜ということを
最近特に感じるようになりました。
もちろん それ自体どうこういうつもりはないし、それはそれで当たり前で
一人の人間 丸ごと100%受け入れるなんてことも 私にはとうていできないのだから
それはそれでいいのだけど、
だけど、そう思っているのは私だけで
その人は 自分の友達も私も 同じだと だから仲良くしてほしいとか思っていたりすると
けっこう しんどかったりするんですよね〜
「お前のものは俺のもの
俺のものは俺のもの」・・・って
あんたは ジャイアンか!(^_^;)
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きっとみんなそれぞれに
決して表には出せない想いを抱えていて
それでも やっぱりその想いは 秘めておくには大きすぎて
ふと、誰にともなく
言葉にしてしまうんだろうな・・・
その真意は きっと他の人にはわからないんだけど
だからこそ、こぼれてしまう想いなのかもしれない。
いちばん怖いのは 言うことがころころ変わる人。
そしてもっとやっかいなのは
その人が自分の言葉を覚えていないこと。
そうやって 少しずつ
笑顔で切りつけられた傷は
確実に私のココロを凍りつかせて
消すことの出来ない×マークを重ねていく。
変わらずに
人を愛し続けることは難しいなと
思い知る今日この頃です。
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